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翁草の成就
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「ごめんね、ヒカルちゃん。君との約束、破ってしまって」
泣き笑いみたいな表情で謝る篝火に、ぽろりとヒカルの瞳から涙が落ちた。次々溢れ出てくる涙で歪んでしまった視界に、滑稽なほど慌てる槿が映り込む。
「ちが、違います。私が」
その先は止められない嗚咽の所為で、言葉にする事ができなかった。涙で濡れてしまったヒカルの頬に、篝火が優しく手拭いを押し当ててくる。温泉マークの入っているのでロマンチックとは程遠い代物で、ヒカルは泣きながら少しだけ笑ってしまった。自分と槿はこれでいい。むしろこれがいいと思った。
「泣かないで、ヒカルちゃん。この歳になっても君に泣かれてしまうと、どうすればいいか解らなくなる」
「……私を泣き止ませたいなら、抱きしめて下さい」
「お安い御用だ」
泣きながら口にしたヒカルの左腕を、槿は即座に掴んで引き寄せた。生きている人間の熱と、どくどくと脈打つ心音が伝わってきて、ヒカルの涙は止まるどころか加速する一方だ。
「何だ、ちっとも泣き止んでくれないな」
しゃくり上げて泣き出したヒカルに、篝火が笑いを含んだ声で囁いてくる。かっとヒカルの全身が熱くなった。
「篝火、さん」
「ん?」
「……抱いて、下さい」
文字通り顔から火が出るような思いで、ヒカルは蚊の鳴くような声で訴えた。篝火の顔を見ていたら、絶対に言えなかった台詞だ。「抱いてるよ」あっさりとした調子で返してきた篝火に、ヒカルは言葉の意味が通じていない事を悟った。そうだけどそうではないのだ。もう一分一秒だって我慢できない。今すぐ、生きている篝火の熱を感じたかった。だけどヒカルは洒落た誘い文句など知らない。流石に「今すぐセックスしましょう!」では、雰囲気をぶち壊す事くらい判っている。
――ふと、ヒカルの脳裏に閃くものがあった。梅野の愛読している少女漫画だ。最近は少し過激な表現と展開も好まれているのか、梅野は「ねえ! これどう思います?すごくないですか!?」と赤面しながら、少し際どいページを見せて同意を求めてきた。周囲が想像している以上に、梅野は純情なのだ。あの漫画は年上の男と付き合う大学生が、その気になってくれない恋人を誘惑する話だった。今の状況に似ていると言えなくもない。篝火を確実に仕留めるために、ヒカルは二の矢を放つ事にした。
「あの」
「ん?」
「私の事、滅茶苦茶にして下さい」
「……馬鹿者」
突然、十数年ぶりに低い声で叱責されて驚いたヒカルは、慌てて身を引こうとしたものの、ガッチリと抱かれた腰のせいで叶わなかった。
「私はね、ヒカルちゃん」
「は、はい」
初めて目にする獰猛な表情をした篝火が、低い声で脅しつけるように呼んでくる。虎の尾を踏んづけた心地になり、返事をするヒカルの声は見事に裏返った。
「ヒカルちゃんとの初夜は夜景の綺麗なホテルで、大事に大事に抱くって決めてたんだ。その計画が全部パアじゃないか。どうしてくれるんだい?」
にやりと笑っている篝火の口の端から覗く歯が、獣の牙のように見えてヒカルは震えた。若い娘ならば嫌悪しかねない『イヤらしい』嗤い方を目にしての本能的な恐怖ではなく、未知への期待からだ。
「私が、責任を取ります」
ヒカルにとって初めてのキスは、温泉街から外れた薄暗い路地であった。周囲に漂う硫黄の匂いに包まれながら、ヒカルは容赦なく突っ込まれた舌を受け入れた。
その後、篝火は旅館に人数を増やしたい旨を伝えて交渉すると、何故か馬鹿みたいに広い離れの部屋を宛がわれた。連れ込まれたヒカルは豪華な室内を見学する間も与えられず、槿によって文字通り『滅茶苦茶』にされた。挿入こそしてくれなかったものの、それ以外の愛撫は一通りされたからだ。文字通り頭の天辺から足の爪先まで、篝火が触れていないところはないくらい、ヒカルの躰はぐずぐずに溶かされた。執拗な程に情熱的な愛撫の合間に「好きだ」「愛してる」と囁かれたヒカルは、泣き喘ぎながら「私も」と返す事で精一杯だった。
「…………」
旅館の寝心地の素晴らしい布団に包まったヒカルは、慣れた仕草で煙草を吸う篝火を恨めしそうに見上げた。どんなに頼んでも『最後まで』してくれなかったからだ。
「仕方ないよ、ヒカルちゃん。僕は歳が歳とはいえ、未経験の女性にいきなり突っ込んだら、さすがに流血沙汰は避けられないからね」
篝火は優しすぎる。ヒカルに対してだけ、とびきり甘いという事実は、まだ当人は知らない。結局、自身の欲望よりもヒカルを大切にする事を優先したのだから。全く嬉しくないわけではないけれど。
「篝火さん」
「ん?」
「大事になんかしなくていいから、ちゃんと最後までして下さい」
「ヒカルちゃんからのおねだりでも、それは叶えてあげられないな。僕が君を大事にしたいんだよ、最期まで」
まだ納得できないヒカルは上体を起こし、篝火の許に膝立ちで近付く。篝火は煙草を消してヒカルを抱き寄せ、口付ける。昨夜から何度したか判らないキスは、煙草の味がした。
泣き笑いみたいな表情で謝る篝火に、ぽろりとヒカルの瞳から涙が落ちた。次々溢れ出てくる涙で歪んでしまった視界に、滑稽なほど慌てる槿が映り込む。
「ちが、違います。私が」
その先は止められない嗚咽の所為で、言葉にする事ができなかった。涙で濡れてしまったヒカルの頬に、篝火が優しく手拭いを押し当ててくる。温泉マークの入っているのでロマンチックとは程遠い代物で、ヒカルは泣きながら少しだけ笑ってしまった。自分と槿はこれでいい。むしろこれがいいと思った。
「泣かないで、ヒカルちゃん。この歳になっても君に泣かれてしまうと、どうすればいいか解らなくなる」
「……私を泣き止ませたいなら、抱きしめて下さい」
「お安い御用だ」
泣きながら口にしたヒカルの左腕を、槿は即座に掴んで引き寄せた。生きている人間の熱と、どくどくと脈打つ心音が伝わってきて、ヒカルの涙は止まるどころか加速する一方だ。
「何だ、ちっとも泣き止んでくれないな」
しゃくり上げて泣き出したヒカルに、篝火が笑いを含んだ声で囁いてくる。かっとヒカルの全身が熱くなった。
「篝火、さん」
「ん?」
「……抱いて、下さい」
文字通り顔から火が出るような思いで、ヒカルは蚊の鳴くような声で訴えた。篝火の顔を見ていたら、絶対に言えなかった台詞だ。「抱いてるよ」あっさりとした調子で返してきた篝火に、ヒカルは言葉の意味が通じていない事を悟った。そうだけどそうではないのだ。もう一分一秒だって我慢できない。今すぐ、生きている篝火の熱を感じたかった。だけどヒカルは洒落た誘い文句など知らない。流石に「今すぐセックスしましょう!」では、雰囲気をぶち壊す事くらい判っている。
――ふと、ヒカルの脳裏に閃くものがあった。梅野の愛読している少女漫画だ。最近は少し過激な表現と展開も好まれているのか、梅野は「ねえ! これどう思います?すごくないですか!?」と赤面しながら、少し際どいページを見せて同意を求めてきた。周囲が想像している以上に、梅野は純情なのだ。あの漫画は年上の男と付き合う大学生が、その気になってくれない恋人を誘惑する話だった。今の状況に似ていると言えなくもない。篝火を確実に仕留めるために、ヒカルは二の矢を放つ事にした。
「あの」
「ん?」
「私の事、滅茶苦茶にして下さい」
「……馬鹿者」
突然、十数年ぶりに低い声で叱責されて驚いたヒカルは、慌てて身を引こうとしたものの、ガッチリと抱かれた腰のせいで叶わなかった。
「私はね、ヒカルちゃん」
「は、はい」
初めて目にする獰猛な表情をした篝火が、低い声で脅しつけるように呼んでくる。虎の尾を踏んづけた心地になり、返事をするヒカルの声は見事に裏返った。
「ヒカルちゃんとの初夜は夜景の綺麗なホテルで、大事に大事に抱くって決めてたんだ。その計画が全部パアじゃないか。どうしてくれるんだい?」
にやりと笑っている篝火の口の端から覗く歯が、獣の牙のように見えてヒカルは震えた。若い娘ならば嫌悪しかねない『イヤらしい』嗤い方を目にしての本能的な恐怖ではなく、未知への期待からだ。
「私が、責任を取ります」
ヒカルにとって初めてのキスは、温泉街から外れた薄暗い路地であった。周囲に漂う硫黄の匂いに包まれながら、ヒカルは容赦なく突っ込まれた舌を受け入れた。
その後、篝火は旅館に人数を増やしたい旨を伝えて交渉すると、何故か馬鹿みたいに広い離れの部屋を宛がわれた。連れ込まれたヒカルは豪華な室内を見学する間も与えられず、槿によって文字通り『滅茶苦茶』にされた。挿入こそしてくれなかったものの、それ以外の愛撫は一通りされたからだ。文字通り頭の天辺から足の爪先まで、篝火が触れていないところはないくらい、ヒカルの躰はぐずぐずに溶かされた。執拗な程に情熱的な愛撫の合間に「好きだ」「愛してる」と囁かれたヒカルは、泣き喘ぎながら「私も」と返す事で精一杯だった。
「…………」
旅館の寝心地の素晴らしい布団に包まったヒカルは、慣れた仕草で煙草を吸う篝火を恨めしそうに見上げた。どんなに頼んでも『最後まで』してくれなかったからだ。
「仕方ないよ、ヒカルちゃん。僕は歳が歳とはいえ、未経験の女性にいきなり突っ込んだら、さすがに流血沙汰は避けられないからね」
篝火は優しすぎる。ヒカルに対してだけ、とびきり甘いという事実は、まだ当人は知らない。結局、自身の欲望よりもヒカルを大切にする事を優先したのだから。全く嬉しくないわけではないけれど。
「篝火さん」
「ん?」
「大事になんかしなくていいから、ちゃんと最後までして下さい」
「ヒカルちゃんからのおねだりでも、それは叶えてあげられないな。僕が君を大事にしたいんだよ、最期まで」
まだ納得できないヒカルは上体を起こし、篝火の許に膝立ちで近付く。篝火は煙草を消してヒカルを抱き寄せ、口付ける。昨夜から何度したか判らないキスは、煙草の味がした。
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