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【松と藤】告白

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 とても綺麗に晴れていた空は、少しの勇気と度胸をくれた。





 屋上は一日の内で最も高い日に照らされて、少し眩しいくらいだった。いつの間にかすっかりと高くなった空は、季節が夏から秋へと移行しているのだと思わせるような、澄み渡ったものだ。時おり吹き抜ける風が強い日差しによる熱を和らげるかのように肌を撫でるのが心地いい。眠気でも催すような、うららかな午後である。屋上のフェンス越しに聞こえてくる運動部の賑やかな声が、いかにも平和な昼下がりという風情に拍車をかけていた。
 教室出禁騒動から恒例になった、屋上で松風と食べるお昼ご飯。立ち入り禁止とされている屋上は、鍵が壊れていて誰でも入れるようになっているけれど、それを知っている人は意外と少ない。生徒が多い神風学園でも、数少ない穴場スポットとなっている。フェンスに囲まれた静かな場所は、遮る物が何もない。もととも騒々しい環境を好まない紫にしてみれば、願ってもない空間である。いつもはぽつりぽつりと人がいるが、今日は気温が低い所為か、二人だけしかいなかった。
 フェンスに寄り掛かり、それぞれの弁当を広げる。二人並んで座って、他愛無い話をする。部活の事、次の定期テストの事……そしてお互いの話も。何くれとなく話しかけてくる棗に時おり相槌を打ちながら、ヒカルは母お手製の弁当を口に運ぶ。『食事中はあまり喋るものではない』という我が家の家訓も相まって、端から見れば松風が一方的に話しかけているように見えるだろう。けれどその実、紫自身はけしてそれが嫌ではなかった。
 松風の声は何故だか、とてもヒカルの耳に馴染むのだ。……何だか癪なので絶対に本人には言わないけれど。紫の片想いの相手は、隣で「あーやっぱツナマヨは最高だな」などと言いながら言葉通り幸せそうにランチパックのサンドイッチを頬張る彼を盗み見た。見慣れた顔だが、今日はどうも意識してしまう。彼に、伝えたい事がある所為だろうか。
 それは別に今日じゃなくても問題はないが、星座占いが一位で、朝から澄み切った快晴、少し強めの風が吹く今日が、最適の日だと思った。今日でなければ、きっと伝えられずに終わってしまう気がするのだ。箸を握る手に力を込めて、難しい顔をして玉子焼きを咀嚼した。

「ユカちゃん? 美味しくないのか、それ」
「そっ、そんなわけじゃっ!」

 紫の表情につられたように松風も眉を寄せ、声を潜めて口にしようとしていた卵焼きを指差している。不意に掛けられた声に思わず咳き込み、慌てて大きく首を横に振った。大袈裟な反応に、松風は怪訝そうに片眉を上げて首を捻る。少しだけ申し訳なくなる。

「……ちょっと、松風くん」

 二人とも昼飯を食べ終え、買ったジュースを飲み始めた頃、タイミングを見計らって棗に声を掛けた。今の自分の表情が固いと、嫌でも判る。鼓動の音が煩いけど、逃げるわけにはいかない。彼の顔を見据えて、返事を待った。松風は緊張が伝わったかのように、真剣な顔をしている。

「何?」
「あのね」
「はいはい」
「……えっと……ちょっと立って」
「は?」

 戸惑うような声色の相槌に少し申し訳なくなるが、ここで引いたら先へ進めないと強気にそう頼んだ。松風は間の抜けた返事をするが、一瞬考えた後にその場に立ち上がる。拒否されなかった事に小さく安堵の息を吐いて、自分も立ち上がった。

「……少し、ここで待ってて」
「は?」
「いいからそこから動かないで!」

 訳が解らない松風を余所に、紫は駆け出した。小走りで、彼が立つ場所とちょうど対角に位置する場所へと向かう。近すぎる人に改めて想いを伝えるなんて到底無理で、どうしたら良いのかさんざん悩んだ時に、目に入った青い空。その空の青さが、ほんの少しの勇気をくれた。素直に伝える事よりも、ひょっとするとイタイ行為。――それでも。

「松風くん、行くよ!」
「……いや、紫ちゃん、全然ワケわかんねーって……!」
「そっちまで飛んだら、きっといい事あるかもしれないから!」

 ルーズリーフで作った紙飛行機を、松風に目掛けて飛ばした。風に乗ったその紙は、決して速いとは言えないスピードで、すっと空を飛んで行く。松風は不意に飛んできた懐かしい形をしたその紙に、文句を言いかけた口を閉ざす。そして、最後の方はヨロヨロと、情けない動きをして地面へと落ちていく紙飛行機を、寸でのところで手に取った。
 松風が紙飛行機を手にする姿を見て、安心すると共に更に緊張した。あの紙の中に綴ってある言葉に嘘偽りはない。しかし、だからこそ、アレを見て彼が何を思うのか。迷惑かもしれないというのが非常に怖い、やっぱりこんな勇気、出さない方が良かったのか――。

「……ゆ……紫!」

 ぐるぐるとマイナス思考の渦に捕らわれそうになった時、自分の名を呼ぶ声が耳に入り込んできた。ふと顔を上げると、松風が駆けて来て、何か言う間なく抱きすくめられる。

「うわ、わ……な、まつ、か」
「なんっっっでそんな可愛いんだヒカルちゃんちくしょおおおおお! 今のユカちゃんの顔見て死にかけたよもう三秒遅かったらごーとぅへぶんしそうだったよでも僕にとっての楽園ヘヴンはユカちゃんがいるこの世界で僕の天使はユカちゃんだから何よりユカちゃんおいて死にませんから僕頑張って戻ってきたからあっしまったさっきの表情ユカちゃんコレクション殿堂入り間違いなしだったのに写メ忘れたああああ! まじ何やってんだ僕は肝心な時にシャッターチャンス逃すんだいやでも大丈夫さ僕の目にしっかりと焼きつけた橘松風たちばなまつかぜの心のアルバムに永久保存したから今も脳内で連続再生してるけどもうさっきのユカちゃん超可愛いすぎてどうしたらいいか判らないこのこみあげてくる熱い気持ちどうすればいいのちょっと反応しちゃってる橘さんちの松風クンはどうすればいいんだァァァァァ」
「なっ、何それ、全然褒めてな……!」
「褒めてんじゃん。そんな顔されて断るヤツがいたら僕が見てみてぇよてかそいつもう人間じゃないだろだってヒカルちゃんの告白を無碍に断るヤツだぜそんな馬鹿いたらユカちゃんが許しても僕が許さねぇ」

 不満げな紫に構わずにその頬に口付けて、松風は上機嫌に口端を上げた。彼の手が伸ばされて、髪をくしゃりと撫でられる。

「紫、俺も愛してるぜ?」
「……わ、私、愛してるとか、そういうの書いた覚えはない……」
「はいはいそうですねー『大好き』だもんな」
「……調子いい男だぁ……」
「本命の子から告白されたんだぜ、そりゃテンションも上がっちゃいますからヒカルちゃんマジ天使!」
「…………」

 言葉通りどこか弾んだ語調で言われ、何も言えずに松風の肩に顔を埋めた。口付けられた頬と、服越しに触れ合っている箇所がとても熱い。両思いになるとはこういう事なのかと、慣れない感覚に胸の鼓動は未だ止む事はなかった。松風がやたら大事そうに手にしている、紙飛行機を折った跡の残る紙片が目に入り、また恥ずかしくなった。

『藤野紫は、橘松風が好きです』
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