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訪問
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「一昨年の秋の事だったなぁ。その時は仕事があんまり忙しくって、家に帰る暇がなかったから、一年更新のマンションを仕事場の近くに借りたんだ。正直わたしは、職場から近ければどこでも良かったんだけどね。二番目の弟が最近どこも物騒なんですから危険があっては~! とか騒いで色んな不動産回ってくれて、それでそこのパンフレットを持ってきてくれたの」
「四階建ての、水色の壁が可愛いマンションだった。ちょうど最上階の角部屋が空いてて、管理人さんは在中じゃなかったけどすぐ隣に住んでたから。絶対にここにしなさい!って身内がもう煩くって。でももちろん二つ返事でオッケーしたよ」
何しろ鍵はオートロック。仕事場まで自転車で十五分足らずで着いて、さらに最寄り駅からも近く、犬猫のペット可。
何より、集合住宅の人間関係はとても重要だ。隣に住んでいる大学生の子もすごくいい子で、ベランダ越しによくお喋りした。管理人は還暦を超えた老婦人。これまたすごく親切な人で、困ったら何でも言いなさいねって言ってくれた。
本当に、何の不満も不便も見つからないマンションだった。
……夜に、妙な事さえ起こらなければ。
「わたし、言ったよね? オートロックだって」
当然の事だが、内側から誰かが開けるかカードキーを持っていないかぎり、誰も中には入れない。だから絶対に勧誘などの招かれざる訪問者は入って来れないはずなのに……。
たまに、そろそろ寝ようかなと思った時の夜の十一時……十二時前くらいだろうか。ピンポンピンポンと無遠慮にチャイム鳴らして、その後ガンガンとドアを叩く誰かがいる。
最初は驚いたが、もしかすると誰かについて入ってきているのか、同じ階の人が酔っ払って部屋を間違えちゃっているのかと思って、黙っていた。
「だって、下手に騒ぎでもしたらまた家族を心配させちゃうし……それに、やっとこの生活にも馴染んできてたから、変に問題を起こして引っ越ししなくちゃいけないのが嫌だったし」
だから、本当に息を潜めて、隠れんぼしているみたいに静かにやり過ごしていた。
「……いつだったかなぁ。そこに入って、たぶん半年くらいは経ってたと思う」
変な夜のノックの音にも慣れて、来たら息を殺すって生活を続けていた時。
その日も、いつも通りきた。そのガンガンという音が。その時にはもう慣れたものなので、ああまたかと思って息を潜めていた。五分くらい我慢していれば、諦めて帰っていくのが既にわかっていたからだ。
でも、その日は結構長かった。十分以上、ガンガン叩かれた。今日はしつこいなと、アンナも少しイラッときた。それでも怒鳴って下手に刺激するのも怖い。そしてでやっと止まった時、ホッとして玄関の方を振り返ったら。
「……考えられる? 新聞受けから、にょきって手が出てきたんだよ。つまり、外から腕を突っ込んでるってことなんだけどね。うにょうにょって動き回るその腕、妙に長かったの。どれだけ背が高いんですか!? ってくらいに」
アンナが思わず固まって凝視してると、その腕はドアのチェーンに一瞬だけ触った。
「ほんとに一瞬だったんだけど、あ、やばいってまず思った」
だって、本当に留守なら内側からチェーンロックがかけられているわけが無い。
それにその部屋は、廊下のドアを開けっ放しにしておくと、玄関から部屋が丸見えになってしまう構造になっていた。その日に限ってドアを完全開放してしまっている。
アンナは慌てて眠ってるペットのココマルと携帯を抱えて、唯一死角になるキッチンに避難した。
「どうしてかって? うーん……たぶん反射的に、だと思う。あ、もし万が一新聞受けから中を覗かれたら、丸見えだったから、かな?」
……その瞬間、だった。さっきより激しく、その長い腕の持ち主がドアを叩きはじめた。
ガンガン、ガンガン!
それはもう、アンナはドアを壊して入ってくるのでないかと心配になったくらい。
「いるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
男の人なのか女の人なのか良く分からない声だった。そんな気持ちの悪い大絶叫と一緒に、ずっとずっと、叩かれる。
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!
もうここまで来ると我慢の限界だ。携帯から管理人に助けてください! とメールを打った。
それから三十分経ったくらいだろうか、急にぴたっと打撃音が止んだ。その後サンダルが駆ける音がして、
「美作さんいるー?」
ドアの外で管理人さんの声がかけられた時、アンナは思わず腰が抜けた。
四つんばいでチェーン付けたまま覗き穴から管理人さんだって確認して、それから鍵を開けて。玄関に上げてから、半泣きで説明した。
「新聞受けから手が入ってきて怖かった」
管理人は一瞬、変な顔した。……新聞受けの入り口は、そんな悪戯が出来ないようにわざと細くしてある。せいぜい五センチ……子供の腕だって入らないくらい、細く。だから、普通の人間の腕なんて入れるはずが無い。
「それに、怪しい人影なんてここに来るまで一回も見なかったわ」
隣人も、その時起きていたが全然気づかなかったという。
「……もう、ここまでくるといろいろおかしいよね。さすがに気味悪くなって、その日はその子に頼んで泊めてもらうことにした。管理人もすごく心配してくれて、また何かあったらすぐに連絡してねって言ってくれたよ。隣の子とはもう入居した頃から仲良くなっていたから、怖さも忘れてはしゃいだもんだよ。色んなこと話したけど、その時ににね、変な話、聞いちゃったんだ」
隣の部屋……つまりアンナの部屋である。前から、異様に人の出入りが激しいと言うのだ。
「いつも、仲良くなる前に居なくなっちゃうんですよね」
隣人は首を傾げていた。どうして居なくなるのかは分からなくて、いつの間にか居なくなって……立地もよくて、オートロックかつ家賃もリーズナブルだから借りる人は少なくない。それでも知らないうちに別の人に代わっている。
「……その理由、分かる気がしたな。たぶんその部屋の人たちみんな、あの腕を見ちゃったんじゃないかなと思う。……新聞受けから出る、あの腕をね」
アンナは結局その後、三日もしないうちに引っ越した。そこでの仕事が一段落したから必要なくなったのだ。
「あ、でも隣の部屋の子とは今でも仲良しだよ。LINEとかチャットでやりとりしてるし、たまにご飯も食べに行くし」
……そして、アンナの引っ越した後の部屋。結局その後は誰も入らなくなり、今は物置として使ってるらしい。
「わたしもその方がいいと思うな。だって……いつか、腕以外のものが入ってきたら、って考えたら……ねぇ」
彼女が語り終えると、玄関先で物音がした。郵便受けが開閉されたような音だった。
「四階建ての、水色の壁が可愛いマンションだった。ちょうど最上階の角部屋が空いてて、管理人さんは在中じゃなかったけどすぐ隣に住んでたから。絶対にここにしなさい!って身内がもう煩くって。でももちろん二つ返事でオッケーしたよ」
何しろ鍵はオートロック。仕事場まで自転車で十五分足らずで着いて、さらに最寄り駅からも近く、犬猫のペット可。
何より、集合住宅の人間関係はとても重要だ。隣に住んでいる大学生の子もすごくいい子で、ベランダ越しによくお喋りした。管理人は還暦を超えた老婦人。これまたすごく親切な人で、困ったら何でも言いなさいねって言ってくれた。
本当に、何の不満も不便も見つからないマンションだった。
……夜に、妙な事さえ起こらなければ。
「わたし、言ったよね? オートロックだって」
当然の事だが、内側から誰かが開けるかカードキーを持っていないかぎり、誰も中には入れない。だから絶対に勧誘などの招かれざる訪問者は入って来れないはずなのに……。
たまに、そろそろ寝ようかなと思った時の夜の十一時……十二時前くらいだろうか。ピンポンピンポンと無遠慮にチャイム鳴らして、その後ガンガンとドアを叩く誰かがいる。
最初は驚いたが、もしかすると誰かについて入ってきているのか、同じ階の人が酔っ払って部屋を間違えちゃっているのかと思って、黙っていた。
「だって、下手に騒ぎでもしたらまた家族を心配させちゃうし……それに、やっとこの生活にも馴染んできてたから、変に問題を起こして引っ越ししなくちゃいけないのが嫌だったし」
だから、本当に息を潜めて、隠れんぼしているみたいに静かにやり過ごしていた。
「……いつだったかなぁ。そこに入って、たぶん半年くらいは経ってたと思う」
変な夜のノックの音にも慣れて、来たら息を殺すって生活を続けていた時。
その日も、いつも通りきた。そのガンガンという音が。その時にはもう慣れたものなので、ああまたかと思って息を潜めていた。五分くらい我慢していれば、諦めて帰っていくのが既にわかっていたからだ。
でも、その日は結構長かった。十分以上、ガンガン叩かれた。今日はしつこいなと、アンナも少しイラッときた。それでも怒鳴って下手に刺激するのも怖い。そしてでやっと止まった時、ホッとして玄関の方を振り返ったら。
「……考えられる? 新聞受けから、にょきって手が出てきたんだよ。つまり、外から腕を突っ込んでるってことなんだけどね。うにょうにょって動き回るその腕、妙に長かったの。どれだけ背が高いんですか!? ってくらいに」
アンナが思わず固まって凝視してると、その腕はドアのチェーンに一瞬だけ触った。
「ほんとに一瞬だったんだけど、あ、やばいってまず思った」
だって、本当に留守なら内側からチェーンロックがかけられているわけが無い。
それにその部屋は、廊下のドアを開けっ放しにしておくと、玄関から部屋が丸見えになってしまう構造になっていた。その日に限ってドアを完全開放してしまっている。
アンナは慌てて眠ってるペットのココマルと携帯を抱えて、唯一死角になるキッチンに避難した。
「どうしてかって? うーん……たぶん反射的に、だと思う。あ、もし万が一新聞受けから中を覗かれたら、丸見えだったから、かな?」
……その瞬間、だった。さっきより激しく、その長い腕の持ち主がドアを叩きはじめた。
ガンガン、ガンガン!
それはもう、アンナはドアを壊して入ってくるのでないかと心配になったくらい。
「いるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろいるんだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
男の人なのか女の人なのか良く分からない声だった。そんな気持ちの悪い大絶叫と一緒に、ずっとずっと、叩かれる。
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!
もうここまで来ると我慢の限界だ。携帯から管理人に助けてください! とメールを打った。
それから三十分経ったくらいだろうか、急にぴたっと打撃音が止んだ。その後サンダルが駆ける音がして、
「美作さんいるー?」
ドアの外で管理人さんの声がかけられた時、アンナは思わず腰が抜けた。
四つんばいでチェーン付けたまま覗き穴から管理人さんだって確認して、それから鍵を開けて。玄関に上げてから、半泣きで説明した。
「新聞受けから手が入ってきて怖かった」
管理人は一瞬、変な顔した。……新聞受けの入り口は、そんな悪戯が出来ないようにわざと細くしてある。せいぜい五センチ……子供の腕だって入らないくらい、細く。だから、普通の人間の腕なんて入れるはずが無い。
「それに、怪しい人影なんてここに来るまで一回も見なかったわ」
隣人も、その時起きていたが全然気づかなかったという。
「……もう、ここまでくるといろいろおかしいよね。さすがに気味悪くなって、その日はその子に頼んで泊めてもらうことにした。管理人もすごく心配してくれて、また何かあったらすぐに連絡してねって言ってくれたよ。隣の子とはもう入居した頃から仲良くなっていたから、怖さも忘れてはしゃいだもんだよ。色んなこと話したけど、その時ににね、変な話、聞いちゃったんだ」
隣の部屋……つまりアンナの部屋である。前から、異様に人の出入りが激しいと言うのだ。
「いつも、仲良くなる前に居なくなっちゃうんですよね」
隣人は首を傾げていた。どうして居なくなるのかは分からなくて、いつの間にか居なくなって……立地もよくて、オートロックかつ家賃もリーズナブルだから借りる人は少なくない。それでも知らないうちに別の人に代わっている。
「……その理由、分かる気がしたな。たぶんその部屋の人たちみんな、あの腕を見ちゃったんじゃないかなと思う。……新聞受けから出る、あの腕をね」
アンナは結局その後、三日もしないうちに引っ越した。そこでの仕事が一段落したから必要なくなったのだ。
「あ、でも隣の部屋の子とは今でも仲良しだよ。LINEとかチャットでやりとりしてるし、たまにご飯も食べに行くし」
……そして、アンナの引っ越した後の部屋。結局その後は誰も入らなくなり、今は物置として使ってるらしい。
「わたしもその方がいいと思うな。だって……いつか、腕以外のものが入ってきたら、って考えたら……ねぇ」
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