口承怪談(2/1更新)

狂言巡

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跡地

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「僕は正直、あんまこういうの得意じゃないんだけど……。オイコラ怖いとかそういう意味じゃないからな。そりゃお前だろ、眉極太野郎。僕としちゃ、話でビビらせるよりトラップでおどかしてやる方が好きなんだ」
「……あ? 今日はしてないけど。狩靖かりやす(かりやす)の馬鹿を起こしにいったせいで集合時間ギリギリだったし。まあ、話すぞ。 これは僕がまだ小学生で、僕の家族と従妹の家族とでとあるレジャー施設にキャンプに行ったときのことだ」

 日は傾きはじめていたが、まだ空が青かった。テントを張るには少し早い時間帯だったが、こういうのは早い者勝ちだ。だから父と叔父、兄と従兄達はテント張りはじめて、姉を含む女性陣は夕飯とデザートづくり。一番年下で仕事がやってこなかった、不知火稲風しらぬいいなかぜ。稲風は、完全に暇を持て余していた。 なにして待っていようかとぐるっと躰を回した時、ちょうど暇潰しに良さげなものをみつけた。キャンプ場の端には、そこそこ広そうな森があった。稲風はそこへ一人で入っていった。

「チビガキどもがよくやりたがるような探検ごっこだよ。まだまだガキって、その時はもっとガキだったんだようっせーな! 」

 一本道な上に周りの草が高かったから、ひたすらまっすぐ歩いていった。この先に何か面白そうなものでもないかなと思っていたら、いつの間にかだだっ広い空き地みたいなところに出た。 やべえ突き抜けちまったかと一瞬焦ったが、よく見たら向こうの方から稲風が入ってきた方まで、ぐるっとぐにゃぐにゃした木が取り囲んでいる構図だということがわかった。 
 もっとよく見れば、そこはただの空き地ではなくて湖だった。そよ風一つなく、何処からか川が流れているわけでもなさそうだった。なにしろ水面は磨いた石を嵌めこんだみたいに真っ平らだった。それが、耳鳴りがするほど静かな中で鏡みたいに金色を帯びた空を映しているから、地面にも空があるように錯覚してすぐにはわからなかった。 

「不気味っていやあ不気味だったぜ、今思えばな」

 でもそのときは別になにも思わなくて、その池の際まで歩いていった。水は澄んでいて、湖の底の石までくっきり見えたくらいだ。さっきまでヘディングしてて汗だくになっていた稲風はせめて顔ぐらいは洗いたくなって、両手を突っ込んだ。飛び上がるぐらい冷たかったが、慣れれば最高に気持ちよかった。ふと空を見上げると、もう空は立派な夕暮れになっていて、もう戻りかけないとなって思った。

「そのとき、顔を伝った水が口の中に入ったんだけど、そこでやっとはっきり変だな、って思ったんだ」

 一滴しか入ってないのに異様に口の中が鉄臭くなって、泥まで口に入ってしまったかと、なんとなくぱっと手を見て、頭と目がおかしくなったのかと真剣に思った。水に濡れているだけのはずの掌が、夕焼け色をした空気の中でもはっきりとわかるほど、べったり赤黒くなっていたのだから。それを同じものを見たことがあると思った。
 幼稚園児の時、ビルの前で倒れていたオッちゃんを揺さぶったときと、同じ色。その掌の先にある水面が自分の顔を映していたが、顔もトマト祭りにでも参加してきたみたいに真っ赤だった。  さっきまで手を突っ込んでいた水面がブレて、自分の顔はぐちゃぐちゃに歪んでいた。

「……怖いときは、何気ない動きまで怖くなってくるもんなんだな」

 顔から、手から、ぴちょんと――赤黒い滴が、池の水を変えることなく沈んでいった。  なのに、次に見たときの池の水面は汚泥のような黒さを増して、底が全く見えなくなっている。ついでに、鼻が曲がるかと思うくらいの鉄臭さが辺りに充満していた。

「それまで僕は【まるで】血まみれだと思っていたんだけど、そうじゃない、【本当に】血まみれになっていたんだ! 」

 無意識のうちに後ずさっていたらしく、尻餅までついてしまった。でも尻餅をついたのは、足が何かに引っかかったからだ。運動靴越しでもわかるほど、足首になんかが食い込んでいた。

「こういう時な、なんだ? って見ちゃうんだよな。そんで大抵はすぐ後悔するのがお約束だ。そのときの僕もそうだった。見ずにそのまま振り払ってしまえば良かった、ってな」

 足首を掴んでいたのは、枯れ枝みたいな指だった。みすぼらしいとしか言い表せない長袖からから伸びていて、池の中から生えてきていた。それが合図だったように、ずぶりと音がして、そこから更に古ぼけた何かが浮かんでくる。赤黒い水を吸ったおかげで重たく変色していたけど、その布地に、稲風は見覚えがあった。 

「ドラマやアニメでよく見る、戦時中の兵隊さんだよ。顔は、別に見覚えなかったけどな。ガッリガリに痩せたオッサンが、親の敵ヨロシク僕の足首を掴んでいやがる。痛みを感じるほどに、な」

 それを見た瞬間、何故か動けなくなった。目というか顔さえも動かせず、自分の息遣いと動悸が、うるさかった。……どのくらいそうしていたかはわからない、あっと思ったときには、既に膝まで浸かるほど引き摺られていた。だから抵抗する暇もなく、ドボン。しかも、まだ引き摺ろうとしてくる。逃げようにも誰もいないしつかまるものもないから、結局立てた指と爪で土を掘り起こすだけで、そのまま引き摺られていった。
 足をばたつかせたもんだから跳ね返った水が口の中に入ってきて、濃い血の味で頭が痛くて、おまけに水が揺れるたびにムッとした臭気がたって吐き気もする。  座った状態で肩口くらいまで水位が上がった頃、土を引っ掻いていた指になにか違う感触のものが引っかかったんだ。同時に、ぴたっと足を引く力が無くなった。布だって思ったと同時に、赤黒い水飛沫が上がってなにかが首に絡みついてきた。

「何だったと思う? ――腕だ。ボロボロになった、さっきのヤツとはまた違う顔だけど、やっぱり兵隊さんだった」

 その腕は稲風の首根っこを引っ掴んで、そのまま上へ引っ張り上げて止まった。急所を押さえられて膝立ちになった状態で、稲風は【それ】を見た。  急に水の跳ねる音がもっとひどくなったと思ったら、あちこちから色んな腕がガバッと突き出ている。みんな顔はバラバラだったが、血まみれの兵士だったってことは、共通していた。

「――そんで、みーんなこっちに向かって伸びてくるコトも、な」

 反射的に逃げようとしたが、絡む腕が折るんじゃないかってくらいの力で握ってきたのと、首の腕が気管をそれなりに圧迫しはじめたので、呆気なく阻止された。あっという間に躰のあちこちにぼろぼろの腕がまとわりついてきて、いちいちキツく握り締めてくる。 

「冗談抜きで、躰中から軋む音が聞こえてきて、痛いのと怖いのでパニックだよ。たぶんお前みたいな脳筋野郎でも耐えらんねえぞ、おそらくな。まじのピンチは、泣く以前の問題なんだぜ」

 ぐっと引っ張られて、仰向けに倒れ込んだ。一瞬だけ見事な夕焼けが見えたけど、すぐに赤黒い水しか見えなくなった。おまけに、とうとうその水を飲み込んでしまった。空っぽの胃の中でそれがぐらぐら揺れるのがわかって、中から鉄臭さがこみ上げてくるようで、気が遠くなった。  ずっと引き摺られていたらしかったが、急に目の前でキラっとなんかが光って意識が戻ってくる。今朝叔母から貰った、星型のペンダント。服の中に仕舞っていたそいつが、なんかの拍子に出てきたみたいだ。今から思えば、運が良かったんだな。 

「……なんだ、知らないのか? セーマンっていうのはつまり五芒星、西洋問わず魔よけになるんだぜ」

 銀色の星が首の腕にぶつかった瞬間、腕はぱっと首から離れていった。他の部分の腕も一気に力が弛んでいく。もうちょっとで窒息死していただろう稲風は、無我夢中でそれらを振り払ってやっと水中から顔を出せた。せきこみながら立ってみれば、なんと池の真ん中まで移動させられていた。水位は……鎖骨より少し下くらいか。それでも濁った水の中でまだ何かが蠢いていて、稲風は思いついたことを適当に叫びながら、元いた岸辺に向かって水をかき分けていった。
 その間、服から飛び出したペンダントがずっと胸の辺りで揺れていた。もう腕に絡まれても、銀色の星がそいつらを吹っ飛ばしくれる。だから怯まずひたすら進んだ。掴んでくる腕が吹っ飛んでいくのを視界の端に入れながら、やっと池から逃げ切れた。  薄緑色だったTシャツは、ぐっしょり赤黒い水を吸って、身体中に重さがのしかかった。あんな重さ、もはや水ではなく、重りだ。肩で息をしながら振り返ると、まだ池の中から腕が伸びてくる。瞬間、冷えた頭にカッと血が上った。恐怖も焦りももう全然消えて無くなっていて、代わりに怒りだけを感じた。 

「うっせぇ黙りやがれ、これでもくれてやらあ!」

  怒鳴りちらしながら、首から下げていたペンダントを池に向かって思い切り投げ込んでやった。すると遠くの水面がちいさく跳ねたと思ったら、ボロボロの腕は一斉に池の中に戻りはじめた。波が引くように、辺りから赤みがどんどん失せていって、気がつけば辺りは全て元通りになっていた。
 空は金を帯びはじめた水色になっていた。何も揺らすものが無くなった水面は嵌めこんだ石みたいにだんまりだ。そして。噎せ返るほどの鉄臭さはおろか、服も身体もぜんぜん濡れた形跡すら無くなっていた。本当に、夢でも見ていたかのように、まるで何もなかったかのように、来た時と全く同じ風景になっていた。  耳が痛くなるような静かさの中で立ち尽くしていたが、千切れた綿みたいなの雲がわずかに赤みを帯びたのに気づいた瞬間、そこから一目散に逃げ帰った。 

「その後は、ほとんど覚えてない。後日談がなくて悪いけど」
「……ああいうとこを、【跡地】っていうんだろうな。  なんの、とは言うまでもけどな」

 語り終えた少年は、ちらりとコーラが入ったペットボトルに目をやった。まだ半分以上残っている中身は、光の加減で赤黒く輝いている。
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