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第二十話 どうやっても消えないものを、消せると信じて
しおりを挟む12月28日に六田を殺し、死体を始末した。
翌日の29日に、五味の家を掃除して殺人の痕跡を消した。掃除の後に、五味のスタンガンを持ち帰った。今後、使うかも知れない。
殺すべき対象は、あと2人。
美咲の部屋のデジタル時計が、午前0時を表示した。
元旦――1月1日の、午前0時。
美咲にとっては3歳のとき以来の、洋平がいない正月。
ベッドに座って外を見た。雪が、緩やかに降っていた。
こんな時間なのに、明りが消えている家の方が少ない。新年だからだろう。これから初詣に行く人も多いはずだ。
洋平と付き合い始めてから、美咲は、毎年彼と初詣に行っていた。新年を迎えると同時に。根雪となった道を歩き、寒さに震えながら神社の列に並ぶ。神社に辿り着く前に自動販売機で買った、暖かい缶コーヒーを持って。
缶コーヒーで両手を温めながら、2人で寄り添っていた。コート越しでも感じる洋平の温もりが、幸せだった。
二度と戻らない日々。もう、洋平と一緒に初詣に行くことはできない。彼と一緒に願い事をして、おみくじを引いて、出た吉凶に笑い合うこともできない。
当たり前の日常も、イベントごとの幸せな時間も、もう二度と戻らない。
寂しさと悲しさで、泣きそうになった。とても抱え切れない気持ち。けれど、涙は出なかった。涙すら蒸発させる気持ちが、胸中で燃え上がっていた。もっとも憎むべき存在を――五味を殺したのに、この気持ちは、消える気配すらなかった。
きっと、残りの2人を殺せば。
洋平の仇を全て殺せば、きっと。
生き残っているのは、七瀬と八戸。あの2人をどうやって誘い出し、殺すか。
とはいえ、すぐに殺すのは難しいだろう。年末年始は、咲子も家にいる。あまり長く家を空けていると、不審に思われるかも知れない。
咲子は、例年は、クリスマスを過ぎたあたりから正月三箇日まで、ずっと家にいた。盆暮れ正月など関係ない仕事をしている洋子に代わって、母親のように洋平の面倒も見ていた。
だが、今年は違っていた。咲子は昨日も朝早くに出かけ、夜遅くに帰ってきた。
もしかしたら咲子は、仕事ではなく、洋平を探すために動いているのだろうか。そんな考えが頭に浮かんで、美咲は胸が痛くなった。
正直なところ、咲子の不在時間が多かったお陰で、五味や六田を手際よく殺せた。彼女が不在だったから、美咲も気にせず家を空けられた。
だからといって、洋平を探し続ける咲子に対し、何も感じていないわけではない。そこまで、美咲の心は荒んでいない。
いや。
狂い、荒んでいた心に、当たり前の感情が戻りつつある、と言うべきか。
咲子に対しては、確かに心が痛んでいる。洋平のことを、咲子に告げてしまいたい。そうすると、洋子にも伝わるだろう。3人で、一緒に泣きたい。悲しい気持ちを分かち合いたい。恨みや憎しみに身を委ねなければ、心が折れてしまうほどの悲しみを。
もっとも憎むべき五味は、もういない。それでも、憎しみと怒りを燃やし続けている。復讐に、ひたすら力を注ぎ込んでいる。咲子が不在であることを利用できる程度には。
年が明けて咲子の仕事が始まったら、殺しを再開する。手段はおいおい考える。今は、ある意味で休息と言えるかも知れない。
それなら、と思った。今のうちに、親孝行でもしておこう。この先、自分は、間違いなく、世界一親不孝な娘になるのだから。
自分の行動が、咲子や洋子にどんな影響を与えるか。それを理解できる程度には、美咲は理性を取り戻していた。
美咲はベッドから降り、部屋を出た。一階に足を運ぶ。
リビングの明りは、まだ点いていた。
「お母さん」
リビングのドアを開け、咲子に声を掛けた。
咲子は、ソファーに座っていた。テレビが点いていて、新年を祝う番組が放送されている。もっとも、彼女に、テレビを見ている様子はない。考え事をしていたようだ。呼ばれて、ハッとしたように美咲の方を向いた。
「どうしたの? 美咲」
「あのね、初詣に行かない?」
咲子と、親子の時間を過ごしたい。そう遠くない未来に、自分は警察に捕まることになるから。彼女と離れ離れになるから。
咲子はしばし呆けたような顔を見せた後、小さく頷いた。
「そうだね。今年からは、私と行こうか」
咲子は疲れた顔をしていた。
美咲は、自分の想像が正しいのだと確信した。咲子が、年末になってもあまり家にいなかった理由は、仕事ではない。洋平を探すために、動き回っていたのだろう。その成果が出なくて、精神的に疲れているのだ。
どれだけ探しても、洋平は絶対に見つからない。もし見つかるとすれば、それは、彼の遺体だ。
また、美咲の胸が痛んだ。心臓が握り潰されるようだ。それでも美咲は、無理に笑顔を浮かべた。五味達を殺すために練習した笑顔が、こんな場面でも使える。なんて皮肉なんだろう。なんだか、苦笑したい気分になった。
「じゃあ、私、用意するから。お母さんも用意してね」
「うん」
美咲は自分の部屋に戻り、コートを羽織った。五味や六田を殺したときに着ていた、黒いコートではない。いつも着ていた、ベージュのコート。五味に買わせたコートなど、殺しをするとき以外は袖を通したくない。
一階に戻ると、咲子はすでに身支度をしていた。
「じゃあ行こうか、お母さん」
「そうだね」
ふいに、美咲は思い立った。
「おばさんも誘おうか」
おばさん――洋子だ。洋平の母親。洋平の行方が分からなくなってから、すっかり元気をなくしていた。仕事には行っているようだが、それ以外は何もしていない。美咲や咲子が彼女の家に顔を出して、食事の用意をすることもあった。そうしなければ、彼女は、食事すら取らなかったかも知れない。それほど、危うかった。
洋平が殺されたことは、いつか、洋子の耳にも入るだろう。そのときに受けるショックは、今の比ではないかも知れない。少しでも元気になってほしい。気持ちを持ち直して欲しい。美咲にとって、洋子は、母親も同然なのだから。
美咲の提案に、咲子は首を横に振った。
「今の洋ちゃんは、そっとしておいた方がいいと思う。沈むだけ沈んだら、なんとか持ち直すだろうし」
咲子は悲しそうだった。洋子が持ち直すというのは、推測ではない。咲子の願望なのだ。
「そうだね」
2人は家を出た。目の前の市営住宅を見上げた。洋平の家は、明りが消えていた。洋子は夜勤なのか。もしくは、もう眠ってしまったのか。どちらにしても、初詣に誘うことはできなかったわけだ。
車庫を開けて、車に乗った。近くの神社までは、10分ほど。
咲子は車を走らせた。
ライトを点けた車が、夜道を走る。こんな時間なのに、車の通りは多かった。元旦だからだろう。
車内で会話はなかった。今の状況で、明るい話などできるはずがない。暗い話ばかりだと気持ちが沈んでしまう。必然的に、会話はなくなる。
静まり返ると、美咲は、どうしても、次の殺しのことを考えてしまった。七瀬と八戸を、どうやって殺すか。どうやって誘い出すか。
七瀬は、強い者に媚びるお調子者だ。自分の立場が弱くなると、途端に小心者になるタイプ。その性質を利用すれば、思うようにコントロールできる。手段はまだ思い浮かばないが。
八戸はどうしようか。気が弱く臆病な彼を罠に嵌めるのは、ある意味では、4人の中で一番難しい。
考えを巡らせる。頭を働かせる。五味や六田は自分の欲求に素直だから、簡単だった。残りの2人は、同じ方法では駄目だろう。
思考を繰り返していると、いつの間にか神社に着いていた。混み合っている駐車場に車を停め、降りた。
すでに、大勢の人が行列を作っていた。
美咲と咲子も、どちらからともなく歩き出し、行列に加わった。
無言のまま並ぶ。少しずつ、前に進んでゆく。
「美咲」
沈黙を破ったのは、咲子だった。
「最近、どう? 落ち込んでない?」
咲子は、洋平の名前を出さなかった。彼の名前を出さなくても伝わると、分かっているのだ。同時に、彼の名前を出すと気分が沈んでしまうことも。
「まあ、なんとかやってる。気晴らしもしてるしね」
「スポーツジムとか、友達と遊んだりとか?」
「うん、そう」
五味や六田を殺すことで気を晴らしている、などとは言えない。
「でも、ね……」
美咲の口からは、自分でも意外な言葉が出た。そんなことを考えたわけでもないのに。
「……そうしてるときは一瞬だけ忘れられるけど、また、色々と考えちゃうの。色々と思い出して、辛くなって……」
五味を殺したとき、快楽にも似た感情を覚えた。洋平の仇を討てたという、達成感。けれど、すぐに辛くなった。洋平がいないという現実を噛み締める度に、悲しみが心を満たしてゆく。溢れてゆく。器からこぼれ落ちる水のように。
対照的に、心の中では炎も燃え盛っている。全てを焼き尽くすように。
結局は、と思い知る。結局は、仇の4人を皆殺しにしないと、気持ちは晴れないんだ。
「そう。でも、洋ちゃんもだけど、あんたも、少しずつでも、気を持ち直さないとね」
「そうだね」
私は大丈夫。洋平の仇を全員殺せば、きっと大丈夫。その言葉を、美咲は飲み込んだ。
ふいに、美咲は、何か違和感を覚えた。何にと聞かれたら、答えることはできない。ただ、何かが心に引っ掛かった。
違和感の正体に気付けないまま、列は前に進んだ。美咲達が先頭になった。
美咲と咲子は賽銭を投げ入れ、本坪鈴を鳴らし、手を合せた。
美咲が願うことは、ただ一つだった。自分が行なった殺人が明るみに出ても、咲子や洋子が平穏に暮らせますように。
洋平の仇を討つことに関して、神頼みをするつもりはなかった。自分の力だけで、洋平の仇を討ちたかった。
お参りを終えて、美咲と咲子は列から離れた。そのまま車に向かった。おみくじは引かない。今は、大吉と出ても虚しいだけだ。大凶と出ても、卑屈になるだけだ。
車に戻る途中で、咲子が、どこか苦しそうに呟いた。
「洋平君、早く見つかるといいね」
それが美咲の願い事だと、咲子は信じているのだろう。
「そう、だね」
つい、嗚咽が漏れそうになった。洋平は、もう戻らない。二度と会えない。事実を知っているから、苦しかった。必死に涙を堪えた。
涙を堪えることに必死で、美咲は気付かなかった。隣りを歩く咲子が、そっと涙を流していることに。
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