死を招く愛~ghostly love~

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第十六話 幸せだったからこそ。大切だったからこそ

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 激しく動いたせいで、息が切れていた。

 クリスマス・イブの夜。五味の自宅の寝室。

 美咲が、五味を刺し殺した直後。

 幾度となく全力でナイフを振り下ろし、五味を刺し続けた。握力がなくなるまで。何度刺したか、もう分からない。疲れて当然だった。体は酸素を求め、必死に呼吸を繰り返していた。

 けれど、苦しいとは思わない。

 今の美咲にとって、心地好いとさえ言える疲労感。

 五味は、意識があった最後の瞬間、絶望を絵に描いたような顔になっていた。好きな女を自分に惚れさせ、認めさせ、セックスで悦びを与えていると信じていた。それが、美咲の言葉で完全に否定されたのだ。

 五味の人生最後の瞬間。
 彼が最後に聞いたのは、自分が洋平に劣るという事実。

 間違いなく、五味は絶望しながら死んでいった。遙かな高みまで昇り詰めた後に、一瞬にして地面に叩き付けられた。幸福の絶頂から、地獄の底に叩き付けられたのだ。

「ざまあみろ」

 ポツリと、美咲は呟いた。死体となった五味を見て。彼の、驚愕と絶望に見開かれた目を見て。

 心の底から、歓喜が溢れていた。大声で笑いたい気分だった。行き場のない怒りと悲しみと絶望を、五味に叩き付けてやった。自分の命よりも大切だった洋平。彼の仇を討てた。

 今までの人生で経験したことがないほどの達成感と満足感を、美咲は味わっていた。

 けれど、まだ終わりじゃない。

 洋平の仇は、まだ3人も残っている。彼等を殺すまでは、警察に捕まるわけにはいかない。

 自ら立てた計画通りに、美咲は動き始めた。

 まずは部屋の明りを点け、エアコンのリモコンを探した。ベッドのすぐ近くに落ちていた。リモコンを拾うと、冷房を最大にして点けた。

 ベッドの真上にあるエアコンから、夏場でも寒気を感じるほどの冷風が吹き出てきた。設定温度は最低の十二度にした。それでも、この冷房の強さなら、十度くらいまでは室温を下げられるだろう。

 冷房を点けるだけではなく、部屋の窓も開けた。氷点下の気温の冷たい空気が、部屋に流れ込んできた。あまりの寒さに、全裸の美咲は身震いした。

 五味の上に掛けていた、血まみれの羽毛布団を剥いだ。可能な限り五味の死体を冷やし、腐敗を遅らせる。

 これから五味の死体を解体して、彼に買わせたキャリーバッグに詰める。その後に、公園の池に沈める。

 この日のために準備をしてきた。公園の池の氷を割って、キャリーバッグを沈められることも事前に確認した。

 死体を解体するノコギリは、ここにはない。まだ用意していない。さすがにノコギリは、ナイフのように隠し持つことはできなかった。

 美咲は時計を見た。午後11時半。

 咲子には、今日は友達の家に泊ると伝えている。朝帰りでも問題はない。

 服を着て、美咲は五味の部屋から出た。リビングに足を運び、暖房を点けてソファーに横になった。

 さすがに疲れた。少し眠って、体力を回復させよう。起きたらすぐに出かけるんだ。午前中のうちに、ホームセンターでノコギリなどの死体処理に必要な物を買う。明日中に五味を解体するんだ。

 ノコギリなどの購入費用も、五味の財布から出す。彼は、自分の死に関わる費用のほとんどを、自分の財布から出すことになる。美咲とのデート費用も、棺桶となるキャリーバッグの費用も、死体処理の道具の費用も。

 美咲が払ったのは、ナイフの代金くらいか。

 ソファーに横になって、コートを羽織って布団代わりにした。目を閉じる。リビングの明りは消さなかった。何かあったときに、すぐに起きられるようにしておきたい。

 不快だった五味とのデート。苦痛でしかなかった彼とのセックス。何度も全力で彼を刺した疲労。美咲は、自分で思っていた以上に疲れ切っていた。予想外に、すぐに眠りに落ちた。

 まどろむ意識。体がフワフワとしてきた。夢の世界に引きずり込まれてゆく感覚。

 五味を殺すことができた。絶対に殺さなければならない男。命に替えても殺す必要があった男。

 大きな目標を達成したせいか、体の力が一気に抜けてゆく。今まで気にしなかった下腹部の痛みを、薄れゆく意識の中で感じた。

 そのせいだろうか。美咲は幸せな夢を見た。

 夢の中で、初めてのセックスの相手は、五味などではなかった。

 洋平だった。

 もちろん、洋平が、責任も取れないうちから美咲を抱くはずがない。

 夢の中では、洋平も美咲も、もう学生ではなかった。洋平の姿は生前とまったく変わらないのに、なぜか、彼が大人になっていると分かった。

 初めての痛み。裂けるような痛み。

 激しい痛みに襲われながらも、美咲は、やめてほしいとは思わなかった。

 洋平が、どうして大人になるまで――社会人になるまで美咲を抱かなかったのか、分かっている。

 でも美咲は、ずっと、洋平に抱かれたいと思っていた。セックスに興味があるとか、性的欲求があるなどという理由からではない。

「一線を越える」

 そんな言葉を現実のものにする相手は、洋平以外に考えられなかった。彼以外と越えたくない。彼となら越えたい。

 自分の願いが、ようやく叶った。痛いけど、嬉しかった。

 洋平は、常に美咲を気遣っていた。滅茶苦茶にしてしまいたい欲求は、当然あるはずなのに。乱暴にしてしまいたいはずなのに。

 優しく動き、美咲を抱き締め、何度も何度もキスをした。

「好き」

 唇を重ねながら、数え切れないくらい囁き合った。

 こんなときですら、洋平は優しかった。自分の欲求を二の次にして、美咲のことを宝物のように扱っていた。

 洋平は優しい。そんな洋平が、誰よりも好きだ。

 洋平は、全然違う。

 ――違う?

 幸せな夢の中。自分の上にいる洋平と見つめ合いながら、美咲は急激に冷静になった。

 ――違う? 誰と?

 目の前の洋平。優しく、熱っぽく見つめる彼。その姿が、薄れてゆく。体が透明になって、その向こうにある天井が透けて見えた。

 大好きな洋平が、消えてゆく。目の前から。美咲の前から。

 この世界から。

 ハッと、美咲は目を覚ました。

 目に映ったのは、見慣れない天井だった。

 美咲の頭が、急速に覚醒していった。現実を理解してきた。幸せな夢が消えていった。

 洋平はもういない。彼に抱かれることなど、絶対にない。

 初めての相手は、大好きな洋平ではなかった。

 美咲は、下腹部に痛みを感じた。

 窓から、朝日が差し込んでいる。時計を見ると、午前7時半になっていた。

 幸せな夢から無慈悲な現実に引き戻されて、美咲は一気に不機嫌になった。

 シャワーを浴びて、買い物に行く準備をしなければならない。横になっていたソファーから降りると、美咲は、浴室に行く前に五味の寝室に足を運んだ。

 寝室は、ドアを開けた瞬間に冷気が漏れ出てくるほど、冷え込んでいた。真冬に窓を開けたまま、冷房まで点けていたのだ。冷え込まない方がおかしい。

 ブルッと体が震えた。寒さを堪えて、寝室に入った。五味を刺したナイフが、ベッドに放置されていた。拾い上げると、持ち手の部分が冷たかった。

 五味は、ベッドの上で死んでいる。絶望に見開かれた目。決して動くことはない。

 美咲はナイフを強く握ると、昨夜と同じように、思い切り五味に振り下ろした。彼の下腹部に。

 現実の世界で洋平を奪われ、幸せな夢ですら、この男に邪魔をされた。

 無残に殺してもなお、飽き足らなかった。できることなら、生き返らせて再び殺したかった。

 昨夜は、五味を殺して満足できていた。だが、幸せな夢を見て、彼に奪われたものの大きさを再確認した。たとえ彼が本当に生き返り、再度殺したとしても、まだ足りないだろう。何百何千何万と殺し続けても、満ち足りることはないだろう。

 美咲は拳を握り、五味の顔を殴った。すでに死後硬直が始まっていて、殴った拳の方が痛かった。絶望のまま動かなくなり、完全に硬直した彼の顔。

 美咲は小さく舌打ちをした。

 ナイフを五味の下腹部に刺したまま、抜きもせずに、美咲は浴室に向かった。
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