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第九話① 悲しみが、怒りになり、狂気に変わる(前編)
しおりを挟む美咲が洋平の死を知った、翌日。土曜日。
朝になって、美咲は目を覚ました。ベッドの上。カーテンの隙間から、陽が差し込んでいる。
枕元の目覚まし時計を見た。午前9時を少し過ぎたところだった。
ベッドの上で、重い体を起こした。寝起きだというのに、頭は、驚くほど冴えていた。
冴えているからこそ、受け入れ難い事実が浮かぶ。あまりにも明確に。残酷なほどはっきりと。
洋平が死んだ――殺された。
洋平の死を知ったとき、信じられなかった。幼い頃から一緒にいて、ずっと離れることなどないと思っていた。一生一緒にいるものだと思っていた。
洋平が美咲のことを好きなのは、彼の態度を見れば明らかだった。美咲も、負けず劣らず彼のことが好きだった。互いの気持ちを知っているから、いつまでも側にいるものだと信じていた。
将来は、洋子もこの家に引っ越してきて、一緒に暮らすんだろうな。いつか洋平との間に子供ができて、大家族になるんだろうな。そんな未来図を描いていた。
そんなふうになるのだと、信じて疑わなかった。
信じて疑わなかった未来が、打ち消された。
未来を失った美咲の視界は、真っ暗になった。絶望の色。
五味が、洋平を殺したことを嬉々として語っていた。彼の話はあまりに生々しくて、洋平の死が事実なのだと思い知らされた。
なんとか五味を言いくるめて、彼の家を後にした。美咲の心の中には、怒りとも悲しみとも判断のつかない気持ちが、渦巻いていた。巻き起こる感情を持て余して、とにかく走った。体中の力を振り絞って何かをしないと、気が狂いそうだった。
走って、走って、体力が限界に達して、道端で吐いた。胸の中にある気持ちが、涙と吐瀉物になって出ているようだった。
フラフラとした足取りで家に帰ると、咲子に、やたらと心配された。彼女には、あらかじめ、友達の家に誘われたと伝えていた。「洋平がいなくなって落ち込んでいる私を、みんな慰めようとしてくれている」と。
咲子は、美咲の嘘を信じ切っていた。だからこそ、帰ってきた美咲の様子を見て、驚いていた。
「具合が悪くなったから、帰ってきた」
咲子にはそう説明し、すぐに自分の部屋に行った。ベッドに体を預け、頭から布団を被り、声を押し殺して泣いた。
洋平は殺された。もう、どこにもいない。二度と会えない。残酷な事実を噛み締めるたびに、涙が溢れた。流れ続けて、止まらなかった。あれだけ走って、あれだけ吐いて、体は間違いなく疲れ切っていた。それなのに、眠れなかった。
美咲の意識がようやく薄れてきたのは、外が明るくなり始めた頃だった。6時か、6時半か。ということは、3時間も眠っていないということになる。体が重くだるいのも、当たり前だ。
美咲はベッドから降りて、リビングに足を運んだ。
咲子はいなかった。仕事だろう。
テーブルの上に、書き置きがあった。電子レンジの中におじやが入っていること、可能であれば病院に行くようにということが書いてあった。
食欲などない。でも、食べておこう。美咲は電子レンジの中を確認し、1分ほど温めた。電子レンジが動いている間に、スプーンと水を用意した。
電子レンジが止まると、中からおじやを取り出した。テーブルに座って、スプーンで口に運んだ。
食欲などなかった。きっと、これからどれだけ時間が経っても、食欲など湧いてこないのだろう。正確に言うなら、空腹感は確かにあるのだ。それなのに、食べたいと思えない。このままベッドに戻って、布団を頭から被って、眠ってしまいたい。ベッドから一歩たりとも出ないで、朽ち果ててしまいたい。
美咲の思考は、自暴自棄に囚われていた。
口に運んだおじやは、温かかった。しっかりと出汁を取り、卵も入っていて、薄いながらも味がついている。具合が悪くても食べやすいようにと、咲子が気遣ってくれたのだろう。けれど、旨いとは思えなかった。不味いとも思わない。味など、一切感じない。
美咲の五感の全ては、洋平を思い起こすことだけに使われていた。
美咲の具合が悪いとき、洋平は、何を置いても必ず駆けつけてくれた。自分の用事などそっちのけで、ずっと美咲の看病をしてくれた。
だが、今、美咲はひとりだ。ひとりで寂しく、おじやを食べている。
おじやを半分ほど残して、美咲は、自分の部屋に行った。
美咲が具合の悪さを伝えたら、洋平は、すぐに飛んできてくれた。彼は死んだ――もういないと分かっているのに、スマートフォンで電話を架けた。来てくれることを期待して。
『お架けになった電話は、電波の届かないところにあるか――』
電話の向こうから聞こえてきたのは、無機質なガイダンスの音だった。
五味が、洋平を殺したときのことを語っていた。洋平のチャットアプリを使って美咲を呼び出そうとしたところで、彼がスマートフォンを壊したのだ、と。だから、洋平が行方不明になった後は、まったく電話が繋がらなかったのだ。
美咲はスマートフォンを手にして、再び1階に降りた。リビングに行き、残りのおじやを口に運んだ。温かかったおじやは、もうすっかり冷めていた。
食欲などない。生きる気力もない。生きていたくない。このまま朽ち果ててしまいたい。
洋平のところへ行きたい。
今の美咲にとっては、甘美でさえある欲求。自分の中にある誘惑を振り払い、美咲はおじやを食べ、水で流し込んだ。
――私は、まだ死ねない。生きなきゃいけない。
やるべきことがあった。やり切るまでは、死ねなかった。食べて、眠って、生きなければならない。
洋平の死を知り、現実だと受け止めた。当然のように心に生まれ、やり遂げると決意した目的があった。絶対に果たさなければならない目的。
五味に、洋平を殺した報いを受けさせる。
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