悪の種子

ひよこ1号

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彼は誰?

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初めて見たその少年は、ぼろ切れを纏い、酷く瘦せ細っていた。
手足は枯れ枝の様で、落ち窪んだ目からは生気を失ってただ暗く暗く。
玄関に飾られた花瓶の横に所在なく佇んでいて、その周囲で働く使用人達はまるで彼が見えていないようだった。
だから、シヴィアは彼を幽霊なのかしら?と思ってじいっと見つめ、シヴィアの視線を辿って彼を見た小さな妹がひいっと小さな悲鳴を上げた事で、やっとシヴィアも彼が存在するのだと分かった。

「お母様、彼は一体どなたですか?」

シヴィアが尋ねると母が困ったように顔を顰め、父もそんな母と視線を交わして口篭もる。
そこに、公爵邸の女主人である祖母、ディアドラが階段の上から降りて来た。

「気にする事はありません。それはただの犬です」

でも人間の形をしていて。
何故、犬と呼ばれるのかシヴィアには分からなかった。
ただ、愉悦に塗れた祖母の顔を悍ましく恐ろしいものに感じたのだ。

「お祖父様はどちらにいらっしゃいますか?」

何も分からない以上、逆らう事も庇う事も出来ずにシヴィアは状況を説明できそうな大人の行方を聞くことにした。
じっとシヴィアを見つめて、ディアドラは微笑む。

「お祖父様なら離れで療養中よ。急用でないのなら、今日は休んで明日会いに行ってあげなさい」
「はい。領地についての勉強を始めたので、お話を伺いたかったのです。お言葉に従って、明日参ります」
「まあ、何て賢いのかしら。流石貴方の娘だわ、ディーン」

母や本人を素通りして父であり、彼女にとっては息子であるディーンが褒められる。
褒められたディーンも嬉しそうに頷いた。

「将来伯爵家を継ぐ予定でしたからな。教育は早い方が良い。それに、公爵を私が継ぐ事になったのですから、娘ももっと高度な教育を始めませんと」
「ええ、ええ、そうね。その通りだわ」

褒め称えてはいるが、シヴィアから見て両親は特に優秀ではない。
伯爵として公爵家から与えられた小さな領地ですら、父は代理人に任せきりなのだ。
領地の経営についての勉強が始まった時に、シヴィアも初めて知ったのだが、父は管理などしていない。
優秀だった前公爵のヒルシュとそのまた先代で再び公爵位を預かる祖父のエルフィアが優秀なだけだ。
事故で亡くなった、ヒルシュはディーンの腹違いの兄で、とても優秀だったと聞いている。

「わたくしの部屋に案内を。それから、図書室の場所も教えて頂戴」

祖母と父のくだらない会話を聞いていても仕方がない、とシヴィアは近くにいた小間使いに命じた。

「はい……」

脅えた様に小間使いが飛び上がり、会釈をして案内を始める。
ディアドラのねっとりした視線を感じながらも、シヴィアは振り返らずに小間使いの後ろを付いて行った。
あの黒髪に紫の瞳。
忌々しいほどにディアドラはシヴィアと似ていた。
そして父も。
母は金の髪に青い瞳で、妹のフローレンスも母の色を受け継いでいた。
だから、母はこよなく妹を愛している。

部屋にまず入って、扉を閉める。

「貴女の名は?」
「ルハリと申します」
「出身はどこ?」
「公爵領です。災害で両親を亡くしたわたしを、大旦那様が拾ってくださいました」

雀斑を散らした細くて白い顔に、少しの脅えを混ぜてルハリは言う。

「……そう、では貴女の忠誠は先代公爵にあるのね?」
「……はい、でも、大奥様に逆らう事は出来ません。今までそれで何人も解雇されておりますから……」

部屋の中にいるというのに、脅えた様に扉を振り返る様は、本当に脅え切っている。

「そう。では答えて頂戴。あのボロを着た犬は、”誰”なの?」
「……それは、」
「貴女が答えないなら先代に明日聞くわ。そして貴女の不忠も伝える」

言い淀んだルハリに冷たく言えば、ルハリは跪いて懇願した。

「お許しください……!あの方は、公爵様のご子息のカッツェ様でございます。事故で亡くなられてから2年、食事も満足に与えられていません……」

確かに葬儀があったのは2年も前だ。
シヴィアはその頃まだ3歳だったので、うろ覚えではあるが、何故すぐに父を後継にしなかったのか疑問に思う。
いや、無能だからと言われれば納得なのだが、あの祖母が許すだろうか?

「食事を与えるとお祖母様がお怒りになる、という事ね?家令も逆らわないの?」
「……逆らってはいませんが、死なせたら虐待死させたという罪になると大奥様に進言し、鞭で打つのはやめさせましたし、最低限の食事は与えるようにと……」

ふむ、とシヴィアは考え込んだ。
今すぐどうこう出来る問題ではないが、これは大問題である。
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