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1巻
1-3
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何故なら天に唾を吐きかけるも同じ、我が身にすぐ返ってくるのだ。
主人に命令されているならともかく、平民が貴族に逆らうようなことはしないし、どんなに下位でも貴族子女であれば、ある程度の忍耐力とマナーは身に付いているのが普通だ。
エイラやリーナも含め、このフィロソフィ公爵家で働く人間はその点は徹底されていた。
黙々と本を読みつつも、朝の鐘の音が鳴ると、リーナはきびきびと動き始める。
カーテンを開け、窓も少し開けて空気を入れ換えると、リーナは快活な声で問いかけた。
「お飲み物のご希望はございますか?」
「いつものミルクティをお願いします」
マリアローゼが本から目を上げずに言うと、かしこまりました、と一礼してリーナは部屋を出ていく。
しばらくするとミルクティの甘い香りに鼻腔を擽られ、ゆっくりと身体を起こした。マリアローゼは用意されたお茶を飲み、添えられたクッキーを齧る。
しばらくすると、交代の時間が来たリーナとエイラが二人揃ってマリアローゼへ挨拶をしに来た。リーナが部屋を出ていき、エイラが部屋に残る。
「こちらの半分は書庫へ戻していいのですね?」
最初に読み始めた本を目に留めたエイラは、読み終わった本を重ねたワゴンの側に立って言う。
(目敏い。さすがやり手のエイラね)
ふと、マリアローゼは昨日お願いし忘れた本を思い出して追加の希望を出す。
「ええ。代わりに魔法関連のご本をお願いします」
「承りました」
エイラは丁寧にワゴンを押して部屋を出ていった。
昨日から読んでいた本で、大体の世界の知識は掴めた。
この大陸はモルタリア大陸と呼ばれ、国土は広いものの、三つの大きな国と小さな神聖国しかない。
アウァリティア王国を中心に、北にルクスリア神聖国、東にガルディーニャ皇国、西にフォールハイト帝国。
更に海を隔てた南にグーラ共和国があり、商業国と言われる商人達の国がある。
海を隔てた西の島々には、それぞれイーラ連合王国とアルハサド首長国が存在していた。
大きな国は大まかにこの七つで、地理的に戦争をするのが難しいため、未だに平穏を保っていた。
アウァリティア王国とフォールハイト帝国の間には樹海が広がっていて、そこには数知れない魔物が跋扈している。
また、東のガルディーニャ皇国との間には厳峻な山脈が連なっており、そこにも魔物が数多く生息していた。
そしてその樹海と山脈が途切れる小さな区域に、アウァリティア王国と始祖を共にするルクスリア神聖国がある。帝国同士が争うにしても、王国に対して仕掛けるにしても神聖国を踏み荒らさねばならないため、抑止力となっていた。
神聖国にもし害を為せば、内外にいる神聖教徒との戦争に発展してしまうのだ。
というわけで、かくして大陸の平和は保たれているのである。
それは良いことなのだが、マリアローゼの人生を守ることとはまた別だ。
「悪役令嬢なのに愛されて困る」とかそういう問題ではない。
(小説では、確かに登場人物が色々と好意を向けているように書かれていたけど……これは誰の目線で書かれたのかしら? もしくは予知能力とか、そういうお告げみたいなものなの?)
改めて考えると、マリアローゼを取り巻く状況がちょっとおかしい。
何故なら、公爵家以上の家格で女が生まれていないのだ。
さすが根本が乙女ゲーと言うべきか、逆にこの状況だからこそ乙女ゲームに発展して、全てのルートで邪魔をしてくる悪役令嬢になってしまい、小説では溺愛ヒロインに転化したのか。
あくまでも今のところ、大国限定ではあるが、王女も公爵令嬢も同年代に存在していない。
更に王族の縁者ともなれば、未来の花嫁として引く手数多だ。しかし、決して「愛されている」だけではない。
貴族は政略結婚が普通だから、より良い条件を望むのが普通だ。だから公爵令嬢であるマリアローゼはまさに適任だった。
そういう背景もあり、どんなに悪辣だったとしても追放や処刑ではなく、幽閉されるくらいで済むかもしれない。
(そうなっても嫌だけど)
それにいくら筆頭公爵家とはいえ、会いたいと言って王子に会えるなんてことも尋常ではない。
でもよくよく思い返してみれば従兄弟なのだ。
母の姉が王妃なのだから、血縁的にも家格的にもかなり近い。
(こう……雲の上の人から、近所にいる人に格下げになったような感覚ね。王族には違いないから敬意は払うけど、従兄弟じゃないの)
「なあんだ」
マリアローゼは呟きつつ、ページを捲る。
そこまで恐れることではないし、油断はいけないが敵を大きくしすぎるのもまた良くない。
何なら「兄妹みたいな関係で恋愛対象ではない」作戦で十分な気がしてきた。
マリアローゼが我侭放題でも割と放置されていた素地が分かって、少しだけほっとする。
王族からの誘いは断れないというのは確かだけど、かといって強要を受け入れないといけないほどでもない。
(いざとなれば修道院に駆け込めばいいわ)
困った貴族子女の逃げ場の定番である。
逃げ場にされたら修道院も困るだろうけど、その分寄付をはずめばいいのだ。
(でも、でも、欲を言えば……命の危険はあるけれど、冒険者とか憧れる。色んなところへ旅したり、色んなものを食べたり、そうだ! 次は冒険の本を読もう!)
取り留めのないことを考えつつ、本を読み進めていると、小間使い達が入ってきた。
「お嬢様、お支度を致しましょう。朝食のお時間です」
侍女であるエイラの声を合図に、手からは本が取り上げられ、小さな椅子に抱えて座らされた。髪を梳く者、手足を清める者の手が色々なところから伸びてきて、されるがまま飾り立てられる。
と言っても幼女なので、最低限の身だしなみで済んだため、すぐに解放された。
コルセットはまだ必要ないので楽である。
「ありがとう」
マリアローゼが微笑んで声をかければ、皆がにっこり微笑んでお辞儀が返された。
(順応が早い。すぐに「お嬢様が頭を打って何だかおかしい」みたいな話が出回ったのかも。もう少し成長して、もっと酷い我侭をした後に豹変するよりきっとマシよね)
マリアローゼは更ににっこりと微笑み返してから、食堂へと向かった。
エイラの先導で、長い廊下をとてとてと歩いて食堂に着くと、ジェラルドがすぐに抱き上げに来た。
「ローゼ、体調はどうだ?」
「もうすっかり元気です」
「それは良かった」
そのまま座った父の膝に乗せられ、横に座るミルリーリウムからも頭を撫でられる。
「心配したのよ、ローゼ。無理はしないでちょうだいね」
「はい」
元気良く頷くと、母は安心したように頷いた。
次々に兄達も現れて、朝の挨拶を交わすと自分達の席に落ち着く。
マリアローゼがミルリーリウムの横の椅子に改めて座らされ、お祈りの後食事が始まった。
食事が終わると、父は仕事へ、母は茶会へとそれぞれ出かけていく。
残された子供達は、家庭教師による教育を受ける。マリアローゼは礼儀作法とダンスの授業。そして昼食を取ってお昼寝をしてから、午後は音楽と絵画の授業だ。
(五歳児なのに頑張りすぎでは?)
と思ったが、毎日ではないし、頑張れば早目に修了して違う授業を受けられる。
(是非! 是非、魔法を! 武術を!)
希望を叫びたいところだが、不審者にならないよう我慢する。
その分空いた時間にエイラが選んでくれた、魔法の基礎の本を読破した。
簡単に要点を纏めると、魔力の流れを感じることと想像力が大事だという二点だ。
とはいえ、初心者なのに魔力の流れを感じろと言われても無理である。
(適当なイメージだけど、自転車を乗れる乗れないのあの感覚に似ているのかな?)
感覚さえ掴めば、使えるのかもしれない。
あのバランス感覚のようなものを学ぶのなら、実地で教えてもらいたいところなのだが……魔法の授業は発現してからと決まっているらしい。
ただし、分水嶺である七歳前に発現すれば、制御方法を覚えるために授業を受けられる。
長兄のシルヴァイン、次兄のキースは天才肌で、五歳にはもう魔法を使えたようだ。
双子に至っては魔法が使えることを隠していたため、実際には何歳から使えたのか分からないらしい。
ゲームでは魔法があまり使えなかったらしく、小説のマリアローゼは最初から諦めて別の方向へと頑張っていた。
勉強も努力も間違った方向へと突き進んでいたので、それはもったいないと思う。
(魔力が高いとは言われてないから、頑張っても人並みくらいかもしれないけどね)
状況を考えてみると、長男次男に良いところを吸い取られてしまったのでは? と疑いたくもなってくる。
(ずるい、私の魔力を返してほしい)
あの自信満々で不遜なシルヴァインの笑顔を思い浮かべると、憎しみすら湧いてくる。
(いや、いけない。兄なのだから、大事にしなくては)
前世の知識を総動員して、魔力の感覚を掴むきっかけをどうするか考える。
(流してもらえばいいじゃない! 魔法を使える相手に、魔力を流し込んでもらう――そういう話を読んだことがあるわ)
でも、下手な相手に相談して失敗したら困る。双子なんかに頼んだ日には頭が爆発しそうな気がするのだ。
うーむと考えて、適任者を探す。
(そうだ……あの人なら)
善は急げとばかりに、マリアローゼは治癒師のマリクの部屋へ向かう。
「それでこちらにいらしたんですか、お嬢様」
訪ねてきた理由をマリアローゼから聞いて、マリクはクスクスと笑いながら、緑の垂れ目を細める。
マリクの部屋は簡素で、怪我人用のベッドが三つと、本や植物があちこちに置かれていて物は多いが、居心地の良さそうな空間になっている。薬棚もきちんとあり、色々なものが瓶に詰まって置かれていた。
マリアローゼの視線が薬棚に釘付けになっているのに気づいたのか、優しい声音のままマリクは言葉を続けた。
「ああ、それは薬ですよ。治癒の魔法を使うまでもないものや、治癒の魔法では治らないものを治します」
「治癒魔法で治らないもの……?」
マリアローゼが尋ねると、マリクは笑顔のまま頷いた。
「万能だと思われがちですが、そうではないんです。傷なら塞げるし、毒なら取り除ける。場合によっては病も治せますけど、失った手足は治せませんし、治せない病もありますね」
「治せない病……」
考え込みそうになったマリアローゼに目線を合わせるようにして、マリクは床にしゃがみ込む。
「それで、お嬢様は魔力を流してほしいんですよね?」
「はい」
マリクは両手を差し出すとマリアローゼを抱き上げて、今まで座っていた背凭れの付いた椅子に下ろす。
そうしてまた跪いて、両手で両手を軽く持った。
「確かに有効だという論文もございますが、あまり経験はないので……気分が悪くなったら言ってください」
マリクの手から熱を感じる。
(これはただの体温?)
と思っていると、ぞわり、と何かが巡ってくるような感覚がする。
(これは確かに、ある意味、気持ち悪いかもしれない)
例えは悪いが、昔病気の時に体内に水を入れられたような、あの異物感が近い。鼻から管を入れて、顔の内側を水で洗浄されたことがあるのだ。
皮膚の内で、水の流れる感覚だけが顔の中で駆け巡る気持ち悪さを思い出す。
(痛くはない。けど何かが流れてきて、気持ち悪い……)
そこに意識を集中しすぎると吐きそうだ。
マリアローゼはその不快感が馴染むまでリラックスするように努める。
(これが魔力の流れなのね、きっと)
結果を言うと、マリアローゼは気絶した。
ぞわぞわとした不快感と、奇妙な感覚の後、だんだんと意識が薄れていったのだった。
元々椅子に凭れかかっていたのでバターンと倒れなかったのは幸いだった。リラックスしすぎて寝ただけにしか見えなかったかもしれない。
事前に話しておいた通り、マリクは疲労によるものだと言い訳をしてくれていたので、昨日のような騒ぎにはならず、部屋のベッドで眠らされていた。
ふと花の香りを感じて起き上がってみれば、エイラが今まさに花瓶に花を生けているところだった。
「お花……」
マリアローゼが呟くと、エイラは手を止めて一礼した。
「はい。今日もアルベルト第一王子殿下からお花が届きました」
(今日も? 「も」って何?)
マリアローゼが目線で訴えかけると、察したエイラが頷く。
「昨日のお花は、旦那様が持っていかれました。これで五日連続でございます」
(どこへ持っていったの?)
首を傾げると、続けてエイラが言う。
「香りの強い花なので、別室に飾ってございます。添えられたお手紙も、旦那様が保管されています。お返事も代わりになさっているのではないでしょうか」
「そう」
(厄介事を片づけてくれるならありがたい)
今の王子はマリアローゼにとって破滅ルートへの入り口でしかないのだ。
それに、幼い娘の代わりに親が代筆の手紙を送るのは特に失礼なことでもないだろう。
(むしろお父様にはお礼を言うべき? いい香りのお花は好きだけれど、体調を気遣ってくれたんだろうし)
病人の側には匂いの強い花は向かないと聞いたことがある。
「もうすぐ晩餐のお時間ですが、どうなさいますか?」
「行きます」
起き上がって、ベッドの縁に足を垂らすと、エイラは綺麗な装飾の銀のベルを振った。
控えめな金属音がすると、小間使い達が部屋に入ってきて、晩餐用のドレスを着付けていく。
部屋着でいいのに……と思ったが、そういうわけにもいかない。
控えめに飾られて、マリアローゼは食堂へと向かった。
次の日は、昨日と同じ……ではなく。
礼儀作法が終わり、ダンスの授業を済ませると、午後はお休みとなっていた。
最近疲れているようだからと家令の調整が入ったらしい、というのはエイラからの情報だ。
家令は老齢の執事、ケレスが務めている。先々代の公爵の時からいて、父が子供の頃から世話をしている公爵家の重鎮だ。
ケレスは使用人全員を纏め上げ、子供達の管理まで任されている。
彼に逆らえる者はこの屋敷にはいない。双子でさえ彼には遠慮して、悪戯を仕掛けないのだ。
マリアローゼはケレスのくれたお休みを有効活用することに決めた。
せっかくなので、お昼寝と昼食の後で庭を冒険することにしたのだ。
綺麗に整えられた庭園と、美しい噴水。
四季に合わせて咲く花の茂みが、整然と並んでいる。
通いの庭師を雇っているため、日が昇ると共に庭の手入れをして、家人が起きる頃には庭から退去し、温室や別の場所にある畑で庭に植える植物を世話している。そのため、基本的に家人の目に触れるような時間帯には庭にいない。
庭師が不在の時は、従僕が庭を見回り、落ち葉や花などを回収しているらしい。
マリアローゼの疑問に答えてくれるエイラの話は、生活に根付いていてとても勉強になる。
「大きな木……」
窓から見ることはあったが、側まで寄ったのは初めてかもしれない。
両手を伸ばしても余りある太い幹に、がっしりとした枝振りで、大きな木陰を作り出している。
見上げれば、枝先は木漏れ日が差し込むが、幹に近い中央は葉が茂っていて暗い。
「先々代の公爵様が植えられたそうでございますよ」
これまたエイラが解説してくれる。
「ひいお爺様の木なのね」
ぽすん、とマリアローゼが根元に腰掛けると、エイラは腕にかけていた布を地面に広げてくれた。
「こちらでお休みなさいませ」
「ありがとう」
地面に敷かれた布は、思ったより厚みがあって、寝転んでも背中は痛くなかった。
木の側はとても気持ちがいい。降り注ぐ太陽の熱を、適度に遮断してくれて涼しい。
風が吹く度に、さやさやとそよぐ葉の音も落ち着かせてくれる。
しばらくぼーっとしていると、だんだんと眠くなってきた。
うとうとしながらも昨日のマリクがくれた感覚を思い出し、枝へと手を伸ばす。
(気は丹田からって言うけど、魔法も同じかしら? ちょっとやってみようかな……でも火はだめね、危ないもの。水は危なくないけど、濡れてしまうし、土は身体の下だわ。じゃあ、風は?)
マリアローゼがそう思った瞬間、突風が吹き荒れる。
「えっ……」
まどろんでいた意識が急に身体に戻されたような感覚にびっくりして、マリアローゼは起き上がった。
(偶然よね。偶然、すごい風が吹いただけ)
まんまるの目をして驚くエイラに、マリアローゼは困ったような顔を向けようとして、くらりと眩暈に襲われた。
痛みはないが、すうっと目の前が暗くなり、身体も鉛のように重たくなる。
「お嬢様!」
悲痛なエイラの叫びと、柔らかな腕に抱きとめられて、マリアローゼはまたもや意識を失った。
● ● ●
「魔力切れ、だと……?」
アウァリティア王国宰相にして、筆頭公爵家の当主であるジェラルドが形の良い眉を顰めた。
執務机に座るジェラルドの傍らにはいつものように、侍従のランバートが姿勢良く直立している。
治癒師のマリクは、執務机の前にある長椅子に座っていた。
「……王子に会わせるのは早かったか」
ジェラルドの呟いた言葉に、マリクは困ったように苦笑を漏らす。
魔法の発現は、生命の危機や精神的な負荷でもきっかけとなり得るのだ。
だが、今回は違う。
マリアローゼは望んでそれを行ったのだ。
覚悟を決めるように、マリクは溜息を一つ吐いて口を開いた。
「いえ、お嬢様の望みです。内緒にするよう言われましたが、前日にお嬢様の提案で魔力を身体に流したんです」
「そういうことは事前に相談しろと言っただろう」
「まさか、こんなことになるとは思わなくて」
困ったように髪を掻き上げて苦笑するマリクに、今度はジェラルドが溜息を吐いた。
多少砕けた物言いになっているのは、主人と雇用人というよりは友人としての付き合いが長いからだ。
「確かに、ノアークの時は何も起きなかったからな」
公爵家にはすでに魔法が使える子供が四人もいるので、ノアークに対して魔法を使えるようになってほしいとは思っていないが、何より本人が気にしている。
だから色々と魔力の発現する方法を試してみたのだが、どれもうまくはいかなかった。
「早目に家庭教師を付けるべきでは? 魔力切れや魔力暴走は身体の負担が大きいですよ」
マリクの言うことはもっともだった。
魔力暴走は周囲や自分を傷つけてしまうし、魔力切れは精神的負荷が多い。
枯渇するまで魔力を使って魔力量を増やすという方法があるにはあるが、繰り返すと廃人になる可能性が高まるので推奨されてはいない。
魔法使いに師事して魔法や魔力の扱い方を学び、魔力切れにならない水準を見極めるのが正しい方法だ。
「……いや、それはまだ早い。もうすぐ王子殿下の誕生会だ。それさえ終われば領地に連れていくことが出来る。それまでは魔法から遠ざけるしかない」
「でしたら、魔法に関する書物を読むのも禁止なさった方がいい。お嬢様は聡明すぎる」
「手配しよう。ケレスと使用人達に通達を」
「畏まりました」
マリクの提案に同意したジェラルドの命を受け、ランバートは速やかに部屋を後にした。
第二章 運命の出会い
結局、マリアローゼは魔力切れが原因で、たっぷり二日間寝込んだ。
目が覚めたのは翌々日の夜中で、目を開けた瞬間ナーヴァの涙目の顔が見えて、自分の失態を察したのだ。
「あの……ナー」
「お嬢様! 今すぐ旦那様にお知らせしてきます!!」
マリアローゼの声に被せて言うと、ナーヴァは脱兎の如くその場を走り去った。
「……大丈夫か? ローゼ」
気がつくと、マリアローゼの片手はベッド脇に座っているノアークに両手で握られていた。
その目の下には隈があり、若干やつれている。
「お兄様、寝ていらっしゃらないの……?」
びっくりしたように問いかけると、ノアークは済まなそうに呟く。
「魔力切れを起こしたと聞いた。昨夜はシルヴァイン兄上が側にいたのだが……無理を言って交代していただいた」
(自分より年下の妹が魔力を持ったら、お兄様の立場が余計に悪くなるかもしれないのに、心配を?)
マリアローゼはもう片方の手をノアークへと伸ばすと、ノアークはその手に顔を寄せた。
(温かい。これは小説やゲームの中なんかじゃない。お兄様は生きてる)
「お兄様は、わたくしが魔法を使えたら嫌ではないですか?」
思わずマリアローゼが口にすると、ノアークはきょとんとしてから優しげな微笑を浮かべる。
「……嬉しい。俺はローゼには笑顔でいてほしいから」
自分と同じように辛い目に遭わなくて良かった、と言われているようで、マリアローゼの心がじんわりと温かくなる。
「わたくしは強くなって、お兄様を……幸せにして差し上げます」
(守る、なんて言ったらお兄様を弱い者みたいに扱ってるみたいだものね。それに、お兄様は強いわ。自分が辛い思いをしているのに人の心配をするなんて、弱い人では出来ないもの)
寄せられた頭をなでなでと撫でながら言うと、ノアークは嬉しそうにはにかんだ。
「……楽しみだな」
主人に命令されているならともかく、平民が貴族に逆らうようなことはしないし、どんなに下位でも貴族子女であれば、ある程度の忍耐力とマナーは身に付いているのが普通だ。
エイラやリーナも含め、このフィロソフィ公爵家で働く人間はその点は徹底されていた。
黙々と本を読みつつも、朝の鐘の音が鳴ると、リーナはきびきびと動き始める。
カーテンを開け、窓も少し開けて空気を入れ換えると、リーナは快活な声で問いかけた。
「お飲み物のご希望はございますか?」
「いつものミルクティをお願いします」
マリアローゼが本から目を上げずに言うと、かしこまりました、と一礼してリーナは部屋を出ていく。
しばらくするとミルクティの甘い香りに鼻腔を擽られ、ゆっくりと身体を起こした。マリアローゼは用意されたお茶を飲み、添えられたクッキーを齧る。
しばらくすると、交代の時間が来たリーナとエイラが二人揃ってマリアローゼへ挨拶をしに来た。リーナが部屋を出ていき、エイラが部屋に残る。
「こちらの半分は書庫へ戻していいのですね?」
最初に読み始めた本を目に留めたエイラは、読み終わった本を重ねたワゴンの側に立って言う。
(目敏い。さすがやり手のエイラね)
ふと、マリアローゼは昨日お願いし忘れた本を思い出して追加の希望を出す。
「ええ。代わりに魔法関連のご本をお願いします」
「承りました」
エイラは丁寧にワゴンを押して部屋を出ていった。
昨日から読んでいた本で、大体の世界の知識は掴めた。
この大陸はモルタリア大陸と呼ばれ、国土は広いものの、三つの大きな国と小さな神聖国しかない。
アウァリティア王国を中心に、北にルクスリア神聖国、東にガルディーニャ皇国、西にフォールハイト帝国。
更に海を隔てた南にグーラ共和国があり、商業国と言われる商人達の国がある。
海を隔てた西の島々には、それぞれイーラ連合王国とアルハサド首長国が存在していた。
大きな国は大まかにこの七つで、地理的に戦争をするのが難しいため、未だに平穏を保っていた。
アウァリティア王国とフォールハイト帝国の間には樹海が広がっていて、そこには数知れない魔物が跋扈している。
また、東のガルディーニャ皇国との間には厳峻な山脈が連なっており、そこにも魔物が数多く生息していた。
そしてその樹海と山脈が途切れる小さな区域に、アウァリティア王国と始祖を共にするルクスリア神聖国がある。帝国同士が争うにしても、王国に対して仕掛けるにしても神聖国を踏み荒らさねばならないため、抑止力となっていた。
神聖国にもし害を為せば、内外にいる神聖教徒との戦争に発展してしまうのだ。
というわけで、かくして大陸の平和は保たれているのである。
それは良いことなのだが、マリアローゼの人生を守ることとはまた別だ。
「悪役令嬢なのに愛されて困る」とかそういう問題ではない。
(小説では、確かに登場人物が色々と好意を向けているように書かれていたけど……これは誰の目線で書かれたのかしら? もしくは予知能力とか、そういうお告げみたいなものなの?)
改めて考えると、マリアローゼを取り巻く状況がちょっとおかしい。
何故なら、公爵家以上の家格で女が生まれていないのだ。
さすが根本が乙女ゲーと言うべきか、逆にこの状況だからこそ乙女ゲームに発展して、全てのルートで邪魔をしてくる悪役令嬢になってしまい、小説では溺愛ヒロインに転化したのか。
あくまでも今のところ、大国限定ではあるが、王女も公爵令嬢も同年代に存在していない。
更に王族の縁者ともなれば、未来の花嫁として引く手数多だ。しかし、決して「愛されている」だけではない。
貴族は政略結婚が普通だから、より良い条件を望むのが普通だ。だから公爵令嬢であるマリアローゼはまさに適任だった。
そういう背景もあり、どんなに悪辣だったとしても追放や処刑ではなく、幽閉されるくらいで済むかもしれない。
(そうなっても嫌だけど)
それにいくら筆頭公爵家とはいえ、会いたいと言って王子に会えるなんてことも尋常ではない。
でもよくよく思い返してみれば従兄弟なのだ。
母の姉が王妃なのだから、血縁的にも家格的にもかなり近い。
(こう……雲の上の人から、近所にいる人に格下げになったような感覚ね。王族には違いないから敬意は払うけど、従兄弟じゃないの)
「なあんだ」
マリアローゼは呟きつつ、ページを捲る。
そこまで恐れることではないし、油断はいけないが敵を大きくしすぎるのもまた良くない。
何なら「兄妹みたいな関係で恋愛対象ではない」作戦で十分な気がしてきた。
マリアローゼが我侭放題でも割と放置されていた素地が分かって、少しだけほっとする。
王族からの誘いは断れないというのは確かだけど、かといって強要を受け入れないといけないほどでもない。
(いざとなれば修道院に駆け込めばいいわ)
困った貴族子女の逃げ場の定番である。
逃げ場にされたら修道院も困るだろうけど、その分寄付をはずめばいいのだ。
(でも、でも、欲を言えば……命の危険はあるけれど、冒険者とか憧れる。色んなところへ旅したり、色んなものを食べたり、そうだ! 次は冒険の本を読もう!)
取り留めのないことを考えつつ、本を読み進めていると、小間使い達が入ってきた。
「お嬢様、お支度を致しましょう。朝食のお時間です」
侍女であるエイラの声を合図に、手からは本が取り上げられ、小さな椅子に抱えて座らされた。髪を梳く者、手足を清める者の手が色々なところから伸びてきて、されるがまま飾り立てられる。
と言っても幼女なので、最低限の身だしなみで済んだため、すぐに解放された。
コルセットはまだ必要ないので楽である。
「ありがとう」
マリアローゼが微笑んで声をかければ、皆がにっこり微笑んでお辞儀が返された。
(順応が早い。すぐに「お嬢様が頭を打って何だかおかしい」みたいな話が出回ったのかも。もう少し成長して、もっと酷い我侭をした後に豹変するよりきっとマシよね)
マリアローゼは更ににっこりと微笑み返してから、食堂へと向かった。
エイラの先導で、長い廊下をとてとてと歩いて食堂に着くと、ジェラルドがすぐに抱き上げに来た。
「ローゼ、体調はどうだ?」
「もうすっかり元気です」
「それは良かった」
そのまま座った父の膝に乗せられ、横に座るミルリーリウムからも頭を撫でられる。
「心配したのよ、ローゼ。無理はしないでちょうだいね」
「はい」
元気良く頷くと、母は安心したように頷いた。
次々に兄達も現れて、朝の挨拶を交わすと自分達の席に落ち着く。
マリアローゼがミルリーリウムの横の椅子に改めて座らされ、お祈りの後食事が始まった。
食事が終わると、父は仕事へ、母は茶会へとそれぞれ出かけていく。
残された子供達は、家庭教師による教育を受ける。マリアローゼは礼儀作法とダンスの授業。そして昼食を取ってお昼寝をしてから、午後は音楽と絵画の授業だ。
(五歳児なのに頑張りすぎでは?)
と思ったが、毎日ではないし、頑張れば早目に修了して違う授業を受けられる。
(是非! 是非、魔法を! 武術を!)
希望を叫びたいところだが、不審者にならないよう我慢する。
その分空いた時間にエイラが選んでくれた、魔法の基礎の本を読破した。
簡単に要点を纏めると、魔力の流れを感じることと想像力が大事だという二点だ。
とはいえ、初心者なのに魔力の流れを感じろと言われても無理である。
(適当なイメージだけど、自転車を乗れる乗れないのあの感覚に似ているのかな?)
感覚さえ掴めば、使えるのかもしれない。
あのバランス感覚のようなものを学ぶのなら、実地で教えてもらいたいところなのだが……魔法の授業は発現してからと決まっているらしい。
ただし、分水嶺である七歳前に発現すれば、制御方法を覚えるために授業を受けられる。
長兄のシルヴァイン、次兄のキースは天才肌で、五歳にはもう魔法を使えたようだ。
双子に至っては魔法が使えることを隠していたため、実際には何歳から使えたのか分からないらしい。
ゲームでは魔法があまり使えなかったらしく、小説のマリアローゼは最初から諦めて別の方向へと頑張っていた。
勉強も努力も間違った方向へと突き進んでいたので、それはもったいないと思う。
(魔力が高いとは言われてないから、頑張っても人並みくらいかもしれないけどね)
状況を考えてみると、長男次男に良いところを吸い取られてしまったのでは? と疑いたくもなってくる。
(ずるい、私の魔力を返してほしい)
あの自信満々で不遜なシルヴァインの笑顔を思い浮かべると、憎しみすら湧いてくる。
(いや、いけない。兄なのだから、大事にしなくては)
前世の知識を総動員して、魔力の感覚を掴むきっかけをどうするか考える。
(流してもらえばいいじゃない! 魔法を使える相手に、魔力を流し込んでもらう――そういう話を読んだことがあるわ)
でも、下手な相手に相談して失敗したら困る。双子なんかに頼んだ日には頭が爆発しそうな気がするのだ。
うーむと考えて、適任者を探す。
(そうだ……あの人なら)
善は急げとばかりに、マリアローゼは治癒師のマリクの部屋へ向かう。
「それでこちらにいらしたんですか、お嬢様」
訪ねてきた理由をマリアローゼから聞いて、マリクはクスクスと笑いながら、緑の垂れ目を細める。
マリクの部屋は簡素で、怪我人用のベッドが三つと、本や植物があちこちに置かれていて物は多いが、居心地の良さそうな空間になっている。薬棚もきちんとあり、色々なものが瓶に詰まって置かれていた。
マリアローゼの視線が薬棚に釘付けになっているのに気づいたのか、優しい声音のままマリクは言葉を続けた。
「ああ、それは薬ですよ。治癒の魔法を使うまでもないものや、治癒の魔法では治らないものを治します」
「治癒魔法で治らないもの……?」
マリアローゼが尋ねると、マリクは笑顔のまま頷いた。
「万能だと思われがちですが、そうではないんです。傷なら塞げるし、毒なら取り除ける。場合によっては病も治せますけど、失った手足は治せませんし、治せない病もありますね」
「治せない病……」
考え込みそうになったマリアローゼに目線を合わせるようにして、マリクは床にしゃがみ込む。
「それで、お嬢様は魔力を流してほしいんですよね?」
「はい」
マリクは両手を差し出すとマリアローゼを抱き上げて、今まで座っていた背凭れの付いた椅子に下ろす。
そうしてまた跪いて、両手で両手を軽く持った。
「確かに有効だという論文もございますが、あまり経験はないので……気分が悪くなったら言ってください」
マリクの手から熱を感じる。
(これはただの体温?)
と思っていると、ぞわり、と何かが巡ってくるような感覚がする。
(これは確かに、ある意味、気持ち悪いかもしれない)
例えは悪いが、昔病気の時に体内に水を入れられたような、あの異物感が近い。鼻から管を入れて、顔の内側を水で洗浄されたことがあるのだ。
皮膚の内で、水の流れる感覚だけが顔の中で駆け巡る気持ち悪さを思い出す。
(痛くはない。けど何かが流れてきて、気持ち悪い……)
そこに意識を集中しすぎると吐きそうだ。
マリアローゼはその不快感が馴染むまでリラックスするように努める。
(これが魔力の流れなのね、きっと)
結果を言うと、マリアローゼは気絶した。
ぞわぞわとした不快感と、奇妙な感覚の後、だんだんと意識が薄れていったのだった。
元々椅子に凭れかかっていたのでバターンと倒れなかったのは幸いだった。リラックスしすぎて寝ただけにしか見えなかったかもしれない。
事前に話しておいた通り、マリクは疲労によるものだと言い訳をしてくれていたので、昨日のような騒ぎにはならず、部屋のベッドで眠らされていた。
ふと花の香りを感じて起き上がってみれば、エイラが今まさに花瓶に花を生けているところだった。
「お花……」
マリアローゼが呟くと、エイラは手を止めて一礼した。
「はい。今日もアルベルト第一王子殿下からお花が届きました」
(今日も? 「も」って何?)
マリアローゼが目線で訴えかけると、察したエイラが頷く。
「昨日のお花は、旦那様が持っていかれました。これで五日連続でございます」
(どこへ持っていったの?)
首を傾げると、続けてエイラが言う。
「香りの強い花なので、別室に飾ってございます。添えられたお手紙も、旦那様が保管されています。お返事も代わりになさっているのではないでしょうか」
「そう」
(厄介事を片づけてくれるならありがたい)
今の王子はマリアローゼにとって破滅ルートへの入り口でしかないのだ。
それに、幼い娘の代わりに親が代筆の手紙を送るのは特に失礼なことでもないだろう。
(むしろお父様にはお礼を言うべき? いい香りのお花は好きだけれど、体調を気遣ってくれたんだろうし)
病人の側には匂いの強い花は向かないと聞いたことがある。
「もうすぐ晩餐のお時間ですが、どうなさいますか?」
「行きます」
起き上がって、ベッドの縁に足を垂らすと、エイラは綺麗な装飾の銀のベルを振った。
控えめな金属音がすると、小間使い達が部屋に入ってきて、晩餐用のドレスを着付けていく。
部屋着でいいのに……と思ったが、そういうわけにもいかない。
控えめに飾られて、マリアローゼは食堂へと向かった。
次の日は、昨日と同じ……ではなく。
礼儀作法が終わり、ダンスの授業を済ませると、午後はお休みとなっていた。
最近疲れているようだからと家令の調整が入ったらしい、というのはエイラからの情報だ。
家令は老齢の執事、ケレスが務めている。先々代の公爵の時からいて、父が子供の頃から世話をしている公爵家の重鎮だ。
ケレスは使用人全員を纏め上げ、子供達の管理まで任されている。
彼に逆らえる者はこの屋敷にはいない。双子でさえ彼には遠慮して、悪戯を仕掛けないのだ。
マリアローゼはケレスのくれたお休みを有効活用することに決めた。
せっかくなので、お昼寝と昼食の後で庭を冒険することにしたのだ。
綺麗に整えられた庭園と、美しい噴水。
四季に合わせて咲く花の茂みが、整然と並んでいる。
通いの庭師を雇っているため、日が昇ると共に庭の手入れをして、家人が起きる頃には庭から退去し、温室や別の場所にある畑で庭に植える植物を世話している。そのため、基本的に家人の目に触れるような時間帯には庭にいない。
庭師が不在の時は、従僕が庭を見回り、落ち葉や花などを回収しているらしい。
マリアローゼの疑問に答えてくれるエイラの話は、生活に根付いていてとても勉強になる。
「大きな木……」
窓から見ることはあったが、側まで寄ったのは初めてかもしれない。
両手を伸ばしても余りある太い幹に、がっしりとした枝振りで、大きな木陰を作り出している。
見上げれば、枝先は木漏れ日が差し込むが、幹に近い中央は葉が茂っていて暗い。
「先々代の公爵様が植えられたそうでございますよ」
これまたエイラが解説してくれる。
「ひいお爺様の木なのね」
ぽすん、とマリアローゼが根元に腰掛けると、エイラは腕にかけていた布を地面に広げてくれた。
「こちらでお休みなさいませ」
「ありがとう」
地面に敷かれた布は、思ったより厚みがあって、寝転んでも背中は痛くなかった。
木の側はとても気持ちがいい。降り注ぐ太陽の熱を、適度に遮断してくれて涼しい。
風が吹く度に、さやさやとそよぐ葉の音も落ち着かせてくれる。
しばらくぼーっとしていると、だんだんと眠くなってきた。
うとうとしながらも昨日のマリクがくれた感覚を思い出し、枝へと手を伸ばす。
(気は丹田からって言うけど、魔法も同じかしら? ちょっとやってみようかな……でも火はだめね、危ないもの。水は危なくないけど、濡れてしまうし、土は身体の下だわ。じゃあ、風は?)
マリアローゼがそう思った瞬間、突風が吹き荒れる。
「えっ……」
まどろんでいた意識が急に身体に戻されたような感覚にびっくりして、マリアローゼは起き上がった。
(偶然よね。偶然、すごい風が吹いただけ)
まんまるの目をして驚くエイラに、マリアローゼは困ったような顔を向けようとして、くらりと眩暈に襲われた。
痛みはないが、すうっと目の前が暗くなり、身体も鉛のように重たくなる。
「お嬢様!」
悲痛なエイラの叫びと、柔らかな腕に抱きとめられて、マリアローゼはまたもや意識を失った。
● ● ●
「魔力切れ、だと……?」
アウァリティア王国宰相にして、筆頭公爵家の当主であるジェラルドが形の良い眉を顰めた。
執務机に座るジェラルドの傍らにはいつものように、侍従のランバートが姿勢良く直立している。
治癒師のマリクは、執務机の前にある長椅子に座っていた。
「……王子に会わせるのは早かったか」
ジェラルドの呟いた言葉に、マリクは困ったように苦笑を漏らす。
魔法の発現は、生命の危機や精神的な負荷でもきっかけとなり得るのだ。
だが、今回は違う。
マリアローゼは望んでそれを行ったのだ。
覚悟を決めるように、マリクは溜息を一つ吐いて口を開いた。
「いえ、お嬢様の望みです。内緒にするよう言われましたが、前日にお嬢様の提案で魔力を身体に流したんです」
「そういうことは事前に相談しろと言っただろう」
「まさか、こんなことになるとは思わなくて」
困ったように髪を掻き上げて苦笑するマリクに、今度はジェラルドが溜息を吐いた。
多少砕けた物言いになっているのは、主人と雇用人というよりは友人としての付き合いが長いからだ。
「確かに、ノアークの時は何も起きなかったからな」
公爵家にはすでに魔法が使える子供が四人もいるので、ノアークに対して魔法を使えるようになってほしいとは思っていないが、何より本人が気にしている。
だから色々と魔力の発現する方法を試してみたのだが、どれもうまくはいかなかった。
「早目に家庭教師を付けるべきでは? 魔力切れや魔力暴走は身体の負担が大きいですよ」
マリクの言うことはもっともだった。
魔力暴走は周囲や自分を傷つけてしまうし、魔力切れは精神的負荷が多い。
枯渇するまで魔力を使って魔力量を増やすという方法があるにはあるが、繰り返すと廃人になる可能性が高まるので推奨されてはいない。
魔法使いに師事して魔法や魔力の扱い方を学び、魔力切れにならない水準を見極めるのが正しい方法だ。
「……いや、それはまだ早い。もうすぐ王子殿下の誕生会だ。それさえ終われば領地に連れていくことが出来る。それまでは魔法から遠ざけるしかない」
「でしたら、魔法に関する書物を読むのも禁止なさった方がいい。お嬢様は聡明すぎる」
「手配しよう。ケレスと使用人達に通達を」
「畏まりました」
マリクの提案に同意したジェラルドの命を受け、ランバートは速やかに部屋を後にした。
第二章 運命の出会い
結局、マリアローゼは魔力切れが原因で、たっぷり二日間寝込んだ。
目が覚めたのは翌々日の夜中で、目を開けた瞬間ナーヴァの涙目の顔が見えて、自分の失態を察したのだ。
「あの……ナー」
「お嬢様! 今すぐ旦那様にお知らせしてきます!!」
マリアローゼの声に被せて言うと、ナーヴァは脱兎の如くその場を走り去った。
「……大丈夫か? ローゼ」
気がつくと、マリアローゼの片手はベッド脇に座っているノアークに両手で握られていた。
その目の下には隈があり、若干やつれている。
「お兄様、寝ていらっしゃらないの……?」
びっくりしたように問いかけると、ノアークは済まなそうに呟く。
「魔力切れを起こしたと聞いた。昨夜はシルヴァイン兄上が側にいたのだが……無理を言って交代していただいた」
(自分より年下の妹が魔力を持ったら、お兄様の立場が余計に悪くなるかもしれないのに、心配を?)
マリアローゼはもう片方の手をノアークへと伸ばすと、ノアークはその手に顔を寄せた。
(温かい。これは小説やゲームの中なんかじゃない。お兄様は生きてる)
「お兄様は、わたくしが魔法を使えたら嫌ではないですか?」
思わずマリアローゼが口にすると、ノアークはきょとんとしてから優しげな微笑を浮かべる。
「……嬉しい。俺はローゼには笑顔でいてほしいから」
自分と同じように辛い目に遭わなくて良かった、と言われているようで、マリアローゼの心がじんわりと温かくなる。
「わたくしは強くなって、お兄様を……幸せにして差し上げます」
(守る、なんて言ったらお兄様を弱い者みたいに扱ってるみたいだものね。それに、お兄様は強いわ。自分が辛い思いをしているのに人の心配をするなんて、弱い人では出来ないもの)
寄せられた頭をなでなでと撫でながら言うと、ノアークは嬉しそうにはにかんだ。
「……楽しみだな」
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