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離反と狂信者

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耳元で名前を呼ばれて、マリアローゼは浅い眠りから目覚めた。
口元はふわりと覆われている。
その手の持ち主と、名を呼んだ声の主は母のミルリーリウムだ。
何かが起きているのだという事が分かり、マリアローゼは視線を合わせると無言で頷いて見せた。
厳しい表情のエイラとは対象的に、ミルリーリウムは静かに微笑んでいる。

「いいこと?ローゼ。わたくし達が外に出たら、ルーナが錠を下ろすから、
あなたはここで大人しくしているのですよ」

「はい…おかあさま……」

本当は引き止めたいと思ったが、子供の考えで足を引くわけにもいかないし、
状況的にも時間の余裕があるとは思えず、マリアローゼはただ頷く事しかできなかった。
母の前にエイラが外に出、次にテースタが続き、ミルリーリウムが立ち上がり後を追う。
最後にシルヴァインが、ニコリと静かな笑みを見せて、扉を閉める前に口に人差し指を当てる。
兄が馬車から降りると外から錠を下ろす音がした。
ルーナが扉の前に行き、暗闇の中手探りで錠を下ろす。
そして、素早くマリアローゼの側に戻り、ノクスとルーナで挟み込むように座り、上からシーツを被る。

「この中からお出になりませんように」

静かなノクスの声が耳元で聞こえた。
長い長い静寂の刻が続き、不意に金属音がしたかと思うと、あちこちで剣戟の音が聞こえ始める。
怒号の声に、断末魔の叫び。
悲鳴が聞こえないのは、ほぼ全員が戦闘に親しんでいる者達だからだろう。
物が壊れる音やぶつかり合う音に紛れて、馬車にぶつかったのか大きな音と共に振動もあり、
マリアローゼは声を殺して両手を口に当てた。

「私も戦いに参加した方が…」

と暗闇の中でアルベルトの思いつめた声がした。

「なりません」

声を発したマリアローゼは、自分の声が震えていない事に何故だか驚きを感じていた。

「貴方がたとえ強いとしても、騎士達も貴方が参戦すれば守ろうと動かざるを得ないのです。
それでは十分に戦えませんわ。逆に足手まといになってしまわれては意味がありません。
それに……」
「うん」

キツく言い過ぎただろうか。
返事を返したアルベルトの声はしょんぼりと弱りきっていた。
外から錠もされてるから無理ですよ、と無粋な事を言いかけてやめる。
代わりに情に訴える事にして、強気な口調でマリアローゼは続けた。

「一番か弱いわたくしを放り出すのは紳士として如何なものでしょうか」
「そうだね…何かあったら私が君を守らないといけない」

気を取り直したかのように、アルベルトが扉の前に座って待機している。
ノクスとルーナは馬車が衝撃を受けて揺れる度に、マリアローゼをぎゅっと強く抱きしめた。

どれ位の時間が経っただろうか。
馬車が揺れる事もなくなり、金属音も止んできて、外の錠がかちゃりと音をたてて外され、
特徴的なノック音がして、ルーナがぱっと動いた。
錠を上げて扉を開くと、それだけで外から血の匂いが流れてくる。
夜とはいえ、明かりを消した馬車の中よりは外の方が断然明るい。
マリアローゼはルーナの手を借りて、外の草地に降り立った。
思ったよりもかなり多くの襲撃者がいたようで、まさに陰惨な光景が広がっている。
外から錠を開けたのはシルヴァインで、返り血を浴びた状態でマリアローゼと目が合うとニコッと微笑む。

怖……

慌てて母の姿を探すと、細身の剣を手に持ったまま、こちらには背を向けている。
今、マグノリアと共に神聖国からの使者と向き合っていた。
フェレスとウルススが同じく武器を持ったまま、マリアローゼの側を固め、
パーウェルは母の前に立ち、武器を構えている。
「グランス、貴様裏切ったのか」
「始めから仲間ではない」

ダークスの言葉に、冷静な声でグランスが答えている。
仲間割れということなのだろうか…?
でも死んでいる人々はどうみても神殿騎士達ではなく、どちらかというと暗殺者やならず者の風体をしている。
何故呼び出しておいて殺そうとするのか?と疑問に思い始めた頃、
マリアローゼを目にして、ダークスは剣を向けた。

「せめて聖女だけでもころ…」

す、と言いかけて、続きの言葉は出なかった。
背後にいたアートがその喉を短剣で貫いたからだ。
ダークスは喉から生えた先端を、奇妙なものを見るような目で見て、ゴポッと血と泡を口から溢れさせた。
自分を殺そうとした…というより今まさに殺している男を、驚愕の目で見ながら倒れていく。

「すまん、つい。マリアローゼ様を殺されては困る」

何でもないことのように言って、アートは貫いた短剣をダークスが倒れる前に引き抜いて腰の鞘に収めた。

誰が敵で誰が味方なのか、全くわからない。

とりあえず公爵家と王宮の騎士達は無傷で背を向けているので味方だと思うのだが、
神聖国からの騎士達はグランス以外ぐるっと囲まれるように立っている。

緊張している人々の中で、アートだけが薄っすら笑ってマリアローゼを見詰めた。
長めの金の前髪から見える紺色の眼が、陶酔するかのように細められている。

「貴様は一体…」

マグノリアの凛とした声が響く中、アートはマリアローゼから視線を外すことなく言う。

「神聖国の連中は貴方が邪魔なようだぞ、神罰の乙女。俺はそれに乗っただけで別に意味はない。
 否、無かった。だが今は、意味が出来たぞ」

爛々と目を輝かせる姿はまるで狂信者のようだ、とマリアローゼは思った。
その視線を遮るかのように、兄がマリアローゼとの間に割って入る。

「今日は退かせて頂くが、必ずお迎えにあがります。マリアローゼ様」

丁寧な礼をすると、アートは森へと溶け込むかのように姿を消した。
マリアローゼはその姿こそ見えなかったが、兄の背を見ると安心感を覚えて後ろからしがみつく。
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