32 / 40
懺悔ーエリード
しおりを挟む
次の日から王城はまるで喪に服すかのように静まり返っていた。
国王と王妃の子供達が揃って床に伏したのである。
一番重篤なのはエリード王子だった。
食事をする事も出来ず、寝台から起き上がる事さえ出来ずに、ただ時折涙を流したり、虚ろな目で天井を見上げるばかりだ。
毎日のように部屋に訪れていたエリーナ姫も伏せているので、訪れる人はいない。
ただ粛々と世話を任された侍女や小間使いが、身の回りの世話をしては部屋を退出する。
一週間ほど経ったある日、エリード王子の部屋にはエリンギル王子が訪れていた。
「大丈夫、そうではないな」
傍らの椅子に座り、エリードをのぞき込むエリンギルに、僅かに顔を傾けてエリードは涙を流した。
「申し訳、ありません。兄上……番を失う事がこんなにも辛いとは知らず、浅はかな真似を致しました」
「お前が謝罪することではないだろう……」
その浅はかな真似で苦しんでいるのは自身なのだから。
逆に、エデュラを失ったのはエリンギルの行った浅はかな行いだ、と自嘲の笑みを浮かべる。
だが、ふっと笑ったエリードが口にした言葉は。
「ああ……兄上はまだ薬を盛られているのか。だからその様に部屋を出れたのですね……」
気の毒そうな視線を向けられて、エリンギルは眉根を寄せた。
この前からずっと、同じようにエリーナもエリードもリリアーデが薬を盛っていると言っていたのだ。
「忘却薬を盛られていれば、忘れている筈だ……何かの間違いだろう」
「……いいえ、盛られているのは「阻害薬」です。番を認識する力を阻害する、薬……だから、兄上は今、エデュラ嬢を失った悲しみが薄れているのでしょう」
薄れている?
こんなに悲しく、辛いのに?
エリンギルは思い起こそうとして、ここ暫く記憶があやふやな事を思い出した。
「以前、エデュラ嬢が帝国に行った際の兄上は、酷く暴れていました。その時も番のエデュラ嬢が戻った時、暴れていた期間の記憶を殆ど失っていたでしょう……誰もその話をしなかったけど、大怪我を負った使用人もいました……」
「何故……」
言わなかったのか?という疑問に、エリードは薄く笑った。
「覚えていない、と言うものは仕方ないではありませんか。だから、使用人達は皆エデュラ嬢に感謝すらしていた。父上と母上にも愛されていた。だから、僕とエリーナはエデュラ嬢に酷い事を言っていた。ほんの、八つ当たりだったのです」
突然の告白にエリンギルは頭が混乱していた。
「忘却薬」は王族が飲むことは禁止されていて、その禁を破れば死罪になる。
だが、「阻害薬」については何も記載はない。
後から出来た薬だからなのか、それ以外の理由があるのか。
「エリードも、阻害薬を使えば起き上がれるようになるのではないか?」
「……はは、番がいないのに、起き上がる意味はありますか。僕はフィーレン嬢にも酷い態度を取っていた。愛する者の前で、僕への愛を強要しようと。……嫌われて当然で、ずっと愛され続けている兄上が憎かった」
酷い態度を取られても、泣いても、また静かに愛し、尽くし続けるエデュラを何年も見てきた。
あんな風に愛されたいと、自分が番ならあんな風に愛してもらえるのかもしれないと。
「リリアーデ嬢が現れた時に、止めておけばよかった。エリーナが昔呼んだ商人に聞いた「阻害薬」の話をリリアーデ嬢にしなければ。……いや、もしかしたら言わなくても彼女は、……知っていたかもしれないけれど。だから彼女は、本当はエデュラ嬢を遠くに行かせたくなかったはずだ……なのに何故追放を」
次から次へと重なる疑問に、エリンギルの中で確信が強まっていく。
「……はは……何という事か。そうか、優しさではなかったのか。エデュラを縛り付けて、自分が番として君臨し続けるために、追放に反対したのか。俺の精神を安定させるために、エデュラが必要だったのだな……あの女は、エデュラが本当の番だと、気づいていて」
「……けれど、条件は同じですよ、兄上。誰が番かも分からない状態で、貴方はリリアーデを選んだ。……僕も、フィーレン嬢が番だと気づかなければ、今でも別の人を好きだったかもしれないけれど……兄上は強制的に選ばされた訳じゃない……」
だが、番を引き裂くのは大罪だ。
その大罪を犯した人間を愛し、被害者である人間を断罪して罪を着せるという愚かな行いをした。
いいように騙されて、寵愛を与え、真実の相手を足蹴にしたのだ。
それは全て自分の意思だった。
捻じ曲げられていたとはいえ。
エリンギルはギリ、と唇を噛みしめた。
「責は負わせねばならぬ」
「でも兄上、リリアーデも兄上への愛ゆえに罪を犯したのかもしれません」
「だから、赦せと?その間、こんな苦しみに耐えながら、エデュラは何の罪も犯さずにいたのに」
憤怒に支配される、兄を見上げながらエリードは小さく息を吐く。
「僕も、エリーナも、リリアーデも兄上も、エデュラの前では等しく罪人です」
「お前もエリーナも罰を受けている、だろう」
静かに殺意の籠る目で見降ろされて、エリードは頷き返した。
自分に残されている時間は、多くは無いとエリードには分かっている。
「ええ。兄上の手を汚す必要はありません。僕はもう、長くない。だから、せめて懺悔したかった」
「……そうか。お前を赦す、と言える資格は俺にも無い。せめて安らかに、番を思い続けると良い」
言いたいことを言い終えて、小さく息を吐くと、エリードは虚ろな目を静かに閉じた。
フィーレン……美しい番……。
でも、最初に好きになったのは。
強く美しい、エリシャだった。
自分を連れまわす姉のエリーナよりも強く、エリーナは何度もその高い鼻を折られていた。
思わず、ふ、と唇に笑みが浮かぶ。
姉がやり込められる姿を見て笑うのは良くないが、痛快だった。
でも、会う機会が途絶えて、次に好きになったのはエデュラ。
辛抱強く愛を持ち続ける一途な姿に、心惹かれた。
そして、フィーレン。
番でなくても愛しただろうか……。
ただ愛しいと、いなくて寂しいと、強く思う。
それからやっと、彼女達に幸せになってほしいと、そう願えた。
次に生まれる時は、強くなりたい。
誰にも、運命にさえ流されずに生きたい。
エリードは半年もしない内に、ひっそりと息を引き取ったのである。
国王と王妃の子供達が揃って床に伏したのである。
一番重篤なのはエリード王子だった。
食事をする事も出来ず、寝台から起き上がる事さえ出来ずに、ただ時折涙を流したり、虚ろな目で天井を見上げるばかりだ。
毎日のように部屋に訪れていたエリーナ姫も伏せているので、訪れる人はいない。
ただ粛々と世話を任された侍女や小間使いが、身の回りの世話をしては部屋を退出する。
一週間ほど経ったある日、エリード王子の部屋にはエリンギル王子が訪れていた。
「大丈夫、そうではないな」
傍らの椅子に座り、エリードをのぞき込むエリンギルに、僅かに顔を傾けてエリードは涙を流した。
「申し訳、ありません。兄上……番を失う事がこんなにも辛いとは知らず、浅はかな真似を致しました」
「お前が謝罪することではないだろう……」
その浅はかな真似で苦しんでいるのは自身なのだから。
逆に、エデュラを失ったのはエリンギルの行った浅はかな行いだ、と自嘲の笑みを浮かべる。
だが、ふっと笑ったエリードが口にした言葉は。
「ああ……兄上はまだ薬を盛られているのか。だからその様に部屋を出れたのですね……」
気の毒そうな視線を向けられて、エリンギルは眉根を寄せた。
この前からずっと、同じようにエリーナもエリードもリリアーデが薬を盛っていると言っていたのだ。
「忘却薬を盛られていれば、忘れている筈だ……何かの間違いだろう」
「……いいえ、盛られているのは「阻害薬」です。番を認識する力を阻害する、薬……だから、兄上は今、エデュラ嬢を失った悲しみが薄れているのでしょう」
薄れている?
こんなに悲しく、辛いのに?
エリンギルは思い起こそうとして、ここ暫く記憶があやふやな事を思い出した。
「以前、エデュラ嬢が帝国に行った際の兄上は、酷く暴れていました。その時も番のエデュラ嬢が戻った時、暴れていた期間の記憶を殆ど失っていたでしょう……誰もその話をしなかったけど、大怪我を負った使用人もいました……」
「何故……」
言わなかったのか?という疑問に、エリードは薄く笑った。
「覚えていない、と言うものは仕方ないではありませんか。だから、使用人達は皆エデュラ嬢に感謝すらしていた。父上と母上にも愛されていた。だから、僕とエリーナはエデュラ嬢に酷い事を言っていた。ほんの、八つ当たりだったのです」
突然の告白にエリンギルは頭が混乱していた。
「忘却薬」は王族が飲むことは禁止されていて、その禁を破れば死罪になる。
だが、「阻害薬」については何も記載はない。
後から出来た薬だからなのか、それ以外の理由があるのか。
「エリードも、阻害薬を使えば起き上がれるようになるのではないか?」
「……はは、番がいないのに、起き上がる意味はありますか。僕はフィーレン嬢にも酷い態度を取っていた。愛する者の前で、僕への愛を強要しようと。……嫌われて当然で、ずっと愛され続けている兄上が憎かった」
酷い態度を取られても、泣いても、また静かに愛し、尽くし続けるエデュラを何年も見てきた。
あんな風に愛されたいと、自分が番ならあんな風に愛してもらえるのかもしれないと。
「リリアーデ嬢が現れた時に、止めておけばよかった。エリーナが昔呼んだ商人に聞いた「阻害薬」の話をリリアーデ嬢にしなければ。……いや、もしかしたら言わなくても彼女は、……知っていたかもしれないけれど。だから彼女は、本当はエデュラ嬢を遠くに行かせたくなかったはずだ……なのに何故追放を」
次から次へと重なる疑問に、エリンギルの中で確信が強まっていく。
「……はは……何という事か。そうか、優しさではなかったのか。エデュラを縛り付けて、自分が番として君臨し続けるために、追放に反対したのか。俺の精神を安定させるために、エデュラが必要だったのだな……あの女は、エデュラが本当の番だと、気づいていて」
「……けれど、条件は同じですよ、兄上。誰が番かも分からない状態で、貴方はリリアーデを選んだ。……僕も、フィーレン嬢が番だと気づかなければ、今でも別の人を好きだったかもしれないけれど……兄上は強制的に選ばされた訳じゃない……」
だが、番を引き裂くのは大罪だ。
その大罪を犯した人間を愛し、被害者である人間を断罪して罪を着せるという愚かな行いをした。
いいように騙されて、寵愛を与え、真実の相手を足蹴にしたのだ。
それは全て自分の意思だった。
捻じ曲げられていたとはいえ。
エリンギルはギリ、と唇を噛みしめた。
「責は負わせねばならぬ」
「でも兄上、リリアーデも兄上への愛ゆえに罪を犯したのかもしれません」
「だから、赦せと?その間、こんな苦しみに耐えながら、エデュラは何の罪も犯さずにいたのに」
憤怒に支配される、兄を見上げながらエリードは小さく息を吐く。
「僕も、エリーナも、リリアーデも兄上も、エデュラの前では等しく罪人です」
「お前もエリーナも罰を受けている、だろう」
静かに殺意の籠る目で見降ろされて、エリードは頷き返した。
自分に残されている時間は、多くは無いとエリードには分かっている。
「ええ。兄上の手を汚す必要はありません。僕はもう、長くない。だから、せめて懺悔したかった」
「……そうか。お前を赦す、と言える資格は俺にも無い。せめて安らかに、番を思い続けると良い」
言いたいことを言い終えて、小さく息を吐くと、エリードは虚ろな目を静かに閉じた。
フィーレン……美しい番……。
でも、最初に好きになったのは。
強く美しい、エリシャだった。
自分を連れまわす姉のエリーナよりも強く、エリーナは何度もその高い鼻を折られていた。
思わず、ふ、と唇に笑みが浮かぶ。
姉がやり込められる姿を見て笑うのは良くないが、痛快だった。
でも、会う機会が途絶えて、次に好きになったのはエデュラ。
辛抱強く愛を持ち続ける一途な姿に、心惹かれた。
そして、フィーレン。
番でなくても愛しただろうか……。
ただ愛しいと、いなくて寂しいと、強く思う。
それからやっと、彼女達に幸せになってほしいと、そう願えた。
次に生まれる時は、強くなりたい。
誰にも、運命にさえ流されずに生きたい。
エリードは半年もしない内に、ひっそりと息を引き取ったのである。
1,584
お気に入りに追加
2,433
あなたにおすすめの小説

私のことは愛さなくても結構です
毛蟹葵葉
恋愛
サブリナは、聖騎士ジークムントからの婚約の打診の手紙をもらって有頂天になった。
一緒になって喜ぶ父親の姿を見た瞬間に前世の記憶が蘇った。
彼女は、自分が本の世界の中に生まれ変わったことに気がついた。
サブリナは、ジークムントと愛のない結婚をした後に、彼の愛する聖女アルネを嫉妬心の末に殺害しようとする。
いわゆる悪女だった。
サブリナは、ジークムントに首を切り落とされて、彼女の家族は全員死刑となった。
全ての記憶を思い出した後、サブリナは熱を出して寝込んでしまった。
そして、サブリナの妹クラリスが代打としてジークムントの婚約者になってしまう。
主役は、いわゆる悪役の妹です

今から婚約者に会いに行きます。〜私は運命の相手ではないから
毛蟹葵葉
恋愛
婚約者が王立学園の卒業を間近に控えていたある日。
ポーリーンのところに、婚約者の恋人だと名乗る女性がやってきた。
彼女は別れろ。と、一方的に迫り。
最後には暴言を吐いた。
「ああ、本当に嫌だわ。こんな田舎。肥溜めの臭いがするみたい。……貴女からも漂ってるわよ」
洗練された都会に住む自分の方がトリスタンにふさわしい。と、言わんばかりに彼女は微笑んだ。
「ねえ、卒業パーティーには来ないでね。恥をかくのは貴女よ。婚約破棄されてもまだ間に合うでしょう?早く相手を見つけたら?」
彼女が去ると、ポーリーンはある事を考えた。
ちゃんと、別れ話をしようと。
ポーリーンはこっそりと屋敷から抜け出して、婚約者のところへと向かった。

愛しくない、あなた
野村にれ
恋愛
結婚式を八日後に控えたアイルーンは、婚約者に番が見付かり、
結婚式はおろか、婚約も白紙になった。
行き場のなくした思いを抱えたまま、
今度はアイルーンが竜帝国のディオエル皇帝の番だと言われ、
妃になって欲しいと願われることに。
周りは落ち込むアイルーンを愛してくれる人が見付かった、
これが運命だったのだと喜んでいたが、
竜帝国にアイルーンの居場所などなかった。


〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

幸せな番が微笑みながら願うこと
矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。
まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。
だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。
竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。
※設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる