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7-忘却薬
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王子エリンギルとリリアーデ伯爵令嬢の真実の愛は、学園入学と共に瞬く間に広がった。
同時に、幼い頃に婚約者として番として王宮に上がり、二人を引き裂いた悪女としてエデュラの噂もまた広がったのである。
良識ある生徒や幼い頃からの友人達は、それでも不遜な態度を取ることはしなかったのだが、大多数はその噂に惑わされた。
相手が侯爵令嬢なので、嫌がらせなどはなくても、陰口や嘲笑は止まることを知らない。
言い返したところで、王子へと伝わればエデュラの瑕疵になるだろう。
入学時に帝国から来た人間、焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳の眼鏡の男爵令息ランベルトは、同級生のエデュラを気遣うように幾度となく声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……何が、でございましょう?」
エデュラの毅然とした態度と気丈な返事に、ランベルトは苦笑を浮かべる。
「いいえ、ただの噂話です」
「そうでございますわね。……わたくしから身を退ければ宜しいのですけれど」
俯いて言った一言に、ランベルトは目を見張った。
「いけないのですか?」
「国王陛下と王妃殿下のお許しが出ません事には、仕方がありません。それに、わたくしにも思い切れない気持ちがまだございます。……他の方々から見れば、馬鹿みたいに思われるでしょうね」
自嘲の笑みと彼女の言葉を耳にすれば、良識ある者なら事情を察することは出来る。
彼女の数少ない友人も、護衛騎士も。
否定しようと口を開いたランベルトは、何か言いかけて口を噤んだ。
口にしても仕方ないこともある。
だが。
「番を勘違いするって嫌ですわね」
「身分を愛したのでしょうけど」
くすくすと笑いながら投げつけられる言葉は、誰が誰とは言わない以上、分かっていても咎める事も出来ない。
ランベルトは厳しい目線を向け、その視線に気づいた女性たちはびくりと肩を跳ねさせて足早に逃げていく。
羽虫を追い払う程度にしか力になれない事を歯噛みしながら、ランベルトは静かに聞いた。
「その、気持ちを忘れる事が出来るとしたら?」
「………え?」
エデュラがランベルトから聞いた話は、番への愛を忘れさせるという「忘却薬」の存在だ。
竜人族が治めるこの国には存在しないが、外界では流通が有る。
何故そんな物があるかといえば、獣人族の多い国で番を巡る争いが発端で、内乱にまで発展したせいらしい。
ある王国で、王妃の番が、国王から王妃を奪おうとして争いを仕掛けた。
王妃の家門も王妃本人ですら番の為に動いたのだから、国王の立場は無い。
内乱が続いたものの、最終的には王妃と番の処刑で事は収まった。
だが、そこまで戦が長引いた原因は、獣人達の考え方に根差した番の在り方にある。
運命で結ばれた恋人達を応援しようという、機運のようなものがあったのだ。
番と出会えるのは稀で、だからこそ尊いという一方で、愛する者に裏切られた人々の心の傷もまた深い。
そこで出来上がったのが「忘却薬」だ。
手に入れたら飲まないかと問われて、エデュラは答えに窮した。
もう、諦めているのに、それでも手放すのが怖いと感じてしまうのだ。
くだらない見栄だろうか?
それとも惰性だろうか?
優しい思い出に縋りながら、上から塗り重ねられた冷たい現実を思えば、心はどうしようもなく痛むのに。
「多分、わたくしは飲めません」
「何故」
「わたくしが、わたくしでなくなってしまいそうなのです。それが、怖い」
それは正直な気持ちだった。
自分の半生を形作ってきたものが、突然消えてしまうとしたら?
痛みはなくなっても、喪失感は消えないだろう。
そして、根底から自分を揺るがされることは、耐えがたい恐怖だった。
同時に、幼い頃に婚約者として番として王宮に上がり、二人を引き裂いた悪女としてエデュラの噂もまた広がったのである。
良識ある生徒や幼い頃からの友人達は、それでも不遜な態度を取ることはしなかったのだが、大多数はその噂に惑わされた。
相手が侯爵令嬢なので、嫌がらせなどはなくても、陰口や嘲笑は止まることを知らない。
言い返したところで、王子へと伝わればエデュラの瑕疵になるだろう。
入学時に帝国から来た人間、焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳の眼鏡の男爵令息ランベルトは、同級生のエデュラを気遣うように幾度となく声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……何が、でございましょう?」
エデュラの毅然とした態度と気丈な返事に、ランベルトは苦笑を浮かべる。
「いいえ、ただの噂話です」
「そうでございますわね。……わたくしから身を退ければ宜しいのですけれど」
俯いて言った一言に、ランベルトは目を見張った。
「いけないのですか?」
「国王陛下と王妃殿下のお許しが出ません事には、仕方がありません。それに、わたくしにも思い切れない気持ちがまだございます。……他の方々から見れば、馬鹿みたいに思われるでしょうね」
自嘲の笑みと彼女の言葉を耳にすれば、良識ある者なら事情を察することは出来る。
彼女の数少ない友人も、護衛騎士も。
否定しようと口を開いたランベルトは、何か言いかけて口を噤んだ。
口にしても仕方ないこともある。
だが。
「番を勘違いするって嫌ですわね」
「身分を愛したのでしょうけど」
くすくすと笑いながら投げつけられる言葉は、誰が誰とは言わない以上、分かっていても咎める事も出来ない。
ランベルトは厳しい目線を向け、その視線に気づいた女性たちはびくりと肩を跳ねさせて足早に逃げていく。
羽虫を追い払う程度にしか力になれない事を歯噛みしながら、ランベルトは静かに聞いた。
「その、気持ちを忘れる事が出来るとしたら?」
「………え?」
エデュラがランベルトから聞いた話は、番への愛を忘れさせるという「忘却薬」の存在だ。
竜人族が治めるこの国には存在しないが、外界では流通が有る。
何故そんな物があるかといえば、獣人族の多い国で番を巡る争いが発端で、内乱にまで発展したせいらしい。
ある王国で、王妃の番が、国王から王妃を奪おうとして争いを仕掛けた。
王妃の家門も王妃本人ですら番の為に動いたのだから、国王の立場は無い。
内乱が続いたものの、最終的には王妃と番の処刑で事は収まった。
だが、そこまで戦が長引いた原因は、獣人達の考え方に根差した番の在り方にある。
運命で結ばれた恋人達を応援しようという、機運のようなものがあったのだ。
番と出会えるのは稀で、だからこそ尊いという一方で、愛する者に裏切られた人々の心の傷もまた深い。
そこで出来上がったのが「忘却薬」だ。
手に入れたら飲まないかと問われて、エデュラは答えに窮した。
もう、諦めているのに、それでも手放すのが怖いと感じてしまうのだ。
くだらない見栄だろうか?
それとも惰性だろうか?
優しい思い出に縋りながら、上から塗り重ねられた冷たい現実を思えば、心はどうしようもなく痛むのに。
「多分、わたくしは飲めません」
「何故」
「わたくしが、わたくしでなくなってしまいそうなのです。それが、怖い」
それは正直な気持ちだった。
自分の半生を形作ってきたものが、突然消えてしまうとしたら?
痛みはなくなっても、喪失感は消えないだろう。
そして、根底から自分を揺るがされることは、耐えがたい恐怖だった。
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