雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第三章:王妃と幼馴染

第三十七話:英雄に憧れた二人

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「クラウス、おはよーっと」

 そんな呑気な声と共に、胸に激痛が走る。
 同時に全身から冷や汗が吹き出し、逃れようともがけばその剣先はより食い込んで傷口を抉る。
 その状況に、クラウスは覚えがあった。

「あああああああああああ!! 刺さってる! 刺さってるって叔母さん!」
「油断大敵というものだよクラウス。今回はまだまだだね。次回に期待してるよ」

 全く悪びれた様子もなくそんなことを言えば、その直後には痛みは引いていく。

「相変わらずめちゃくちゃだなエリーちゃん……。こんな夜中に周りにお客さんもいるのに……」
「まあバレないバレない。私とルーク君がいるんだからさ」

 真っ暗な部屋には、三人の知り合いがいた。
 一人の英雄と、一人の理不尽な強さの叔母さん。そして一人の白髪の勉学の教師? 謎の多い女性。
 その中の英雄、ルークは魔法のエキスパートだ。
 引き抜かれた剣の刺し傷は直ぐに癒え始め、あっという間に塞がると冷や汗も直ぐに治まる。
 完治すると同時に、割かれ血で濡れた服までも綺麗になっていき、まるで何事も無かったかの様に全てが元通りに治っていった。
 もちろん、元通りと言うにはクラウスに苦痛の記憶はあるし、起きてしまっているけれど。

「クラウス、今のは私が刺客なら死んでたよ」

 それは試練だった。
 クラウスの剣の腕が一流になるのと同時に始まった一つの試練。
 奇襲に備えよ。
 一体何を言っているのかと最初は思ったものの、エリー叔母さんがそれを止めることは決してなかった。
 初めは簡単だった。
 月に一度程、夜中に普通に部屋に入ってきて、デコピンで起こす。
 ただそれだけ。
 しかしそれも次第にエスカレートしていった。いや、エスカレートと言うよりは、難易度アップと言った方が叔母さんの名誉が守られるだろう。
 侵入は次第に忍び足になり、対応できなかった際のペナルティは次第に痛みを伴う物へと変化していった。

「ふう、それじゃ僕は帰るよ。エレナも待ってるんだ」
「相変わらずラブラブだねルーク君は。クラウス、次も同じ位で行くから対応出来る様に」
「エリーが教え下手ですまないなクラウス……、だが、お前の両親なら問題無く対応しただろう。精進してくれよ」
「了解、アリエルさん。ありがとうございましたルークさん。……もうちょっとお手柔らかに頼むよ叔母さん……」

 そんなことを毎月続ける内、いつしかクラウスの危機感知能力は、当然の様に異常の域に達するようになっていた。
 それはもう、魔物が蔓延る森の中で、平気で野宿が出来る程度には。
 それは同時に、どんな時でも対応できてしまうクラウスの生活スタイルにしばしば油断が生じてしまう理由にもなっていて、そして。

 クラウスは絶対に大丈夫だとエリーが保証する、その理由だった。

 ――。

「ッ!?」

 勝利を確信したエリスは驚きを隠せなかった。
 完全に刺突のモーションを取っていたクラウスの背中から剣は逸れ、空を切ったからだ。
 クラウスは右手で振るったそのままの動きの繋がりで体を左に翻し、重心を僅かに左に移し替えてエリスの剣を回避していた。
 最早本能レベルで危機に対して反応してしまうその体は、薄皮程度なら切れても大丈夫だと言わんばかりにギリギリの回避を見せ、そしてほぼ同時に、エリスも達人だった。
 回避されたことを直ぐさま悟ったエリスは次の手、伸ばした剣を引き斬る方向に腕を戻そうとする。

 しかしそこで、エリスの視界は暗闇に覆われた。

 クラウスが突きを入れるために伸ばした手は右手だけだ。
 その左手は、むしろ後ろに回っていた。
 右手の突きの威力を増す為、背後に対応する為、そして、本能に応じてなんとなく。
 元々膂力に余裕があるクラウスは、重い剣でも片手で自在に扱うことが出来る。
 そして最近は特に、マナを抱えて生活していたことでその技はより洗練されていた。
 つまり、右手だけでも必殺の一撃の様に見えて、それはエリスにとって予想外だった。

 クラウスの左手が、エリスの目元を掴んでいる。
 回転の勢いをそのままに、腰を落としているエリスの更に下を右足を押し込め、足を蹴り払う。
 目を掴まれた手で頭を下方に押され、足を蹴り上げられたエリスはそのまま暗闇の空中に放り出された。
 そうなれば当然、人は反射的にバランスを取ろうともがいてしまう。
 クラウスの背中を斬りつけようとしていた剣も中断して、咄嗟に受身を取ろうと手を広げる。

「そこまで」

 そして暗闇の中なんとか受身を取ることに成功した時には、決着は付いていた。
 エリスの首元には冷たい感触が触れている。
 決着の声と共に開けた視界で現状を確認すると、エリスの剣はクラウスの左足に踏まれ微動だにせず、首のすぐ左にはクラウスの剣が突き立って、斜め手前にに引き倒すだけでギロチンの様に首はちぎられるだろう。
 何より、クラウスは受身を取らせない様に頭を地面に押し付けることすら容易だった。
 つまりは、エリスにとっては八方塞がりな状況だった。

 真剣を使った勝負で、平然と素手で敵の頭を掴むことを想定出来なかったエリスの、完全敗北。

「ふう、流石英雄達から一目置かれるだけのことはありますね。私の負けです。見事でした」

 パンパンと服を叩きながら立ち上がったエリスの心は、それなりに納得出来ていた。
 早く生まれていれば英雄になっていただろうという周囲の身勝手な評価と、英雄と呼ばれる者達との壁。
 今回でそれを一番実感していたのはエリス自身だった。
 本物の英雄の血を引いて、本物の英雄に育てられたクラウスに、英雄になれなかった勇者では勝てない。
 なんとなくそれが当然のことの様に思えて、そして。

「エリス様も見事な太刀筋でした。毎月叔母に刺されてなければ勝てなかったかもしれません」

 クラウスのそんな余裕のある一言に、何故か、涙を堪えきれなくなっていた。
 悔しかったのと同時に納得してしまう。
 才能を認められ、王に見初められ、ぬるま湯に浸かってしまったその身では、地獄を見てきた英雄達の相手など務まるわけが無かったのだと。

 ――。

 エリスは、才能のある娘だった。
 もしも比較対象と生まれる時代さえ間違っていなければ、十年に一度というレベルの。

 彼女が六歳の時に、英雄達は魔王を倒したのだという。
 当時は世界が熱狂に包まれていた。
 世界中に溢れる強力な魔物に、グレーズ出身の二人の鬼神の弟子。
 そんな彼女達の活躍を聞くたびに、エリスは胸を躍らせていた。
 いつかはオリヴィア姫の様になりたい。いつかはエリーの様になりたい。
 まだ若い勇者の少女がそんな夢を見るのは、当然のことだった。

「エリスはエリー様に似てるから、きっと将来凄い勇者になるよ!」

 友人のそんな一言が、今思えばエリスの運命を変えたのかもしれない。
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