ヒト

宇野片み緒

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一つめ

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一つめの、湖に浸けた手が、違うヒトモドキの指を掴んだのは間もないことだった。端正な顔立ちの青年が岸辺に上がり、激しく噎せた。「ばかね、湖から出て化けなくちゃ」微かに微笑んで呟く娘。そういえば昔、長生きが同じことを。─ただいま─心の声で返し、青年姿のイルカが息をついた。─おかえり─



若者が水槽をぼうっと見つめている。老人がその背に不安げな声色で尋ねた。「君は、何かを知っているの」中性的なその人は首を振った。「ただ、フラッシュバックと言うんですか。あのイルカを見ると、断片的にいろんな景色や台詞が思い浮かびました。おじいさんの言葉を借りると、前世で会ったのかも」



湖。星のほとんどを覆う湖。アワダチソウとネコジャラシの草原。薄暗い空。三回目。生まれ変わり。湿気。霧雨。イルカに化けた個体。個体。個体。心の声。飛べない鳥。ヘラジカ。水面の映像。角のある生き物。地球。地球の真似。故郷星。春と秋。ニット帽。五十回目。水まんじゅう。ヒト。ヒトモドキ。



老人も、ぼんやりと水槽を見てこう答えた。「じゃあ、僕と君も前世で会ったのかもしれないね。三匹目のイルカを見られた同士。きっと、故郷が同じなんだ」それから念を押すように告げた。「言っとくが呆け老人じゃない」若者は声をたてて笑った。「勘違いされるんでしょ。不思議なことばかり言うから」



青年イルカの塗れた髪から、雫が垂れた。長生きとつのに会った、と呟く。一つめが目を丸くした。─地球に、つのも?──ああ。どうやら五十回目を終えるか、心から消えたいと願えば僕らは向こうへ行ける。ヒトになるんだ、モドキじゃなくて、やり直しの利かない本物に。しかも記憶を引き継ぐ保証はない─



ヒトモドキの娘は、彼の涼しげな瞳を一直線に見つめて、すぐに声を弾ませた。「なら私、消えたいと願えば、今すぐ長生きのところへ行けるのね」「その都合の良い部分しか拾わない癖、絶対にやめるべきだな」イルカの失笑を見て、娘は切なく微笑み返した。─平気、分かってる。心が聞こえているのだもの─



彼女の透明な心の声が続く。─ねえ、あなたは本当に何回目なの。前に数えていないと言っていたけれど、大体も分からないの─彼が答える。─さあ。適当に生きてるもんで、前よりさらに分からなくなってるよ──今すぐヒトになりたい?──まさか。上限までここにいたいよ。もう行き来する気もないんだ─



一つめは、揺らぐ水面を見つめてよく通る小声で述べた。「イルカが今、四十九回目か五十回目なら、私がおばあさんになる頃に会えそう」彼女のそのときの心の叫びは、きっと故郷星のどの個体にも聞こえた。─消えたい。長生きのところに行きたい─イルカの頬を、涙が伝った。濡れた姿なので目立たない。



青年が、娘を抱きしめた。そのためだけに化けたのだ。彼の心を読んで、彼女がそっと抱き返し囁いた。「ありがとう。私もイルカが好きよ。でも私、長生きを愛してる」「知ってる。ばか。行っちまえ」泣き笑いで記憶の存続を祈る。腕の中で透き通ってゆく、始まりのヒトモドキは、二度とここへ帰らない。



青い地下で、二匹のカマイルカが泳いでいる。立派な白髭をたくわえた老人が、ゆっくりとまばたきをしながら深刻に眺めていた。いつかの若者は、人間学の研究者になり旅に出た。何かを、探しに。─おや─いつの間にか、老人の隣に十歳ほどの少女が佇んでいた。宝物を探すような、清い瞳の。─迷子かな─



視線に気づき、少女が老人に振り向いた。途端に彼は思い出した。─ああ、また、君のほうが若いんだね─「僕、あとひとつで百になるんだ」歳のわりに若い声が穏やかに呟いた。少女は目を丸くする。大人びた笑みを浮かべ、まるで呼ぶように述べた。「長生き、なのね」この瞬間を確かにずっと待っていた。






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