ヒト

宇野片み緒

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一つめ

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そうするね。その声と同時に溢れた多層な心が苦しかった。─思い出しちゃった。イルカを殺したんだ。この姿は長生きだ。忘れたら余計に傷つけた。どうして? やり直せないの? つのさえいなければ壊れなかった? ごめんなさい。つのはいらない。生まれ変わるのやめる。一つめ。つのを忘れて。どうか─



私が殺した。一つめは、そう感じた。思想は相手を生かしたり殺したりする。その事象はヒトだけに起こるものじゃない。有限のもの全て。水まんじゅうの群れが不安定に泳いでいる。まれに個体同士がぶつかって、─痛い──ごめん─なんて聞こえた。心で会話をするので、咄嗟の言葉が相手に届く。性格がある。



「ねえ、私のせい、かしら」湖面に呟く。水まんじゅうたちは、無心のようにたゆたう。地球のどこかが映っている。見づらいけれど、またあの少年がいた。小学校の授業中らしい情景。─あなたは─似ているだけなのに、つい心の声で呼びかけてしまう。─長生きはどう思う─その瞬間に少年が、ハッと窓を見た。



「どうしたの」教師が尋ねる。彼は慌てて前に向きなおし、苦笑いで告白した。「窓の外を風船が飛んでいったんだ」「また?」そう返されて、少年は肩をすくめた。一つめは、つられて空を見る。人工物は、この星にない。鳥に化けても、偽の翼は高く飛べない。水面に視線を戻すと、映像はもう消えていた。



─僕は、僕のじゃないはずの記憶を曖昧に持っている。そんなことを言うと変に思われるから、誰にも相談したことはない。別の世界で息をしていた気がする。羊水の中だったのだろうか。誰かが僕を呼ぶんだ。でも、あれは母の声とは違った。さらに変だけど、今だってたまに、その優しい声で空耳が聞こえる─



故郷星の一つめは、疲れた息を吐いた。視界が白みがかっている。消えるのだ、また。偽物が息づく湖を見下ろし、彼女は寂しく微笑んだ。─ねえ、つの。私きっと、もうヒトに向いていないわ。消えるまでの時間が、どんどん早くなっているもの。あなたと逆ね─全身が霧になっていく。核が残り、湖に落ちた。



─あまりに懐かしくて、透明で真ん丸いような声だから、風船に例えている。でも何て言ってるのかわからない。他にも大勢いるみたいだ。僕の心で鳴るそれは、まるで防音のホールからわずかに漏れるオケストラみたいで……いや、途切れた。その一番聞こえていた声が急に。終業のチャイムが邪魔だ。風船は─



四回目になる。膨らんだゼラチン質が、青く灯る。原始生物の姿で一つめは、もうやめたいと考えた。でも死にたいのとは違う。忘れたいのとも違う。この、無限に似た生き物でいることを、やめたいのだ。ヒトモドキに化ける気にならなかった。湖から這い出て、わざと何も考えなかった。ノイズが、ひどい。



ヒトの姿ではない一つめが、湖面に映っている。水中には原始生物が蠢く他、底に何か泳いでいるようだった。─誰?─娘の問いに、意外にも知っている声が返った。─参ったよ。散り散りになったものだから生まれ変わりに随分かかった─「イルカ?」肉声。娘は反射的にヒトモドキに化け、身をのり出していた。



ご名答、とその声は思った。浅い湖底からイルカが上がってきて、水面に顔を出した。キイと鳴く顔は笑っているように見える。白いワンピースの娘は眉をひそめ、まず自らの頬をつねって、首をかしげた。それから彼の額を平手で強めに叩いた。─痛いな! 急に何する─「痛いのね。夢じゃない。本当にいる」



イルカは、頷くように頭を振った。─長くはいられないぜ。あれの場面が変わる前に、僕は戻らなきゃならない─彼は横目で湖面を見た。どこかの水族館らしい、青い地下が映っていた。大きな水槽。カマイルカと書かれたプレート。遊泳する二匹。前に青年が佇んでいる。白いニット帽で神経質そうな目付きの。



─五十一回目の長生きだと思うよ─イルカが告げた。─なぜか僕は、地球の水槽で生まれ直したんだ。行き来できると気づくまでは牢屋かと思ったね。ガラスの向こうに懐かしい顔が来たときには驚いた。人探しみたいにずっと眺めてるから、ここに一つめはいないぞって言ってやったよ。でも聞こえないみたいだ─



娘が問う。「どうして、あなただけ行き来できるの?」─全ての空は繋がっている。つまり全ての水も繋がっている。粉々になった僕の一部が地球に流れ着いたから、行き来ができるようになった─「何を言っているのかわからない」─僕だってわからない。適当だ─イルカは水まんじゅうに戻り、プウと膨らんだ。



─じゃあ行くよ─「また来れる?」─運よく互いに映ればな。一つめ、消えたいと願ってくれるなよ。向こうで長生きが待ってる─励ますような語調で思い、彼は映像に飛び込んだ。水槽内の岩影からカマイルカがもう一匹現れ、そのシーンが溶けるように揺れ消えた。一つめはもう一度、頬をつねった。痛かった。
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