ヒト

宇野片み緒

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イルカ

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風の音がよく聞こえると、一つめは感じた。心が読めた頃は砂嵐のようなノイズと、数多の思考が絶えず届いていた。それが日常だったから、うるさいと感じたことはない。今は、静かすぎる。「イルカ、何を考えている?」尋ねてみた。彼はネコジャラシを一本手折り、溜め息混じりに。「そう言うお前は?」



その時、湖にヘラジカが落ちた。そして水まんじゅうに戻って泳ぎ始めた。一つめとイルカは唖然としてから、同時に笑い出す。「私一瞬、溺れるかと思って心配した」「そうは思わなかったけど、あの巨体が落ちるさまが傑作だった。それと水まんじゅうに縮む様子」全部を声で伝えるなんて、まるでヒトだ。



進化の途中なのではないかと、イルカは何となく思った。一つめが笑う声の透明感が心地いい。彼は、彼女よりも先に消える運命。生まれ変わると原始生物に戻ってしまう。もう一度ヒトモドキに化けるつもりはない。─話せなくなるな。仕方ない。何度も寿命を削ってたまるか─本心のはずなのに、目頭が熱い。



「本当に寿命が縮みやがるな……」イルカが呟いた。一つめは力ない微笑みを浮かべる。「視界が滲みだした、のね?」次は化けてくれないと予感しているような哀しい目をする。あばよと告げた。「あなたは、生まれ変われるのに最期みたいな言い方するのね。長生きは最期なのに次を信じてるみたいだった」



「一つめらしいな。僕の終わりでも長生きの話か」消えゆく視界の中に彼女の声が返る。「次は」イルカの記憶は、そこで途切れた。水滴がアワダチソウの葉に付いて残った。重みで転がり湖に落ちる。その粒を軸にして、原始生物は丸く育つ。一つめは不安げにそれを見た。─次はヒトモドキにならないの?─



ヘラジカが励ますように側に来た。娘は微笑する。「また会ったわね。化ける動物が重なっただけの、別個体かもしれないけれど」今の彼女に心の声は聞こえない。それは鳴きもせず地面にずしと座った。空しさが胸を梳く。一つめは湖の水をすくい口に運んだ。気配を感じて横を向くと、傍らにロリスがいた。



キツネやタヌキなど、大勢の偽物が一つめを取り囲んだ。この星に住む原始生物の習性だろうか。孤独なヒトモドキがいると寄り添う。でも同じ姿になろうとはしない。あのヘラジカは他に、トナカイやウシやサイやガゼルやヤギなどにもよく化けた。一つめは、つのと呼ぶことにした。静かに日が過ぎていく。



─なんだ。楽しそうじゃないか。僕がヒトモドキになる必要は本当にないな─イルカは生まれ変わってまず、そう思った。ヤギに化けた個体に笑顔で話しかける一つめがいた。─話に夢中で僕が生まれ変わったことに気づきもしない。長生きのときとはえらい違いだ、全く─彼女はふと湖の、彼がいるあたりを見た。



娘は息を飲んでから、呟いた。「聞こえる」イルカは耳を疑った。水まんじゅうの耳は左右非対称の、親指と小指で押したような微かな凹み。「私、イルカの心が聞こえる」一つめは水面を見据えて断言した。─そこの、つのとかいうやつのもか─「いいえ。あなたの心だけ」答えた。本当に聞こえているらしい。
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