文バレ!③

宇野片み緒

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第十章 それぞれの理由

「四位だと無意味じゃねえか」

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 ソウルは持参していた予備のメガネを装着し、これで見えると微笑んだ。歌仙高校を引き連れて会場へ戻る。もちろん美々実さんと欅平さんも一緒だ。手負いの内田はジョージがおんぶして行った。速見のほうがよっぽど背負いたがったのだが、やつは肩を痛めている。古井先生は協会の仕事があるらしくアリーナの放送席へと向かった。
 ホールから客席に足を踏み入れた瞬間、見えた景色が……非常事態!
「え」「え」「え」「え」「え」「え」
 歌仙高校の六人が一斉に口を丸くして同じ大声をあげた。二階席になっているこの位置から、ピエロがジャンプする姿が眼前に映ったのだ。全身が二階席まで飛びあがる。
 ピエロは空中で一瞬こちらを向き、やあ、と口を動かした。目が合う。驚いて階段を掛け降り、コートを見下ろす。そこには、トーテムポールのように高い人間の塔ができていた。やつはそのてっぺんから飛んだらしい。白い排球が地上五メートルくらいに浮いている。客席から、また同じ鏡の反射がキラと光った。
「バカやめろ、あんな高さから落ちたらッ」
 身を乗り出して叫ぶ。目くらましを避けるように、少年は瞼を閉じた。真っ暗な視界だろうに、唄唄いのピエロは落ち着いている。高い上空から、
「かもめ」
 軽やかに、目を伏せたまま排球を打ち落とす。聞き取りやすいその声は耳に引っかからずに通過する。新品の固形石鹸のような調和のとれた声色で、あまり記憶に残らない。きれいなパーツが上手く並んだ行儀のいい顔もそうだ。強いて言えば美形に属すだけで、何も特徴がないのである。やつを思い出そうとすると、こうして見た直後でも、鮮やかな髪の色だけが浮かんで、のっぺらぼうが眩しい服で宙返りをする。謎の少年は空中で再び目を開き、軽やかにチームメイトの肩へと着地した。
「な、な、なんなんだぜ今のサーカス」
 人間トーテムポールを凝視して速見が言う。
「はっはは。面白え技じゃねえか。しかもかもめとは実にいい出題だ」
 欅平さんが大きく笑った。ヒイロが頷き、小さく尋ねる。
「チェーホフのかもめですかね」
 他にあるかい、と緑メッシュの先輩は大人びた声で返した。ロシアを代表する劇作家のチェーホフが書いた、有名な喜劇だ。作者本人が喜劇と言ったのでそう通っているのだが、俺はどうしても、かもめは悲劇としか思えない。だって、最後に人が死ぬ。
 ピエロの打った球は奇妙なカーブを描きながら落ちていき、敵陣のブロックをすり抜けて魔法のように床を叩いた。審判が告げた点数はこうだった。
「二対二」
 同点、だと。試合開始から二十分。ゴミ共が幼稚な悪口をわめく。トーテムポールは器用に縮んで三人に分離する。人差し指を唇に当て、唄唄いのピエロは種明かしのように指摘した。
「客席にいるお仲間が、鏡を使ってじゃまをした」
 万葉の二十数人が悔しげにやつを睨みつける。かかしのように片足で立ち、器用にバランスを取りながら少年は笑顔で語った。
「卑怯はだめだよ万葉さん。それに僕には効かないさ。体が覚えているからね、目を閉じたって飛べるんだ。全てのことにはパターンがある」
 チンピラ衆が乱雑に声を荒げる。そんなのありかよ、ふざけんな、なめんじゃねえ、そういった類のバカそうな罵声だった。堀田菩菩だけは口を閉ざして、細く線を引いたような目で、笑うピエロを見据えている。蛍光ピンクの髪が空中を一回転した。着地したとき、彼の表情が消しゴムで払われたようになくなった。直後、万葉の連中を睨みつける。その変化を見て俺はようやく、ピエロの顔を覚えられたような気がした。黒い猫目をつりあげて、プラスチックカラーの少年はこう告げる。
「それでも君ら、後のことくらい考えて。僕じゃなければ落ちていた。あんなに高く飛んでた者が、もしも落ちたらどうなるさ。すぐに潰れて死んでしまうよ」
 リズムのいい声が耳を抜けていく。敵陣はぐっと口をつぐんだ。
「ふええ、黙らせたよ。すごい。すごいよねっ」
 内田が満面の笑みでジョージの背から身を乗り出した。うんうん、と歌仙の六人が同意する。赤いくせっ毛の後輩が、楽しげにコートへ叫んだ。
「ピエロさんかっけー」
 三角形と内田が続ける。いま流行っているお笑い芸人のネタだ。歌仙のぴよぴよたちが、さんかっけーとさらに繰り返した。卒業式の群読かよ。
「ピエロ氏かっけー」「四角形」「しかっけー」
 その光景を見て美々実さんが、
「お、お前ら、かわいすぎるだろう。これだから年下は最高なんだよ」
 などと歓喜しているが、コート上の万葉の連中は顔をしかめていた。ジョンが唄唄い全員のプラスチックカラーに目を細め、指を差してツバを飛ばす勢いで笑い出した。
「がはははは! なんだあ、その技。その喋り方。サーカス気取りかよ。あと始めから思ってたけど、その服も目が痛えんだよ。遠慮しろよなあ。客がいるからって何パフォーマンスしてんだよ。かっこつけてやんの、だっせえ」
 三白眼が泳いでいる。焦りをごまかすために言っているだけだな、だっせえ。
 さっき一年生たちが三角形やら四角形やら叫んだおかげで、客席にいたニチセイの連中が俺たちに気づいたらしい。十三人全員が慌てて近寄ってきて、次々に口を開いた。
「良かった」「お帰り」「大変だったな」「大丈夫なのかよ」
 皆が泣き笑いでこづいてくる。ただ忍だけは相変わらず、ポジティブ全開の表情を浮かべていた。李さんが合掌して心が温まる笑顔で言う。
「仲花たちネ、お見舞いわざと行かなかたの。皆サンならすぐ戻れるって信じタたから、ずっとここで待てタよ。無事で何よりだもぬ」
 言い切るやいなや、笑顔が崩れてほろりと泣いてしまった。
「おなごを泣かすなー!」
 真っ先に声を荒げたのが美々実さんで介抱したのも美々実さんだったので、我々男の出る幕を少しは残してください先輩。忍がにひっと歯を見せる。
「小野くん、万葉との準決勝、勝利おめでとさん」
「ああ。やっと戦えるな」
 拳をコツンとぶつけ合う。
「うん、決勝戦ではよろしく頼むで。ところで君ら、今までどこに行ってたんでっか?」
 忍がこう続けたので、その場の全員がズッコケた。あ、そうかコレ、漫才ってやつか!
「いや保健室やないかーい!」
 ツッコミってこうか。そんで忍が、せやせやとか言って、俺がアンタしっかりしいやとか返すやつ。忍は「あははは! 知ってる」と真っ白い歯を見せた。成り立った。楽しいな漫才。
「そんで内田くんは、その足で決勝戦のコートに立てるんかいな」
 ニチセイのキャプテンは、ジョージの背にいるチビに問う。内田は鋭い目つきを向けた。
「立てます」
 背負われている状態だから説得力が皆無である。だがコート上の万葉を見下ろして、この負けず嫌いな、内田組の若の呼ばれる小さな後輩は述べた。
「諦めたくないんです。ここで逃げたら、やつらの思うつぼじゃないですか。コートに立ってさえいれば、選手と見なしてもらえますよね。それなら杖をついてでも出場します。ここまで来て人数不足で失格だなんて、しかもその原因が自分のケガだなんて、やりきれねえんですよ」
 ニチセイの皆が力強く頷いて見せる。下のコートにて、かもめで試合が再開した。
「トレープレフ」
 ジョンの下品な声が言う。かもめの主人公の名前である。話を逸らすかと思ったのに、逆に掘り下げたから意外だった。好きな作品なのだろうか。物語の背景を挙げていく専門的なラリーが続いた。トレープレフは、作家志望の青年だ。女優志望の恋人がいて、母は大女優で、エトセトラ、エトセトラ。知識も技術もまるで互角のように思えたが、打ち方が違う。万葉の力強く速い真っ直ぐな球と、唄唄いの軽やかに舞うカーブのきつい球が激しく交わう。すげえ、とつい口に出して、長い息を吐いた。会場に入ってからずっと試合に目を奪われていたので、今さらになって客席を見渡した。それで気づく。キラキラハーフ集団が見当たらないのだ。
「なあ忍、ミカエルたちがどこに行ったか知ってるか?」
 聞いてみると寝癖の忍者は、ああ、と今気づいたような大声をあげて良い笑みで言った。
「行き先はようわからんけど、聖コトバの全員が血相変えて走っていくところやったら見かけましたがな。滅多に走らん子たちやから、ホンッマ驚愕モンやったで!」
「なあ、それ、俺たちの見舞いに向かってくれてたんじゃね?」
 笑顔のまま目をぱちくりする忍。コート上では順調にラリーが続いている。不意に、背後の席でグレゴリオ聖歌が重厚に鳴り響いたので、何事かと振り向いた。
「竹谷! 今のお前か、マナーモードは!」
「あ、これねぇー、ヨシュアさんの指定着信音ですから☆」
 スマートフォンを掲げて、パッツン前髪はつぶらな瞳を輝かせた。お、おう。謝罪は?
「って、え。ヨシュアだと。昨日は決闘とか言ってなかったか」
「いつの間に仲良くなったんだぜ」
 速見も唖然として口を挟む。まあケンカの末に友情が芽生えるのは、よくある話だがな。歌仙にしては身長高めの傍若無人少年が、電話に出て楽しげに答える。
「はいユグです。わわわ、全員無事ですから! 大丈夫ですから、叫ばないでください! 今はもう三位決定戦を見てますから。はい。もう保健室には誰もいませんから。行き違いになってますから。え? はい。はい、わかりました。伝えておきますから。はーい。では後ほどー」
 よいしょ、と画面をタッチし真剣な顔になる。
「皆さん、心して聞いてください。今から告げるのは、僕が、この僕がヨシュアさんから預かった大事な言葉ですから。四つありますから」
 ヨシュアの真似のつもりなのか、竹谷はむりに低い声を作って預言を告げた。
「まず。新古今高校の皆が無事で安心した。それと。すぐ会いに行きたいところだが万葉高校に遭遇したくないので、すまないが戦いが終わるまで俺たちはホールで待機しておく。それと。だが決勝戦は必ず見に行くぞ。それと。ああ頼んだ竹谷、以上のことを伝えておいてくれ!」
 最後の、伝言じゃねえ。下のコートではまだラリーが続いていた。同じ話題のまま長時間ねばっている。かもめのあらすじを言い切りそうな勢いだ。ついに三十分の経過を示す小太鼓が打ち鳴らされる。審判は例のおじいちゃん、竹谷会長だった。彼は演奏がとてもうまいのか、ポポンがこれまでになく良い音に聞こえた。人選のために試合がとまる。プラスチックカラーの少年がタップダンスを披露しながら、愉快そうにリズムを紡ぐ。
「万葉さんのキャプテンは、かもめのファンであるようだ。ジョンくん、君はもしかして、自分に重ねて読んだのかい。トレープレフの孤独とエゴは、」
「あああうるせえうるせえうるせえ! こっちは人選に忙しいんだよ!」
 ジョンが眉間に深い皺を寄せ、力任せに怒鳴った。蛍光ピンクの髪を揺らして、印象の薄い少年はとめられたリズムを再開する。
「トレープレフの孤独とエゴは、君に似ている気がするよ」
「どうしても黙れないようだな」
 菩菩が低く広がる声で告げた。彫りの深い顔に影が落ちる。ならば力づくで、と続きそうな凄みがあった。紫色のオーラがピエロを包む。
「おっとっ、とっととと、とてちてた、たたた」
 壊れたラジオのようになり、少年は一瞬だけ歌い方を忘れた。それから立ち位置を確認するように跳ね、焦りを上手にもみ消した。
「失礼、失礼。確かに君らは忙しそうだ。九人だけの僕らと違って二十六人も部員がいれば、たくさん悩んでしまうよね。決定までは、黙って待つさ」
 歌うようなリズムで流れる淡い声は、敵の神経を逆なでするのに充分だった。本人に挑発する気はまるでない。ただ彼は思ったことを、空中の見えない五線譜へきれいに並べるだけなのだ。それはたぶん本名さんの自己防衛で、楽に息をする方法に他ならない。ジョンと菩菩ともう一人がコートに残り、取り巻きのチンピラは三人変わった。点数は二対二でとまっている。
「うっとうしいんだよ。てめえのやることなすこと、全部がむかつくんだよ」
 ジョンがわめいて歯ぎしりをする。急に忍が客席で、あっと目を丸くして笑った。
「今の! あれと全く同じセリフ、ワイも万葉と練習試合した時に言われたで。ホンッマ山田くんは、悪口がワンパターンでんがな、あははは!」
 なあ仲花、言われたよな、と忍は続け、李さんもハイッと元気よく答えた。やつらの辞書に傷心の二文字はなさそうである。バックセンターに立っている色鮮やかな少年は、顔を隠すようにうつむいて、何も言わずにタタンと跳ねた。虹色の靴が目に眩しい。白い排球が唄唄い側のコートで上がる。どこか哀愁漂う雰囲気で、
「自殺」
 とピエロは打った。主人公のトレープレフは、思い通りにいかない人生に疲れたのか、最後は銃で自分を撃ってしまうのだ。撃つ姿自体は描写されない。爆発音が響き、なんの音だろうかと確認しに行った際に、周囲は彼の死亡を知るのだ。
「恐るべき子供たち」
 バックライトから菩菩が返した。話題の大きな飛躍だった。同じく銃による自殺で終わる、報われない物語のタイトルだ。かもめを掘り下げ続ける雰囲気だったのに、ここで作品を変えてくるとは。しかし唄唄いはひるまなかった。
「ジャン=コクトー」
 フロントレフトが作者名を言い素早く打つ。二校の戦いは、コクトーの関わった文学運動名でラリーが続いた。シュルレアリスム、ダダイズム。
「本当に互角だな。唄唄いは一年間で、あんなに成長したのか」
 ヒイロが神妙に呟いた。壁に針だけが打ち付けてある大きな時計を仰ぎ見て、
「おう、あと二十分で試合終了なんだぜ。どうなっちまうんだぜ」
 速見が眉をひそめた。ソウルが袋詰め大福餅をもりもり頬張りながら穏やかに言う。
「うん、先が読めないよな。どっちが三位になるんだろう。んーおいしい」
 んーおいしいじゃねえよ! 今の部分がセリフのメインになったじゃねえかよ! いつの間に大福セットを手に入れたんだか。病み上がりとは思えない食べっぷりで逆に心配である。大勢の片隅では、歌仙の竹谷がベンチに三角座りで、今だにスマートフォンを握って忙しなく指を動かしていた。内田がジョージの背から降りて、尻を滑らせて近づき訝しげに覗き込んだ。
「竹谷、ずっと何してるの。まさかゲームじゃないよね」
 それを聞いたキリと美々実さんが子供っぽく目をつり上げ、同時に大きな声を出す。
「こんな大事な時にゲームしちゃだめだよ!」
「わわわ、誤解ですから。僕は今、大事な役目を果たしてる真っ最中なんですからね。ジャン=コクトーに話が飛んだなう。送信」
 天高く弧を描いて、ダダイストという声と共に白い排球が万葉側へ飛んでいく。
「あっ、また変わっちゃった。ダダイストなう、送信」
 パッツン前髪の少年はせかせかと画面を叩いている。
「たはは、ユグちゃん忙しそうっすな。どしたの。SNS実況でもしてんの」
 ジョージがひょろ長い体を揺らして、立ったまま上から覗き込んだ。竹谷は、いかにも電子機器好きが持ちそうなシアンとイエローの配色をした文明の利器を掲げ、得意気に胸を張る。
「違うから。これ全部ヨシュアさん宛だから。試合の状況はどうだって聞かれたから、僕が分刻みで現状を伝えてあげてるの! 僕は忙しいんですから。えっへん」
 災難だなヨシュア。竹谷ユグドラシルに何か尋ねてしまうと、一方的なマシンガントークに散々時間を奪われてしまうのだ。それこそ一に対して百が返ってくる勢いで、相槌が返ってこなくても勝手に語り続ける。この悪癖は言うまでもなく、あの竹谷史郎会長──彼のおじいちゃん譲りだ。文面でもそうだとは知らなかったが。
 ダダイズムという運動に影響を受けた作家群が、ダダイストと呼ばれている。第一次世界大戦に対する抵抗や、それによってもたらされた虚無を根底に持つ文学運動の一つだ。この世の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊。
「中原中也」
 万葉は激しいスパイクで打ち返した。彼もまたダダイストの一人。それにしても、ここで日本文学に展開するとは恐ろしい技量である。去年の全国一位はダテじゃない。だが唄唄いのバックレフトが、なんとそれよりも遥かに上を行く返しをした。
「津島修治」
 ボールがカーブして飛んでいく。これは太宰治の本名だ。中也と同時代に生きた作家、というだけではない。中原中也と太宰治は不仲なことで有名なのだ。
「ゲッ、日本文学苦手じゃねえのかよ」
 山田ジョンが顔を歪めた。まるでサーカス団のような唄唄いの連中は、確かに日本文学に疎そうな印象ではある。特にピエロは外国かぶれだ。しかし彼は不敵に笑う。
「見た目で決めると痛い目に合う。何事もね」
 蛍光ピンクの少年は宙返りを一つした。万葉のバックセンターが鋭い球を返す。
「斜陽」
 太宰の有名な著作。それをピエロが受け止めたのと、四十五分経過の小太鼓が鳴ったのが同時だった。両チームとも、最後の十五分を託すメンバーを選び始める。
 メンバーチェンジなう、送信、とまたもや竹谷は発信した。
「お前なあ。迷惑になるからほどほどにしろよ」
 声をかけると、画面を凝視したままこう言い返しやがった。目を見て話せ。
「いいえ、全く迷惑じゃないですから。むしろ、暇してるからありがたいって返信が来てますから。僕のメール、聖コトバの全員で見てくれてますからね」
「まじかよ。そこまで気になるなら、あいつらもう見に来ればいいのに」
 ふええーと内田が嫌そうに真ん丸い目で見上げてきた。
「来られたら面倒なことになるじゃないですかあ」
 ソウルの大福餅を一つ物色しながら、やつは高い地声で続ける。
「だって三回戦のときに、二度と僕たちの前に現れないでくださいってミカエルさんが万葉に宣言しちゃったじゃないですか。なのに客席にいたら、またジョンさんがうるさくなりますよ。がはははー、現れるなって言っときながら、てめえらから先に現れてんじゃねえかよ、とか言うに決まってます。ふええ、ヤですねっ」
 声と表情は内田のままで、口調しか似せなかった点があざとい。
「決ーまった?」
 花いちもんめのようにピエロが相手チームに聞く。話しかけんなよ、とジョンはまた声を荒げた。再びコート内に六人ずつ並ぶ。万葉は二十六人も部員がいるのに、コートに立つメンバーは限られていた。強いやつだけが活躍を許されるようだ。山田ジョンと堀田菩菩は最後まで外野に行くことはなかった。
「斜陽」
 菩菩が遅い声でゆるやかなサーブを打つ。白い排球がネットに軽く触れて、唄唄い側へ傾いた。やつらと練習試合をした時の、最後の一点と同じ光景である。客席から見ると、角度も速度も緻密に計算された攻撃だとわかった。つまり、あのときの一点は、偶然じゃなかった。しかしその手口すら予想の範疇であったかのように、唄唄いは傾いたボールをつつき返した。
「人間失格」
 コロン、と軸がブレて、排球は万葉側の床を叩く。えっ、とアリーナ中で叫ばれた。紫色の集団が、壊れたように叫び出してネットを掴む。まるで、檻の向こうだ。
「三対二。勝者、唄唄い高校」
 会長の吹く尺八は、よく響く朗々とした良い音だった。その音色が広がり、壁に浸透してから、客席では気がついたように歓声があがった。唄唄いバンザイと人々が賛美する。血が滲むほどに唇を噛んで、ジョンが呻いた。
「なん、で、だよ」
 ピエロは飄々と、口笛を吹くかのように答える。
「あいにくだけど、今の攻撃は読めていた。君らのことを事前に調べていただけさ。とにもかくにも試合は終わった。お疲れさまの握手をしよう」
 仲間の手の平を借り、軽やかにネットを飛び越えて、ピエロは腕を伸ばす。
「ふざけんなよ!」
 第一アリーナ全体に響くほどの音をたてて、万葉高校のキャプテンは彼の手を強く弾いた。よろめいて、賑やか色の少年は目を見張る。
「四位だと無意味じゃねえか。なんのために、卑怯な手え使ったと思ってんだよ」
 悲鳴のように叫び、ジョンは両の拳を震わせた。卑怯の自覚はあったらしい。
「なんのためだい。知らないよ」
 ピエロは肩をすくめる。途端に万葉の顔は、わめきちらしながら敵に飛びかかった。
「くたばれよ、てめえなんか、日生大志望でもねえくせに!」
 蛍光ピンクの少年はバク転で殴りを避ける。ジョンは、勢い余って倒れこむ。ちくしょう、と何度も嘆いて彼は薄茶色の床を乱暴に殴り続けた。
「そういうことだったか」
 ヒイロが小さく呟き、速見が即座に、
「どういうことなんだぜ」
 と返す。我らのヒーローは舌打ちをしてから、淡々と説明した。
「文芸バレーボールの全国大会で、三位以内に入ったチームの部員は、その年にある日本再生大学の入試で優遇されるんだ。特に、キャプテンと副キャプテンはな」
 まじすか、とジョージが食いついた。ヒイロはため息をつき、床にすがりつくガタイのいい男を見下ろす。軽蔑そのものの目をしていた。
「ああ。日生大志望じゃねえと、無関係な話だがな」
 あのいけすかない万葉のキャプテンも、日生大のエリートを目指していたのだ。
「ふええっ、じゃあ僕、そんな個人的な理由で大ケガさせられたんですかっ」
 内田が頬を膨らませて、まだ動く右足だけをぱたぱたさせた。
 俺は床にうずくまる山田ジョンを見て、無性に虚しくなった。日本再生大学は超難関だ。優遇でもされない限り、そう簡単には受かれない。そこに合格さえできれば、人生の成功が約束されたも同然である。だから、どうしても上位三チームに入りたかったという気持ちは理解できた。だとしても、その目的のためだけに、やつはどれだけの信頼を捨てたのだろう。そこまでして抜け出したい程、今が苦しいのか。そういえば「家庭が酷い」と、やつの幼なじみが。
「あいつら、優遇どころか停学にされるだろ。あれだけ騒ぎ起こしといて」
 呆れて言うと、バカだよな、とソウルが苦笑いで同意してくれた。
「ほんと、四位になってくれてよかったっすわ」
 ジョージのその言葉とほぼ同時に、
「三位だ」
 菩菩の野太い声がドゥーンと響いてきた。
「なぜなんだぜ!」
 速見が日生大ごと揺らすような大声を出す。万葉の太いサーバーは、肉厚な首で客席を見回して俺たちを見つけると、わざとらしく指を差してきた。
「あのチビはもう戦えまい」
 小さな後輩は縮こまる。感情のまるで読めない無表情で、菩菩は告げた。
「やつらが棄権すれば、俺たちは繰り上げで三位だ」
 ジョンが途端に元気になって立ち上がる。コートから俺たちを見上げて叫ぶ。
「がははは、だよな! てめえらは棄権してくれるよな。やい棄権しろよ。ていうか、するしかねえよな。そのケガだもんなあ、出場なんかむりに決まってんじゃねえかよ! がーっはっはっは、ざまあみそしるー、だ!」
 眉間に皺を寄せて、ヒイロが目立つ舌打ちをする。ジョージもついに笑顔をやめた。
「だめだ。バカすぎてもう言葉でねえっすわ」
 俺は下にいる真性のバカへ勝気に言い返す。
「なめんじゃねえ。根性見せるぜ」
「強がってやんのー!」
 腹を抱えて山田ジョンは笑いだした。もう相手をするだけ無駄だ。三位、三位、と勘違いの順位を笑えるくらいに連呼しながら、バカはコートから出て行った。万葉の部員も、優遇か、優遇だな、と笑顔で言い交わしながらそれに続く。ピエロは万葉高校に勝てたことが相当嬉しかったようで、声は上げずに、連続で宙返りをして全身で喜びを表していた。まるで流れ星のように、プラスチックカラーの選手たちは軽やかな足取りで会場を後にする。どちらのチームも嬉しそうで、一見美しい光景だが、どうしても万葉高校は許せない。内田の左足首を見て、再び怒りがこみ上げてきた。あいつらがした様々な悪事は、目的のためだったという一言で片付けられるものではない。俺たちが棄権して、三位をプレゼントしてやるような義理もない。
 おのれ万葉、正義が勝つことを思い知れ!
 全員が去った後の静けさを隠すように、放送がすぐさま入る。これこそが、第二回高校文芸バレーボール部全国大会を締めくくる試合だ。最後の呼び出しを読み上げたのは、耳に馴染みのある古井先生のダンディな声だった。
「日本再生大学付属高等学校と新古今高等学校は、五分後にコートへ集合してください。決勝戦を行います。繰り返します。日本再生大学付属高等学校と新古今高等学校は、五分後にコートへ集合してください。決勝戦を行います」
 隣でニチセイの十三人が立ち上がる。歌仙のぴよぴよたちが、どちらを応援するかで少しもめていた。美々実さんと欅平さんは俺たちを暖かく見守ってくれている。
「いけるかアトム」
 ソウルが心配そうに尋ねた。内田は当然のように答える。
「いけます」
 痛み止めとテーピングのおかげでなんとか立つ。こんなにも負傷者だらけで、勝てる保証なんてどこにもなかった。それでも、俺たちは前を向く。
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