10 / 23
第六章 羽ばたきの数
「いつもそう言われるけどね」前編
しおりを挟む
今日一日の出来事を頭の中で整理したくて、自然公園をぐるりと取り囲む散歩コースを少しだけ歩くことにした。文バレ部員は一人の時間を大事にする性格の者が多い。寄り道してから戻る、と唐突に言っても理解が深く、誰も言及せず「行ってらっしゃい」と返してくれた。夕焼けが、木々の合い間から見えているのが珍しい。そんなものが珍しいなんて悲しい。何世代か前に生まれたかったと、町中のネオンを思い出して空を仰ぐ。
やあ、と声がかかったのはその時だった。振り向くと、朝一番にも見かけた唄唄い高校のやつがいた。だが朝と格好が違う。朝はブリキの兵隊のように銀で揃えていて、そうだ、思い返せばあの無表情も冷たい対応も、滑って去る動きもブリキの兵隊っぽかった。今は噂に聞いた黒ずくめでもなく、去年の全身黄色とも違った。蛍光ピンクの髪に、プリンターインクのマゼンタとシアンでグラデーションしたような目に痛い服。靴は虹色だ。突然の気さくな声かけに俺がたじろいでいると、彼は口角を上げ、歌うようにこう言った。
「朝はごめんよ。あの人は、なかなか冷たい性格で、よくない態度をとったよね。役を貫くべきなのか、少し迷って貫いた。だけど後からしまったと思って謝ることにした。冷たい態度をとってごめん。本人を連れてきたかったけど、あいにく今はこの格好」
こいつ、何を言っている。役? あの人って、お前自身だろ? 自分のことをあの人なんて他人行儀に呼ぶやつを初めて見た。それとも、まさか本当に別人か。
「ええと、三つ子とか?」
顔をしかめて尋ねると、そいつはアハッと愉快そうに目を見開いた。軽くステップを踏む。少年の顔は整っているが、これといった特徴がない。右手に大きなロリポップを持っている。たぶん苺ミルク。彼はずっと笑顔で、トークショーのように軽快に語り出した。
「それは違うよ、ぜんぶ僕。いつでも演技をしてるんだ。これも勉強の一環さ。僕ら唄唄い高校は、芸能専修なのだから。そうは言っても日頃から誰かを演じているなんて、いくらこちらの生徒でもかなり特殊ならしいけど。変人揃いのわが校の、さらに異端がこの僕さ。演じる役のパターンに、それぞれ名前があるんだよ。朝に出会った彼はブリキ。この格好ならピエロだよ。そうだ、噂になっていた偵察員の僕はカラスだ。ちなみに去年の大会で、君は僕らを見かけたかい?(ここで俺が頷くと声色を変え)ヒュウ! この俺コードを知ってるたあ嬉しいぜ」
言い切ると彼─今の格好ならピエロか─は照れたようにはにかんだ。
「本名は?」
つい尋ねると、彼は少し悲しそうに首を傾げた。
「いつもそう言われるけどね」タタン、とかかとを鳴らす。「本名ってそんなに重要?」
それからまた、困るか照れたかしたような、不器用なはにかみを見せた。ペラペラ語っていたときの道化師的な笑みとは違う。もしかして演技をしていない時の彼は、打って変わって大人しい子なのかもしれないと感じた。最後はとてつもなく上手な作り笑いで、うたのお兄さんみたいに手を振って仮称ピエロは立ち去った。
ホテル・ココぺリに戻ると、ロビーの大きなテレビで今日の試合が放映されていた。すごい人だかりができている。ちょうどニチセイとホトケノザの例の瞬殺試合で、パステルカラーの体操服を着た女子たちがふわふわと肩を落としていた。
「これ、このあとですよう、すぐ倒されちゃうんです私たち」
その試合をリアルタイムで見ていた人たちが、そうそう、と朗らかに笑った。
「小野ちゃん、こっちなんだぜ」
大衆の中から速見が手招きしている。すみません、と人垣の隙間をぬって近づく。
「おー。他のやつらは?」
「部屋のテレビでも同じものが見れるからよ、そっちにいるんだぜ。でもオイラは、こうゆうダイ迫力のダイ画面で見るのがダイ醐味と思うわけよ! へへ、韻を踏んでやったぜ」
「ひとつ漢字違う」
「そうゆう細かいとこは目をつむってほしいんだぜ」
画面は次の試合を映した。それは、唄唄い高校と方丈高校による二回戦だった。
「あーっ、見た見た。引き分けになるんだよね、これ」
誰かが言い「バッカ! まだ見てない人もいるのに!」と小声の叱責が飛んだ。
「ギャアアそうだったヒイエェごめんなさいまじでごめんなさいウッワアーッ皆さんごめんなさい、いやでも結末が分かっていても面白いのはその過程であり、そう、過程でありっ」
誰かじゃなく、知ってる人だった。訳須所高校のキャプテンさんだった。
「引き分けの時って、どうなるんだっけか」
速見が独り言のふりをして尋ねてきた。
「じゃあ唄唄いも方丈も、三回戦進出ってことか」
独り言のふりをして答えた。引き分けの時はどちらも次のステージに進出するのだ。速見がナイスタイミングというふうに、下げた手でこっそり親指を立てたのが見えた。
画面の中のピエロは「ピエロ」の格好だった。唄唄い高校の選手は全部で九人。全員揃いのシャツを着ているが、それ以外はバラバラだ。黒人の血を引いている感じの、エスニックな雰囲気の女子は白髪で、バレエシューズを履いている。イギリス人っぽい緑の目の男は、スマイルマークのニット帽にジャージ。頭にタオルを巻いているアジア人。ホットパンツの快活そうな女子。コメディアン顔の日系男子。どいつもこいつも個性が強い。
対して、相手の方丈高校は実に地味だ。俺たち新古今高校の体操服も相当地味だが、俺たちの青色をもう少し濃くすると、もうそのまま方丈高校の体操服。なのでよく間違われる。方丈高校ですか、は去年も今年も結構言われた。主に日本再生協会の会員方から。あっちはあっちで、新古今高校ですかって絶対言われてると思う。なお実力まで似てる。方丈と唄唄いが引き分けになってくれたのは良かった。どちらとも戦ってみたい。二校とも三回戦に上がってきてくれた。次に当たるかもしれないと思うと、わくわくする。
画面の中で試合が始まった。ちょうど俺たちが別のアリーナで戦っていた時間。運悪くリアルタイムでは見られなかった試合。やっと見られる。引き分けということは、同点のまま一時間に達したということだ。究極に互角でないとありえない。
ピエロがトスを上げた。しなやかなフォームだ。そして彼は、変わった出題をした。
「こ・そ・あ・ど」
ロビーの、初見らしい者は皆ざわついた。唄唄い高校は文法に強いのだろうか。こそあど、いわゆる「この」「その」「あの」「どの」のこと。画面を見守る集団の中に、方丈高校の連中がいることに気づいた。固唾をのんで画面に見入っている。彼らにとって、今から流れるものは負けた試合じゃない。でも勝った試合でもないのだ。
方丈高校は、話を変える才に長けている。初っ端からのこそあどという出題で、文法に強い校だと判断したのだろう。彼らはニンマリとして、巧みに話題を逸らした。
「こそあどの森」
その返しにロビーはさらにざわついた。児童文学者の岡田淳の著作である全十二巻の大作、こそあどの森シリーズ。こそあどの森という架空の森を舞台にいつも素敵な不思議が起こる。
不意にスマホがメールを受信した。ジョージからだ。
《マトペさん!まだ自然?公園? 部屋戻っ!てきて 試合・テレビ 俺めっちゃこそあどの森好きなんすけど今まさになう それにまとぺさん唄うたいの戦い方気にされぞい》
焦って打った感がすごい。今まさになうとかいう造語が出来てる。ぞい?
《今ロビーで見てる》
返信を見てええーと言う顔が浮かぶようで少し笑ってしまった。ジョージは意外と児童文学や絵本が好きだ。やつは子守りのバイトをしているので、自然と詳しくなったという部分も大きいのかもしれないが。俺も児童文学は好きなので、読んだ本が頻繁にかぶる。また返信。
《マトペさんも岡田淳先生すきでしたよね! 同士様助けてw部屋戻ってw こそあどの森語りたい今まさになう。試合に集中したいから黙れってみんなに言われる;; 》
《いや、俺だって今は試合に集中したいから。後日。》
《語りたい!今まさになう!》
《お前もう今まさになう言いたいだけのやつやん》
《つら》
唄唄いの、バレエシューズの黒人少女が「ワオ、そうくる?」と洒落た物言いで片眉を下げてボールを迎えた。焦った風だったのに、返した言葉は余裕の見える選択だった。
「ポアポアの実」
こそあどの森シリーズ第一巻「ポアポアの実の料理法」に登場する、その架空の実。こうゆう作品独特のワードを出されると、試合は掘り下げる方向にしか進めない。方丈高校はたじろいだ。「文法で来たので逸らした。逸らした結果さらに掘り下げてきた。なぜだ、まさか文法よりも児童文学が得意だったのか、我々は逸らす方向を間違えたか、ならばもう一度逸らすべきか、何が苦手分野か……」そんな葛藤が画面越しでも分かる。
「スキッパー」
方丈高校のバックセンターが、主人公の名を言いトスを上げた。スキッパーは、寡黙で大人しい、読書が好きな少年だ。彼は人と話すのが好きじゃない。第一巻では。
「ウニマル」
ピエロが楽しそうに打った。スキッパーが住んでいる家が、ウニマルと呼ばれている。まるで森に浮く船のような形なのだ。こそあどの森の住人は皆、一風変わった家に住んでいる。木の上の屋根裏部屋や、湯わかしポットの形の家、ガラスびんの家。俺は小学生の頃に読んだのだが、ソウルと一緒に、こそあどの森に住むならどこで、どんな家で、と延々空想したものだ。その空想は未だに心の奥底では続いている。本を開くと、いつだってその世界へ遊びに行ける。もう口にすることはめったにないが、確かに続いている。児童文学ってそうゆうものだと思う。心の奥底に、子供心を残すというか。それはきっと、とても大切なこと。
ウニマルと続いた出題に対して、方丈高校が「ホタルギツネ」と返した。
ホタルギツネ。尻尾がホタルのように光る、人語を話すキツネで、とても重要な登場人物─人物ではないがそう言いたくなる─だ。
「はじまりの樹の神話」
というのが、そのホタルギツネが大いに活躍する第六巻のタイトル。
唄唄い高校は掘り下げていく姿勢をやめない。ピエロが口角を片方あげて品よく微笑んだ。映像なのでタイミングよく顔アップ。そういえばこんな顔だった、と先ほど会ったばかりなのに感じた。薄い顔というわけでもないのに、こうも記憶に残らない。不思議だ。
「ハシバミ」
そう返したのは、方丈高校のバックセンターだった。はじまりの樹の神話で登場する、時空を超えて森へやってきた少女の名前。へえ、とピエロが呟いた。
この試合は引き分けで終わると聞いた。聖コトバとの聖書戦の思い出もあるので、感覚的に二対二で一時間経つのだと思い込んでいたが、もしやこれは、零対零で最後まで粘る流れか。
ここで十五分経過の尺八が鳴り、双方手を止めた。三分間の猶予で、選手入れ替えが行われる。モニター画面が暗転し、長いテロップが流れた。竹谷会長が考えた文っぽい。
【当試合は一時間に及ぶ長期戦となり、引き分けで終わりました。最後までお見せしたいところですが、出来るだけたくさんの校を映したいので、ここまでとさせていただきます。続きがどうしても気になる方は、各部屋に設置されているテレビ(デフォルトではロビーのものと同じ映像が映ります)のメニュー画面を開いて校名を選択し……~中略~次は歌仙高校と聖コトバ学院の試合を上映します】
確かにその方が効率がいい。ロビーにいた大勢がざわつき、三分の一は場を後にした。
「うしっ。オイラたちも部屋に戻ろうぜ。鳩とひよこ戦は現場で見たしよ」
速見が走り出すようなポーズをとりつつ言う。ホテルのロビーという場なので実際に走り出しはしない。うしっ、と俺も同じポーズをとってから、二人とも歩き出した。
やあ、と声がかかったのはその時だった。振り向くと、朝一番にも見かけた唄唄い高校のやつがいた。だが朝と格好が違う。朝はブリキの兵隊のように銀で揃えていて、そうだ、思い返せばあの無表情も冷たい対応も、滑って去る動きもブリキの兵隊っぽかった。今は噂に聞いた黒ずくめでもなく、去年の全身黄色とも違った。蛍光ピンクの髪に、プリンターインクのマゼンタとシアンでグラデーションしたような目に痛い服。靴は虹色だ。突然の気さくな声かけに俺がたじろいでいると、彼は口角を上げ、歌うようにこう言った。
「朝はごめんよ。あの人は、なかなか冷たい性格で、よくない態度をとったよね。役を貫くべきなのか、少し迷って貫いた。だけど後からしまったと思って謝ることにした。冷たい態度をとってごめん。本人を連れてきたかったけど、あいにく今はこの格好」
こいつ、何を言っている。役? あの人って、お前自身だろ? 自分のことをあの人なんて他人行儀に呼ぶやつを初めて見た。それとも、まさか本当に別人か。
「ええと、三つ子とか?」
顔をしかめて尋ねると、そいつはアハッと愉快そうに目を見開いた。軽くステップを踏む。少年の顔は整っているが、これといった特徴がない。右手に大きなロリポップを持っている。たぶん苺ミルク。彼はずっと笑顔で、トークショーのように軽快に語り出した。
「それは違うよ、ぜんぶ僕。いつでも演技をしてるんだ。これも勉強の一環さ。僕ら唄唄い高校は、芸能専修なのだから。そうは言っても日頃から誰かを演じているなんて、いくらこちらの生徒でもかなり特殊ならしいけど。変人揃いのわが校の、さらに異端がこの僕さ。演じる役のパターンに、それぞれ名前があるんだよ。朝に出会った彼はブリキ。この格好ならピエロだよ。そうだ、噂になっていた偵察員の僕はカラスだ。ちなみに去年の大会で、君は僕らを見かけたかい?(ここで俺が頷くと声色を変え)ヒュウ! この俺コードを知ってるたあ嬉しいぜ」
言い切ると彼─今の格好ならピエロか─は照れたようにはにかんだ。
「本名は?」
つい尋ねると、彼は少し悲しそうに首を傾げた。
「いつもそう言われるけどね」タタン、とかかとを鳴らす。「本名ってそんなに重要?」
それからまた、困るか照れたかしたような、不器用なはにかみを見せた。ペラペラ語っていたときの道化師的な笑みとは違う。もしかして演技をしていない時の彼は、打って変わって大人しい子なのかもしれないと感じた。最後はとてつもなく上手な作り笑いで、うたのお兄さんみたいに手を振って仮称ピエロは立ち去った。
ホテル・ココぺリに戻ると、ロビーの大きなテレビで今日の試合が放映されていた。すごい人だかりができている。ちょうどニチセイとホトケノザの例の瞬殺試合で、パステルカラーの体操服を着た女子たちがふわふわと肩を落としていた。
「これ、このあとですよう、すぐ倒されちゃうんです私たち」
その試合をリアルタイムで見ていた人たちが、そうそう、と朗らかに笑った。
「小野ちゃん、こっちなんだぜ」
大衆の中から速見が手招きしている。すみません、と人垣の隙間をぬって近づく。
「おー。他のやつらは?」
「部屋のテレビでも同じものが見れるからよ、そっちにいるんだぜ。でもオイラは、こうゆうダイ迫力のダイ画面で見るのがダイ醐味と思うわけよ! へへ、韻を踏んでやったぜ」
「ひとつ漢字違う」
「そうゆう細かいとこは目をつむってほしいんだぜ」
画面は次の試合を映した。それは、唄唄い高校と方丈高校による二回戦だった。
「あーっ、見た見た。引き分けになるんだよね、これ」
誰かが言い「バッカ! まだ見てない人もいるのに!」と小声の叱責が飛んだ。
「ギャアアそうだったヒイエェごめんなさいまじでごめんなさいウッワアーッ皆さんごめんなさい、いやでも結末が分かっていても面白いのはその過程であり、そう、過程でありっ」
誰かじゃなく、知ってる人だった。訳須所高校のキャプテンさんだった。
「引き分けの時って、どうなるんだっけか」
速見が独り言のふりをして尋ねてきた。
「じゃあ唄唄いも方丈も、三回戦進出ってことか」
独り言のふりをして答えた。引き分けの時はどちらも次のステージに進出するのだ。速見がナイスタイミングというふうに、下げた手でこっそり親指を立てたのが見えた。
画面の中のピエロは「ピエロ」の格好だった。唄唄い高校の選手は全部で九人。全員揃いのシャツを着ているが、それ以外はバラバラだ。黒人の血を引いている感じの、エスニックな雰囲気の女子は白髪で、バレエシューズを履いている。イギリス人っぽい緑の目の男は、スマイルマークのニット帽にジャージ。頭にタオルを巻いているアジア人。ホットパンツの快活そうな女子。コメディアン顔の日系男子。どいつもこいつも個性が強い。
対して、相手の方丈高校は実に地味だ。俺たち新古今高校の体操服も相当地味だが、俺たちの青色をもう少し濃くすると、もうそのまま方丈高校の体操服。なのでよく間違われる。方丈高校ですか、は去年も今年も結構言われた。主に日本再生協会の会員方から。あっちはあっちで、新古今高校ですかって絶対言われてると思う。なお実力まで似てる。方丈と唄唄いが引き分けになってくれたのは良かった。どちらとも戦ってみたい。二校とも三回戦に上がってきてくれた。次に当たるかもしれないと思うと、わくわくする。
画面の中で試合が始まった。ちょうど俺たちが別のアリーナで戦っていた時間。運悪くリアルタイムでは見られなかった試合。やっと見られる。引き分けということは、同点のまま一時間に達したということだ。究極に互角でないとありえない。
ピエロがトスを上げた。しなやかなフォームだ。そして彼は、変わった出題をした。
「こ・そ・あ・ど」
ロビーの、初見らしい者は皆ざわついた。唄唄い高校は文法に強いのだろうか。こそあど、いわゆる「この」「その」「あの」「どの」のこと。画面を見守る集団の中に、方丈高校の連中がいることに気づいた。固唾をのんで画面に見入っている。彼らにとって、今から流れるものは負けた試合じゃない。でも勝った試合でもないのだ。
方丈高校は、話を変える才に長けている。初っ端からのこそあどという出題で、文法に強い校だと判断したのだろう。彼らはニンマリとして、巧みに話題を逸らした。
「こそあどの森」
その返しにロビーはさらにざわついた。児童文学者の岡田淳の著作である全十二巻の大作、こそあどの森シリーズ。こそあどの森という架空の森を舞台にいつも素敵な不思議が起こる。
不意にスマホがメールを受信した。ジョージからだ。
《マトペさん!まだ自然?公園? 部屋戻っ!てきて 試合・テレビ 俺めっちゃこそあどの森好きなんすけど今まさになう それにまとぺさん唄うたいの戦い方気にされぞい》
焦って打った感がすごい。今まさになうとかいう造語が出来てる。ぞい?
《今ロビーで見てる》
返信を見てええーと言う顔が浮かぶようで少し笑ってしまった。ジョージは意外と児童文学や絵本が好きだ。やつは子守りのバイトをしているので、自然と詳しくなったという部分も大きいのかもしれないが。俺も児童文学は好きなので、読んだ本が頻繁にかぶる。また返信。
《マトペさんも岡田淳先生すきでしたよね! 同士様助けてw部屋戻ってw こそあどの森語りたい今まさになう。試合に集中したいから黙れってみんなに言われる;; 》
《いや、俺だって今は試合に集中したいから。後日。》
《語りたい!今まさになう!》
《お前もう今まさになう言いたいだけのやつやん》
《つら》
唄唄いの、バレエシューズの黒人少女が「ワオ、そうくる?」と洒落た物言いで片眉を下げてボールを迎えた。焦った風だったのに、返した言葉は余裕の見える選択だった。
「ポアポアの実」
こそあどの森シリーズ第一巻「ポアポアの実の料理法」に登場する、その架空の実。こうゆう作品独特のワードを出されると、試合は掘り下げる方向にしか進めない。方丈高校はたじろいだ。「文法で来たので逸らした。逸らした結果さらに掘り下げてきた。なぜだ、まさか文法よりも児童文学が得意だったのか、我々は逸らす方向を間違えたか、ならばもう一度逸らすべきか、何が苦手分野か……」そんな葛藤が画面越しでも分かる。
「スキッパー」
方丈高校のバックセンターが、主人公の名を言いトスを上げた。スキッパーは、寡黙で大人しい、読書が好きな少年だ。彼は人と話すのが好きじゃない。第一巻では。
「ウニマル」
ピエロが楽しそうに打った。スキッパーが住んでいる家が、ウニマルと呼ばれている。まるで森に浮く船のような形なのだ。こそあどの森の住人は皆、一風変わった家に住んでいる。木の上の屋根裏部屋や、湯わかしポットの形の家、ガラスびんの家。俺は小学生の頃に読んだのだが、ソウルと一緒に、こそあどの森に住むならどこで、どんな家で、と延々空想したものだ。その空想は未だに心の奥底では続いている。本を開くと、いつだってその世界へ遊びに行ける。もう口にすることはめったにないが、確かに続いている。児童文学ってそうゆうものだと思う。心の奥底に、子供心を残すというか。それはきっと、とても大切なこと。
ウニマルと続いた出題に対して、方丈高校が「ホタルギツネ」と返した。
ホタルギツネ。尻尾がホタルのように光る、人語を話すキツネで、とても重要な登場人物─人物ではないがそう言いたくなる─だ。
「はじまりの樹の神話」
というのが、そのホタルギツネが大いに活躍する第六巻のタイトル。
唄唄い高校は掘り下げていく姿勢をやめない。ピエロが口角を片方あげて品よく微笑んだ。映像なのでタイミングよく顔アップ。そういえばこんな顔だった、と先ほど会ったばかりなのに感じた。薄い顔というわけでもないのに、こうも記憶に残らない。不思議だ。
「ハシバミ」
そう返したのは、方丈高校のバックセンターだった。はじまりの樹の神話で登場する、時空を超えて森へやってきた少女の名前。へえ、とピエロが呟いた。
この試合は引き分けで終わると聞いた。聖コトバとの聖書戦の思い出もあるので、感覚的に二対二で一時間経つのだと思い込んでいたが、もしやこれは、零対零で最後まで粘る流れか。
ここで十五分経過の尺八が鳴り、双方手を止めた。三分間の猶予で、選手入れ替えが行われる。モニター画面が暗転し、長いテロップが流れた。竹谷会長が考えた文っぽい。
【当試合は一時間に及ぶ長期戦となり、引き分けで終わりました。最後までお見せしたいところですが、出来るだけたくさんの校を映したいので、ここまでとさせていただきます。続きがどうしても気になる方は、各部屋に設置されているテレビ(デフォルトではロビーのものと同じ映像が映ります)のメニュー画面を開いて校名を選択し……~中略~次は歌仙高校と聖コトバ学院の試合を上映します】
確かにその方が効率がいい。ロビーにいた大勢がざわつき、三分の一は場を後にした。
「うしっ。オイラたちも部屋に戻ろうぜ。鳩とひよこ戦は現場で見たしよ」
速見が走り出すようなポーズをとりつつ言う。ホテルのロビーという場なので実際に走り出しはしない。うしっ、と俺も同じポーズをとってから、二人とも歩き出した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
真夏の温泉物語
矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
文バレ!③
宇野片み緒
青春
近未来の新球技「文芸バレーボール」を描いた、
前代未聞のエンタメ小説!
順位が決定する、全国大会二日目。
3月中旬。小野マトペ達の引退試合でもある日。
全3巻の、最終巻です。
どうか最後まで見届けてください!
小題「★」は幕間のまんがコーナーです。
文/絵/デザイン他:宇野片み緒
※2020年に出した紙本(絶版)の電子版です。
Y/K Out Side Joker . コート上の海将
高嶋ソック
青春
ある年の全米オープン決勝戦の勝敗が決した。世界中の観戦者が、世界ランク3ケタ台の元日本人が起こした奇跡を目の当たりにし熱狂する。男の名前は影村義孝。ポーランドへ帰化した日本人のテニスプレーヤー。そんな彼の勝利を日本にある小さな中華料理屋でテレビ越しに杏露酒を飲みながら祝福する男がいた。彼が店主と昔の話をしていると、後ろの席から影村の母校の男子テニス部マネージャーと名乗る女子高生に声を掛けられる。影村が所属していた当初の男子テニス部の状況について教えてほしいと言われ、男は昔を語り始める。男子テニス部立直し直後に爆発的な進撃を見せた海生代高校。当時全国にいる天才の1人にして、現ATPプロ日本テニス連盟協会の主力筆頭である竹下と、全国の高校生プレーヤーから“海将”と呼ばれて恐れられた影村の話を...。
「風を切る打球」
ログ
青春
石井翔太は、田舎町の中学校に通う普通の少年。しかし、翔太には大きな夢があった。それは、甲子園でプレイすること。翔太は地元の野球チーム「風切りタイガース」に所属しているが、チームは弱小で、甲子園出場の夢は遠いものと思われていた。
ある日、新しいコーチがチームにやってきた。彼の名は佐藤先生。彼はかつてプロ野球選手として活躍していたが、怪我のために引退していた。佐藤先生は翔太の持つポテンシャルを見抜き、彼を特訓することに。日々の厳しい練習の中で、翔太は自分の限界を超えて成長していく。
夏の大会が近づき、風切りタイガースは予選を勝ち進む。そして、ついに甲子園の舞台に立つこととなった。翔太はチームを背負い、甲子園での勝利を目指す。
この物語は、夢を追い続ける少年の成長と、彼を支える仲間たちの絆を描いています。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
文バレ!①
宇野片み緒
青春
舞台は2100年代、日本。
国民の体力と学力の低下を何とかすべく、
とられた苦肉の策は新球技⁉
文芸に関するワードを叫びながら、
バレーボールをするって何だそれ?
文芸バレーボールに青春を掲げた、
高校生たちのスポーツコメディ、ここに開幕。
小題「★」は幕間のまんがコーナーです。
文/絵/デザイン他:宇野片み緒
※2017年に出した紙本(絶版)の電子版です。
High-/-Quality
hime
青春
「…俺は、もう棒高跳びはやりません。」
父の死という悲劇を乗り越え、失われた夢を取り戻すために―。
中学時代に中学生日本記録を樹立した天才少年は、直後の悲劇によってその未来へと蓋をしてしまう。
しかし、高校で新たな仲間たちと出会い、再び棒高跳びの世界へ飛び込む。
ライバルとの熾烈な戦いや、心の葛藤を乗り越え、彼は最高峰の舞台へと駆け上がる。感動と興奮が交錯する、青春の軌跡を描く物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる