文バレ!①

宇野片み緒

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第二章 ライバル校はキリシタン

「さっさと諦めておくんなせ」

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 天空からボールが降る。戦闘状況は二対一。局面は大ピンチだ。
「りんご、りんごだよな」
 迎撃体制で低く構える。
「りんごはやめろ」
 ヒイロが制した。
「だが他に返す言葉はッ」
「いや、ある」
「なん、だと」
 ずっと無表情だった副キャプテンが、少し顔をしかめた。
「気は進まないが、絶対に一点取れる言葉を、思いついた」
 なぜかものすごく嫌そうに呟いて、我らのヒーローは一歩下がる。どういうことだ。そこまで口にしたくない言葉なのか。
「おや、今さら何を仰いますか」
 聖コトバの三十人が、鳩が頭をひょこんとするように、一斉に同じ方向に首をかしげた。ヒイロは相変わらず秀才そうなオーラをまとって、
「アダムとイヴの返しは、」
 と万葉のジョンがやっていた脅し方を、本家よりも使いこなしてから、言い放った。
「セックス」
「せ、せ、せっくすだとおおお」
 俺たち新古今の裏返った声が響く。速いアタックが歪みなく飛んでいく。聖コトバの連中はバレーボールをゴールデンボールと見違えたように避け、あいた空間にそれは勢いよく落ちた。沈黙が流れる。天使もどきと仲間たちは、床の球から半径一メートル近く離れて立ち、まじまじと取り囲んでいる。ハーフらしい顔を痙攣させていた。
「二対二」
 古井先生が少し悩んでから尺八を吹いた。天使もどきが先生につっかかる。
「何を仰います審判。僕は認めません。こんな言葉を口にする恥を、新古今高校の生徒たちは知らないのですか。アダムとイヴの、人類最初の罪をよくも堂々と!」
 周りが、そうだと耳まで赤い顔で繰り返す。今の今まで穏やかだったのに人が変わったように慌てている。古井先生は白ひげをもごもごさせ、二三度、遅く頷いた。
「道徳的には、よろしくないと私も思うがね。不正解ではないので」
「いいえ、お言葉ですが審判! 聖書には、関係を持ったなどと遠回しに書かれております。こんな直接的な物言い、汚らわしいではありませんか。いけません。ああ神よ!」
 やっと合点がいった。聖コトバ学院は男女交際が禁止されている上に、キリストを神聖視している高校だ。下ネタへの耐性はほぼゼロに等しい。つまりヒイロはそれを見越して、この返しを選んだのだ。気が進まないと言ったのは、相手の弱みにつけこむ卑怯な作戦だからということか。さすがヒーロー、かっこいいぜ!
 だが今回ばかりは、逆襲しても許される域だろう。聖コトバがセックスボールに恐れおののいて拾おうとしないので、俺がコートを超えて取りに行った。
「よし、形勢逆転だな。ヒイロ、あとは任せた」
 球をパシッと渡すと、珍しく動揺の顔をされた。頼れる副キャプテンは、心なしか頬を赤らめて手の内のボールから目をそらす。
「二度も言いたくない」
 な、なんだと。まさかヒイロ。とぎれたワードから再開するルールのため、もう一度あの言葉でサーブを打つ必要がある。単純ルールのおかげで、誰がやってもいいわけだが、まさかヒイロ、下ネタがむりなのか。この戦いに勝つために、さっきは羞恥心を捨てて、がんばって言ってくれてたんだな。ヒイロ!
「すまない。あとは託す」
 謝られてしまった。ボールをそっと返されてしまった。あのヒイロが頼ってくれている。だが確かにこれは、いざ自分がやるとなると二度どころか一度も叫びたくない言葉だな。ごめん、考えなしで渡した俺が悪かった。たぶん完全な体育会系男子なら照れない場面なのだ。文バレ男子は半分は文系なのだ。ソウルが心配そうに見つめてくるので、投げる? と差し出したら首を振られた。目の前の速見の背を叩くと、振り向いてはくれたものの、
「もう十分、活躍させてもらったんだぜ」
 とやりきった顔でサムアップをされた。うまい言い訳なんだぜ。ここで一年生に押し付けるわけにはいかない。意を決して投げようとした手から、
「マトペさん、嫌なら俺が投げやしょうか」
 ボールがひょいと取り上げられた。赤髪の後輩が細長い体を揺らす。見上げるとジョージは肩をすくめた。返事を待たずに、笑顔で軽やかなサーブを打つ。
「はい、セーックス」
 あまりの潔さに、真夏のビーチが見えた気がした。やつは先輩である俺を見下ろし、貸し一つね、とブイサインをした。敵は慌てふためいている。また避けると向こうの負けだ。
「せっ、えっ、えっちー!」
 フロントライトの、きらっきら天使少年が真っ赤になって打ち返してきた。小学生か。文芸に関しているかも微妙である。ジョージが楽しげに大笑いして、脱力モードで排球を叩く。
「キスシーン」
 ぺすーん、とやつの性格を体現したような音を出して飛んでいった。聖コトバはもう並びもてんでバラバラで、コート内で交通事故ばかり起こしている。
「いけません、同じレベルに落ちてはなりません。僕たちはあくまで、気高い返しをするのです。さあ考えるのです。僕も考えています」
 天使もどきがその中心で必死に指揮を取っている。敵陣は皆して涙目で声を震わせた。
「しかし」
 外野の群衆も祈っている。制限時間に達するまで、あと五分だ。その時間内でどちらかが、一点を取って勝つしかない。バラバラの並びの中で異様な存在感を放っているラテン系が、
「許せ。他に思いつかない。ラブシーン!」
 ボールを上げ、それからガクガク震えだした。白いボールが高く宙を舞って戻ってくる。
「ヨシュア、なんということを仰ったのです!」
 長い金髪をなびかせて、天使もどきが声を荒げた。ヨシュア、本名か?
「だがミカエル!」
 本名か? 天を仰ぎ、ミカエルと呼ばれたキャプテンは、首を左右にゆっくり振った。敵は総員、泣きながら崩折れた。なんだ、この壮絶な光景。
「終われ」
 呆れてつい言うと、ジョージが了解と笑った。表情を真顔に、声色を低く変える。
「さっさと諦めておくんなせ」
 考える隙も与えないクイックレシーブで、
「ベッドシーン」
 白い風が空を切った。虚空を追って足をもつれさせ、敵は六人全員が重なり合って転け、その上に排球はぽてんと乗った。古井先生が、うむ、と咳払いをした。
「二対三。勝者、新古今高等学校」
 尺八が鳴る。俺たちの歓声が上がった。ちょうど一時間だった。
「オイラの前半の努力が報われたぜ」
 速見が額の汗をぬぐう。ジョージがやつにハイタッチをする。
「マイティさん、仇は取りやしたぜ」
 片手同士を打ち鳴らす清々しいものだった。聖コトバの連中は悔しげにのろのろ立ち上がっている。天使もどきがネットの下から腕を伸ばし、身長差を縮めるために腰を思いっきりかがめて微笑んできた。戦い方は卑怯だったが、負けても妬まない姿勢は気分がいい。背が高いやつは大抵この俺に対し、コートの上から手を出して、届くかなーなんてくだらないことをやり出すのだ。負け惜しみの時も、冗談半分の時もある。どっちにしろムカつく。
「お疲れ様でございました」
 と天使もどき。その手を取ろうとした。が、ヒイロが割り込み、敵のそれを叩き落とした。
「触れるな卑怯者」
 容赦ねえなヒーロー。冷たい目をして我らの副キャプテンは後ろを向く。
「反省しています」
 聖コトバのキャプテンは微笑まずに、懸命な様子でその背に声を張った。こうべを深く垂れている。眉尻を下げると、中性的な白人顔が余計に女みたいに見えた。
「負けて、ようやく気づいたのです」
 長い金髪が、さらりと頬に落ちる。
「昨年、全国大会で君たちに負けたことが悔しくて、つい卑怯なリベンジを致しました。許されない罪と言えましょう。だから神は今回、僕たちをお見捨てになられた」
 お許しください、とやつは手を前に出す。ヒイロはため息をつき、
「ち。謝るくらいなら初めからするなよ」
 その手を触れる程度に握った。

 長引く戦いになったせいで、最終下校時間を越していた。古井先生が顧問でなければ、途中で追い出されていたことだろう。彼は新古今高校の教頭先生でもある。警備ロボットのパスワードを知っているのは、校長と教頭だけだ。
「施錠時刻の設定を、変えておいたのだよ。さて、そろそろかね」


 
 警備ロボットKB-24ケービーツ―フォーが、普段よりもはるかに遅い今になって巡回を始めていた。たまご型の胴体にチューブの長い腕が付いていて、鮮やかな黄色の塗装に、ゆるキャラめいた顔を持っている。この時代ロボットは珍しいものではない。KBは特に量産型で、工場で働ける大型のタイプから家庭用の卓上タイプまで居てカラーバリエーションも豊富だ。校内に充電スポットがあり、電池残量が減ると、ちゃんと自分でそこに向かう。癒し系で新古今高校の人気者だ。量産された内の一台なのに、まるで唯一のものに思えてくる。
「よし、今日はコートはそのままでいい。聖コトバも、悪いが五分以内に校舎を出てくれ」
 早口に告げ、慌ててカバンをひっつかんだ。
「キャプテン、僕、着替えてから帰りたいです」
 内田が上目遣いで言ってくる。 
「五分でできるか」「ふええ、むりですよお」
 わざとかおい。用意していたセリフか。べそ顔で嘆いてくるから実に計算高いな。
 夏の明るい夜のふもとへ、大勢で体育館を出た。去り際に、
「いい、練習環境だな」
 高い天井と広く新しい床を見て、聖コトバのヨシュアと呼ばれていた気がせんでもないトレッドパーマのラテン系が目を丸くした。オペラ歌手のような低い声だ。
「だろ。新古今高校いちばんの自慢だぜ」
 胸を張る。KB-24がアト一分と言ったので、一斉に「走れ」と叫び門に向かって疾走した。ロマンスグレーの古井先生も、着流しに革靴でわりと速く走った。若い頃は陸上部だったらしい。本人は語らないが、全国を取ったこともあるとか。
「明日、私は朝一に来て、KBの設定を人知れず戻さなくてはね」
 顧問は駆けながらダンディにウインクをする。
「はい。俺も朝一に来て、コート片付けますんで」
「小野くんもかい。お互い大変だね」
 門を飛び出して、その直後に施錠がされた。時刻は夜の七時半を回っている。一緒に門を出たはずなのに、振り向くともう古井先生はいなかった。
「さて反省会に行きましょうか」
 ミカエルが三十人の部員に言っている。
「さて祝勝会に行きましょうか」
 わざと聞こえるように真似てやった。天使もどきは金髪をかきあげる。
「おやおや腹が立ちますね、フフッ。ですが聞いて驚きなさい。僕たちは今からどこに反省会へ行くとお思いですか。聖コトバ学院直営の、高級フレンチレストランですよフフッ。君たちはどうせ駅前のファミリーレストランでしょう」
「おのれファミレスなめんなーッ!」
 一分もしないうちに、校舎の前に十台の高級車が止まった。タイヤなしの車の中でも特に静かなものだ。現代の車は地面から数ミリ浮いて進む仕組みなのだが、いい車ほど地面と平行にまるで滑っているように走行する。聖コトバのやつらは全員それに乗り込み、
「ごきげんよう」
 と神々しく去っていった。財力面惨敗。ついでに言えば容姿も身長も惨敗。試合に勝って何かに負けた。う、と新古今全員の声が打ち合わせたようにかぶり、こう続いた。
「うおおおおファミレス行こうぜー!」
「何がフレンチレストランですか。僕、ファミレスのグラタンのほうが好きですっ」
 内田が頬をふくらませて、怒りつつも嬉しそうに言っている。サラッサラの髪が柔らかく跳ねる。セリフから仕草まで全てがあざとい。
「うんうん。安くておいしいってすごいよな。三倍サイズ頼んじゃおう」
 ソウルも顔をほころばせる。この文学少年は、見た目に反して大食らいなのだ。
「こっちは祝勝会なんだぜ、あっちは反省会なんだぜ。この差を見ろなんだぜ」
 本日いちばん疲れたであろう速見が力こぶを見せた。
「少々、卑怯な勝ち方をしたがな」
 うつむいたヒイロには、ジョージが威勢良く肩を組みにいった。
「もー、そこ気にするのはやめましょうぜ。グラタン好き?」
「好き」「ヒイロさんグラタン好きだって!」
 全員が意味もなくイエーイと返す。
「駅前のファミレスだよな。結構歩くぞ」
 俺が言うとジョージが冗談めかして笑う。
「そいじゃ、タクシー呼びやしょうぜ」
「嫌だ。歩くぞ」
 間髪入れずにヒイロの答えが返った。内田が、
「現代人は車に頼りすぎなんですよっ」
 と続け少し走った。LEDだらけの暗闇に、星は見えない。
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