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9.シグのひーくん
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小さなアパートの一室。無駄な物が置かれていない、モノトーン調の部屋。縦長のステンレスラックに向かい、澤口は黒いノートパソコンを開いた。遠景に羊の群れがいる写真のスクリーンセーバーが暗転して、現れたデスクトップも同じ写真。別に羊が好きなわけではない。初期設定がこれだったのだ。風呂上りの灰色のスウェット姿で一息つく。
検索窓にシグと打ち込む。結果、関係のない情報がずらりと並んだ。ゲームのキャラクターの説明、銃メーカーのサイト。澤口はつい、顔をしかめた。片仮名二文字で出るわけがないと分かっていながら、心のどこかで期待していた。言葉を変えて検索し直した方が早いと思いつつ、ぼんやりとスクロールを続ける。次のページに進んだ時、一番上に来た内容に目を見開いた。
『飛架理@シグ』
ツイッターアカウントだった。字の並び方と言い、間違いなく志鶴空の弟だ。ヒットしていた驚きの他、プロフィールのすかした文面にも青年は目を点にした。
『弟のほう。ギター。通称ひーくん。基本ゲリラライブ。地球のどこかにいるから見つけて』
凝視したままページを開く。名はひかりと読みそうだが、男にしては変わっている。アイコン画像はベースギターを構えた少年の横顔。柔らかそうな黒髪と、体系に対して大きすぎる灰色のセーターが目を引いた。うざったく伸びた前髪で素顔は見えない。鼻と顎のラインは綺麗だ。十人程度のフォローに対してフォロワーが三百人を超えている。固定ツイートは、
『シグは、シグナルでシグマで時雨で仕草でつまり永遠って意味』
という要領を得ない煽り文と、姉弟での路上ライブ中と思しき画素の低い写真。それに五百いいねがついている。拗らせた子供というのが、澤口の抱いた第一印象だった。
一番最近の呟きは『期末おわった』という一言で、返信が連なっている。おつかれさまという声が多い。その一方で『やはりバカだったか』という類の書き込みが数件ある。飛架理が内一つにだけ『そのおわったじゃねえし。やはりってなに笑』と返していた。呟きは三日に一度くらいの頻度で、どれも短文。一つ前の呟きは『行きつけの喫茶店で一日中勉強してきたあ』というものだった。それへのコメントも褒め言葉が主なのに、一部だけ『絶対はかどらない』『イキリ野郎ウケる』『店に迷惑』といった批判的な声がある。もしかしてアンチがいるのだろうか。それには本人からの返信はない。『なんていう喫茶店?』には『ひみつー』と返していた。行きつけという文字列を追う。投稿日時は先週の日曜日。また次の週末も来るかもしれない。
シグのことを他にも軽く調べたが、これといった情報は見つからなかった。ただ日曜日に、喫茶エプロンに来る可能性だけ。
「お、お、ようこそ。珍しいですね、水曜日以外に来られるなんて」
松虫が目を真ん丸にして出迎えた。澤口は適当な相槌を打つ。今日を待ちわびた木金土は気が気じゃなかった。職場でも落ち着きがないと指摘されてしまったほどだ。狭い店内に、やはり居た。前髪を中央分けにした大人しそうな少年。ツイッターで見た雰囲気とは異なるが、篭橋飛架理に違いない。洞のような瞳が、志鶴空と同じですぐ分かった。少年は頬杖をついてメニューとにらめっこしている。この子が、と思いつつ視線を外す。松虫が不思議そうに澤口を見上げていた。苦笑を返し、いつもの席に腰掛ける。そうすると急速に冷静になり、居るから何やねん、と自分で自分に突っ込んだ。なぜわざわざ日曜を狙って来た、俺は。今からライブが始まるわけでもなし。拗らせた子供とばかにしたが、これでは自分も大概、拗らせた追っかけではないか。
不意に優しく落ち着いた声の鼻歌が聴こえた。
「出会いは花時雨 静かな雨音に馴染む声」
「ひーくんお客さん居るよ」
松虫の声がすぐさまそれを遮った。歌はすぐに止まって小柄な男子高校生が澤口を見る。彼はぎょっと肩を跳ね上がらせ、挙動不審に目を泳がせて、メニューで赤い顔を隠した。
「すみませんすみません! めっちゃ歌っちゃった、恥ずかしっ。と言うか来たのいつすか。気づかなかったんすけど。あーもうごめん今の忘れてください」
わざと歌ったのかと思いきや、本当に気づいていなくての鼻歌だったらしい。松虫とのやり取りまでも耳に入っていなかったとは、よっぽどぼんやりしていたのか、何か大事な考え事をしていたのか。ぺらぺらと喋るが、声はバンドマンとは思えないほど小さかった。話すきっかけが生まれ、澤口はひそかに安堵した。松虫が二人の中間に立ち、人懐こい笑みで飛架理に告げた。
「気づかないよね、そっと入ってくるから。厨房に居る時、僕、耳を欹てる必要あるもん」
聞きなれない響きに澤口はぽかんとした。常連の高校生相手ともなると、松虫も完全に敬語が外れるらしい。今後はもう少し音を立てて戸を開けようと、ひそかに決心した澤口だった。
「さっき歌ったん、自作の曲?」
そう尋ねると飛架理は、人見知りっぽいボソボソした声を返した。
「です。なんで分かったんすか」
うつむいて目を逸らし、はにかんでいる。そのあどけない表情は実に高校生らしく、『地球のどこかにいるから見つけて』という言葉を等身大でリアルに見せた。
「自分シグのひーくんやろ。お姉さんの単独ライブ見て知った」
あ、しーちゃん、と破顔して少年は頷いた。はっきり笑うとかなり幼い。
「しーちゃんの三味線まじで凄いっすよね」
弟は誇らしげに述べた。それから、ええと、と口ごもる。
「ああ、そっか、俺一方的に知ってるな。澤口です」
「澤口さん。あ、名刺。どもっす。やっべ受け取る作法知らね」
席から立ち、澤口に駆け寄る飛架理。向かい合うと少年の背の低さが際立った。彼は名刺を片手で受け取り、物珍しそうに幾度もひっくり返して表面も裏面も見た。へーっと感心した声を上げて天にかざす。そして暗記カードさながらに頷いてから、尻ポケットにしまい込んだ。
「株式会社ヒトデ 人事営業部 サワグチヒナタ」
「だいぶ作法なってないで」
「読み上げるのNGなんすか」
「いや、読み上げ方と……何もかも。あと俺ヒナタじゃなくてヒューガ」
「ヒューガ」
「さん」
「アッ、すません。ヒューガさん」
「下の名前で呼ばれんの苦手やねんな。澤口さんで頼むわ」
松虫が「志鶴空さんは」と言いかけてから、微笑んでやめた。
検索窓にシグと打ち込む。結果、関係のない情報がずらりと並んだ。ゲームのキャラクターの説明、銃メーカーのサイト。澤口はつい、顔をしかめた。片仮名二文字で出るわけがないと分かっていながら、心のどこかで期待していた。言葉を変えて検索し直した方が早いと思いつつ、ぼんやりとスクロールを続ける。次のページに進んだ時、一番上に来た内容に目を見開いた。
『飛架理@シグ』
ツイッターアカウントだった。字の並び方と言い、間違いなく志鶴空の弟だ。ヒットしていた驚きの他、プロフィールのすかした文面にも青年は目を点にした。
『弟のほう。ギター。通称ひーくん。基本ゲリラライブ。地球のどこかにいるから見つけて』
凝視したままページを開く。名はひかりと読みそうだが、男にしては変わっている。アイコン画像はベースギターを構えた少年の横顔。柔らかそうな黒髪と、体系に対して大きすぎる灰色のセーターが目を引いた。うざったく伸びた前髪で素顔は見えない。鼻と顎のラインは綺麗だ。十人程度のフォローに対してフォロワーが三百人を超えている。固定ツイートは、
『シグは、シグナルでシグマで時雨で仕草でつまり永遠って意味』
という要領を得ない煽り文と、姉弟での路上ライブ中と思しき画素の低い写真。それに五百いいねがついている。拗らせた子供というのが、澤口の抱いた第一印象だった。
一番最近の呟きは『期末おわった』という一言で、返信が連なっている。おつかれさまという声が多い。その一方で『やはりバカだったか』という類の書き込みが数件ある。飛架理が内一つにだけ『そのおわったじゃねえし。やはりってなに笑』と返していた。呟きは三日に一度くらいの頻度で、どれも短文。一つ前の呟きは『行きつけの喫茶店で一日中勉強してきたあ』というものだった。それへのコメントも褒め言葉が主なのに、一部だけ『絶対はかどらない』『イキリ野郎ウケる』『店に迷惑』といった批判的な声がある。もしかしてアンチがいるのだろうか。それには本人からの返信はない。『なんていう喫茶店?』には『ひみつー』と返していた。行きつけという文字列を追う。投稿日時は先週の日曜日。また次の週末も来るかもしれない。
シグのことを他にも軽く調べたが、これといった情報は見つからなかった。ただ日曜日に、喫茶エプロンに来る可能性だけ。
「お、お、ようこそ。珍しいですね、水曜日以外に来られるなんて」
松虫が目を真ん丸にして出迎えた。澤口は適当な相槌を打つ。今日を待ちわびた木金土は気が気じゃなかった。職場でも落ち着きがないと指摘されてしまったほどだ。狭い店内に、やはり居た。前髪を中央分けにした大人しそうな少年。ツイッターで見た雰囲気とは異なるが、篭橋飛架理に違いない。洞のような瞳が、志鶴空と同じですぐ分かった。少年は頬杖をついてメニューとにらめっこしている。この子が、と思いつつ視線を外す。松虫が不思議そうに澤口を見上げていた。苦笑を返し、いつもの席に腰掛ける。そうすると急速に冷静になり、居るから何やねん、と自分で自分に突っ込んだ。なぜわざわざ日曜を狙って来た、俺は。今からライブが始まるわけでもなし。拗らせた子供とばかにしたが、これでは自分も大概、拗らせた追っかけではないか。
不意に優しく落ち着いた声の鼻歌が聴こえた。
「出会いは花時雨 静かな雨音に馴染む声」
「ひーくんお客さん居るよ」
松虫の声がすぐさまそれを遮った。歌はすぐに止まって小柄な男子高校生が澤口を見る。彼はぎょっと肩を跳ね上がらせ、挙動不審に目を泳がせて、メニューで赤い顔を隠した。
「すみませんすみません! めっちゃ歌っちゃった、恥ずかしっ。と言うか来たのいつすか。気づかなかったんすけど。あーもうごめん今の忘れてください」
わざと歌ったのかと思いきや、本当に気づいていなくての鼻歌だったらしい。松虫とのやり取りまでも耳に入っていなかったとは、よっぽどぼんやりしていたのか、何か大事な考え事をしていたのか。ぺらぺらと喋るが、声はバンドマンとは思えないほど小さかった。話すきっかけが生まれ、澤口はひそかに安堵した。松虫が二人の中間に立ち、人懐こい笑みで飛架理に告げた。
「気づかないよね、そっと入ってくるから。厨房に居る時、僕、耳を欹てる必要あるもん」
聞きなれない響きに澤口はぽかんとした。常連の高校生相手ともなると、松虫も完全に敬語が外れるらしい。今後はもう少し音を立てて戸を開けようと、ひそかに決心した澤口だった。
「さっき歌ったん、自作の曲?」
そう尋ねると飛架理は、人見知りっぽいボソボソした声を返した。
「です。なんで分かったんすか」
うつむいて目を逸らし、はにかんでいる。そのあどけない表情は実に高校生らしく、『地球のどこかにいるから見つけて』という言葉を等身大でリアルに見せた。
「自分シグのひーくんやろ。お姉さんの単独ライブ見て知った」
あ、しーちゃん、と破顔して少年は頷いた。はっきり笑うとかなり幼い。
「しーちゃんの三味線まじで凄いっすよね」
弟は誇らしげに述べた。それから、ええと、と口ごもる。
「ああ、そっか、俺一方的に知ってるな。澤口です」
「澤口さん。あ、名刺。どもっす。やっべ受け取る作法知らね」
席から立ち、澤口に駆け寄る飛架理。向かい合うと少年の背の低さが際立った。彼は名刺を片手で受け取り、物珍しそうに幾度もひっくり返して表面も裏面も見た。へーっと感心した声を上げて天にかざす。そして暗記カードさながらに頷いてから、尻ポケットにしまい込んだ。
「株式会社ヒトデ 人事営業部 サワグチヒナタ」
「だいぶ作法なってないで」
「読み上げるのNGなんすか」
「いや、読み上げ方と……何もかも。あと俺ヒナタじゃなくてヒューガ」
「ヒューガ」
「さん」
「アッ、すません。ヒューガさん」
「下の名前で呼ばれんの苦手やねんな。澤口さんで頼むわ」
松虫が「志鶴空さんは」と言いかけてから、微笑んでやめた。
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