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8巻
8-3
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戦闘準備を終えたメンバーを見て、リキオーが告げる。
「今回は狭い空間の中での戦闘になるだろう、かつ海の底だ。もし岩盤が崩落でもしたら水圧で全員オダブツだろう。なのでアネッテ、精霊魔法はほどほどにな」
「分かりました」
「ご主人、私は?」
「お前も戦い方は慎重にな。【ホーリーグレイル】【ソードラッシュ】は使用を控えろ。ただ、【ソードオブナイト】は殲滅戦には向いているから使って大丈夫だ。直進系のウェポンスキル以外は問題ないだろう」
「分かった」
これから進むのは海底洞窟、しかも海の底である。岩盤を穿つような強力なウェポンスキルは封印するしかない。【ホーリーグレイル】【ソードラッシュ】【インタラプター】のように剣を突き出すタイプの技では岩盤を破壊してしまう恐れがある。
それに対して、マリアがレベル50で手に入れた聖騎士最終奥義【ソードオブナイト】は多重剣である。雑魚の敵なら触れるだけで消し飛ぶほどの威力を秘めており、殲滅戦にお誂え向きのウェポンスキルなのだ。
「ハヤテは今回はお休みだ。広い空間がない以上、お前の能力はあらかた使えないも同然だからな」
そう言われてハヤテは、ガーンとショックを受けていた。それで上目遣いにリキオーを見上げてくる。その様子に、アネッテがクスクスと肩を震わせて笑った。
影の中で自由に移動できるカエデなら隙はないが、ハヤテの場合、どうしても自由に空間の中を飛び回って戦うスタイルになってしまう。その場合、今回のような洞窟は不向きなのだ。
アネッテは屈み込んでハヤテの首筋に抱きつく。
「ハヤテさんは後ろを頼むわ」
「ワゥン」
しっぽを力なく垂らしたハヤテはそう返事をしながらも、しょんぼりとしている。それを見ているマリアも苦笑していた。
***
海底洞窟に入った一行を待っていたのは強烈な臭気だった。
ドブなどの下水の臭いではなく、魚や海藻が腐った臭いが濃縮されたようだ。こんな激臭の中にいたら確実に鼻が駄目になる。リキオーが顔を歪めながら呟く。
「くわーっ、すごい臭さだな。磯の香りとか、そんなもんぶっとばしてるな」
「ええ、鼻が曲がっちゃいそうですね」
顰め面をしたアネッテが答えるそばで、ハヤテはしきりにくしゃみをしていた。ハヤテのように鼻が利く生き物には、こういった強烈な臭気はきついだろう。
リキオーたちが進んでいるところは、最初の穴から横にそれた通路で、足元の低い溝にはちょろちょろと水か流れていた。どうやらその水からこの強烈な臭気が発生しているようだ。たぶん通路の奥から流れてきているのだろう。奥のほうから僅かな風が吹き込んでくるので、空気が淀んでいないのが救いか。
さらに進んでいくと、強烈な臭いの大本の発生源に次第に近づいているようで、だんだん臭いがきつくなってくる。
洞窟は一本ではなく、幾つもの横穴が空いていた。それでも、それぞれの穴が向いてる方向は一緒で、どこに入っても同じところにたどり着くように思われた。そのどれもが、勾配がきつくなっており、上り坂になっていた。
リキオーはカエデを先行させて進んだ。順番としては、カエデ、リキオー、マリア、アネッテ、ハヤテの順である。通路は最初こそ狭かったが、進むにつれ、だんだん広くなっていった。そして同時に進むごとに、磯の香りと、形容し難い生臭さが強くなっていく。
リキオーが一息ついている横を、マリアが通り抜けて声を上げる。
「ご、ご主人、あ、あれは何だ!」
マリアが指差すほうに見えたのは、縦穴にびっしりと張りついた蠢く何かである。
さらに近寄ってみると、壁面全体を埋め尽くすグロテスクな魚の頭の群れだと分かった。魚鱗族である。
リュウグウ島に通じているのだろう出口は、どう見ても彼らを越えた先にあるようだ。となれば、方策は決まっている。奴らを排除して行かなければならない。
リキオーは刀を抜いた。マリアもアネッテもそれぞれに得物を構え、ハヤテたちも主の命令を待つ。
リキオーが、魚鱗族に向けて刀を振りかぶろうとしたとき、向こうも気がついたらしい。彼らは互いの体を足場のように使い、リキオーたちがいるほうへもの凄い勢いで移動してくる。その数が尋常ではない。
アネッテが、そのピタピタという足音に生理的な嫌悪感を覚えて、ヒィッと悲鳴を上げて叫ぶ。
「ま、マスター、いっぱい来ますよぅ」
「こりゃダメだ! いったん撤退だ」
「お、おう」
リキオーがそう言うと、マリアも追従する。
こうして一行は、慌てて来た道を逆戻りし始めた。かなりパニックに陥っていたので、元来たルートをそのままというわけにはいかず、どこかの通路に紛れ込んでしまった。
行き止まりかと思ったが、そこは水が溜まった滝壺のような形状である。背後には魚鱗族の不愉快な足音が迫っていた。
「ええい、ままよ」
躊躇する間もなくリキオーが水中に身を投じると、銀狼団の他のメンバーも覚悟を決めて飛び込んでくる。
幸いにも水の深さはそれほどでもなく、滝壺の先には岸があった。
そこは、狭いものの光る苔に覆われた一室で、一行は這々の体で仰向けに倒れ込む。息を整えてから、リキオーが言う。
「連中、追ってこないな。あの風体からして水の中が彼らの棲家と思っていたが……そうでもないらしい」
「うむ。そういえばご主人。さっきの光景だが、よく考えると少しおかしいのではないか?」
マリアが考え込むように、顎に手を当てて言いだす。
「何がだ?」
「連中がぶら下がっていたのは洞窟の崖だろう。おそらく私たちが行くべき出口があったはずだ。だが、その穴の下は何だった? 私が見たのは水面のようだった」
確かにそこは、彼らが逃げ込んだような水場だった。
本来なら魚鱗族たち海の眷属にとって水中は勝手知ったる彼らのテリトリーのはず。それが、水に入るのを怖がっているようだった。
「そうか。あいつらは水面に落ちるのを嫌っていたのか」
彼ら魚鱗族は一匹のクイーンから大量に生み出される。言ってみれば蟻に似た種族だ。普通はクイーンを守り、クイーンの命令に従って、一糸乱れぬ集団行動を取る。そこには恐怖さえも存在しないはずだが、先ほどの魚鱗族はそうではなかったように感じられた。
それは、彼らの生態からは外れた行動だ。だが、もしそうであるならば、リキオーたちにとって都合がいい。彼らが水に入るのをためらうならば、こちらに採れる手段がある。
リキオーが何かを思いついたようにして口を開く。
「アネッテ。『ウンディーネの加護』を得れば、水中を進むことはできるかい?」
「はい。お任せを」
「どうするんだ、ご主人」
慌てたマリアが不安を示したが、そんな彼女をからかうように、リキオーはあえてその考えを伝えた。
「水に入ったままなら奴らは手出ししようがないはずだ。だから堂々と正面突破するのさ」
「ま、まさか」
「そうだ。アネッテにウンディーネを召喚してもらい、俺たちは水の中に入って奴らの前を通り過ぎる」
突拍子もない意見を聞かされ、表情を強張らせたマリアが振り返ると、アネッテは楽しそうに笑い返した。
ウンディーネの水の加護をパーティで得ると、パーティメンバーは水中で自由に活動できるようになる。水の中での呼吸も移動も自由になり、本来感じる水の抵抗もほとんどなくなるのだ。
「あっ、ちょ、ちょっと待っ──」
「行きますよ。ウンディーネ、精霊の加護を我らに」
マリアが、心の準備ができてない! というようにジタバタと手を振ってアネッテを阻もうとするが、アネッテはそれに取り合わず、ウンディーネを召喚するための呪文を唱え始めた。
アネッテが杖を掲げ、パーティ全体に水の精霊の加護の効果が掛かるように念じると、水の中からウンディーネが顕現。
ウンディーネは、彼らの頭上で水のような腕を広げた。
リキオーがアネッテを振り返る。アネッテはそれに頷いて応え、さらに杖を振るった。
すると、彼らが立っていた空間にサアッと濃密な雨が降り注ぎ、リキオーたちは一瞬で水の流れに巻き込まれしまった。
「えっ、あっ! ……ひゃっ」
マリアがパクパクと口を開閉し、泳いで水の流れから逃げようとする。当然ウンディーネの加護は彼女にも掛かっているので溺れることはなかった。
ハヤテもマリアのようにパニックを起こして、ジタバタと水中でもがいたが、リキオーにしっぽを掴まれると、彼はヒャンと悲鳴を上げて我に返った。そして、目を白黒させている間に、なぜか呼吸できることに気づき、顔中に疑問符を浮かべてしきりに顔を振っている。
カエデは、影の中から上半身だけ現して、おっかなびっくりに水中で前足を掻いていたが、すぐに水中へと身を躍らせると、水を吸い込んで肺に満たした。
マリアはリキオーに腕を掴まれて引き止められると、彼のニヤッとした悪い笑みに迎えられた。そのときには、マリアも水の中で息ができることに気づいていた。
マリアが顰め面をして、リキオーを睨む。
「むぅぅ、ご主人」
「俺を睨んでも仕方ないだろ。お前もこれが一番いい選択肢だと分かっているはずだ」
リキオーの声は、不思議なことに水の中でもはっきりと聞こえた。しいて言うなら、少しエコーがかったように感じられる。
確かにリキオーが言うように、これが一番いい方法だった。
以前、黒竜公の神殿に向かう途中の地下水道でアネッテが精霊魔法を使用したように、魚鱗族を一掃してしまえばいいとも思える。だが、事はそう簡単ではない。魚鱗族も金竜公に仕える海の眷属であって敵ではないのだ。
しかし、泳ぐというのは……マリアにとってなかなか辛いものだった。
マリアはかつて、船舶での訓練中に重い鎧を着けたまま足を踏み外し、水中に落下して溺れかけた。そのせいで水を恐れていたのだが、半ば強制的に水中に連れ込まれてしまえば、トラウマなどと言っている場合ではない。
怯えるマリアの顔を見て、リキオーがニヤニヤと笑い、アネッテもクスクス笑っている。そんな二人を見て、マリアはカアッと顔を赤らめていた。
皆が水中に慣れたところで、リキオーが呟く。
「面白いよな、水の中にいるのに普通に会話できるんだから」
「確かに、これは面白いな」
マリアもさっきまでの恨み節はどこ吹く風で、自分も声を出したり、水中で手を振ってみたりして、普段接する水との違いを確かめていた。
多少、エコーが掛かって聞こえるものの、コミュニケーションを取るのに問題はない。
移動に関しては水の抵抗はほとんどなく、足を動かすと水のほうから逃げていくようだ。地面を蹴ると、無重力状態のように慣性のまま進むことができた。
ハヤテやカエデもそれぞれ、水の中でバタ足をしたり、壁を蹴ったり、はたまた間違って頭をぶつけ合ったりして、水の中での移動の感覚を確かめている。
水中を漂いながら、リキオーはアネッテに問う。
「アネッテ、このウンディーネの加護だけど、どれくらい持つの?」
「えっと、私の魔力が尽きるまでなら維持できますね。だから大丈夫ですよ。このまま戦闘になっても、加護が解かれることはありません」
ウンディーネの加護は、対象となるパーティメンバー数によって消費MPが増える。加護を維持したまま戦闘をすればすぐにMPが尽きてしまうものだが、アネッテは元からのMP量も多く、MPを節約できるテクニック「アーツ」が使えるので、戦闘になっても消費MPを抑えることができた。それに加えて、レベル50になっているため、スキル【自動MP回復】も今や最大レベルで持っている。
また、【マスターモード】解禁により「ガーディアン」の【覚醒】で、いつでも最大MPを維持できるとあって、彼女のMPが尽きることは、どれほど高位の攻撃魔法を連発したとしてもあり得ない。つまり、ウンディーネの加護が切れることは、彼女の意思による解除以外ないということだ。
加護が切れる心配がないことを確認したリキオーは、兼ねてより考えていた突飛な作戦を皆に告げる。
「みんな、移動の方法は確認したか。アネッテ、この水ごと移動できるよな? よし、行くぞ」
リキオーの作戦はこうである。
ウンディーネの加護は水に潜るときに使われ、呼吸や移動を助けるものだ。だが、魔力操作のスキルがあれば、水ごと移動することもできる。ここにある水は、長い洞窟に沿っているので、いわば巨大な蛇のような形をした水の中に全員が入っている状態。リキオーはこの水ごと移動しようというのだ。傍から見たらそれは奇妙な光景だろう。
「では、いきます!」
アネッテが杖を掲げて進行方向を見据えると、洞窟から透明な蛇が剥がれるように、ズズズという感じに水ごと前進する。中にいるリキオーたちもそれに合わせて移動していく。
出口の前で壁にびっしりと張りついていた魚鱗族が、巨大な水の蛇がやってくるのに気づいて耳障りな歯ぎしりと足音を立てて反応した。しかし、鎌首をもたげた水の蛇に対して、どう反応していいのか分からずにいる。
魚鱗族を横目に、リキオーがアネッテに尋ねる。
「上手くいきそうか?」
「大丈夫です」
アネッテは、自信を漲らせて頷いた。
彼女の体の輪郭をなぞるように魔力が走ると、パーティを包んだ水が勢いよく縦穴を駆け上がっていく。そして、水の蛇ごとリキオーたちはそのまま運ばれていった。
水の蛇が通り抜ける際、壁際に掴まって体を支える魚鱗族の群れが見えた。どうやら彼らはそうした姿勢を長く取っているだけで消耗しているらしく、力尽きた個体がポロポロと脱落し、底へと落ちていく。海の眷属である彼らが、そうまでして水を拒否するのは、どのような理由があるのだろうか。
リキオーは魚鱗族の不可解な生態を見て不思議に思いながらも、「おお」と感嘆のため息を上げた。水の外で手にした槍を持ち上げて、こちらに攻撃しようとしている魚鱗族が何匹かいたからである。
そのうちの一匹が槍を持ち上げて、水に触れた瞬間、ギュルギュルと水面に現れた渦に巻き込まれてどこかに飛ばされていった。
それ以降、彼らが手出ししてくることはなかった。
「奴らも手出しできない存在だと気づいたようだな。これなら、なんとかうまくいきそうだ」
「はーっ、姉さまの魔法は凄いな、いつ見ても」
マリアは、魔力を発しながら現状の維持に努めているアネッテを見つめて、眩しいものでも見るように目を眇めていた。
水は蛇状態のまま上の横穴まで到達し、しばらくそのまま進んだ。
魚鱗族の群れが追ってこないのを確認すると、リキオーはアネッテに頷いて加護を解除させる。加護が解けるのと同時に、彼らを包んでいた水の蛇はパッと霧散した。
凄い手品でも見せられているようで、命令したリキオーでさえその光景に言葉もなかった。精霊によって維持させられていた現象なので、魔力が途切れると劇的な変化を見せるのだ。
マリアは水が苦手というトラウマを乗り切ったというのもあって、疲れた表情を見せた。そして、その場にへなへなと尻餅を突いてしまう。さっきまで平気な顔を見せていたが、やはり無理をしていたようだった。
リキオーは、そんな風にして座り込んだマリアを見下ろして苦笑すると、彼女の肩を叩いて労ってやった。
アネッテがフッと息を吐いて呟く。
「ふう。なんとかなりましたね」
「ああ、お疲れ。少し休んでいくか?」
「いいえ、私は問題ありません。まだ魔力も余裕ありますし」
アネッテはそう強がっていたものの、リキオーは彼女のステータスを確かめてみた。
確かに彼女のMPはまだ半分近く残っている。ウンディーネのような上位精霊を召喚し続けて加護を維持するということは……その間ずっと集中し続けなければならないし、スタミナもかなり消費するはずだ。
余裕を持ってアネッテを回復させておきたいとも思ったが、あの不気味な魚鱗族の姿を見たあとでは、少しでも早く解決の糸口を得るためにも、金竜公の元に着いておきたい。
リキオーは、先を急ぐことを優先することにした。
「休みたいところだが、そうも言っていられないかもな。よし、このまま進むぞ」
「はい」
アネッテの返事に合わせるようにマリアも一息吐くと、そのまま立ち上がった。そうしてマリアは、リキオーに頷いてみせる。
今、彼らがいる洞窟は、途中何度か水溜まりはあったものの、ほぼ乾ききっていて足元も問題ないレベルで移動は楽だ。ずっと上り調子の坂なので、このまま行けば、リュウグウに着けるのかもしれない。
それにしても、先ほど通ってきた地下通路は難関だった。魚鱗族の存在を除外しても、かなり困難な道のりだったと思う。
古老の話では、昔の人はこの道を使っていたということだったが、秘密のルートでもあったのだろうか。リキオーたちはアネッテの魔法に助けられ、一気に駆け抜けたが、地元の者たちにそうした助けがあったとは思えない。
昔の人たちがどうやってこのルートを使っていたのか。そんなことに思いを馳せながら、リキオーは進んだ。
ずっと上り調子の洞窟を進むことおよそ数時間、やっと終りが見えてきた。明らかに日の光だ。リキオーがややテンション高めに声を上げる。
「おお、やっと地上か!」
リキオーたちが出てきたところは、海岸に穿たれた出口のようだった。
ザバーンザバーンと波が打ち寄せる音がして、飛沫が岩にぶつかって跳ねている。潮の香りはするが、洞窟の中のような腐った臭気ではなく爽やかな香りだ。それに潮の香りだけでなく、花のような芳香も感じられた。
波の弾ける方向をたどっていく。
しばらくしてたどり着いた穏やかな波が打ち寄せる岩礁には、下半身がイルカのようになった海人族がいた。男女ともに簡素な貫頭衣のような服を着ている。
リキオーがマップで確かめると、確かにそこはリュウグウ島と表示されていた。
「よし、ここがリュウグウ島らしい」
「はあ。良かった。また変な場所に着いたらどうしようと思っていました」
アネッテが胸を撫で下ろして安心したように呟いた。そんな風に安堵するリキオーたちに向かって、海人族たちがおずおずといった様子で近寄ってくる。
「もしかして、あなた方は本島のほうからやってきたのですか?」
「本島? ああ、俺たちはルフィカールからやってきた冒険者だ。ヴァルデマル大公からあなたたち海人族が無事かどうかを確かめてほしいと依頼されたんだ」
リキオーが一人の青年から尋ねられて答えると、周囲の海人族は感動したように次々に声を上げる。
和やかな雰囲気だが、リキオーは不自然さを感じていた。先祖返りによってここを目指した海人族はこんなに少ないわけがない。
念のため、リキオーは尋ねてみた。
「すみませんが、皆さんたち先祖返りをした海人族はここにいるだけなのですか?」
「ええ、ここにいるのがほとんどです。あとは金竜様の神殿にお仕えしている者がいますが、それも僅かですので」
青年が戸惑ったように答えた。そうして疑問を発する。
「もしや、向こう側には、私たちのような姿をした仲間たちは残っていないのですか……」
リキオーはゴクッと唾を呑み込み、そして頷いた。
確かに彼の言う通り、リキオーたちはルフィカールに入る前も入ってからも、先祖返りした海人族の姿を見ていない。彼らのように水の中から離れられないのであれば、その姿は町の中にあれば目立つだろう。
町の中には縦横に水路が入り組んでいる。それらは、先祖返りした海人族が町中を移動しやすいようにという配慮だと聞いていたが、それらが使われている形跡はなかった。
となれば、リュウグウに渡らなかった海人族はどこに行ったのだろう。どう考えても嫌な考えしか浮かばない。
魚鱗族が命を削ってまで海に入るのを拒むことと、消えた大量の海人族。そしてあの日、シャポネから帰ってきたときに、リキオーが遥か彼方の海で見た不気味な光景。
すべてが繋がっているような気がする。
ともかく、鍵を握っているのは金竜公に違いない。
この海に生きるあらゆる民に信奉されるリュウグウの太守、この地を統べる竜、金竜公。その存在に会えば、少なくとも事実の一端は掴めるはずだ。
リキオーは単刀直入に告げた。
「ええ、事の真相は分かりませんが、金竜公にお目通り願いたい」
「では、こちらに」
周りに集まっていた海人族たちは左右に分かれて、リキオーたちを奥へ誘う。
リキオーが奥を見ると、開けた神殿になっているようだった。彼らに導かれるままに、奥へ進んでいくと、そこには荘厳な眺めが広がっていた。
ローマ形式の太い大理石の柱が何本も立っており、その間を縫うようにして水路が走っている。水路を使えば海人族も神殿の奥に進めるようになっているようだ。
元は天井も屋根の部分があったのだろうが、今は失われたのか柱だけが並んでいる。しかし、その柱の林立する中を歩いているだけでも、そこが神聖な場所だということが認識させられ、その雰囲気に包まれて歩いているだけで厳かな気分になるのだった。
「今回は狭い空間の中での戦闘になるだろう、かつ海の底だ。もし岩盤が崩落でもしたら水圧で全員オダブツだろう。なのでアネッテ、精霊魔法はほどほどにな」
「分かりました」
「ご主人、私は?」
「お前も戦い方は慎重にな。【ホーリーグレイル】【ソードラッシュ】は使用を控えろ。ただ、【ソードオブナイト】は殲滅戦には向いているから使って大丈夫だ。直進系のウェポンスキル以外は問題ないだろう」
「分かった」
これから進むのは海底洞窟、しかも海の底である。岩盤を穿つような強力なウェポンスキルは封印するしかない。【ホーリーグレイル】【ソードラッシュ】【インタラプター】のように剣を突き出すタイプの技では岩盤を破壊してしまう恐れがある。
それに対して、マリアがレベル50で手に入れた聖騎士最終奥義【ソードオブナイト】は多重剣である。雑魚の敵なら触れるだけで消し飛ぶほどの威力を秘めており、殲滅戦にお誂え向きのウェポンスキルなのだ。
「ハヤテは今回はお休みだ。広い空間がない以上、お前の能力はあらかた使えないも同然だからな」
そう言われてハヤテは、ガーンとショックを受けていた。それで上目遣いにリキオーを見上げてくる。その様子に、アネッテがクスクスと肩を震わせて笑った。
影の中で自由に移動できるカエデなら隙はないが、ハヤテの場合、どうしても自由に空間の中を飛び回って戦うスタイルになってしまう。その場合、今回のような洞窟は不向きなのだ。
アネッテは屈み込んでハヤテの首筋に抱きつく。
「ハヤテさんは後ろを頼むわ」
「ワゥン」
しっぽを力なく垂らしたハヤテはそう返事をしながらも、しょんぼりとしている。それを見ているマリアも苦笑していた。
***
海底洞窟に入った一行を待っていたのは強烈な臭気だった。
ドブなどの下水の臭いではなく、魚や海藻が腐った臭いが濃縮されたようだ。こんな激臭の中にいたら確実に鼻が駄目になる。リキオーが顔を歪めながら呟く。
「くわーっ、すごい臭さだな。磯の香りとか、そんなもんぶっとばしてるな」
「ええ、鼻が曲がっちゃいそうですね」
顰め面をしたアネッテが答えるそばで、ハヤテはしきりにくしゃみをしていた。ハヤテのように鼻が利く生き物には、こういった強烈な臭気はきついだろう。
リキオーたちが進んでいるところは、最初の穴から横にそれた通路で、足元の低い溝にはちょろちょろと水か流れていた。どうやらその水からこの強烈な臭気が発生しているようだ。たぶん通路の奥から流れてきているのだろう。奥のほうから僅かな風が吹き込んでくるので、空気が淀んでいないのが救いか。
さらに進んでいくと、強烈な臭いの大本の発生源に次第に近づいているようで、だんだん臭いがきつくなってくる。
洞窟は一本ではなく、幾つもの横穴が空いていた。それでも、それぞれの穴が向いてる方向は一緒で、どこに入っても同じところにたどり着くように思われた。そのどれもが、勾配がきつくなっており、上り坂になっていた。
リキオーはカエデを先行させて進んだ。順番としては、カエデ、リキオー、マリア、アネッテ、ハヤテの順である。通路は最初こそ狭かったが、進むにつれ、だんだん広くなっていった。そして同時に進むごとに、磯の香りと、形容し難い生臭さが強くなっていく。
リキオーが一息ついている横を、マリアが通り抜けて声を上げる。
「ご、ご主人、あ、あれは何だ!」
マリアが指差すほうに見えたのは、縦穴にびっしりと張りついた蠢く何かである。
さらに近寄ってみると、壁面全体を埋め尽くすグロテスクな魚の頭の群れだと分かった。魚鱗族である。
リュウグウ島に通じているのだろう出口は、どう見ても彼らを越えた先にあるようだ。となれば、方策は決まっている。奴らを排除して行かなければならない。
リキオーは刀を抜いた。マリアもアネッテもそれぞれに得物を構え、ハヤテたちも主の命令を待つ。
リキオーが、魚鱗族に向けて刀を振りかぶろうとしたとき、向こうも気がついたらしい。彼らは互いの体を足場のように使い、リキオーたちがいるほうへもの凄い勢いで移動してくる。その数が尋常ではない。
アネッテが、そのピタピタという足音に生理的な嫌悪感を覚えて、ヒィッと悲鳴を上げて叫ぶ。
「ま、マスター、いっぱい来ますよぅ」
「こりゃダメだ! いったん撤退だ」
「お、おう」
リキオーがそう言うと、マリアも追従する。
こうして一行は、慌てて来た道を逆戻りし始めた。かなりパニックに陥っていたので、元来たルートをそのままというわけにはいかず、どこかの通路に紛れ込んでしまった。
行き止まりかと思ったが、そこは水が溜まった滝壺のような形状である。背後には魚鱗族の不愉快な足音が迫っていた。
「ええい、ままよ」
躊躇する間もなくリキオーが水中に身を投じると、銀狼団の他のメンバーも覚悟を決めて飛び込んでくる。
幸いにも水の深さはそれほどでもなく、滝壺の先には岸があった。
そこは、狭いものの光る苔に覆われた一室で、一行は這々の体で仰向けに倒れ込む。息を整えてから、リキオーが言う。
「連中、追ってこないな。あの風体からして水の中が彼らの棲家と思っていたが……そうでもないらしい」
「うむ。そういえばご主人。さっきの光景だが、よく考えると少しおかしいのではないか?」
マリアが考え込むように、顎に手を当てて言いだす。
「何がだ?」
「連中がぶら下がっていたのは洞窟の崖だろう。おそらく私たちが行くべき出口があったはずだ。だが、その穴の下は何だった? 私が見たのは水面のようだった」
確かにそこは、彼らが逃げ込んだような水場だった。
本来なら魚鱗族たち海の眷属にとって水中は勝手知ったる彼らのテリトリーのはず。それが、水に入るのを怖がっているようだった。
「そうか。あいつらは水面に落ちるのを嫌っていたのか」
彼ら魚鱗族は一匹のクイーンから大量に生み出される。言ってみれば蟻に似た種族だ。普通はクイーンを守り、クイーンの命令に従って、一糸乱れぬ集団行動を取る。そこには恐怖さえも存在しないはずだが、先ほどの魚鱗族はそうではなかったように感じられた。
それは、彼らの生態からは外れた行動だ。だが、もしそうであるならば、リキオーたちにとって都合がいい。彼らが水に入るのをためらうならば、こちらに採れる手段がある。
リキオーが何かを思いついたようにして口を開く。
「アネッテ。『ウンディーネの加護』を得れば、水中を進むことはできるかい?」
「はい。お任せを」
「どうするんだ、ご主人」
慌てたマリアが不安を示したが、そんな彼女をからかうように、リキオーはあえてその考えを伝えた。
「水に入ったままなら奴らは手出ししようがないはずだ。だから堂々と正面突破するのさ」
「ま、まさか」
「そうだ。アネッテにウンディーネを召喚してもらい、俺たちは水の中に入って奴らの前を通り過ぎる」
突拍子もない意見を聞かされ、表情を強張らせたマリアが振り返ると、アネッテは楽しそうに笑い返した。
ウンディーネの水の加護をパーティで得ると、パーティメンバーは水中で自由に活動できるようになる。水の中での呼吸も移動も自由になり、本来感じる水の抵抗もほとんどなくなるのだ。
「あっ、ちょ、ちょっと待っ──」
「行きますよ。ウンディーネ、精霊の加護を我らに」
マリアが、心の準備ができてない! というようにジタバタと手を振ってアネッテを阻もうとするが、アネッテはそれに取り合わず、ウンディーネを召喚するための呪文を唱え始めた。
アネッテが杖を掲げ、パーティ全体に水の精霊の加護の効果が掛かるように念じると、水の中からウンディーネが顕現。
ウンディーネは、彼らの頭上で水のような腕を広げた。
リキオーがアネッテを振り返る。アネッテはそれに頷いて応え、さらに杖を振るった。
すると、彼らが立っていた空間にサアッと濃密な雨が降り注ぎ、リキオーたちは一瞬で水の流れに巻き込まれしまった。
「えっ、あっ! ……ひゃっ」
マリアがパクパクと口を開閉し、泳いで水の流れから逃げようとする。当然ウンディーネの加護は彼女にも掛かっているので溺れることはなかった。
ハヤテもマリアのようにパニックを起こして、ジタバタと水中でもがいたが、リキオーにしっぽを掴まれると、彼はヒャンと悲鳴を上げて我に返った。そして、目を白黒させている間に、なぜか呼吸できることに気づき、顔中に疑問符を浮かべてしきりに顔を振っている。
カエデは、影の中から上半身だけ現して、おっかなびっくりに水中で前足を掻いていたが、すぐに水中へと身を躍らせると、水を吸い込んで肺に満たした。
マリアはリキオーに腕を掴まれて引き止められると、彼のニヤッとした悪い笑みに迎えられた。そのときには、マリアも水の中で息ができることに気づいていた。
マリアが顰め面をして、リキオーを睨む。
「むぅぅ、ご主人」
「俺を睨んでも仕方ないだろ。お前もこれが一番いい選択肢だと分かっているはずだ」
リキオーの声は、不思議なことに水の中でもはっきりと聞こえた。しいて言うなら、少しエコーがかったように感じられる。
確かにリキオーが言うように、これが一番いい方法だった。
以前、黒竜公の神殿に向かう途中の地下水道でアネッテが精霊魔法を使用したように、魚鱗族を一掃してしまえばいいとも思える。だが、事はそう簡単ではない。魚鱗族も金竜公に仕える海の眷属であって敵ではないのだ。
しかし、泳ぐというのは……マリアにとってなかなか辛いものだった。
マリアはかつて、船舶での訓練中に重い鎧を着けたまま足を踏み外し、水中に落下して溺れかけた。そのせいで水を恐れていたのだが、半ば強制的に水中に連れ込まれてしまえば、トラウマなどと言っている場合ではない。
怯えるマリアの顔を見て、リキオーがニヤニヤと笑い、アネッテもクスクス笑っている。そんな二人を見て、マリアはカアッと顔を赤らめていた。
皆が水中に慣れたところで、リキオーが呟く。
「面白いよな、水の中にいるのに普通に会話できるんだから」
「確かに、これは面白いな」
マリアもさっきまでの恨み節はどこ吹く風で、自分も声を出したり、水中で手を振ってみたりして、普段接する水との違いを確かめていた。
多少、エコーが掛かって聞こえるものの、コミュニケーションを取るのに問題はない。
移動に関しては水の抵抗はほとんどなく、足を動かすと水のほうから逃げていくようだ。地面を蹴ると、無重力状態のように慣性のまま進むことができた。
ハヤテやカエデもそれぞれ、水の中でバタ足をしたり、壁を蹴ったり、はたまた間違って頭をぶつけ合ったりして、水の中での移動の感覚を確かめている。
水中を漂いながら、リキオーはアネッテに問う。
「アネッテ、このウンディーネの加護だけど、どれくらい持つの?」
「えっと、私の魔力が尽きるまでなら維持できますね。だから大丈夫ですよ。このまま戦闘になっても、加護が解かれることはありません」
ウンディーネの加護は、対象となるパーティメンバー数によって消費MPが増える。加護を維持したまま戦闘をすればすぐにMPが尽きてしまうものだが、アネッテは元からのMP量も多く、MPを節約できるテクニック「アーツ」が使えるので、戦闘になっても消費MPを抑えることができた。それに加えて、レベル50になっているため、スキル【自動MP回復】も今や最大レベルで持っている。
また、【マスターモード】解禁により「ガーディアン」の【覚醒】で、いつでも最大MPを維持できるとあって、彼女のMPが尽きることは、どれほど高位の攻撃魔法を連発したとしてもあり得ない。つまり、ウンディーネの加護が切れることは、彼女の意思による解除以外ないということだ。
加護が切れる心配がないことを確認したリキオーは、兼ねてより考えていた突飛な作戦を皆に告げる。
「みんな、移動の方法は確認したか。アネッテ、この水ごと移動できるよな? よし、行くぞ」
リキオーの作戦はこうである。
ウンディーネの加護は水に潜るときに使われ、呼吸や移動を助けるものだ。だが、魔力操作のスキルがあれば、水ごと移動することもできる。ここにある水は、長い洞窟に沿っているので、いわば巨大な蛇のような形をした水の中に全員が入っている状態。リキオーはこの水ごと移動しようというのだ。傍から見たらそれは奇妙な光景だろう。
「では、いきます!」
アネッテが杖を掲げて進行方向を見据えると、洞窟から透明な蛇が剥がれるように、ズズズという感じに水ごと前進する。中にいるリキオーたちもそれに合わせて移動していく。
出口の前で壁にびっしりと張りついていた魚鱗族が、巨大な水の蛇がやってくるのに気づいて耳障りな歯ぎしりと足音を立てて反応した。しかし、鎌首をもたげた水の蛇に対して、どう反応していいのか分からずにいる。
魚鱗族を横目に、リキオーがアネッテに尋ねる。
「上手くいきそうか?」
「大丈夫です」
アネッテは、自信を漲らせて頷いた。
彼女の体の輪郭をなぞるように魔力が走ると、パーティを包んだ水が勢いよく縦穴を駆け上がっていく。そして、水の蛇ごとリキオーたちはそのまま運ばれていった。
水の蛇が通り抜ける際、壁際に掴まって体を支える魚鱗族の群れが見えた。どうやら彼らはそうした姿勢を長く取っているだけで消耗しているらしく、力尽きた個体がポロポロと脱落し、底へと落ちていく。海の眷属である彼らが、そうまでして水を拒否するのは、どのような理由があるのだろうか。
リキオーは魚鱗族の不可解な生態を見て不思議に思いながらも、「おお」と感嘆のため息を上げた。水の外で手にした槍を持ち上げて、こちらに攻撃しようとしている魚鱗族が何匹かいたからである。
そのうちの一匹が槍を持ち上げて、水に触れた瞬間、ギュルギュルと水面に現れた渦に巻き込まれてどこかに飛ばされていった。
それ以降、彼らが手出ししてくることはなかった。
「奴らも手出しできない存在だと気づいたようだな。これなら、なんとかうまくいきそうだ」
「はーっ、姉さまの魔法は凄いな、いつ見ても」
マリアは、魔力を発しながら現状の維持に努めているアネッテを見つめて、眩しいものでも見るように目を眇めていた。
水は蛇状態のまま上の横穴まで到達し、しばらくそのまま進んだ。
魚鱗族の群れが追ってこないのを確認すると、リキオーはアネッテに頷いて加護を解除させる。加護が解けるのと同時に、彼らを包んでいた水の蛇はパッと霧散した。
凄い手品でも見せられているようで、命令したリキオーでさえその光景に言葉もなかった。精霊によって維持させられていた現象なので、魔力が途切れると劇的な変化を見せるのだ。
マリアは水が苦手というトラウマを乗り切ったというのもあって、疲れた表情を見せた。そして、その場にへなへなと尻餅を突いてしまう。さっきまで平気な顔を見せていたが、やはり無理をしていたようだった。
リキオーは、そんな風にして座り込んだマリアを見下ろして苦笑すると、彼女の肩を叩いて労ってやった。
アネッテがフッと息を吐いて呟く。
「ふう。なんとかなりましたね」
「ああ、お疲れ。少し休んでいくか?」
「いいえ、私は問題ありません。まだ魔力も余裕ありますし」
アネッテはそう強がっていたものの、リキオーは彼女のステータスを確かめてみた。
確かに彼女のMPはまだ半分近く残っている。ウンディーネのような上位精霊を召喚し続けて加護を維持するということは……その間ずっと集中し続けなければならないし、スタミナもかなり消費するはずだ。
余裕を持ってアネッテを回復させておきたいとも思ったが、あの不気味な魚鱗族の姿を見たあとでは、少しでも早く解決の糸口を得るためにも、金竜公の元に着いておきたい。
リキオーは、先を急ぐことを優先することにした。
「休みたいところだが、そうも言っていられないかもな。よし、このまま進むぞ」
「はい」
アネッテの返事に合わせるようにマリアも一息吐くと、そのまま立ち上がった。そうしてマリアは、リキオーに頷いてみせる。
今、彼らがいる洞窟は、途中何度か水溜まりはあったものの、ほぼ乾ききっていて足元も問題ないレベルで移動は楽だ。ずっと上り調子の坂なので、このまま行けば、リュウグウに着けるのかもしれない。
それにしても、先ほど通ってきた地下通路は難関だった。魚鱗族の存在を除外しても、かなり困難な道のりだったと思う。
古老の話では、昔の人はこの道を使っていたということだったが、秘密のルートでもあったのだろうか。リキオーたちはアネッテの魔法に助けられ、一気に駆け抜けたが、地元の者たちにそうした助けがあったとは思えない。
昔の人たちがどうやってこのルートを使っていたのか。そんなことに思いを馳せながら、リキオーは進んだ。
ずっと上り調子の洞窟を進むことおよそ数時間、やっと終りが見えてきた。明らかに日の光だ。リキオーがややテンション高めに声を上げる。
「おお、やっと地上か!」
リキオーたちが出てきたところは、海岸に穿たれた出口のようだった。
ザバーンザバーンと波が打ち寄せる音がして、飛沫が岩にぶつかって跳ねている。潮の香りはするが、洞窟の中のような腐った臭気ではなく爽やかな香りだ。それに潮の香りだけでなく、花のような芳香も感じられた。
波の弾ける方向をたどっていく。
しばらくしてたどり着いた穏やかな波が打ち寄せる岩礁には、下半身がイルカのようになった海人族がいた。男女ともに簡素な貫頭衣のような服を着ている。
リキオーがマップで確かめると、確かにそこはリュウグウ島と表示されていた。
「よし、ここがリュウグウ島らしい」
「はあ。良かった。また変な場所に着いたらどうしようと思っていました」
アネッテが胸を撫で下ろして安心したように呟いた。そんな風に安堵するリキオーたちに向かって、海人族たちがおずおずといった様子で近寄ってくる。
「もしかして、あなた方は本島のほうからやってきたのですか?」
「本島? ああ、俺たちはルフィカールからやってきた冒険者だ。ヴァルデマル大公からあなたたち海人族が無事かどうかを確かめてほしいと依頼されたんだ」
リキオーが一人の青年から尋ねられて答えると、周囲の海人族は感動したように次々に声を上げる。
和やかな雰囲気だが、リキオーは不自然さを感じていた。先祖返りによってここを目指した海人族はこんなに少ないわけがない。
念のため、リキオーは尋ねてみた。
「すみませんが、皆さんたち先祖返りをした海人族はここにいるだけなのですか?」
「ええ、ここにいるのがほとんどです。あとは金竜様の神殿にお仕えしている者がいますが、それも僅かですので」
青年が戸惑ったように答えた。そうして疑問を発する。
「もしや、向こう側には、私たちのような姿をした仲間たちは残っていないのですか……」
リキオーはゴクッと唾を呑み込み、そして頷いた。
確かに彼の言う通り、リキオーたちはルフィカールに入る前も入ってからも、先祖返りした海人族の姿を見ていない。彼らのように水の中から離れられないのであれば、その姿は町の中にあれば目立つだろう。
町の中には縦横に水路が入り組んでいる。それらは、先祖返りした海人族が町中を移動しやすいようにという配慮だと聞いていたが、それらが使われている形跡はなかった。
となれば、リュウグウに渡らなかった海人族はどこに行ったのだろう。どう考えても嫌な考えしか浮かばない。
魚鱗族が命を削ってまで海に入るのを拒むことと、消えた大量の海人族。そしてあの日、シャポネから帰ってきたときに、リキオーが遥か彼方の海で見た不気味な光景。
すべてが繋がっているような気がする。
ともかく、鍵を握っているのは金竜公に違いない。
この海に生きるあらゆる民に信奉されるリュウグウの太守、この地を統べる竜、金竜公。その存在に会えば、少なくとも事実の一端は掴めるはずだ。
リキオーは単刀直入に告げた。
「ええ、事の真相は分かりませんが、金竜公にお目通り願いたい」
「では、こちらに」
周りに集まっていた海人族たちは左右に分かれて、リキオーたちを奥へ誘う。
リキオーが奥を見ると、開けた神殿になっているようだった。彼らに導かれるままに、奥へ進んでいくと、そこには荘厳な眺めが広がっていた。
ローマ形式の太い大理石の柱が何本も立っており、その間を縫うようにして水路が走っている。水路を使えば海人族も神殿の奥に進めるようになっているようだ。
元は天井も屋根の部分があったのだろうが、今は失われたのか柱だけが並んでいる。しかし、その柱の林立する中を歩いているだけでも、そこが神聖な場所だということが認識させられ、その雰囲気に包まれて歩いているだけで厳かな気分になるのだった。
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