恋愛探偵は堕とされない。

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第3章 あるいは虚堂懸鏡な女神。

第22話 恋の弱み

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 『軽々しくそんなことを訊くなんて』。
そう言われてもおかしくない、不躾な質問。
しかし意外にも、紅亜は少し困った顔で笑った。

「あなたのそういうところ、本当に見かけによらないんだから。でもごめんなさい、その質問に答えるのは少し難しいの。前に私が言ったこと覚えてる?『私は優秀な人が好き。それも、とびきりの』 …って。けど残念なことに、そんな人にまだ出会えたことがなくて」

――好きな人の、恋の話。
自分の心拍数がどんどん上がっていくのがわかる。
そんな瑞帆を面白そうに眺めながら、紅亜は話し続ける。

「だから…ってわけじゃないけどね。誰かを特別好きだと思えたことは、今まで一度もなくて。それに私はそもそも、恋愛感情と言うものに対して好意的な印象をもっていないから。人の論理的思考と判断力を鈍らせて、時に短絡的で愚かな行動に奔らせる…不幸にも人間に備わってしまった、愚かな機能の一つとしか思えない」
「じゃあ、どうして」
「どうしてこんな研究をしているのかって?それはね、恋や愛といった極めて個人的で執着性の高い感情は、その想いが強ければ強いほど、人の“弱み”になり得るから。そして人の弱みは、大きなビジネスの種になる。生活、経済、時には一国の行く末にまで影響を及ぼせるほどの、ね。だから人の好意的感情を恣意的に操作できるとしたら、そのメリットは計り知れない……なんて、ちょっと喋りすぎちゃった。誰にも言ったことなかったのに」

――誰にも言ったことがない。けれど、自分だけに話してくれた?
それだけで途方もなく嬉しくなってしまうのは、自惚れが過ぎるだろうか。
表情から何も悟られないように、瑞帆は奥歯に力を入れた。
一方の紅亜は、瑞帆から目を逸らして切なげに目を伏せた。

「けどね、時々不安になるの。私の研究は、きっとこの先どこかで行き詰る…って。それは必ず在るはずの“恋愛”の肯定的な側面を、まだ私自身が実感できていないから。もしかしたら、一生わからないのかもと思ってしまうくらい」
「…そんなこと、ないですよ」
「本当に?どうしてそう思うの」
「それは……」
「いいの、わかってる。だって私が誰も好きにならないとしたら、あなたも困ってしまうものね」

紅亜がまた、くすっと笑った。
そう。紅亜が一生誰も好きになれないというのなら、瑞帆も一生報われないのだ。
そのことを茶化されたのだと気づき、顔から火が出そうになる。

「ごめんなさい、からかいすぎちゃった。でもね、私は前に『あなたに期待したい』とも言ったでしょ。それは本当。誰かを好きになる気持ちを知りたいって、本気で思ってるから。実はそのためにね、今日はちょっとしたお願いをしようと思っていたの。あなたの恋の話を、たくさん聞かせて欲しいなって」
「え…っと、それは……?」
「全然難しいことじゃないの。あなたが私に恋した時の話…いつ、どうして、どこを好きになったの?その時どんな感じがした?今はどう?気持ちはどう変化してる?それとも、してない?……そういったことを、聞かせて欲しいだけ」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなこと急に言われても――」
「だめ?」
「だめとかそういうことじゃなくて、その、普通にはず、恥ずかしくて無理と言うか、」
「素の私を見ても、変わらず好きでいてくれたあなたの話を聞きたいの。そうしたら私も、恋をして人を好きになることが素敵なことだと思えるんじゃないかって…でも確かに、普通に考えたら嫌よね。私ってば自分のことばかりで、あなたの気持ちを考えられていなかった。ごめんなさい」
「いや…」
「あなたに色々と教えてもらえたら、私もあなたと同じ気持ちになれるかなって思ってしまったの。でも、もうこの話は忘れて――」
「大丈夫です。全然無理じゃないです。なのでその、いくらでも」

食い気味に瑞帆は答えた。
自分はなんてバカなんだ。せっかく紅亜が自分を望んでくれているのに「無理」だなんて。紅亜への気持ちはもうとっくにバレているのに、今さら恥ずかしいも何もないだろう。無理なことなんてあるわけがない。
紅亜は少し驚いた顔を見せて、照れながら微笑んだ。

「本当に?ありがとう、すごく嬉しい!そしたら、これから毎週末会ってお話しましょう。いつも同じ曜日、同じ時間に、ここであなたを待ってるから。なんだか秘密のデートみたいね」

小悪魔めいた眼差しで、瑞帆の目をまっすぐ見つめる紅亜。

「たくさん話しましょうね。甘ったるくて生産性が無くて、時間を無駄に浪費するだけの話を…まるで恋人同士みたいに。ねぇ、瑞帆」

瑞帆は黙って頷いた。
その声で、上目遣いで。最後に名前を呼ぶのはずるい。
けれどふと気づいた。『ずるいなんて、今さらじゃないか』と。

だって、この人は。
僕が紅亜自分のためなら、紅亜自分との時間のためなら――何にだって喜んで従うのだと、最初から知っているのだから。
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