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第四章
44 茶髪の子供、柔らかい手のひら
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外の光景を実際に目にしてはいないが、想像はできる。人懐っこいテオバルトは父の足にしがみついているだろう。きっと父も、弟の茶色い髪を撫でているはずだ。
テオバルトはまだ五歳の弟だが、既に賢い子供だと言われ、公爵邸の使用人たちからも可愛がられている。ロドリックはまだ公爵邸にやってきたばかりなので、西棟のテオバルトとはあまり関わる機会がない。
公爵邸を離れている間に、かなり成長していたのでロドリックも驚いたのだ。父は戦いの合間で幾度か彼らの元に帰ってきていたようなので、テオバルトは父を父上として認識しているようだった。
一方でロドリックはまるきり公爵邸とは無関係に四年を過ごしていた。弟はロドリックを、兄としてはあまり意識していないようで、話す時には敬語で接される。
その話し方からしても、テオバルトが賢い子なのは窺えた。五歳にして図書館の本も読める上に計算も得意らしく、その優秀さからして、きっとアルファだろうと噂されている。
父とロドリックもアルファ性だ。アルファ性は能力の優れた人間が多いと言われていて、騎士団長の父は、まさしくアルファの男だった。
身体的に発達しており、その立派な体躯で戦場を駆け、敵など皆無な強さを見せる。騎士団員達も恐れ慄くほどの覇気を放つらしい。
その父の子供であるロドリックもまた身体的な面からアルファ性だと明らかで、十歳にしては背も高く、自分より体の大きな同い年を見たことがないほどだった。
きっと父のような頑丈な体になるのだろう。テオバルトはどうだろうか。頭が良い点からしてアルファ性の素質があるが、身体的な面ではまだ測りきれない。五歳の子供にしては、大きいのか?
自分が子供の頃のことはあまり思い出せなくて比較が難しかった。テオバルトはたまに、父の両腕に抱えられて庭を散歩しているが、ロドリックが父に抱きかかえられたことは一度もない。加えて六歳以降のロドリックはヘルダー伯爵邸で過ごしていたので、公爵邸には過去の記録が殆どない。
「ところでロドリック、伯爵邸には次はいつ帰ってくるんだ?」
ディーターが問いかけてくるので、ロドリックは少し悩んでから答えた。
「公爵様が次に国境へ向かうのは、おそらく数ヶ月後になると思う」
「そうか。その時には、帰ってくるんだな」
「ん」
現在、ベルマニアとは一時停戦している。騎士団たちも帰還しているので、ロドリックも公爵邸に帰ってきた。現在は次期騎士団長へ向けて教育を受けているところで、近いうちに軍事訓練にも参加する予定だ。
不安はあるけれど、エデル公爵家の次期当主としての義務を果たさなければならない。砦である公爵家に生まれてきたのだから、当然だ。
「テオバルト君は騎士になるのか?」
……しかし公爵家の子供だとしても、テオバルトが戦場へ向かうことはないだろう。
戦場は死に溢れているらしい。
弟が向かうような場所ではないし、それは父が許さない。
脳裏を過ぎるのは、つい数日前に見た、父が弟を抱えて庭を散歩する姿だ。父は弟の茶髪を撫でていた。弟の柔らかそうな手が父の頬に触れていた。ロドリックは硬い手のひらを自分の指で触りながら、ソレを遠くから眺めている。
記憶を頭から追い出して、ロドリックは、「いや」と首を振った。
「彼は領地経営の教育をされる予定だ。騎士にはならないよ」
「へぇ。役割分担だな」
ロドリックが戦死すれば次期当主はテオバルトになる。生存率を上げるためにも、兄弟揃って騎士になることは絶対にない。
ロドリックが使い物にならなくなった場合の騎士団長は、名家出身の騎士の中から抜擢されるらしい。ロドリックはそれを思うと心配になって、自分の黒髪を弄った。
そして呟く。
「ディーター、君は公爵騎士団に入団するのか?」
「そのつもり。ロドリックもいるしな」
「……」
「なんだ、その顔は?」
ディーターは不思議そうにこちらを見遣る。ヘルダー伯爵家の男達はその殆どが騎士となっている。
ディーターも同様に騎士になるだろう。本来ヘルダー伯爵家の騎士達は、王室騎士団や中央都市の騎士団へ入団することが多い。
しかしディーターはエデル公爵家の騎士団に入団する意思を見せ始めた。
ありえない。中央や憲兵へ志願すれば、安全であるし安泰だ。
「まだ入団試験まで時間はある。よく考えたほうがいい」
伯爵家の子供であるにもかかわらず前線へ向かう公爵騎士団へ入団するなど、どうかしている。
小さく呟くと、ディーターはふっと笑った。
「もしかして俺を心配しているのか?」
「いや、別に……」
「俺だってロドリックほどではないが、うまく戦えるさ」
何も公爵騎士団へ入団する必要はない。まだ気は晴れないが、ディーターはヘラっと笑う。眼鏡をかけて、頭もいいから、ディーターは生真面目な子に見られがちだが、実はかなり陽気な男だった。
「それよりもお前はどうなんだ? ロドリックはあと五年以内には、戦場へ向かうんだろ?」
「そう決まっている」
「……」
しかしそのディーターが突然、表情を硬くする。
先ほどまではロドリックが心配して話していたのに、途端にディーターの方が不安そうな顔を見せたのだ。
彼は窓際からソファへと帰ってきて、テーブル越しの真正面の椅子に腰掛けた。
「早くないか? 次期公爵様には、十五歳で戦場なんて危険だ」
「あぁ」
それを心配しているのか。ロドリックは危険性について否定はせずに返した。
「公爵としてはそうかもしれないけど、俺は騎士団長になるから」
「けど……」
「当然の役目だ」
「……まぁ停戦状態が続くかもしれないしな」
どうだろう。父からは、一年以内には戦争が再開すると聞かされている。
しかし母が言うように、終わるかもしれない。
母は言っていた。終わらせる、と。
ディーターは本を手に取りながら、ぼんやりと告げた。
「もしかしたら、今後国境が揺らぐことはないかもしれない……」
終わるのかも、しれない。
――しかし、ロドリックは出陣した。それから三年後の十三歳の秋だった。
テオバルトはまだ五歳の弟だが、既に賢い子供だと言われ、公爵邸の使用人たちからも可愛がられている。ロドリックはまだ公爵邸にやってきたばかりなので、西棟のテオバルトとはあまり関わる機会がない。
公爵邸を離れている間に、かなり成長していたのでロドリックも驚いたのだ。父は戦いの合間で幾度か彼らの元に帰ってきていたようなので、テオバルトは父を父上として認識しているようだった。
一方でロドリックはまるきり公爵邸とは無関係に四年を過ごしていた。弟はロドリックを、兄としてはあまり意識していないようで、話す時には敬語で接される。
その話し方からしても、テオバルトが賢い子なのは窺えた。五歳にして図書館の本も読める上に計算も得意らしく、その優秀さからして、きっとアルファだろうと噂されている。
父とロドリックもアルファ性だ。アルファ性は能力の優れた人間が多いと言われていて、騎士団長の父は、まさしくアルファの男だった。
身体的に発達しており、その立派な体躯で戦場を駆け、敵など皆無な強さを見せる。騎士団員達も恐れ慄くほどの覇気を放つらしい。
その父の子供であるロドリックもまた身体的な面からアルファ性だと明らかで、十歳にしては背も高く、自分より体の大きな同い年を見たことがないほどだった。
きっと父のような頑丈な体になるのだろう。テオバルトはどうだろうか。頭が良い点からしてアルファ性の素質があるが、身体的な面ではまだ測りきれない。五歳の子供にしては、大きいのか?
自分が子供の頃のことはあまり思い出せなくて比較が難しかった。テオバルトはたまに、父の両腕に抱えられて庭を散歩しているが、ロドリックが父に抱きかかえられたことは一度もない。加えて六歳以降のロドリックはヘルダー伯爵邸で過ごしていたので、公爵邸には過去の記録が殆どない。
「ところでロドリック、伯爵邸には次はいつ帰ってくるんだ?」
ディーターが問いかけてくるので、ロドリックは少し悩んでから答えた。
「公爵様が次に国境へ向かうのは、おそらく数ヶ月後になると思う」
「そうか。その時には、帰ってくるんだな」
「ん」
現在、ベルマニアとは一時停戦している。騎士団たちも帰還しているので、ロドリックも公爵邸に帰ってきた。現在は次期騎士団長へ向けて教育を受けているところで、近いうちに軍事訓練にも参加する予定だ。
不安はあるけれど、エデル公爵家の次期当主としての義務を果たさなければならない。砦である公爵家に生まれてきたのだから、当然だ。
「テオバルト君は騎士になるのか?」
……しかし公爵家の子供だとしても、テオバルトが戦場へ向かうことはないだろう。
戦場は死に溢れているらしい。
弟が向かうような場所ではないし、それは父が許さない。
脳裏を過ぎるのは、つい数日前に見た、父が弟を抱えて庭を散歩する姿だ。父は弟の茶髪を撫でていた。弟の柔らかそうな手が父の頬に触れていた。ロドリックは硬い手のひらを自分の指で触りながら、ソレを遠くから眺めている。
記憶を頭から追い出して、ロドリックは、「いや」と首を振った。
「彼は領地経営の教育をされる予定だ。騎士にはならないよ」
「へぇ。役割分担だな」
ロドリックが戦死すれば次期当主はテオバルトになる。生存率を上げるためにも、兄弟揃って騎士になることは絶対にない。
ロドリックが使い物にならなくなった場合の騎士団長は、名家出身の騎士の中から抜擢されるらしい。ロドリックはそれを思うと心配になって、自分の黒髪を弄った。
そして呟く。
「ディーター、君は公爵騎士団に入団するのか?」
「そのつもり。ロドリックもいるしな」
「……」
「なんだ、その顔は?」
ディーターは不思議そうにこちらを見遣る。ヘルダー伯爵家の男達はその殆どが騎士となっている。
ディーターも同様に騎士になるだろう。本来ヘルダー伯爵家の騎士達は、王室騎士団や中央都市の騎士団へ入団することが多い。
しかしディーターはエデル公爵家の騎士団に入団する意思を見せ始めた。
ありえない。中央や憲兵へ志願すれば、安全であるし安泰だ。
「まだ入団試験まで時間はある。よく考えたほうがいい」
伯爵家の子供であるにもかかわらず前線へ向かう公爵騎士団へ入団するなど、どうかしている。
小さく呟くと、ディーターはふっと笑った。
「もしかして俺を心配しているのか?」
「いや、別に……」
「俺だってロドリックほどではないが、うまく戦えるさ」
何も公爵騎士団へ入団する必要はない。まだ気は晴れないが、ディーターはヘラっと笑う。眼鏡をかけて、頭もいいから、ディーターは生真面目な子に見られがちだが、実はかなり陽気な男だった。
「それよりもお前はどうなんだ? ロドリックはあと五年以内には、戦場へ向かうんだろ?」
「そう決まっている」
「……」
しかしそのディーターが突然、表情を硬くする。
先ほどまではロドリックが心配して話していたのに、途端にディーターの方が不安そうな顔を見せたのだ。
彼は窓際からソファへと帰ってきて、テーブル越しの真正面の椅子に腰掛けた。
「早くないか? 次期公爵様には、十五歳で戦場なんて危険だ」
「あぁ」
それを心配しているのか。ロドリックは危険性について否定はせずに返した。
「公爵としてはそうかもしれないけど、俺は騎士団長になるから」
「けど……」
「当然の役目だ」
「……まぁ停戦状態が続くかもしれないしな」
どうだろう。父からは、一年以内には戦争が再開すると聞かされている。
しかし母が言うように、終わるかもしれない。
母は言っていた。終わらせる、と。
ディーターは本を手に取りながら、ぼんやりと告げた。
「もしかしたら、今後国境が揺らぐことはないかもしれない……」
終わるのかも、しれない。
――しかし、ロドリックは出陣した。それから三年後の十三歳の秋だった。
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