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第三章
26 口の軽さ
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自分が弟のことばかり気にしているのを、ロドリックは自覚しているのか。ユリアンは不思議に思う。これだけ弟を気遣っているようなのに、なぜ二人が良好な関係ではないのだろう。
聞こうか聞かまいか。ロドリックに気を遣うことと、疑問を口に出さずにいること。ユリアンはその二つを天秤にかけたが、疑問を抱え込むことの鬱陶しさを重要視した。ロドリックの部屋に帰ってくるタイミングで、早速提案してみる。
「テオバルト様に言ってみたらどうです? 喜ぶかもしれませんよ」
テオバルトが良い狙撃手になると言われても喜ぶかは不明で、ユリアンも自分自身いい加減だなと思える言葉だった。
実際ロドリックも「いい加減じゃないか?」と眉根を寄せる。
「何を仰るんですか。それはロドリック様の褒め言葉でしょう? きっと喜びますよ」
「ユリアンのその口調が、いい加減なんだ」
「えー?」
「『僕は適当言ってます』とでも言うような半笑いを浮かべてるぞ」
そうなのか。自覚がなかった。自分の表情は正直らしい。
ユリアンは「いや、そんなことないです」と逃げるように書斎へ向かう。勝手に扉を開いた時、背中に「おい!」と焦りの滲んだ声が届いた。
そしてユリアンは、書斎の机の上に視線を向けた。
「……」
ちょうどロドリックが追いついて、ユリアンの手首を握ってきた。
「勝手に入るな」
「……はい」
一度書斎から退室させられるのでユリアンは素直に従う。やはりロドリックに怒った様子はなく、彼は机の上を見られたことに関して何も言わず、ユリアンを残して書斎に入っていく。
暫くして扉が開き、ロドリックが現れる。促されるままもう一度その部屋に入ると、机の上には何も無くなっていた。
椅子には古いコートが掛けられている。それはついさっき目にしたまま変わらなかったが、物が散らばっていた机上は魔法のようにまっさらになっていた。ユリアンは先程見たものについては触れず、「テオバルト様に」と話を続けながら本棚の前を歩き始めた。
「話してみたらどうです? 僕とロドリック様とテオバルト様で、狩猟をしませんか、と」
「なぜ俺が参加するんだ」
「したいんじゃないんですか?」
だいぶ書斎の奥までやってきたため、ロドリックの顔は見えない。椅子を引く音が聞こえた。ロドリックが腰掛けたようだ。
「テオバルトが居心地悪いだろう」
ロドリックは否定せずに、弟の感情を想像してそう答えた。
ユリアンは立ち止まり、棚に並べられた本を見上げる。
「どうしてそう思うんですか?」
「普段から話さないんだ。もう何年も前から」
「話しかければいいじゃないですか。兄弟なんだから」
ユリアンにはロドリックの顔が見えない。
想像するロドリックの顔が、なぜか黒く塗り潰されている。
「……昔、初めて人を殺した夜に、テオバルトに話しかけられたことがある」
ユリアンは薄く唇を開き、こっそり息を止めた。
「だが俺はそれを無視した」
机上を見られたせいなのか。ロドリックも投げやりな気分のようで、滔々と過去を語り出す。
こちらから彼の顔が見えないように、ロドリックもユリアンがどんな表情をしているか知らない。
ユリアンも自分を見せようとはしなかった。
ロドリックは然程間をおかず、諦念と後悔に充溢した声で告げた。
「テオバルトには家のことを任せきりで我慢をさせた」
二人の父母は、兄弟が幼い頃に亡くなっているらしい。
テオバルトが十歳、ロドリックは十五歳の頃に前エデル公爵が戦死し、夫人はテオバルトが十二歳の時に亡くなっている。
ロドリックは十七歳だった。
「テオバルトには」
テオバルトには、その頃から家令の元で領地の経営を学ばせた。テオバルトと同世代の令息らは王立アカデミーに通う者もいて、まだ母が健在の時代には公爵家の雰囲気も明るく、戦時中で過酷ではあったが、テオバルトにも笑顔が見られたようだ。
しかし大人達を失い、テオバルトは子供の時間を過ごすことができなかった。弟に大人になることを強制したのは兄だ。
「無理をさせた。兄らしいことをひとつもしてこなかった」
ロドリックの初陣は十三歳だ。二十二歳で一回目の停戦に至るまで、ほとんどの時間を戦場で過ごしている。
その間の公爵家はテオバルトに任せきりにしていた。
ロドリックはけれど、淡々と語った。彼の声は低く暗いが、それがロドリックの正常なのだ。
「もっと早く戦争を終わらせるべきだった」
ユリアンは適当に一冊本を引き抜き、ロドリックの元へ歩いていく。
想像した彼の顔は真っ黒であったが、実際のロドリックはランプの灯りに照らされて、顔がある。無表情な横顔ではあるが、きちんと顔がある人間が、その大柄な体に反して静かに言う。
「俺のせいで不自由な生き方をさせた」
「良かったですね」
「……は?」
ロドリックがこちらを見上げた。
無表情は消えて、驚きと訝しさが共存する目を見開いている。
もう今更だ。ロドリックには『いい加減な』ことを言う男だと思われている。ユリアンは臆さずに、思ったことをそのまま告げた。
「テオバルト様の子供の時間を奪って良かったですね」
「……何を」
「無理をさせたおかげで、結果的に二人とも生き延びたんですから」
「……」
また表情が変化するのが分かった。その黄金の瞳がみるみる落ち着いていくのだ。
どこか気の抜けたような真顔になったロドリックは、数秒の沈黙の後、呟く。
「なるほど」
ユリアンは「この本を借ります」と表紙を胸の前で揺らしてみせる。
ロドリックは「……あぁ」と頷き、腰を上げた。
書斎から出る時はロドリックが扉を開いてくれて、ユリアンが先に退室した。ロドリックは書斎の扉を閉じながら、「聞きたいことがある」と言う。
「何ですか?」
「テオバルトの誕生日が近い」
「はぁ」
「欲しい物があるか聞いてみてくれ」
自分で聞けばいいのに。だがまだ素直になれないのだろう。ユリアンは仕方なく思って「はい」と頷くが、続いて付け足した。
「ロドリック様が知りたがってるとお伝えしますね」
「何でだ」
ロドリックは顔を顰め、ビクッと目を細くした。
「伝える必要はない」
「僕が何を言おうと僕の自由じゃないですか」
「何だと?」
「僕はね、口が軽いんです」
「……」
唖然としたロドリックだが、結局言い返せずに、「胸を張ることじゃないだろ……」と力無く言う。困惑する姿が可哀想に思えて、一応「冗談ですよ」と言ってみると、ロドリックは怯むように唇を引き締めた。
ユリアンは軽く微笑んでやって、「それはそうと、先ほどの果実を剥いて差し上げましょうか?」と提案した。ロドリックは「冗談だと信じてるぞ」と言いつつも、諦めたように吐息を吐き、果実をユリアンに手渡した。
「テトって今、何か欲しいものはある?」
「いきなり何だ?」
「もうすぐ誕生日だよね」
「そうだけど」
「ロドリック様が悩んでるんだ」
ティータイムの最中に早速切り出すと、その弟は困惑した様子で呟いた。
「兄さんが?」
聞こうか聞かまいか。ロドリックに気を遣うことと、疑問を口に出さずにいること。ユリアンはその二つを天秤にかけたが、疑問を抱え込むことの鬱陶しさを重要視した。ロドリックの部屋に帰ってくるタイミングで、早速提案してみる。
「テオバルト様に言ってみたらどうです? 喜ぶかもしれませんよ」
テオバルトが良い狙撃手になると言われても喜ぶかは不明で、ユリアンも自分自身いい加減だなと思える言葉だった。
実際ロドリックも「いい加減じゃないか?」と眉根を寄せる。
「何を仰るんですか。それはロドリック様の褒め言葉でしょう? きっと喜びますよ」
「ユリアンのその口調が、いい加減なんだ」
「えー?」
「『僕は適当言ってます』とでも言うような半笑いを浮かべてるぞ」
そうなのか。自覚がなかった。自分の表情は正直らしい。
ユリアンは「いや、そんなことないです」と逃げるように書斎へ向かう。勝手に扉を開いた時、背中に「おい!」と焦りの滲んだ声が届いた。
そしてユリアンは、書斎の机の上に視線を向けた。
「……」
ちょうどロドリックが追いついて、ユリアンの手首を握ってきた。
「勝手に入るな」
「……はい」
一度書斎から退室させられるのでユリアンは素直に従う。やはりロドリックに怒った様子はなく、彼は机の上を見られたことに関して何も言わず、ユリアンを残して書斎に入っていく。
暫くして扉が開き、ロドリックが現れる。促されるままもう一度その部屋に入ると、机の上には何も無くなっていた。
椅子には古いコートが掛けられている。それはついさっき目にしたまま変わらなかったが、物が散らばっていた机上は魔法のようにまっさらになっていた。ユリアンは先程見たものについては触れず、「テオバルト様に」と話を続けながら本棚の前を歩き始めた。
「話してみたらどうです? 僕とロドリック様とテオバルト様で、狩猟をしませんか、と」
「なぜ俺が参加するんだ」
「したいんじゃないんですか?」
だいぶ書斎の奥までやってきたため、ロドリックの顔は見えない。椅子を引く音が聞こえた。ロドリックが腰掛けたようだ。
「テオバルトが居心地悪いだろう」
ロドリックは否定せずに、弟の感情を想像してそう答えた。
ユリアンは立ち止まり、棚に並べられた本を見上げる。
「どうしてそう思うんですか?」
「普段から話さないんだ。もう何年も前から」
「話しかければいいじゃないですか。兄弟なんだから」
ユリアンにはロドリックの顔が見えない。
想像するロドリックの顔が、なぜか黒く塗り潰されている。
「……昔、初めて人を殺した夜に、テオバルトに話しかけられたことがある」
ユリアンは薄く唇を開き、こっそり息を止めた。
「だが俺はそれを無視した」
机上を見られたせいなのか。ロドリックも投げやりな気分のようで、滔々と過去を語り出す。
こちらから彼の顔が見えないように、ロドリックもユリアンがどんな表情をしているか知らない。
ユリアンも自分を見せようとはしなかった。
ロドリックは然程間をおかず、諦念と後悔に充溢した声で告げた。
「テオバルトには家のことを任せきりで我慢をさせた」
二人の父母は、兄弟が幼い頃に亡くなっているらしい。
テオバルトが十歳、ロドリックは十五歳の頃に前エデル公爵が戦死し、夫人はテオバルトが十二歳の時に亡くなっている。
ロドリックは十七歳だった。
「テオバルトには」
テオバルトには、その頃から家令の元で領地の経営を学ばせた。テオバルトと同世代の令息らは王立アカデミーに通う者もいて、まだ母が健在の時代には公爵家の雰囲気も明るく、戦時中で過酷ではあったが、テオバルトにも笑顔が見られたようだ。
しかし大人達を失い、テオバルトは子供の時間を過ごすことができなかった。弟に大人になることを強制したのは兄だ。
「無理をさせた。兄らしいことをひとつもしてこなかった」
ロドリックの初陣は十三歳だ。二十二歳で一回目の停戦に至るまで、ほとんどの時間を戦場で過ごしている。
その間の公爵家はテオバルトに任せきりにしていた。
ロドリックはけれど、淡々と語った。彼の声は低く暗いが、それがロドリックの正常なのだ。
「もっと早く戦争を終わらせるべきだった」
ユリアンは適当に一冊本を引き抜き、ロドリックの元へ歩いていく。
想像した彼の顔は真っ黒であったが、実際のロドリックはランプの灯りに照らされて、顔がある。無表情な横顔ではあるが、きちんと顔がある人間が、その大柄な体に反して静かに言う。
「俺のせいで不自由な生き方をさせた」
「良かったですね」
「……は?」
ロドリックがこちらを見上げた。
無表情は消えて、驚きと訝しさが共存する目を見開いている。
もう今更だ。ロドリックには『いい加減な』ことを言う男だと思われている。ユリアンは臆さずに、思ったことをそのまま告げた。
「テオバルト様の子供の時間を奪って良かったですね」
「……何を」
「無理をさせたおかげで、結果的に二人とも生き延びたんですから」
「……」
また表情が変化するのが分かった。その黄金の瞳がみるみる落ち着いていくのだ。
どこか気の抜けたような真顔になったロドリックは、数秒の沈黙の後、呟く。
「なるほど」
ユリアンは「この本を借ります」と表紙を胸の前で揺らしてみせる。
ロドリックは「……あぁ」と頷き、腰を上げた。
書斎から出る時はロドリックが扉を開いてくれて、ユリアンが先に退室した。ロドリックは書斎の扉を閉じながら、「聞きたいことがある」と言う。
「何ですか?」
「テオバルトの誕生日が近い」
「はぁ」
「欲しい物があるか聞いてみてくれ」
自分で聞けばいいのに。だがまだ素直になれないのだろう。ユリアンは仕方なく思って「はい」と頷くが、続いて付け足した。
「ロドリック様が知りたがってるとお伝えしますね」
「何でだ」
ロドリックは顔を顰め、ビクッと目を細くした。
「伝える必要はない」
「僕が何を言おうと僕の自由じゃないですか」
「何だと?」
「僕はね、口が軽いんです」
「……」
唖然としたロドリックだが、結局言い返せずに、「胸を張ることじゃないだろ……」と力無く言う。困惑する姿が可哀想に思えて、一応「冗談ですよ」と言ってみると、ロドリックは怯むように唇を引き締めた。
ユリアンは軽く微笑んでやって、「それはそうと、先ほどの果実を剥いて差し上げましょうか?」と提案した。ロドリックは「冗談だと信じてるぞ」と言いつつも、諦めたように吐息を吐き、果実をユリアンに手渡した。
「テトって今、何か欲しいものはある?」
「いきなり何だ?」
「もうすぐ誕生日だよね」
「そうだけど」
「ロドリック様が悩んでるんだ」
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「兄さんが?」
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