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第二章

17 怪獣の腹の中

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 公爵邸は広く、主に三つの棟に分かれている。棟ごとに使用人も分かれており、有事の際にはそれぞれの棟を封鎖できるようになっている。
 ユリアンの暮らす部屋がある西棟はロドリックや騎士団員が暮らす東棟から最も遠い。中央の棟にはテオバルトや執事長たちが暮らしていて、かつて母が住んでいた西棟は主人の不在により使用していなかったが、ユリアンが暮らすに当たって整え、使用人を配置し直したのだ。
 西棟にやってくるのは十年ぶりだった。そもそもロドリックは人生の殆どを戦場か、訓練場、そしてヘルダー伯爵邸で過ごしており、邸宅内にいる時間は少ない。
 ここまで来る間に西棟はこんなに人気がないのかと驚いた。母とテオバルトが西棟で暮らしていた頃はもっと柔らかな印象を抱く屋敷だったが、今は冷たく、寂しい空気に包まれている。
 しかし、まさかユリアンの部屋にも人気がないとは思わなかった。
「公爵様!」
 すると、廊下の奥からテオバルトが数人の使用人を引き連れてやってくる。中には騎士団員も混じっており、皆、ずぶ濡れの姿をしていた。
 かなり切迫した様子で駆け寄ってきたテオバルトをロドリックは不審に思う。彼は「探しておりました」と息切れ混じりに吐き、次に衝撃の発言をした。
「ユリアン様が流されました」
「は?」
 瞠目するロドリックを見つめたテオバルトは、真っ青な顔を苦しげに歪ませる。それから一度息を震わせて、はっきりとした口調で言った。
「邸宅内で裏切り行為が発生しました。メイド長のカミラ夫人を捕らえております」
「……謀反か?」
 その時、脳裏を過ぎったのは、血に濡れた馬車だった。
 テオバルトは強く首を横に振り簡潔に述べる。
「カミラ夫人と一部の使用人達を牢に捉えて尋問にかけましたが、私怨による単独行動のようで、国防に影響はございません。カミラ夫人らがユリアン様のお住まいを西の森の小屋に移し、その事実を隠蔽していたのです」
 絶句するロドリックを見て、テオバルトはすぐさま膝を折った。地に跪いた彼は深く頭を下げて「大変申し訳ございません!」と声を張る。
 ロドリックは眩暈に襲われた。まさかこんなことが、この西の屋敷で起こるとは。だがロドリックはすぐに息を吐いた。弟の姿勢を正すことなく「流されたというのは」と説明を求めると、彼は素早く答えた。
「はい。メイド長の尋問中に降り出した雨で川が氾濫し、ユリアン様のお住まいが崩れた模様です。周辺を捜索しましたがユリアン様のお姿が見当たりません。灯りが足りないのと、豪雨により声が届きにくい状況にあります」
「人員を追加しよう」
 地下牢で拷問を行っていたテオバルトは天気の急激な変化に気付けなかったようだ。
 小屋にユリアンが住んでいた? それをロドリックに報告をしなかったのは何故だ? 一気に疑問が湧き起こるが今はユリアンの捜索が何より優先される。
 ロドリックは後ろに控えていた騎士達に「すべての騎士を西の森に集合させろ。クルド隊は先に川下へ向かえ。ディーターの隊は照明弾を打て」と伝言をする。その間にテオバルトはずぶ濡れの使用人から何か箱を受け取ると、ユリアンの部屋に持ち込み、騎士らが「御意!」と答えるタイミングで帰ってきた。
 今のは何だ? いや、まずは西の森へ向かわなければならない。騎士達が騎士団の宿舎へと廊下を駆けていき、ロドリックらはテオバルトと共に西の森へ向かった。
 現地は凄まじい豪雨と真っ暗闇に包まれており、まるで怪物の腹の中にいるようだった。西の森の川の近くには、庭師の住んでいる小屋があったはずだ。とても幼い頃に見たきりなので記憶は薄いが、テオバルトらに案内されてかつて小屋が存在していた場所へ行くと、夜闇の中に小屋の残骸らしき何かが潰れていた。すると騎士団員達が集合する。隊に分かれてユリアンの捜索を開始し、副団長のディーターに命が伝わったようで夜戦用の照明弾が打ち上げられた。
 その光が、小屋付近の全貌を現した。一階部分は完全に流されて二階と屋根が残っている。小屋の残骸にユリアンの姿はない。
 ――『何か異常はあったか』
 ――『異常、ですか』
 昨晩耳にしたユリアンの単調な声が頭に響く。
 ――『特にありません』
 異常が、発生している。
 川の水量が増し、川幅が広くなっていた。轟々と流れる川に巻き込まれないよう注意を促して下流へ降下しながら、大声をあげてユリアンを探していく。
 すると、森側を捜索していた隊が赤の彩光弾を撃った。
「公爵様!」
「あぁ」
 ユリアンが発見されたのだ。テオバルトと共に赤の光の方へ向かうと、クルド隊がこちらへ駆けてくるところだった。騎士団員がユリアンを抱えているのが分かった。テオバルトが「ジュリ!」と悲鳴に近い声をあげて駆け寄る。
 引き連れていた軍医がユリアンを担架へ移した。ユリアンはテオバルトの声掛けにも反応せずぐったりとしていて、呼吸は確認できたが意識を失っている。また新しく照明弾が空を染め、同時に雷が森の奥に落ちた。
 大勢の手によりユリアンを屋敷へ運び終える。すぐさま軍医と看護婦がユリアンと共に用意しておいた温かい部屋へと向かい、テオバルトは悲痛な表情でそれを見送った。
 クルド隊の隊長であるクルドが駆け寄ってきて、「団長!」と呼びかけてくる。
「捜索に参加していた騎士達は皆、撤収が完了しました。点呼で全員の無事を確認しております。負傷者が二名出たので医務室へ送りました」
「ディーター隊を地下の牢獄へ集めろ」
「御意!」
 東の棟の使用人らも集まっていた。速やかに雨に濡れたロドリックのコートを預かり、タオルと新しい上着を寄越してくる。だがロドリックはそれを受け取らず、テオバルトと対峙した。
「牢獄には誰がいる?」
「カミラ夫人らの他には騎士団員が三人、それと執事長です」
「西の棟の使用人をここに全て集めて封鎖する。俺とお前は地下へ向かう」
「承知しました」
 ロドリックは「お前達も来い」と騎士の一部に声をかけ、テオバルトと共に懐かしい地下へと向かった。
 かつて戦争が激化していた頃に作られた地下には牢獄が存在している。祖父の代ではここで頻繁に拷問が行われていたのだ。
 冷気に侵された地下には、高齢の執事長と公爵邸の守護を務める騎士団員がいた。テオバルトの案内でカミラ夫人の牢へ向かう。
 彼女と会話するのは、これが初めてだった。
「こ、公爵様、お許しください!」
「——随分と」
 地下は地上の荒れ狂う嵐とは隔離され、静寂に包まれている。
 ロドリックの低い声だけが湿った壁を震わせた。
「ルーストランド語に長けているんだな」
 背後にいるテオバルトらが息を呑み、張り詰めるような静けさに支配された。
 すでに拷問を受けて青あざまみれのカミラがガタガタ震えながらロドリックを見上げた。地に座り込んだ彼女の髪は乱雑に切られ、爪が剥がされている。向かいの牢に捕えられた使用人らはテオバルト曰く、比較的新しいメイド達だ。彼女らの啜り泣く声が響き、地下牢を照らすランプの炎はそれに共鳴するように小刻みに震えた。
 ロドリックは、カミラを睨み下ろした。
「よくも五年もの間、身分を偽れたな」
「そ、いえ、わたくしは……決してそのような……」
「貴様はどの国から来た。どこと内通している? ベルマニアか? ツェーチェルか?」
「わたくしは、ルーストランドの民でございます……」
 テオバルトから国防には影響しないと報告はすでに受けている。だが、ロドリックは敢えて他国を口にした。
 ベルマニアと最前線で戦っていたエデル公爵家で裏切り行為を働くことがどういった意味をもつのか知らしめるために。
「そのような、そのような恐ろしいことを企んでいたわけではありません! どうか……どうか、お許しを……」
「では何を企んでいた」
 まさかこの西で使用人が主人を欺くとは、思いもしなかった。
 またしても心をかき乱すのは血濡れた馬車の光景だ。母の乗っていた馬車が襲撃を受けた時、 そこには、居合わせた侍女長が最後まで母を守り抜こうとした痕跡が残っていた。他の侍女やメイド達もまた母を最期まで守り、誰一人逃げなかったのだ。
 公爵邸の使用人達は主人を守る。ロドリックがエデル公爵邸にいた時間は少ないが、そういうものだと信じていた。
 しかし今、公爵邸の使用人が主人を裏切った。
「なぜ、執事長とテオバルトを欺いてまでユリアンを危機に晒したのだ」
 この女が、公爵邸を裏切った理由を明らかにしなければならない。
 カミラの歯がガチガチと音を立てた。その音がやけに頭に響いて、うるさくて仕方がない。
 業を煮やしたロドリックが牢の鉄柵を勢いよく握った時、ようやっと彼女が答えた。
「美しかったから……」
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