上 下
9 / 69
第一章

9 この人、アルファだ

しおりを挟む
「蛇よりもその服装に気をつけた方がいいと思いますよ」
「ん?」
 咥え煙草のテトは片手で前髪をかきあげる。視線だけこちらに向ける様は色っぽく、きっと邸宅の女性陣は彼に色めき立っているのだなと内心にする。
「シャツもズボンも、半端な丈でしょう」
「暑いからな。今日は良い天気だ」
「良い天気ですね。ちょっと失礼」
「うおっ」
 呑気に朗らかな笑みを浮かべるテトを流し、ユリアンは身を屈めて彼のふくらはぎを確認する。するとやはりと言うべきか、ふくらはぎに黒い点が張り付いている。
「何? どうした?」
「食われてます」
 ユリアンは彼の足元で両膝を抱えたまま顔だけ上げてテトへ向けた。
 テトはきょとんと目を瞬かせる。が、何かに気付いたのか彼も同様にしゃがみ込んだ。そうして自身のふくらはぎを見ると、
「えっ、何!? 何だこれ!?」
「マダニです」
「マダニ!?」
 しかも珍しいタイプのマダニだ。ユリアンは好奇心で目を輝かせて、テトのふくらはぎに顎で食いつく小さなマダニにじっと見入った。
 マダニは基本的に鹿に寄生して生息している。この辺は鹿もやってくるのでマダニがいてもおかしくはない。が、色がルーランド王国で見られる種類とは違って、若干薄い。もしや、公爵邸の騎士団のせいか? 戦争で他国へ出兵するので彼らが外来性のマダニを運んできたのかもしれない。となると、休戦中ではあるが敵国のベルマニア王国産の可能性がある。もしそうならマダニが媒介する病気も特殊に違いない。何にせよ、これは、
「あの蛇なんかよりよっぽど危険ですよ。マダニに噛まれて発症する感染症に、三割の確率で死ぬ病気があります」
「し、死ぬ!?」
 広大とはいえ公爵邸で働いていてマダニを知らないとは、普段はよっぽど邸宅から出てこないのだろう。
 ユリアンは立ち上がり、膝を抱えるテトを見下ろした。
「大丈夫です。さっさと取り除いて薬を飲んでおきましょう」
「俺、死ぬのか!?」
「傷口を放置して感染症に罹った場合です。発症すると三割の確率で、死にます」
「死ぬ!?」
 テトは愕然として煙草を唇に挟んだ。喫煙者は不思議なもので、動転すればするほど煙を吸い込む傾向がある。それもよっぽど毒なのにな。
 ユリアンはテトを小屋へ招待することにした。今はまだ顎が肌に食い込んでいる程度だがそのうち頭を突っ込んでくる。そうなる前に取り除くべきだ。
 かわいそうに、震えながら小屋にやってきたテトは、長いこと邸宅で働いているらしく小屋に見覚えがあるようだった。
「ここには昔、ベンノが住んでいたと思うけど。今はジュリが住んでるんだな。ジュリはベンノの弟子なのか?」
「まぁ、そんなようなものです」
「へぇ!」
 テトは懐かしむように声を弾ませた後、ふくらはぎを見下ろしてまた泣きそうに怯える。
 ユリアンは救急箱から、木の枝を尖らせて作った器具と薬草を煎じた消毒液と塗り薬を取り出した。と、その時になって気付いた。
 ――テトは、アルファ性だ。
 広い庭にいたから匂いを感じ取れなかった。こうして小屋に二人きりになるとよく分かる。
 エラ含めた使用人達やベンノがベータ性なので、最近はチョーカーをしていない。ロドリックも留守にしているから、アルファ性と出会うことはないと油断していた。
 どうしよう。今からチョーカーを付けるか? だがそれでは自分がオメガ性だと教えるようなもの。テトは命の危機に動揺しているし匂いなんか気付かないはず。
 ひとまず今は、マダニを処理しよう。ユリアンは器具とコップ一杯の水を持って、窓際の椅子に腰掛けるテトの前に膝をつく。
「痛いですよ。我慢してくださいね」
「あ、あぁ……」
 慎重にマダニを取り除くが、やはり痛みを伴うのでテトは苦しげに顔を歪めた。やがて無事に処理は完了し傷口を消毒する。体の一部が皮膚に入り込んでいる様子もない。栄養剤を水に溶かしてかき混ぜながら、「もう大丈夫ですよ」と言うと、テトはホッと安堵の表情を見せた。
「ありがとう。助かった」
「この辺に来るなら皮膚の隠れる服を着てくださいね」
「そうするよ」
 さて、どうしようかな。
 アルファ性の人間は警戒した方がいい。ユリアンはヒートがこないオメガ性だけれどもしものことがある。
 用事は済んだし小屋から出て行ってもらおう。どう切り出すか迷っていると、いきなりテトが「あっ!」と声を上げた。
「この箱の中に何かいるぞ」
「あ」
 テーブルにはマルクスの箱を置いたままだった。カサカサ中から音がするので気になったらしい。
 うっかりしていて、箱を隠すのを忘れていた。立ち上がったテトが箱の側面を興味深そうに観察する。ユリアンはすぐさま言った。
「珍しい昆虫を捉えているだけです。テトさん、仕事があるのでは?」
「今は休憩中だ。それより敬語はやめてくれよ。俺の命の恩人だろ」
「でも年上ですよね」
「構うものか。で、珍しい昆虫って?」
「ええっと……」
 口籠ると、テトは黄金の瞳をこちらに向け、じっとユリアンを見据えた。
 その眼差しの鋭さには覚えがあった。その正体を探る前に、テトが言う。
「安心してくれ。俺はアルファ用の抑制剤を飲んでるから」
「えっ」
 予想外の発言に思わず声が出る。テトは相好を崩し、「ジュリはオメガだろ?」と呆気なく指摘する。
 図星を突かれて閉口すると、テトはさらっと続けた。
「薬を飲んでるから大丈夫だ。以前、ヒートになったオメガの娘を看護したこともある」
「……僕がオメガだって分かってたんですか?」
「匂いでね。ただ、それどころじゃなかったから」
 テトは言って自身の足を指差した。
 意外だったのは自分に匂いがあることだ。ヒートもまともにこない欠陥品のオメガのくせして、一丁前に匂いは発しているらしい。自分では全く分からなかった。不安になるが、テトは軽く首を横に振る。
「別に臭いとかじゃないよ」
「あ、はい……珍しいですね。アルファの方が薬を飲むなんて」
「義務だろ」
「……」
「それより敬語はやめてくれって」
 ユリアンはまた唇を一文字に引き結び黙り込む。義務だと断言するアルファの男を、人生で初めて見た。
 世の中では、アルファを惑わすオメガが悪とされている。アルファの父もオメガの実母を孕ませたが、義母は父を咎めることはなく、父を惑わせたオメガの実母を悪とした。
 古くから続くこの国の宗教の言い伝えの中に存在する淫魔という悪魔も、モデルはオメガとされている。オメガという悪魔が誘惑するから人間は致し方なく性交をしている。あくまで悪いのは淫魔であり、孕ませた側の人間は被害者なのだ。
 魅惑的で、美しくて、人を惑わす悪魔的な存在がオメガ。オメガを無理やり番にして妊娠させてもアルファは大して咎められない。すべては、悪魔が悪いのだから。
 淫魔の登場する宗教がある限りその考えがこの国で常識とされていると思ったのに。
「義務、ですか」
「こっちがヒートに充てられなければ何も起きないからな」
「……」
 珍しい考えの人だ。
 ユリアンはぼうっと沈黙した。テトは箱が気になって仕方ないのかまた机に目を向ける。彼は箱を観察しながら「落ち着かないならチョーカーをすれば?」と軽やかに告げた。
 ユリアンはその場で直立不動のままいて、やがて、唇を開いた。
「あの……」
「ん?」
「……」
「どうした?」
 もしかしたら、と思う。
 ユリアンは唾を飲み込んでから、恐る恐る口にした。
「あの、美味しいお茶があるよ」
「お、いいね!」
 もしかしたら、友達になれるかもしれない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

婚約破棄を望みます

みけねこ
BL
幼い頃出会った彼の『婚約者』には姉上がなるはずだったのに。もう諸々と隠せません。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

生まれ変わりは嫌われ者

青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。 「ケイラ…っ!!」 王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。 「グレン……。愛してる。」 「あぁ。俺も愛してるケイラ。」 壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。 ━━━━━━━━━━━━━━━ あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。 なのにー、 運命というのは時に残酷なものだ。 俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。 一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。 ★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...