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第一章
7 絶対に知られてはならない
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ユリアンの小屋は森に近いこともあり、庭師達が仕事をする範囲外にある。だが、たまに庭師の一人であるベンノという男が川を見にやってくる。
白い髭を蓄えた中年の男で、年の割にがっしりとした体つきの男だった。厳しい顔をしているが話しているうちに打ち解け、知ったのは、かつてこの小屋にはベンノが住んでいたということ。
今は公爵邸から程近い町で息子夫婦と共に住んでいるらしいが若い頃はこの小屋はベンノの住処だったのだ。
「あぁ。ついこの間から話すようになったんだ」
「そうですか。ベンノさんは楽しい人ですよね」
「エラも知っているんだな」
公爵邸で働く使用人の数は膨大だ。全てを把握することは不可能なはず。それはロドリックなど公爵邸の家の者達も同じで、管理をしているのはメイド長や執事長達だ。
「はい。以前まではお庭でのお仕事も多かったので。たまにお菓子もくれるし」
「そうか」
エラのはっきりな物言いはメイド長にも反感を買っているらしく、厩舎の手伝いや草刈りなど外での肉体労働に派遣されることも多いという。
きっとユリアン付きになったのもメイド長の嫌がらせの一つだ。メイド達が求める仕事は、邸宅内の仕事か主人の世話である。
「ベンノさんは素敵な人ですよね。どんなことを話すんですか?」
「この庭の生態系について。どんな植物が生えているのかとか、森のこととか」
ここの植生はマルトリッツ領とは若干異なっているようだ。南の国境に近いせいか外来植物も見られるし、そのせいかマルトリッツでは当然だった在来植物も見かけない。
ベンノには漢方や薬になる植物の群集構造も教えてもらった。この間は、『森にはもっと面白いものがあるぞ』と連れられて、キノコや冬虫夏草まで観察した。
薬になりそうなものを持ち帰り、今は手を加えている最中だ。マルトリッツにいた頃から、植物や冬虫夏草を使って薬や漢方を作るのは好きだった。
アルノーが父母達と過ごし遊び回る一方で、ユリアンは膨大な時間を読書に使っていた。
大抵、書庫から本を持ち出し自分の物置小屋で読み耽る日々を過ごした。昆虫や植物を知ろうと思うと、自然とルロー語やベルマニア語、バルシャ公用語などに手を出すことになり、それらの読み書きは覚えてしまう。会話に役立てるかは自信はないけれど、必要なのは本を読むための言語だったから。
公爵邸にも立派な図書館があるはずだ。二年間のうち、いつか一度でも行ってみたいが、無理なら諦める。
幸いにもユリアンの小屋に書籍が残されていた。ベンノは特に、洞窟性生物と冬虫夏草、キノコの虜だったらしくそれ関係の本を集めていたのだ。
新しく知ることも多いので、ユリアンはよく読書をしながらマルクスと遊んでいる。ベンノ曰く森の奥には洞窟も存在しているらしい。
「森ですか。川を渡った向こうの森は危険も多いので、もし立ち入りたい場合は私やベンノさんを同行させてください」
「うん。そうだね」
実は既に森には入っている。ベンノと共に散策したし、マルクスの餌を取るためのトラップも森の中に仕掛けているのだ。怒られそうなので言わないでおこう。
夕食はスープとチキンのステーキ、そしてパンにサラダだった。エラが運んでくるようになってから食事の質が圧倒的に改善されていて、ロドリックと共にいただいた朝食ほどではないが、とても美味しい。
そしてエラは、ユリアンが食事をしている間、傍で立っている。エラでないメイドはさっさと小屋を後にして食器は朝に回収するが、エラは傍で見守ってくれている。
小屋の中といえど、貴族らしい扱いを受けるのはなかなかないことなので、少し緊張する。というより、子供扱いされてるような気分だ。
「今日のチキンステーキはベリーソースがかかっているんですよ。どうですか?」
「うん。美味しいよ」
「それはようございました。マルクスさんも今日はお食事を召し上がったのですか?」
彼女はマルクスについても把握している。昆虫類を苦手にするなら、隠しておいてうっかり見つけてしまう方が恐ろしいだろうと、先にマルクスの存在を教えたのだ。
意外にもエラは『かわいい~!』とマルクスを愛でた。さすがに捕食シーンは見てられないようだが、マルクスを受け入れてくれて何より。
「今日は大丈夫。マルクスさんは二、三日に一回程度の食事で平気なんだ」
「あら、そうなんですね!」
マルクスがここにいることは、エラに口止めしている。
出来る限り彼の存在を知られたくなかった。
……今でも容易に思い浮かぶ。尻尾のないマルクスが天井へ逃げたあの暗い日のこと。
マルトリッツ男爵邸にいた頃、マルクスの存在が義母にバレて箱を拐われてしまった。マルクスは尻尾を断ち切って逃げ出したが、義母はユリアンを蔑みながら言った。
――『余計なことをしたらあのトカゲを犬に食わせてしまうからね』
ユリアンは頭を地につけて必死に謝った。何かに対して謝るというより、自分が存在していることを謝罪し続けた。
耐え難い苦痛ではあったがマルクスを取り戻すまでそこを離れられなかった。ようやく義母達が去ると、天井に張り付いていたマルクスがぽとんとユリアンの頭の上に落ちてくる。
小さな手のひらで慰めるように頬を触ってくれたことは忘れられない。失った尻尾はやがて生えてきたけれど、本当は、切られた方の尻尾も欲しかった。
誰にも渡したくなかった。
――『おとなしくしていろ』
唐突に、ロドリックの声が脳裏を過ぎる。
それは別に、公爵邸で初めて言われた言葉ではない。昔から男爵家で言われ尽くした言葉だった。
ロドリックには絶対にマルクスのことを話せない。もしも余計なことをしたと思われたら、犬に食わされてしまうかもしれない。
それだけは避けなければならない。
……できれば、マルクスが冬眠した後にロドリックが帰還するといいのだけど。
「……ロドリック様はいつお帰りになるのかな」
「公爵様ですか?」
エラは「そうですねぇ」と真面目な顔つきをした。
「おそらく半年はかかるんじゃないでしょうか。もう何度もバルシャ共和国には訪れているんですけどね」
「バルシャと戦が起こるのか?」
「どうなんでしょう……」
軍事的な話だ。滅多なことは言えないのかエラも不安そうな顔をした。
ユリアンは気を使って「そういえば」と話を変える。世間話のつもりだったのだが、エラにとってはバルシャよりもショッキングな話だったようだ。
「ロドリック様には恋人がいるんだろう?」
「はい!?!?」
白い髭を蓄えた中年の男で、年の割にがっしりとした体つきの男だった。厳しい顔をしているが話しているうちに打ち解け、知ったのは、かつてこの小屋にはベンノが住んでいたということ。
今は公爵邸から程近い町で息子夫婦と共に住んでいるらしいが若い頃はこの小屋はベンノの住処だったのだ。
「あぁ。ついこの間から話すようになったんだ」
「そうですか。ベンノさんは楽しい人ですよね」
「エラも知っているんだな」
公爵邸で働く使用人の数は膨大だ。全てを把握することは不可能なはず。それはロドリックなど公爵邸の家の者達も同じで、管理をしているのはメイド長や執事長達だ。
「はい。以前まではお庭でのお仕事も多かったので。たまにお菓子もくれるし」
「そうか」
エラのはっきりな物言いはメイド長にも反感を買っているらしく、厩舎の手伝いや草刈りなど外での肉体労働に派遣されることも多いという。
きっとユリアン付きになったのもメイド長の嫌がらせの一つだ。メイド達が求める仕事は、邸宅内の仕事か主人の世話である。
「ベンノさんは素敵な人ですよね。どんなことを話すんですか?」
「この庭の生態系について。どんな植物が生えているのかとか、森のこととか」
ここの植生はマルトリッツ領とは若干異なっているようだ。南の国境に近いせいか外来植物も見られるし、そのせいかマルトリッツでは当然だった在来植物も見かけない。
ベンノには漢方や薬になる植物の群集構造も教えてもらった。この間は、『森にはもっと面白いものがあるぞ』と連れられて、キノコや冬虫夏草まで観察した。
薬になりそうなものを持ち帰り、今は手を加えている最中だ。マルトリッツにいた頃から、植物や冬虫夏草を使って薬や漢方を作るのは好きだった。
アルノーが父母達と過ごし遊び回る一方で、ユリアンは膨大な時間を読書に使っていた。
大抵、書庫から本を持ち出し自分の物置小屋で読み耽る日々を過ごした。昆虫や植物を知ろうと思うと、自然とルロー語やベルマニア語、バルシャ公用語などに手を出すことになり、それらの読み書きは覚えてしまう。会話に役立てるかは自信はないけれど、必要なのは本を読むための言語だったから。
公爵邸にも立派な図書館があるはずだ。二年間のうち、いつか一度でも行ってみたいが、無理なら諦める。
幸いにもユリアンの小屋に書籍が残されていた。ベンノは特に、洞窟性生物と冬虫夏草、キノコの虜だったらしくそれ関係の本を集めていたのだ。
新しく知ることも多いので、ユリアンはよく読書をしながらマルクスと遊んでいる。ベンノ曰く森の奥には洞窟も存在しているらしい。
「森ですか。川を渡った向こうの森は危険も多いので、もし立ち入りたい場合は私やベンノさんを同行させてください」
「うん。そうだね」
実は既に森には入っている。ベンノと共に散策したし、マルクスの餌を取るためのトラップも森の中に仕掛けているのだ。怒られそうなので言わないでおこう。
夕食はスープとチキンのステーキ、そしてパンにサラダだった。エラが運んでくるようになってから食事の質が圧倒的に改善されていて、ロドリックと共にいただいた朝食ほどではないが、とても美味しい。
そしてエラは、ユリアンが食事をしている間、傍で立っている。エラでないメイドはさっさと小屋を後にして食器は朝に回収するが、エラは傍で見守ってくれている。
小屋の中といえど、貴族らしい扱いを受けるのはなかなかないことなので、少し緊張する。というより、子供扱いされてるような気分だ。
「今日のチキンステーキはベリーソースがかかっているんですよ。どうですか?」
「うん。美味しいよ」
「それはようございました。マルクスさんも今日はお食事を召し上がったのですか?」
彼女はマルクスについても把握している。昆虫類を苦手にするなら、隠しておいてうっかり見つけてしまう方が恐ろしいだろうと、先にマルクスの存在を教えたのだ。
意外にもエラは『かわいい~!』とマルクスを愛でた。さすがに捕食シーンは見てられないようだが、マルクスを受け入れてくれて何より。
「今日は大丈夫。マルクスさんは二、三日に一回程度の食事で平気なんだ」
「あら、そうなんですね!」
マルクスがここにいることは、エラに口止めしている。
出来る限り彼の存在を知られたくなかった。
……今でも容易に思い浮かぶ。尻尾のないマルクスが天井へ逃げたあの暗い日のこと。
マルトリッツ男爵邸にいた頃、マルクスの存在が義母にバレて箱を拐われてしまった。マルクスは尻尾を断ち切って逃げ出したが、義母はユリアンを蔑みながら言った。
――『余計なことをしたらあのトカゲを犬に食わせてしまうからね』
ユリアンは頭を地につけて必死に謝った。何かに対して謝るというより、自分が存在していることを謝罪し続けた。
耐え難い苦痛ではあったがマルクスを取り戻すまでそこを離れられなかった。ようやく義母達が去ると、天井に張り付いていたマルクスがぽとんとユリアンの頭の上に落ちてくる。
小さな手のひらで慰めるように頬を触ってくれたことは忘れられない。失った尻尾はやがて生えてきたけれど、本当は、切られた方の尻尾も欲しかった。
誰にも渡したくなかった。
――『おとなしくしていろ』
唐突に、ロドリックの声が脳裏を過ぎる。
それは別に、公爵邸で初めて言われた言葉ではない。昔から男爵家で言われ尽くした言葉だった。
ロドリックには絶対にマルクスのことを話せない。もしも余計なことをしたと思われたら、犬に食わされてしまうかもしれない。
それだけは避けなければならない。
……できれば、マルクスが冬眠した後にロドリックが帰還するといいのだけど。
「……ロドリック様はいつお帰りになるのかな」
「公爵様ですか?」
エラは「そうですねぇ」と真面目な顔つきをした。
「おそらく半年はかかるんじゃないでしょうか。もう何度もバルシャ共和国には訪れているんですけどね」
「バルシャと戦が起こるのか?」
「どうなんでしょう……」
軍事的な話だ。滅多なことは言えないのかエラも不安そうな顔をした。
ユリアンは気を使って「そういえば」と話を変える。世間話のつもりだったのだが、エラにとってはバルシャよりもショッキングな話だったようだ。
「ロドリック様には恋人がいるんだろう?」
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