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第二章

19 イクセル師匠と大樹城

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 俺は暖色の光で満ち満ちる、師匠の城へ導かれていた。
 その一見若々しい、俺と同い年のような風貌の男こそがファルンで最も権威のある魔法使い、イクセルだ。
 ソファに腰掛け、足を組んで俺を眺めている。俺がここへやってくるのを初めから分かっていたのだ。
 俺は出血した肩を抑えながらイクセルを睨みつける。
「こうなるって分かってて俺を送り込んだんですか」
「んなわけねぇだろ」
 イクセルは紫の瞳で俺を見据え、お綺麗な顔を歪めた。
 腰を上げると、のっそりした足取りで俺に近づき、肩に触れてくる。
「それに俺が送ったんじゃねぇだろうよ。ロイ・オークランスの使いが勝手に来ただけだ」
「本気で言ってますか?」
 触れた箇所の怪我があっという間に治癒していく。呪文も薬草も無しで完治できる魔法使いは、世界でも稀だ。
 背の高いイクセルはグッと近寄り間近で見下ろしてきた。俺の前髪を掻き上げて顔に傷がないか確認してくる。
 イクセルは銀色の前髪は伸びていて、睫毛に覆われた目にかかっている。
「ロイの使いの誰が、俺を呼んだって言うんですか」
「……なんだ」
 「気付いてやがったのか」と怪しく笑うイクセルを睨み上げて、その手を振り払うように首を振った。
「さっき、思い至ったんですよ。その件はいくらでも責めてあげます……いつかね。軍隊を派遣してください」
 懐から鏡の破片を取り出すと、イクセルは品定めするような目つきをした。
「この鏡の破片が、ルロオの本部の鏡と繋がってます」
「ルロオだったのか?」
「はい」
「はぁん、厄介だな」
 イクセルは両腕を組み、暫し思案する。
 当然だ。ルロオをテロ組織に指定したのはファルン王国ではない。
 ファルン王国軍が介入するには島々諸国の承諾が要るが、出来ればその必要性を最小限におさえたい。
「ルロオはロイ・オークランス閣下と居住地に危害を及ぼそうとしました。ファルン国の文民を誘拐し、人質にしようとも。それぞれ証拠があります」
「うむ」
「鏡が割れたことに敵が気付くのは時間の問題です。オーラは王都へ送ったので保護されたはず」
 師匠は返事をせずに踵をかえす。
 指輪だらけの手のひらを壁に押し付けている。ここはイクセル城。大樹の中だ。
 壁は木の側面になっていて、全体的に淡く発光している。
 イクセルはその場に跪き、手のひらを床に押し当てた。
「・・・」
 イクセルが何か語りかける。すると彼の足元が隆起し、ぐにゃりと歪んだ。
 イクセル城は大樹自体が古代の魔物で、イクセルと契約している。イクセルがまた何か呼びかけた。すると途端に、床が溶けてぽっかりと奈落が生まれる。
「貸せ」
 こちらを見ずに告げたイクセルへ、鏡の破片を手渡す。
 空洞には黒い煙のようなものが蠢いていた。その前でしゃがみ込んだイクセルは、鏡を暫く観察し、指輪で鏡面を叩いた。
「なるほど」
 イクセルはゆったりと立ち上がり、俺を横目で呼ぶ。
「ルロオの奴らを世界保全魔術機構が血まなこになって島々を巡っても見つけられないわけだ。海獣と契約してやがった」
「やっぱりあそこは海の中だったんですね」
 鏡面から位置を特定したらしい。やはり、海底だったか。空が見えないと思ったのだ。
 海獣と契約……一体これまでどれだけの人々を誘拐し、生贄にしてきたのだろう。
「鳥が深海に潜んでるとは思わねぇよな。俺も泳ぎにいきてぇが」
 言いながら、鏡を空洞へ放り投げる。俺も大樹に関してはよく知らないが、もう閉じてしまったその穴はこの世界のどこにでも通じるとか、通じないとか。
 イクセルはくるっと体の向きを変えて、いつものソファに腰を下ろすと、長い足を組んだ。
「エディ、体が重いだろう」
「それは……負傷もしましたし」
「カルラナに常駐してる魔術機構の軍隊へ呼びかけた」
「え……カルラナ? 俺はそんなとこに引き摺り込まれたんですか?」
「そうだな。二人纏めて海底へ引き摺り下ろすとは、さすがはルロオだ」
 カルラナ共和国は南東の島国で、ファルンからかけ離れている。妙に体が怠いと思ったら、まさか真反対の国の領海へ拐われていたとは。
 イクセルはファルン王国に大樹城を構えるだけで、ファルン王国の国民ではない。彼は国籍をもたない魔法使いであり、中立の魔術師だ。
 二百年ほど前にファルンで生まれたのでこの国に肩入れしている節はあるが、イクセルが公的に関わっているのは世界保全魔術機構……つまり中立国際機関と、その魔法軍である。
「南東諸島の軍隊も合流し、軍事作戦に入る」
「……はい」
「ファルンは裁判に出席してもらおうか」
「そうですか……」
 良かった……ロイが作戦に参加することはない。
 これは戦争ではないので、ファルンの民も傷付かない。
 ルロオの撲滅に働きかけているのは南東の国々だ。カルラナ共和国に常駐している魔術機構の軍隊と、南東諸島の連合海軍が主な指揮を取ることになる。
 ファルン王国軍の総裁へ危害を及ぼし、国民を拉致したのだ。ファルンへ示しをつけるためにも、彼らは決してこの機を逃さない。
「エディ、これは岩渓軍ではない」
 イクセルは力強い瞳で俺を見据えた。
 その紫の輝きがいっそう強くなる。
 俺は、でも、答えた。
「……俺はすぐにファルンを出ます」
 イクセルは唇を閉ざしている。
「俺の痕跡がルロオに残ってる。ルロオは岩渓軍の残党と繋がっていると聞いたことがあります」
「……」
「ルロオが襲ったのはロイの屋敷だから、ロイの屋敷にまだ俺がいると疑われるかもしれない」
 全て過度な推測だ。数分滞在しただけで魔法の痕跡が残っているなど、その可能性は極低い。
 それでも怖くて堪らない。
 この恐怖を知っているイクセルは否定をしなかった。
 俺は、恐る恐る問いかける。
「オーラの……身請け人が殺された。たった、三年前です。岩渓軍に殺されたんでしょう?」
「ああ」
 イクセルは微かに頷く。俺は唇を噛み締めた。
「……そっか」
 やはり、あの人も死んだのか。
 怖いなぁ……。
 いくら逃げてもダメなんだ。
 俺もあの人のように、殺されるのか。
「師匠、オーラを引き続きよろしくお願いします」
 息を吐いて、声色を変える。師匠はまだじっと俺を見つめている。
 別荘の防衛はザラであったが、ロイの城は幾重にも魔法を張り巡らされた安全な場所だった。
 少なくとも俺と結婚していた頃はそうだったのだ。だからあの場所にオーラはいた方がいいと思った。
 何よりも、ロイに傍に人間がいてほしかった。
「俺さえ居なければあの場所が一番安全だと思ってた……」
 けれど違った。
 世界はいつだって容赦ない。
「師匠、あの二人をお願いします」
「絶対に」
 すると、イクセルが低い声で唸るように言った。
「俺達が必ず最後の一人まで捉える」
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