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第二章

18 岩渓軍

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 胸がカッと熱くなって、一瞬声が出せない程だった。俺は唾を飲み込み、オーラに囁く。
「ならロイの傍にいてくれ」
 オーラは瞬きもせず俺を見つめている。
「人間のオーラに、傍にいて欲しいんだ」
 その瞳が最早理解しているのが、俺にも理解できた。
「大丈夫。俺は死なないよ」
 オーラは、また別れが訪れることを識っている決意の瞳で俺を見つめている。
 返事の代わりに、オーラは微笑んだ。
 俺もつられて笑みを深め、言った。
「よく笑えたな。良い子だ」
 昔から、怒ったり泣いたり不貞腐れても、最後にはこうして微笑むことができる強い子だったのだ。
「兄様……僕は、あなたがいてくれるなら」
 オーラは深く息を吸い、密かに囁く。
「できます。リネ兄様は二十六歳で時が止まってる。僕はもう二十九です。ある意味僕は、兄様より年上になったんですよ」
 俺は頷く。オーラは意志の強い眼差しをしている。
「やれます。あなたの、ためですから」
「……うん」
「僕だってガキじゃないんだ。なぜ兄様が派遣されたのか、イクセル様の魂胆は不明瞭だけど、兄様が……この国にいられないって、それだけは分かる」
 そうだ。
 二ヶ月前の朝、おとなしく馬車に乗ったけれど初めから半年も滞在するつもりなどなかった。
「引き留めてごめんなさい。でも、いつか」
 オーラは若い悪魔みたいに、歯を見せて悪戯っぽく笑った。
「また、ミートボールを僕に食べさせてください」
「……お前食べてたよな」
「ふふっ。だって僕が作ったことにされたんだし」
「はは」
 人に食わせられる料理と言ってもとてもロイ専属料理人が作ったミートボールとは掛け離れてる。正直に俺が作ったと言えばロイはきっと食べてくれなかった。しかしオーラが作ったとすれば、確実にロイに食わせられる。
 特別な指示はしなかったが、オーラは何も言わないでも察してくれたのだ。
「今度はもっと上手く作ってやるよ」
「……待ってます」
 オーラは言葉を強くする。
「必ず、ですよ。キッシュも、スープも」
 俺は座り込むオーラから、少しだけ、距離を取る。
 オーラは思わず俺にまた近付こうとしたが、途中で唾を飲み込み、留まった。
「その時にはオークランス様に、兄様の料理だって言って」
 自分がまた縋ろうとしたことなどなかったみたいに、気丈に笑って見せる。
「僕はあんなに料理下手じゃないんです」
「言うよなぁ」
 俺は立ち上がって、オーラの頭を撫でてやった。
「……オークランス様が兄様に辛く当たるのを見て、僕は安心しました」
「うん」
「でもやっぱり、優しくして欲しいかな」
 オーラは切なげに笑った。
 俺は頭から手を離し、その頭上で手のひらを掲げる。
「ああ」
 オーラは吐息まじりに声をこぼした。
「兄様……」
 彼は鏡を手にし、大人びた優しい眼差しで俺を見上げた。
「さよなら」
 彼の言葉と俺の魔法が重なる。声は俺の耳元で不思議に響き、まるで幻みたいだった。
 黄金の蔦が現れてオーラを取り込み、そのままフッと消えていく。オーラは最後まで俺を見つめていた。彼が消えても数十秒は、俺はその場を動けなかった。
 だが息を深く吸って、吐いたと同時に動き出す。
 ここはかなり広い城だか屋敷だかだ。転移魔法を繰り返して軍部を確認していく。やがてある部屋で、見つけた。
「これは……」
 俺は軍旗を前に、膝をつく。
 深い紺色を背景にした銀のマークが描かれている。これは。
「トゥーヤじゃない……」
 トゥーヤの革命軍である通称・岩渓(がんけい)軍は、燃え上がる山をマークにしている。
 あの印を思い浮かべるだけで目眩がするほど、俺にとっては恐怖の象徴だ。しかしここは、岩渓軍の残党のアジトではない。
 目の前にある軍旗の印は悪魔の羽が生えた鷲の形をしていた。これは、そう、魔族系過激派のテロリスト・ルロオの軍部だ。
 岩渓軍じゃ、なかった……。
 言いようのない安堵が胸に広がると共に、頭の中で一つの可能性が一瞬で構築されていく。
 辻褄が合う。ロイはあらゆる魔族の末裔たちをファルンへ移民として迎え入れ、独自の領地で保護している。
 しかし世界には、ロイを歓迎しない魔族の末裔もいる。差別を受けてきた魔族の血を継ぐ民たちの一部は、純粋な人間より優位に立ち彼らを征服しようと企んでいる。
 その筆頭がルロオだ。幹部たちは魔鳥の血を継ぐ一族で、悪魔の羽を誇りに思っている。
 魔狼族の末裔であるロイが魔狼の姿へ変化できるように、ルロオの一族にも変化の力を持つ者がいるのだろう。彼らなら海を渡ってロイの別荘付近までやってくることが可能だ。
 いや、もはや海そのものから来たのかもしれない……。
 リゾットには、海鮮が混じっていた。俺が屋敷を防御魔法で覆ったために侵入はできなかったが、奴らは果物や海鮮物を使って呪いをかけようとしたのだ。
 オーラを狙ったのは単に人質で、真の標的はロイだった。
 テロリストによるファルン王国軍大元帥への殺人未遂。
 ならばこれは軍事作戦へ突入できる。
 ——と、廊下の奥から複数の足音がした。体の重そうな人間が走ってくる。
「……くそっ」
 これ以上情報を集めるのは危険だ。
 「あの部屋から物音が!」「捉えろ、足を折れ」と会話が聞こえてくる。袋小路だ。俺は部屋にあった鏡をこっそりと割り、破片を入手する。足音と声がみるみる近付いてくるのを聞きながら、右手にはめたリングへ囁いた。
「師匠……助けて」
 その瞬間、リングから翠色の炎が湧き起こる。
 あっという間に俺の体を包む炎は熱をもたない。俺は炎に包まれながら転移魔法の呪文を唱えた。俺の魔法である黄金の蔦がまた伸びてきて、瞬きの間で取り込み、炎が示す先へ落ちていく。
 ——ああ。
 自分の愚かさに吐き気がした。
 ……食事に魔力を込めるなんてまどろっこしい真似をしていないで、ロイは俺の話を聞いてくれるようになったのだから、もっと早く回復させる手段なんて幾らでもあったのに……。
 リゾットや果物の呪いだって、初めからこうして師匠を頼っていればよかったのだ。
 それをしなかったのは……時間をかけたのは、俺がロイの傍にいたかったからだ。
 少しでもロイの傍に居たかった。
 ロイをまだ、好きだから。
 たったこれだけの感情が仇になり、オーラを殺すところだった。
 オーラを俺と共に連れて行けるわけがない。
 俺なんかのせいでオーラの身に何かあれば、もう耐えられない。
「——エディ、帰ってきたか」
「……イクセル師匠」
 まるで深海みたいに暗がりだった城から、一瞬で場所は変化している。
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