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第二章

9 リネ・オークランス

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 ロイは一体、オーラと何を話しているのか。室内でどういった会話が交わされているのか気になってしょうがない。
 彼の……オーラの反応を実際に見て、胸が騒つく。自然と額に汗が滲んでいた。どうしても気になって立ち去るのを躊躇ったが、ここに長くいるとロイにバレてしまうかもしれなので、自室へ戻る。
 落ち着け。心を平静にしなければ。魔術師は常に、心を落ち着けるべきと言うのが師匠の教えだ。
 ロイは『出て行け』と怒鳴ったが、きっとオーラは、俺がこの館を出ることを良しとしないのだろう。あれはそういう表情だ。だが、ロイはオーラの微笑に気づいていない。
 ロイは一晩経っても変わらず……いや、それ以上に俺を嫌悪するだけで、俺を思い出す兆しは一切ない。
 記憶を呼び起こすことは本人にかなりの負担がかかる。このまま忘れていた方がロイの心身的に正しい。のだが、何分ロイは不調だった。
 昨日よりも今朝の方がより顔色も悪かったし、目元もやつれている。ベルマンの言う通り、このままでは心配だ。
 放っておきたくはない。ファルン国の大元帥ではあっても、ロイはまだ二十九歳。本来なら若さに漲った活力ある年齢なのに、ああも病人みたいな顔をしているのは痛ましい。
 師匠がいたなら手っ取り早く何とかできるのに……あの人はファルン1の魔法使いだ。しかし彼は助けてくれない。
 俺が何とかしなければ。ロイに活力を与える薬や魔法くらいかけたいものだが、ロイの傍にはいつだってオーラがいる。ロイに近付くのはつまり、オーラの前に姿を現すことでもあるので、そうなるとロイはまた激怒する。
 ロイが眠っている最中に魔法を使うのが一番良いけれど、彼の寝室に忍び込むことは不可能だろう。それにロイの口振りからしても、夜にまた俺が出歩けば今度こそ問答無用で屋敷を追い出される。
 まして夜に自室を抜け出して、オーラに出会したとなると、いよいよロイは怒り狂うだろう。ロイから俺に対する嫌悪は既に構築され、みるみる増している。言い訳なんて聞いてくれるはずがない。
 オーラと二人きりになるのを避けつつ、ロイの体調を回復させなければ。
 何て困難な。
「……はぁ」
 時間が経てば経つほど彼の態度が悪化するのは想像に難くない。
 ひとまず、ロイを回復させよう。それから様子を見て、直ぐにでも国を出る。
 ロイへの直接的な接触はできないので、間接的な方法を使いたい。
 となると一番容易な最善策は、食事だ。食事に魔法をかけるしかない。俺が作ったほうが手っ取り早いだろう。
 ロイが取るいつもの食事とは違う味付けになるだろうが、それはご愛嬌ということで。
 直ぐにでも取り掛からなくては。
 問題は、俺に料理の腕はないと言うこと。
 かなりレパートリーは少ないのだが……。
 ——果たして。
「これは何だ」
「ミートボールです」
 ロイは一口齧って、一言目に疑問を投げた。
 答えるのは俺ではない。
「それは、分かるが……いつもと違うような」
「そうですか」
 ロイの隣でにっこり微笑んで答えるのはオーラだ。
 夕食の配膳は俺が担当することになった。夕食はロイと彼が二人で取るということで、俺は同じ部屋の少し離れた位置に佇んでいる。
 薬草を上手く混ぜ込みながら作る料理といったら、ミートボールしか浮かばない。ベリーのソースにもバレない程度に魔法をかけている。
 まさか二人の食事に同席する羽目になるとは思わなかったが、それを食すロイの反応を窺えるので都合は良かった。
 初め、部屋の隅に立つ俺を見てロイはあからさまに顔を顰めたが、オーラがいる手前、俺に暴言を吐くことはない。
 今ではもはや、俺の存在など一切視界に入っていないような振る舞いである。
「もしかして、お口に合いませんでしたか?」
 オーラの眉が不安そうに垂れ下がった。
 ロイは即座に首を振る。
「いや、美味い」
「本当ですか? それはよかった」
「もしや、オーラが作ってくれたのか?」
 ロイは気付いたように、目を丸くした。
 オーラは唇を閉じて微笑む。
 チラリと一瞬……本当に瞬きの間もないほど小さくこちらに目を向けた後、ロイに視線を戻し、また微笑みを深くして、
「はい。僕が作りました」
 と言った。
 ロイは意外そうに瞬きし、ミートボールを見下ろす。
 それから目を細め、「そうか」と囁いた。
 ……まぁ、そういうことになるよな。
 料理を作ったのが俺だとバレないようにしてくれとベルマンに頼んだが、その味は普段の料理人の味付けとは違う。ロイは不審に思うので、そうなるとオーラが作ったものと偽るのが自然だ。
 まさか俺の料理を今のロイが口にするわけがないのだから。
 オーラは優しく告げた。
「本日から夕飯は僕も作ります。オークランス様に元気を出して欲しいんです。無理をして、食べなくても良いのですが」
「まさか」
 ロイもまた、柔らかに微笑む。
「食すに決まってるだろ」
 それは俺ではなく、オーラに向けられた微笑みだ。
 隣の男はロイの言葉に、完璧な笑顔で「ありがとうございます」と返す。二人とも、部屋の隅にいる俺を居ないものとする。
 俺の料理がオーラの成果とされるのは、予想がついていた。想定の範囲内ではあるので覚悟していたが、やはり苦しくなるほど心臓を乱暴に掴まれたような心地になる。
 だが感情は決して表に出してはならない。奇妙な態度を取ってロイに訝しまれることだけは避けなければ。
 ロイは、二、三個ミートボールを口にすると、心から感謝する声で告げた。
「美味い。ありがとう、オーラ」
「お口に合ってよかったです」
 ……まただ。
 オーラがその美しい微笑みをこちらに向けてくる。
 俺は無言で瞼を閉じた。
 次に目を開くと、彼はもう俺を見ていない。オーラもミートボールを食べているが、唇を引き締めて反応しないようにする。
 すると不意にロイが呟いた。
「これは、どこか懐かしい味がする」
 俺は思わず息を呑む。
 すぐさま呼吸を再開し、息を整える。
 こっそりとロイを見遣る。ロイが寂しげな表情をしているのが、その横顔から見て取れた。
 オーラが神妙な顔つきでロイの顔を覗き込んだ。
「懐かしい、ですか」
「ああ。うまくはいえないが、とても安心する味だ。懐かしいと言ってもその正体は分からないが……」
 一瞬、何か記憶を思い出してしまったのかと冷や汗をかいた。
 滋養効果のあるミートボールは、ロイと結婚していた時代に俺が幾度も作っていた品である。
 俺のことを忘れているのだから味も覚えていないだろうと呑気に構えていたが、ロイは何かに気付いたようで、でも、その答えを見出せていない。
「思い出せないが懐かしい。懐かしくて、とても美味しい」
「懐かしい味……、たとえばリネ・オークランス様の料理でしょうか」
 またしても俺は息を止めた。
 オーラがその名を……かつてのロイの『奥様』である男の名を。
 つまりは俺の本名を出したからだ。
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