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第一章 

1 元帥命令

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「——おはよう」
 まだ、部屋に溢れる光が眩しすぎて目を開き切ることができない。
 ぼんやりとした意識のまま、声のする方へ視線を向けた。
「……誰?」
 呟くと、カタ、と乾いた音がした。
 椅子からその、見覚えのない男が立ち上がったのだ。
 彼の背が白い光の中へ溶けていく。ここは何処だろう。小さな小屋だ。キィ……と扉の軋む音がした。
 扉は微かに開いていたままだ。小屋にはもう、誰もいない。
 あれは誰だったのだろう。思い出せない。心がぽっかりと空いた心地だった。その穴に、朝陽が滔々と注ぎ込まれていく。
 また眠気が増して、俺は目を閉じた。
 信じられないほど心地が良くて、あっという間に眠りに落ちていく――……



























【第一章】





 数々の名前を手に入れては捨ててを繰り返し、もう三十年以上が経っている。現在主に使っているのは『エディ』であり、これは魔法使いとしての名だ。
「エディ、起きろ」
「……んー」
 「ぅ」子供の頃は日が昇る前から起きているのが常だった。それは当然のことで、この記憶は奴隷から始まり、次に娼夫。どれも昼夜が逆転している生活で、今こうして、太陽が燦々と輝く朝に起床する生活が信じられないほどだ。
 叩き起こされてようやっと瞼を薄く開く。カーテンもないから、窓から強い日差しが差し込み、真っ直ぐ光の矢が、翠の色をした両眼に刺してくるから眩しくて仕方ない。
 寝ぼけ眼を擦りながら、俺は「師匠……?」と呟いた。
 目の前に仁王立ちする男は、「エディ、お前な」と呆れたため息と共に言う。
「いつまで寝てんだよ。ちんたらやってるから、客人が来ちまったぜ」
「んぅ?」
「俺はもう行くからな」
「……え? 客?」
 何の話だ。そんなの聞いていない。
 俺の商売はこの国を主にしていない。この国……祖国であるファルンには、四年ぶりに帰国しただけで、こんな場所で仕事を取った覚えはなかった。
「うまくやれよ、エディ魔法使いよ」
「え、師匠。ちょっと」
 止める間もなく、師匠は窓に向かってしまう。光に吸い込まれるようにして彼の姿は消えていく。
 え、……と。
 何?
「――エディ様! おられますか!」
 突然やってきた外部の音にびくっと肩を揺らす。
 師匠が去った直後、扉を拳で激しく打ち付ける音が聞こえてきた。
 寝起きの頭ではまだ展開に追いつけない。こんな荒屋に訪れたにしては、凛とした声だ。嫌な予感がするが、師匠がすでに応対しているとなると、居留守は使えない。
 ハァと深いため息をつき、上半身を起こす。ベッドの外に足を投げ出して、重い足を引き摺りながら扉へ向かった。
「おはようございます」
 現れた男は正装をしている。
 どこぞの貴族の使いにしては、軍隊風の格好に、額に汗が滲んだ。
「あなたがエディ様ですか」
「……いかにも」
 魔法使いとしての名を求めている。さては、徴兵か? 最近はファルンも戦争などないはずなのに。
 が、若い男はにこりと微笑み「お目にかかれて光栄でございます」と、完璧な形で礼をする。
 俺は腕を組み、首を傾げて、
「アンタ誰?」
「話は馬車で」
「はい?」
「元帥命令で、メルス遊郭街の元娼夫であるエディ様に召喚の要求が下されました」
「……は?」
 元帥、命令……。
 聞き間違いかと思った。眼球が飛び出そうなほど目を見開く。元帥命令……メルス? なんだ、それ。
 いつの話を……。使いはこちらの動揺など想定内であろう毅然とした口ぶりで、再び繰り返す。
「元帥命令でございます。エディ様の国籍は我が国ファルンとうかがっております。元帥命令はこの国の勅令と等しい。ファルンの同志よ、ご命令にお従いください」
「な、」
 その瞬間、ぐわっと二本の腕が伸びてくる。
 唖然としていたところで移転魔法を発動された。くそ、やられた。そこにいたのは使いの男一人ではなく、魔法使いも隠れていたのだ。
 瞬きをすると既に景色が違っている。
 目を開ければキャビンの中だ。俺は着の身着の儘で、馬車に閉じ込められている。
 目の前には先程の使いが変わらぬ笑みのまま腰掛けていた。
「私はベルマンと申します。オークランス様にお仕えする身でございます」
 さすがはオークランス元帥閣下。客間の如く豪勢なキャビンである。
 揺れが軽減される魔法が施されているらしく、車内は静かだった。窓の外で急速に流れる景色とは不釣り合いなほど。
 座席を指で撫ぜただけで分かる。ここを俺の転移魔法で突破するには、道具が足りない。
 動揺が表情に出てしまうのは仕方ないだろう。せめて舌打ちを堪え、室内を見回す俺に、ベルマンとやらは告げた。
「率直に申し上げます。我が国の大元帥様であられるロイ・オークランス閣下をお慰めください」
「……何?」
 全ての動きが停止し、固まった唇からそれだけが漏れる。
 視線をベルマンへ移す。俺は啞然と唇を開いたまま、口の形は変えずにつぶやいた。
「何だって?」
「ロイ・オークランス元帥閣下です。まさかご存じないわけではありませんね?」
 男は堂々と「我が軍の総大将であられますから」と言い切る。
 それは、そうだ。
 この地にファルン王国軍の最高位、ロイ・オークランスの名を知らぬ者はいない。国内であっても、国外であっても。彼の名は世界中に轟いているのだから。
 あまりのことに言葉を失う俺に、ベルマンは言った。
「急な召喚となり、こちらも心苦しいのです。しかし、にっちもさっちもいかない状況でして」
 ベルマンはそこで初めて仮面みたいな笑みを剥がした。
 眉尻を下げて、眉根を寄せる。心の底から困り果てたみたいな顔をするので、こちらも「はぁ」とため息が漏れる。
 無理やり乗せられた船だが簡単に降りれそうにはない。俺は窓枠に頬肘をつく形で、足を組んだ。
「一応、聞こうか」
「これは極秘事項となっているのですが、我が国が誇るロイ・オークランス様がシェレオ地方で休暇を取られているんです」
「へぇ」
「しかし民もご存じの通り、ロイ・オークランス様は奥様を亡くされて以降ご傷心です」
 俺は窓の外へ目を転じる。景色がまた変わっている。転移魔法を繰り返しているのだ。
「ロイ・オークランス様の功績により南境戦争も終結し、近頃は平穏なファルンではありますが、オークランス様はそうではありません。かなり体調を崩されておりまして、半年間の休暇を得ることになったんです」
「へぇ」
「奥様を亡くされて以降、オークランス様は悲しみが尽きません」
「ほぉ」
「ですので、ここは元高級娼夫であられるエディ様のお力を借りようかと」
「何でだよ」
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