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第二章

10 不信感ポイント

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 夕生は中学に入りたての一年生だった。丈は夕生と同じ学校に通えて浮かれていた。毎日共に登校できるのだ。最高の気分だった。
 だがその日夕生は学校を休んでいた。放課後、丈は街へ行く。体調不良だと聞いていたので見舞うため、洋菓子店でゼリーを買った。
 そうして夕生の家に行く途中で、同級生二人と鉢合わせた。
 『どこ行くんだ?』と問われて『幼馴染の家』と返す。二人はしつこく、『幼馴染だれ?』『丈の幼馴染気になる』『かわいい?』と訪ねてくる。面倒なので丈は言った。
『きっと知らないよ。三ツ矢夕生って子』
 今から考えると丈はもっと警戒すべきだった。
 丈は自分が他人にどう見られているか、興味がなかったのだ。丈の興味はただ一人に向けられている。夕生以外にどう見られていようと関係ない。
 本気でそう思っていた。
『誰だろ』
『あ、俺知ってる。小学校ん時一回話題になった奴だ。丈ってあいつと幼馴染だったんだなー』
 かなりしつこく、付いてきていたのでもう住宅街に入っていた。ちょうど人通りの少ない通りだ。
 同級生の男は嫌な笑い方をする。
『三ツ矢夕生ってさぁー、マジかよ丈ぉ』
『え? 誰?』
『え、なんか、クソ貧乏で親に捨てられた奴』
 丈は立ち止まっている。
 背後で同級生がワッと盛り上がる。
『そんなんマジであんの!?』
『あるある。噂では、服とか汚かったって聞いた』
『やっべーな! 丈、そいつと幼馴染なの!? 似合わねー! 一年にいるってこと?』
『そうそう。お前知らない? 丈が毎日一緒に登校してる一年』
『あー……あれ?』
 同級生は含み笑いで言った。
『全然タイプ違う奴だよな。釣り合ってなさすぎ。あの人、親に捨てられてんのか』
『いや、今金持ちの家に引き取られてんだって』
『シンデレラじゃん。羨ましい~俺も拾われてぇ~』
『姫だよな。ねーねー丈。そいつって——……』
 丈は最初に夕生の話を始めた同級生の腹に躊躇いなく蹴りを入れた。
 どすんっと少年が尻餅をつく。一瞬目を見開いて丈を見上げてから、唾を吐いて苦痛に悶え始める。
 隣の少年は啞然と丈を眺めていた。目の前の光景が信じられないようだった。あの『温厚で優しい桜井丈』が暴力を働いている。
 桜井丈が無表情で、自分たちを眺めている。
 丈は呟いた。
『一人一人潰していくのって、どんだけかかんだろ……』
 丈は恐怖に怯える同級生たちを見下ろしながらそんなことを考えた。上の学年にまで夕生の話が広まっているのか。いや、まだ広まっていない。少なくとも片方は知らなかった。こいつが広めている最中だ。
 丈はしゃがんで彼に顔を近づけた。
『夕生の話何人にした?』
 顔面蒼白の少年が尻をついたまま後ずさる。丈は繰り返す。
『その話何人にした? 誰に話した? てかさ、誰に聞いたの?』
 尻餅をついた少年は答えない。どうしようか。丈は手にもったゼリーの箱を見下ろす。どうしようか。
 怒りで脳が焼き切れそうだ。でもゼリーがある。夕生とその家族に渡すゼリーだ。崩れては困る。
 丈は怒りを少しでも逃すため深く息を吐いた。立っていた少年がじわっと涙を滲ませる。
『今日は……』
 丈は立ち上がりながら呟いた。
『いいけど、明日聞くからちゃんと答えろよ』
『……ご、ごめん丈』
『悪かったよ、ごめんな』
『また明日』
 と、丈は踵を返した。
 そこでようやく彼女が暫く先で立っているのに気付く。
 同級生たちは逃げるように走り去っていった。取り残されたのは、お高い私立小学校の制服を着た愛海と丈だけ。
 おそらく愛海は人が暴力を働いているのを初めて見たのだろう。それも、『兄の、優しくてのんびりした友達』が同級生たちを恫喝していたのだ。愛海は驚愕し、涙目になっていた。
 チッ。見られた。クソだるいな。愛海はパニックになって青ざめている。丈もまた幼かった。思わず舌打ちをしてしまう。
 そんな丈を見て、だが愛海は呟いた。
『お兄ちゃん……』
 妹は一番に兄の身の危険を案じたのだ。
 愛海はガタガタ震え出し、自分の家へと駆け出した。
 丈は暫く立ち尽くしていたが、仕方なく自分も帰宅した。これで三ツ矢家を訪問したら愛海が発狂すると思ったのだ。しかしその後、意外にも丈と三ツ矢家の関係は何一つ変わらなかった。
 あれだけブラコンの妹だからてっきり父親に密告するかと思ったが、彼女は冷静だった。兄の親友を無理やり兄から引き離そうとはしなかったのだ。
 兄の体裁を守るためでもあったのだと思う。三ツ矢家の夫妻は丈を、頼り甲斐のある夕生のお友達だと思っている。
 更には夕生にも丈について打ち明けていないようだった。きっと夕生を不安にさせるのが嫌なのだろう。
 代わりに一週間後、丈へ言った。兄を傷付けるな、と。
 言われなくても傷付ける気なんて毛頭ない。
 ただ丈も思うところはある。他人を恫喝するなら人目がつかないところでしよう。それと、夕生が丈のせいで目立っている。
 どうしても二人で過ごす時間は欲しいから朝の登校は手放せない。丈は夕生と一緒にいたい。せめて生徒たちに見られないようにしよう。校舎へ二人で入っていくのは避けないと。
 愛海は数年間無言で監視していたが、夕生が丈と同じ高校に入ってから焦り出したようだ。
 両親に丈の本性を報告しない代わりに、自らの目で監視するため、私立校のエスカレーターを降りてまで同じ高校へやってきた。
「まなとは違ってお兄ちゃんは言い返さないんだから」
 愛海の心配も無理はないと自分でも思う。なぜなら夕生は丈の一面を知らない。
 愛海は、兄が幼馴染の冷酷性をいまだに把握していないことに危機感を抱いている。
 いわば丈は夕生に隠し事をしているのだ。だから愛海は丈を一切信頼していない。
「まなはそもそも、丈くんがお兄ちゃんのこと好きって丈くんの仲間たちに伝えて欲しくなかった」
 ここにきて不信感ポイントがまた追加された。クソ。あのクラスメイトのせいで……。
「あの人たちは単純にお兄ちゃんに興味があるんだろうけど、テンションが違いすぎる。お兄ちゃんがビビるの分かってるでしょ?」
「だから絶対近付かないようにって言ってるんだよ」
「でも出会っちゃったじゃん」
 愛海は真顔で「近づいちゃったじゃん」と言った。
 丈が最も聞かれる台詞第一位は『彼女いんの?』だ。
 大抵の場合『居ない』と答えれば済むが、友人たちに何度も聞かれるのは面倒だった。だから好きな人がいるとは伝えている。二年に上がった丈が、一年生として入学してきた夕生と毎日昼休みを過ごすようになってからは追求が加速した。仕方なく夕生について話したが、彼に接触することは固く禁じている。
 友人らはちゃんと言いつけを守っていたが、愛海が入ってきてテンションが上がってしまったようだ。そのせいで昨日の朝みたいなことが起きた。
「失礼な人もいたし」
 おまけに関係のない余計なクラスメイトも混じっていた。
「あいつには叱っておいた」
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