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第二章

9 花壇

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 その話をされるだろうとは思っていた。
 貧血で倒れた愛海も抱えられながら苦言を吐いていたが、あの時はやはり弱っていて、充分に丈へ文句を言えていない。愛海とまともに話すのは昨日の朝からだと今が初めてだ。
 ——『兄貴これ? 全然愛海ちゃんと似てないじゃん』
 正直、彼がなぜあの場にいたのか分からなかった。丈の友人というより、ただのクラスメイトで、愛海と話したくてあの場にいただけの気もする。
 事実、丈が『三ツ矢夕生』を好きだと知る一部の友達は彼の発言に目を見開き、丈の顔色を伺った。
 愛海はというと、激怒した。
『うるさいですよ。くだらない事言わないでくれますか? デリカシーないんですね、先輩。そんな人がいるなんて残念です。失望しました』
 上級生相手に強く言い切り夕生を追いかけていった。
 クラスメイトは撃沈し、反省した。目を潤ませて今にも泣き喚きそうに震えていた。
「お前、キレると怖いよな」
「丈くんの方が怒ってたでしょ」
 愛海がじっと丈を見つめる。
「化けの皮剥がれてたよ」
 ——『お前なんでいんの?』
 その後に丈が言った台詞を愛海は聞いていたらしい。
 愛海はその時の丈の顔を見たのだろう。すぐに走り去っていったから、それからこちらがどうなっていたかは把握していないようだが。
 ただ、丈の怒りは見ていたようだ。
 愛海は携帯の時刻を確認する。丈と同様に夕生がやってくるのを待っているのだ。丈は『部屋で待とう』とは言わなかった。あの部屋に入る時は夕生が居てほしい。
 すると、突然愛海が、
「……昔、お兄ちゃんが花を育ててたことがあるの」
 と呟いた。
 何かと思ったが、愛海は壁に貼られた絵画コンクールのポスターを眺めている。宣伝ポスターには、誰かの描いた花の絵が描かれている。
 愛海はそれを真っ直ぐ眺めながら続けた。
「家族で植物園に行ったんだ。そこではお花も売ってて、お兄ちゃんがコスモスの前で立ち止まってずーっと見ててさ。お父さんは、お兄ちゃんが花に興味示してくれたのが嬉しかったのか花壇をプレゼントした。『きちんと育てるんだよ』って」
 やりそうだ。あの豪邸の主人である三ツ矢家の父親は子供たちに甘い。
 愛海が花の絵から視線を外した。
「でも台風で無くなっちゃった」
 愛海は無表情で続ける。
「お兄ちゃんはまだ花壇の雑草を抜いてる。でももう花は育てようとしない。何もない花壇の雑草を抜いてるだけ」
 三ツ矢家の庭は広い。あのどこかに夕生の花壇があったらしい。
 夕生は三ツ矢家に関してを丈へ報告してくれる。しかし花壇の話はなかった。
「嵐の後何度も謝ってた。パニックになったみたいに」
 夕生が花を育てるのに失敗したからだ。
「あれから家事を手伝ってくることが多くなった。自分が何かしなきゃあの家には居られないと思ってるみたい」
 夕生は九歳の時に三ツ矢家の養子になった。バース判定でオメガだと分かってから、夕生の実母が夕生を置いて出て行ったからだ。
 夕生には親戚がいない。何の縁もなかったはずだが近くに住んでいた三ツ矢家の夫妻が夕生を引き取ってくれた。
 愛海と夕生は、血の繋がっていない兄妹だが仲が良い。
 夕生から愛海の話はよく聞いていた。愛海も、兄を信頼している。昔から兄の近くにアルファの丈がいることを警戒して、遂には高校まで追ってきたのだ。
 一度、街で夕生と愛海の姿を見たことがある。
『——やめてください』
 夕生は中学二年生だった。夕生の背後には愛海がいる。
 愛海に絡んできたのだろう男たちに夕生は果敢に立ち向かっていた。夕生は争い事を好まない。元々夕生が穏やかな性格であるのもそうだが、何か争って三ツ矢家に迷惑をかけるのが嫌だから耐え忍んでいるのだ。
 そんな夕生が真っ先に戦おうとした。妹のためなら争いも厭わない。
 その後、すぐに両親がやってきたので事なきを得ていたので丈は彼らに声をかけなかった。兄妹は三ツ矢家の夫妻に守られながら去っていった。
 夕生は妹を心底、大切に思っている。
 妹のためなら自分より年上で体の大きな男たちにだって立ち向かう。
 何が『弱そう』だ。
 チョロくなんかない。
 夕生は震えてばかりの男ではない。確かに、静かな男の子ではある。友達も多い方ではないかもしれない。
 今の夕生があまり笑わない性格だからだろう。子供の頃はもっと感情を表に出していたのだけど、母親に置いていかれてからは表情の起伏は薄い。
 一方で、妹のことになると楽しそうに微笑む。
 夕生の笑顔を見るためにはこのままずっと愛海の話をするしかないのだろうか。しかし愛海の情報に関する手札は元々少なく、既に切れている上に、そもそも他の人の話はあまりしたくない。
 けれど夕生の笑顔が見たい。
「お兄ちゃんは何か役に立とうと頑張っちゃうし、迷惑がかかるって思うことは言わないんだよ。傷ついたところでそれを表に出して面倒が起きるなら、押し込めようって人だから」
「ま、そうだな」
 丈は頷いた。それはよく知っている。
 愛海の口調が鋭くなる。
「あの人たち何とかして。丈くんが勝手にお兄ちゃんのこと好きなだけでしょ。お兄ちゃんは何言われても文句なんか言わないで耐えるだけなんだから。内輪ノリをお兄ちゃんに押し付けんの死ぬほど怠いからほんとやめて」
「それは、そうだ」
「あの男子のノリきついんだけど。寒いんで」
「悪かった」
 素直に謝ると愛海は舌打ちした。
 丈が愛海と初めて会話したのは丈が十一歳、愛海が九歳だった。
 お互い夕生から話は聞いていたので、愛海は『兄の仲の良い幼馴染』の丈に好意的に接したし、丈も、愛海が夕生に害を与えなさそうな子供だと判断し親切に接した。
 それ以降愛海と会うことはなかった。状況が一変したのは、丈が中学二年、愛海が小学六年の時だ。
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