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第一章
4 あの二人は両思いだったらしい
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階段を踏み外し踊り場に落下する。咄嗟に手すりを掴んだが結局思い切り倒れ込んでしまった。
心臓が激しく鼓動していた。なぜか焦燥に襲われてすぐ立ち上がろうとするが、
「いっ……」
足首に激痛が走る。手の側面にも擦り傷ができて血が滲んでいたが、足の痛みは尋常でない。
「お、おい大丈夫か」
竹田が降りてきて座り込む夕生に声をかけた。
夕生はビクッと肩を震わせる。竹田が少しだけ退いた。夕生はばら蒔いた教科書とペンケースを回収し、今度は落ち着いて立ち上がる。
「……もう行っていい?」
「……っ」
竹田は何も言わない。夕生は手すりを握りしめ、慎重に階段を下った。
足を挫いてしまったようで歩くたびに痛みが走る。廊下の窓枠に手をついて、ふぅ、と息を吐く。
まだ落ちた時の恐怖が胸に残っている。涙が今更滲んできた。手の甲で拭って誤魔化す。深呼吸していると恐怖が波のように引いていく。だが、手先は冷たいままだった。
痛い。足が痛いし、膝も強く打った。
保健室へ寄ってから丈との空き教室へ向かおうか。でも少しでも痛がったら足の傷が丈に見つかってしまうかもしれない。
今日は昼食を断ろう。丈はきっと気にしない。
『わかった』と優しく笑うだけだろう。
「……いたい」
夕生は胸を抑えた。また深呼吸をして痛みを誤魔化し、歩き出した。
ここは学年の教室がない廊下なので普段は人も少ないが、昼休みも始まって十数分経っているので段々と生徒たちも多くなっていく。だが誰もゆっくりと歩く夕生を気にしていない。
保健室で湿布か何かもらって、暫くすれば治るはずだ。携帯は教室に残したままだから丈に連絡を入れないと。
その時、前から叫び声がした。
「キャア――……」
女子生徒たちが中庭から廊下を見下ろしている。夕生も窓の外を眺めた。
彼女たちが何を見ているのかは直ぐに分かった。
中庭には三人の見知らぬ女子の姿。
それと、丈と愛海がいた。
愛海が、壁際で蹲っているのが分かる。
「桜井先輩来ちゃった」
「どうすんだろあの人たち。愛海ちゃんになんかしてたよね」
丈が、愛海の元へやってくる。
夕生は食い入るように中庭を見つめた。
何かをした……? あの女子たちが?
愛海に何があったんだ。
「愛海っ……」
小さく叫び、夕生は踵を返した。足の痛みを無視して二階から一階へ階段を下っていく。非常扉を使えば中庭は近い。
どうしたんだ。何があった? あの女子は何をしたというのか。
外に出ると既に人集りができて、囁き声で丈たちの話をしている。中庭は昼食を取るスポットとして人気だ。生徒たちが壁になって向こうから夕生は見えていない。
丈が、愛海を抱えているのが見えた。
「お姫様だっこじゃんっ」
「どうしたのあの子」
「先生呼んだ方がよくない?」
丈の声が聞こえた。
今までに聞いたことのない、低く冷たい声だった。
「愛海にふざけた真似しないでね」
丈があの女子三人に冷たく言い放つ。
丈は鋭い目つきで彼女たちを睨みつけると、校舎へ繋がる外廊下へ歩いていった。
丈は夕生に気付かず、愛海を抱えて去っていく。生徒たちの群衆が彼らを見守っていた。
夕生はその場から動き出せない。足首の猛烈な痛みを今更思い出す。けれど動けないのは痛みだけが理由ではない。
――丈が怒っているのを、初めて見た。
「えっえっ、今の何?」
「私最初から見てたけどあの先輩たちが愛海ちゃんのこと囲ってたんだよ、うちら普通に居んのに中庭でさ」
「公開処刑的なことしようとしてたんじゃない?」
「桜井先輩の幼馴染だから?」
「愛海ちゃん大丈夫なの? 何で倒れてたの?」
「丈くん一年の子を助けに来てくれたって! あれ、もういない?」
「めっちゃお似合い」
「あんなに可愛い子じゃなぁ。わーん、桜井先輩……」
夕生は丈が怒っているのを初めて見た。
丈はいつも優しくて、何があってもあんな顔はしない。
次第に群衆が散っていっても夕生は暫くその場から動けなかった。頭の中に何度も、愛海を抱えて去っていく丈の後ろ姿が蘇る。
アレは誰もが入り込めない二人の世界だった。
夕生が入ることはできない世界。
いつかの丈の声が耳に蘇った。
――『好きな子や好きな子の大切にしてるもん傷つけられたら怒るけど』
丈には好きな子がいる。
それは。
――『真っ直ぐ俺を見てくれる子』
愛海だ。
「何だ……」
夕生は俯いた。視界に、激痛が疼く足首が入る。
丈は愛海を助けて連れて行った。
愛海のために怒ったのだ。
……何だ。
あの二人は、両思いだったらしい。
例の騒動は一瞬で校内に広まった。昼休みの出来事が昼休み中に伝播する。あの温厚な桜井丈先輩が三ツ矢愛海のために怒ったと。
夕生はその真相を愛海本人から聞いた。
あの後、躊躇ったけれど結局愛海がいるだろう保健室へ向かった。その時にはもう丈の姿はなかった。ホッと安堵した。二人の空気を崩してしまったらと怖かったから。
愛海は目を覚ましていて、ベッドに寝ていた。夕生の姿を認めるとツラツラと語り出す。何でも桜井丈のファンである二年女子が愛海を呼び出したらしい。
それ自体はどうでも良かったと愛海は言った。「昔から何かと呼び出されるから。色んな人に」とため息混じりに告げる。
だが問題は愛海の体調が芳しくなかったことだ。愛海は昔から貧血になりやすい。嫌な予感はしたらしい。耐えられると思ったけれど、まだ昼食も食べていなかったし、遂には倒れてしまったのだ。
一方、愛海が囲われているのを見た生徒が既に幼馴染である丈へ助けを呼んでいた。丈がやってきた時にちょうど愛海が倒れ、女子たちが愛海に手を出したと勘違いした丈は激怒した。
夕生は丈本人からの話は聞いていない。ただ、昼休みにメッセージが入っていた。
《来なかったけどどうしたの?》
と。
夕生が愛海の件を知らないと思ったのだろう。夕生に心配させまいと話題に出さない姿勢にまた胸が締め付けられる。
あんなことがあったのだ。夕生は、丈が空き教室に来るわけない、むしろ保健室へ戻ってくると思っていた。
好きな人が倒れたのだ。落ち着いていられるはずがない。
しかし意外にも丈は空き教室へ向かったようだ。丈は誠実なので、いつも通り来てくれたらしい。
夕生は《ごめんなさい。少しお腹痛くて行けなかった》と返した。実際には愛海を見舞うついでに、愛海に隠れて湿布を借りていたのだ。
放課後は愛海と共に家に帰ったので丈とは一言も交わしていない。
夕生が愛海と共に帰ることを伝えると丈はメッセージをくれた。
お大事に、と。
夕生はそのメッセージを見つめて直ぐに隣の愛海へ言った。
「丈が愛海に、お大事に、だって」
愛海はそれを聞いて、「ふぅん」と小さく俯いた。照れているのだ。夕生は言及しない。
夕生はただ、申し訳なかった。きっと丈が愛海を家に送りたかったはずだし、愛海も夕生より丈の方が良かっただろう。
二人の間に自分がいるのが心底情けなかった。
心臓が激しく鼓動していた。なぜか焦燥に襲われてすぐ立ち上がろうとするが、
「いっ……」
足首に激痛が走る。手の側面にも擦り傷ができて血が滲んでいたが、足の痛みは尋常でない。
「お、おい大丈夫か」
竹田が降りてきて座り込む夕生に声をかけた。
夕生はビクッと肩を震わせる。竹田が少しだけ退いた。夕生はばら蒔いた教科書とペンケースを回収し、今度は落ち着いて立ち上がる。
「……もう行っていい?」
「……っ」
竹田は何も言わない。夕生は手すりを握りしめ、慎重に階段を下った。
足を挫いてしまったようで歩くたびに痛みが走る。廊下の窓枠に手をついて、ふぅ、と息を吐く。
まだ落ちた時の恐怖が胸に残っている。涙が今更滲んできた。手の甲で拭って誤魔化す。深呼吸していると恐怖が波のように引いていく。だが、手先は冷たいままだった。
痛い。足が痛いし、膝も強く打った。
保健室へ寄ってから丈との空き教室へ向かおうか。でも少しでも痛がったら足の傷が丈に見つかってしまうかもしれない。
今日は昼食を断ろう。丈はきっと気にしない。
『わかった』と優しく笑うだけだろう。
「……いたい」
夕生は胸を抑えた。また深呼吸をして痛みを誤魔化し、歩き出した。
ここは学年の教室がない廊下なので普段は人も少ないが、昼休みも始まって十数分経っているので段々と生徒たちも多くなっていく。だが誰もゆっくりと歩く夕生を気にしていない。
保健室で湿布か何かもらって、暫くすれば治るはずだ。携帯は教室に残したままだから丈に連絡を入れないと。
その時、前から叫び声がした。
「キャア――……」
女子生徒たちが中庭から廊下を見下ろしている。夕生も窓の外を眺めた。
彼女たちが何を見ているのかは直ぐに分かった。
中庭には三人の見知らぬ女子の姿。
それと、丈と愛海がいた。
愛海が、壁際で蹲っているのが分かる。
「桜井先輩来ちゃった」
「どうすんだろあの人たち。愛海ちゃんになんかしてたよね」
丈が、愛海の元へやってくる。
夕生は食い入るように中庭を見つめた。
何かをした……? あの女子たちが?
愛海に何があったんだ。
「愛海っ……」
小さく叫び、夕生は踵を返した。足の痛みを無視して二階から一階へ階段を下っていく。非常扉を使えば中庭は近い。
どうしたんだ。何があった? あの女子は何をしたというのか。
外に出ると既に人集りができて、囁き声で丈たちの話をしている。中庭は昼食を取るスポットとして人気だ。生徒たちが壁になって向こうから夕生は見えていない。
丈が、愛海を抱えているのが見えた。
「お姫様だっこじゃんっ」
「どうしたのあの子」
「先生呼んだ方がよくない?」
丈の声が聞こえた。
今までに聞いたことのない、低く冷たい声だった。
「愛海にふざけた真似しないでね」
丈があの女子三人に冷たく言い放つ。
丈は鋭い目つきで彼女たちを睨みつけると、校舎へ繋がる外廊下へ歩いていった。
丈は夕生に気付かず、愛海を抱えて去っていく。生徒たちの群衆が彼らを見守っていた。
夕生はその場から動き出せない。足首の猛烈な痛みを今更思い出す。けれど動けないのは痛みだけが理由ではない。
――丈が怒っているのを、初めて見た。
「えっえっ、今の何?」
「私最初から見てたけどあの先輩たちが愛海ちゃんのこと囲ってたんだよ、うちら普通に居んのに中庭でさ」
「公開処刑的なことしようとしてたんじゃない?」
「桜井先輩の幼馴染だから?」
「愛海ちゃん大丈夫なの? 何で倒れてたの?」
「丈くん一年の子を助けに来てくれたって! あれ、もういない?」
「めっちゃお似合い」
「あんなに可愛い子じゃなぁ。わーん、桜井先輩……」
夕生は丈が怒っているのを初めて見た。
丈はいつも優しくて、何があってもあんな顔はしない。
次第に群衆が散っていっても夕生は暫くその場から動けなかった。頭の中に何度も、愛海を抱えて去っていく丈の後ろ姿が蘇る。
アレは誰もが入り込めない二人の世界だった。
夕生が入ることはできない世界。
いつかの丈の声が耳に蘇った。
――『好きな子や好きな子の大切にしてるもん傷つけられたら怒るけど』
丈には好きな子がいる。
それは。
――『真っ直ぐ俺を見てくれる子』
愛海だ。
「何だ……」
夕生は俯いた。視界に、激痛が疼く足首が入る。
丈は愛海を助けて連れて行った。
愛海のために怒ったのだ。
……何だ。
あの二人は、両思いだったらしい。
例の騒動は一瞬で校内に広まった。昼休みの出来事が昼休み中に伝播する。あの温厚な桜井丈先輩が三ツ矢愛海のために怒ったと。
夕生はその真相を愛海本人から聞いた。
あの後、躊躇ったけれど結局愛海がいるだろう保健室へ向かった。その時にはもう丈の姿はなかった。ホッと安堵した。二人の空気を崩してしまったらと怖かったから。
愛海は目を覚ましていて、ベッドに寝ていた。夕生の姿を認めるとツラツラと語り出す。何でも桜井丈のファンである二年女子が愛海を呼び出したらしい。
それ自体はどうでも良かったと愛海は言った。「昔から何かと呼び出されるから。色んな人に」とため息混じりに告げる。
だが問題は愛海の体調が芳しくなかったことだ。愛海は昔から貧血になりやすい。嫌な予感はしたらしい。耐えられると思ったけれど、まだ昼食も食べていなかったし、遂には倒れてしまったのだ。
一方、愛海が囲われているのを見た生徒が既に幼馴染である丈へ助けを呼んでいた。丈がやってきた時にちょうど愛海が倒れ、女子たちが愛海に手を出したと勘違いした丈は激怒した。
夕生は丈本人からの話は聞いていない。ただ、昼休みにメッセージが入っていた。
《来なかったけどどうしたの?》
と。
夕生が愛海の件を知らないと思ったのだろう。夕生に心配させまいと話題に出さない姿勢にまた胸が締め付けられる。
あんなことがあったのだ。夕生は、丈が空き教室に来るわけない、むしろ保健室へ戻ってくると思っていた。
好きな人が倒れたのだ。落ち着いていられるはずがない。
しかし意外にも丈は空き教室へ向かったようだ。丈は誠実なので、いつも通り来てくれたらしい。
夕生は《ごめんなさい。少しお腹痛くて行けなかった》と返した。実際には愛海を見舞うついでに、愛海に隠れて湿布を借りていたのだ。
放課後は愛海と共に家に帰ったので丈とは一言も交わしていない。
夕生が愛海と共に帰ることを伝えると丈はメッセージをくれた。
お大事に、と。
夕生はそのメッセージを見つめて直ぐに隣の愛海へ言った。
「丈が愛海に、お大事に、だって」
愛海はそれを聞いて、「ふぅん」と小さく俯いた。照れているのだ。夕生は言及しない。
夕生はただ、申し訳なかった。きっと丈が愛海を家に送りたかったはずだし、愛海も夕生より丈の方が良かっただろう。
二人の間に自分がいるのが心底情けなかった。
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