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第五章

55 復讐の化身

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「お前が求めてたのはこれだろ」
 由良から渡されたのはあの日のドライブレコーダーだった。
 パソコンに映像が入っている。組長を乗せていた由良の車から事故の一部始終が撮れていた。
 玲は躊躇いなく記録を再生する。
 豪雨の中でも二つの車は明るくて、その動きがはっきりと見える。一度再生し、また戻し、また繰り返して見る。
 ……やはり記憶の間違いではなかった。
 白い車が、赤い車に突っ込んでいる。
 母から車へ激突していた。命を賭けて殺しに行くように。
 そしてそれは成功したのだ。
「……この、赤い車に乗っていたのは……」
 玲はパソコンを凝視したまま呟いた。
「如月成彦(きさらぎなるひこ)」
「……如月?」
 玲は顔を上げて、怪訝に聞き返した。
 玲は広いベッドにポツンと座り込んでいる。由良はチョーカーに不備がないか、そして首に傷がないか確認してきた。このチョーカーは出会った頃に由良から渡されたもので、もう大分古いけれど、面倒なので新調していない。
「如月成彦って誰ですか」
 必死に問いかける玲に、由良はシャツを無理やり着せてくる。由良のシャツは大きかった。玲は着させられている最中も「きさらぎって」とモゴモゴと返す。
「誰なんですか」
「やっぱりお前は知らないんだな」
 由良はスウェットのボトムだけ履くと、かったるそうに立ち上がった。
 テーブルに置かれたペットボトルを手にすると乱暴に玲へ投げ寄越し、自分はソファに腰掛け、またしても煙草を吸い始めた。
「如月家は代々権威を継ぐお貴族様みたいなものだ。あの時死んだ如月成彦は、当主だった」
 煙を吐いて、こちらへ黒い瞳を向ける。
「青い目をした男だ」
「……」
「あの日」
 由良は滔々と語り出した。
 七年前のあの、豪雨の夜について。
「親父は一等大事な時で、あの事故に巻き込まれていい立場ではなかった。事故に関わっていることも知られてはならない。そして事故を隠したいのは如月家も同様だった」
 如月。如月。
 心の中で繰り返す。
 胸に痛みと共に刻みつけるように。
「如月成彦はとんでもない悪党だった。ヤクザものけぞるほどのな……アルファ性の如月成彦は悪趣味な男で、複数のオメガ女性を囲っていた。俺もなぜ、お前の母親が如月成彦に特攻したのかは分からない。何か恨みでもあったんだろ」
 玲は唇を噛み締めた。
 頭に浮かぶのは、アジサイレストランを出て車に乗り込んだ母が両手で顔を覆った姿だ。
 それから、ハンドルを握ると、真っ直ぐに前を見て何かを睨みつけていた。
「成彦がなぜあの町にいたかも不明だ。とにかく如月成彦は一族にとって最も最悪な死を遂げた。如月家はあの事故と、成彦の死を隠すことにした。それに俺たちも合意して終わっている」
 やはり、玲の知らぬ間に二者間で取引があったらしい。
 しかしそれは七年前のこと。
「もう、終わったことなんだ」
 由良が淡々と告げる。
 玲はあの赤と白の物体を見下ろしている。
 如月成彦の姿はこの映像では見えない。けれどきっと、その男は持っている。
「そういえば、涼も青い目をしていたな」
「……由良さん」
 あの青い瞳を。
 玲は顔を上げて、由良を真っ直ぐ見つめた。
「これ、俺のものですよね」
「あぁ」
 玲は薄らと微笑んで、画面をまたしても眺め下ろした。
 まるで神の視点にでもなった気分だ。玲は静かな夜にいて、あの豪雨の夜を見下ろしている。
 そこには二人の死人がいる。だが玲は神ではないから、その魂を掬い上げることはできない。
 ——《あなたはどこにいるの?》
 あのメールを思い出す。
 母の携帯を持っているのは如月家のようだ。
 如月成彦が母にとっての魔の嵐。母は追い詰められて、だが最後に、自分の命を賭して成彦を殺したらしい。
 母の目的は成功している。彼女の復讐は終わっている。
 ……本当に?
 まだだ。
 玲は納得していない。なぜ居場所がバレたのか。今まで隠れていた母がなぜ、自ら如月成彦の居る場所へ赴くことにしたのか。
 玲の頭の中であの子が叫んだ。
 ——『変なやつがいた』
 今まで無意識に、思い出そうとしていなかったあのセリフ。
 ——『でかいおっさんがッ、俺を知らない場所に連れてった!』
「……玲」
 玲は自然と目を閉じていたらしい。
 由良が咎めるように言った。玲は無言で、彼に視線だけ遣る。
 玲は知っている。あなたは本当の意味で俺を止められない。
 だって、同類でしょう。由良晃は復讐の化身だ。
 由良は若くして自分の父親を殺している。これは玲が由良や嵐海組と関わるうちに組員から聞いたこと。
 由良の父親はろくでもない男で、嵐海組含む多くから恨みを買っていた。由良が十二歳の頃に父親を殺して逃亡したところを嵐海組長に拾われたのだった。
 組長は由良の命を助けてくれた。由良の幼い暴力性を認めて、器を与えてやった。
 それだから由良は組長に心酔し、その心は組長だけに注がれている。
 玲の心は、怒りに染まっている。
 月明かりが玲の首筋と太ももを照らす。パソコンを眺めながら、玲は小さく微笑んだ。
 ……よかった。
 涼が、あの事故を忘れていてよかった。
 今、玲はようやく認めた。涼があの事件に関わっていたことを。
 如月成彦は涼を攫ったのだ。母は涼を取り返しに行って、だから、居場所がバレてしまった。
 世の中には、中々捉えることのできない者を、信じられない手段で取り戻そうとする人間がいるらしい。
 子供を奪えば母親は戻ってくる。如月成彦は六年かけて涼を見つけ出した。保育園にいた青い目の涼を攫って、母を如月成彦の屋敷まで誘き寄せたのだ。監禁するつもりだったのかもしれない。しかし母は涼を取り返して帰ってきた。その足でシェルターに行くことはできない。如月成彦が自分を追っていると想定していたのだろう。玲が学区外の小学校からハウスに通っていたのと同様、保育園もハウスから離れた位置にあったが、居場所が知られるのは時間の問題だった。だから町を出ようとしていた、のだが。
 如月成彦はすぐ近くまで追っていた。
 母は、その男を殺すしかなくなった。
 でも涼は知らなくていい。
 あの豪雨も、青にならない信号も、全部。
 忘れるべきだ。
 俺が知る。
 そして奴らに、この身のうちで滾る憎しみをお返ししよう。











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