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第五章

54 魂胆

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 由良と嵐海組長が約束通り安全な家を探し出してくれたのだ。
 養子に入る前、涼に第二性診断を受けさせた。優れた運動神経や何となくの気配から薄々勘付いてはいたが、やはり涼はアルファ性だった。
 里子に出されるのを不安に感じている涼には『俺も施設を出るから、そうすればこれからも二人で会うことができる』『嫌な家だったら、俺が沢山金稼いでくるから、二人で暮らそう』と説得した。
 玲は前者を必死に口にした。しかし後者のセリフをついでみたいに言うと、涼は突然素直に頷き、永井家の子供となった。
 宣言通り中学を卒業した玲は、由良の伝手でアパートを借りて、彼の仕事を手伝うことになった。
 主に由良が複数経営している夜の店の事務仕事だ。キャストではなく運営側に回っている。他にも玲が自分で見つけてきたバイトも兼業した。
 生活が落ち着いてきた頃、十六歳になった玲はふと思い出して、昔使っていた古い携帯を取り出した。
 由良から新しい携帯を渡されてからはそちらを使用している。古い方は途中で解約していて、携帯番号も使えなくなっているはず。
 メールアドレスは引き継ぎができる。メールなんて今はあまり使わないけれど……面倒だし、どうしようか。
 考えながら携帯を起動させて、メールボックスを開く。
 未読になっていたメールを読み、目を大きく見開く。
《件名:深山くん?
あなたはどこにいるの?》
 ……これは、誰だ?
 一瞬で背中から頭のてっぺんまで熱が走る。恐怖で手が震えて、携帯を落とした。
 深山……もう捨てた名前だ。自分はとっくに大倉玲として生きている。深山、くん?
 パニックに陥り頭が真っ白になる。思考が回らない。送り主が母のアドレスだと、気付くのにさえ、時間を要した。
 脳裏を過ぎるのは赤と白のチューリップ畑が綺麗だった待ち受け画面だ。あの日……五年前、母は赤い傘も持たずに携帯だけを手にして白い車に乗った。
 誰かが母の携帯を持っている。
 もしかして俺たちをまだ、見つけ出そうとしているのか?
 優しいフリして俺たちを騙して捉えようとしている?
 玲は歯をぎりっと食いしばった。まだ、居るのか。追いかけてくる魔の嵐。
 そいつが母の携帯を持っている。あのチューリップの写真は、祖母が懐かしんでいるのに。
 奴らが奪ったらしい。
 やはりあの事故現場に、母を追い詰めた怪物がいたのだ。
 大切な母を追い詰めて、更に携帯までも持っている。母のアドレスを使って俺たちを誘き出そうとしてやがる。
 ……やってみろ。
 思い通りにはならない。
 ハウスは解体した。もう深山礼矢も涼介もいない。俺たちは大倉玲で、永井涼だ。
 捕まえられるものなら捕まえてみろ。
 その前に俺が、お前を見つけ出して殺す。

















 玲は由良の元で仕事を続け、地道に返済を続けている。中学を出て二年が経ち、玲は十七歳になっていた。
 実直に由良に従う姿を見て、玲を敵視する極道たちもある程度は納得してくれたみたいだ。しかし仕事ぶりと定期的な返済が玲に危害を及ぼさない大きな理由ではない。
 玲は由良と共に過ごしている。
 この効果は絶大だった。
 由良晃は玲と出会った六年前の事故の日、二十八歳だった。今年で三十四歳になる由良は、若くして嵐海組の若頭補佐という幹部にいる。
 由良には力があった。玲はこの二年間、由良の言われた通りに過ごして、働き、金を返し、考えていた。
 母を捕えようとしていた……あの人のうなじを噛んだ男は誰だったのか。
 涼の父親は誰なのか。
 あの事故では母の白い車の他に赤い車が潰れていた。当時は赤い車の運転席で死んでいた男に気を払える状況ではなく、今では玲もあの記憶が曖昧になっており、一体どういった人物だったのか全く覚えていない。
 けれど理解している。あの男の正体を知るべきなのだと。
 母の携帯を持っている者がいる。『ソイツ』は母のアドレスを使って、玲と涼に呼びかけた。
 『深山』の名前を知り、玲たちが『深山くん』と男子であると知っている。たまたま母の携帯を拾った通行人などではない。
 一度だけあのメールに返信したことがあった。
 無知なフリして《お母さん?》とメールしたのだ。
 しかし返信はなかった。
 よく分からない。あのメールは誰が送っていたんだ? どうして俺たちを捉えようとしているのだろう。
 玲は母の携帯をもつ者の正体と、赤い車で死んでいた男の正体を求め始めた。
 それを探るためにも由良の元で働いている。
 玲は、由良を疑っていた。この男は何かを隠しているに違いない。
 事件が公になっていないのだ。どれだけ検索しようと、あの町で起きた死者を伴う交通事故の話が出てこない。
 嵐海組が隠蔽したか、それとも……赤い車の男がそうしたのか。
 二つともが手を組んで、隠しているのか。
 玲は彼らが隠している正体を知りたかった。
 だから、由良に付き従っていたのだ。
 三年目になると玲と由良が共にいる姿を見ても誰も疑問に思わなくなった。玲は彼と出会った頃からかなり成長して、身長も百七十を越した。
 由良は背が高いのでそれでも見上げる形になるが以前よりは視線が近くなる。玲がおとなしくしていればいるほど、しかし、由良の監視の目は厳しくなった。
 由良が何を警戒しているのか玲には分からない。どうでもよかった。
 玲は由良の傍に居られればいい。
 それだけ。
 ヒートが初めてきたのは、十七歳の秋だった。
 秋晴れの午後だった。なかなか出勤しない玲を不審に思ったらしく、店長が由良に連絡し、彼がアパートへやってくる。
 オメガ性の不安定なヒートに充てられた由良は一瞬で発情した。
 玲もまた、高熱と発情に犯されながら、混濁する頭で考えた。
 ……玲は知らなければならない。
 だからあの時、玲の身体を求める由良を拒否しなかった。
 そうして初めてヒートを過ごした。チョーカーをしていたのでうなじは無事だったが、妊娠の可能性があったのでアフターピルを服用し、しばらく由良の家で暮らすことになった。
 由良には他にも数人の愛人が居たようだが全て女性だ。ヘテロの由良もオメガ性の発情には逆らえなかったらしい。国はこれを恐れて、ヒート期のオメガ性の外出を禁じているのだなと改めて納得した。
 『ガキ』と罵っていた由良が、そのガキを抱くことに関してどう思っているのかはよく分からない。その男は常に飄々としていて、彼が何か申し訳なさそうにする様など、襲撃の直後の一度しか見たことがないのだ。
 とはいえそもそもとして、由良晃はヤクザだ。
 立派な倫理観などもちあわせていない。玲もまた、自分の頭が狂っていることは分かっている。目的のために由良と関係をもつことに何の迷いもなかった。
 十七歳の秋から、一年近く関係が続いた。
 玲は由良の家で過ごすことが多くなり、彼は『テメェは文句ばっかだな』とあれこれ世話を焼いてくれた。由良は玲を相手するのにすっかり忙しくなり、他の愛人には別れの言葉とマンションの一室を与えたらしい。
 ヒート期でなくとも由良の気分で抱かれた。無理やり迫ってくることはないが、玲は彼に従い、基本的には拒否しなかった。
 性行為以外に関しても、一度も由良に逆らわない。とにかく従順に。時間をかける。由良の情が移るのを待つ。由良が隠し事を耐えられなくなる瞬間を。
 待っていた。
 そしてその日がやってきた。
「——ずっと」
 雲もない紺色の空に満月が浮かぶ夜だった。
「お前は知りたがっていたな」
「え……」
 疲れ切った玲が「お腹空いた」と呟いた後。由良は仕方なく葡萄を持ってきて、玲は一粒一粒ゆっくりと食べていた。
 いきなり言われて、理解が追いつかない。ベッドにうつ伏せになったまま顔だけ見上げる玲に、男は言った。
「俺から言い出さなかったらいつまで待つつもりだった?」
「……」
「もう、黙ってるのも面倒だ」
 玲は驚いて目を丸くした。
 由良もまた、玲が魂胆を抱いて自分の傍にいることを分かっていたらしい。
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