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第四章
45 あなたはどこにいるの?
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「なんで兄ちゃんがそんなこと……」
涼は動揺を見せた。しかし口に出してから、何か思い出したように深刻な顔をして黙り込む。
由良が笑いを堪えるみたいに目を細めた。
「お前幾つだ」
「じゅ、十六になります」
「なら大人だな」
「大人?」
涼は咄嗟には理解できなさそうに目を見開く。やがて、納得を度外視して「……まぁ別にいいですけど」と返した。
由良は腕時計を確認しながら言った。
「そろそろ本当のことを知るべきだろ。こんなことになっちまったんだから」
もうすぐ日付が変わる。
由良が目を伏せている。長いまつ毛がくっきりと際立った。極道にしては端正な顔つきをしている。
「にしても」
ふとまつ毛が上がって、三白眼が一成、そして涼に向けられた。
「お前ら、知り合いだったのか?」
片頬を歪めるようにして、笑っているのか蔑んでいるのか区別つかない表情を見せる。
由良は目尻に皺を寄せた。
「何つうことだよ。玲が会わせたのか?」
「え、違います」
涼は首を横に一度だけ振って、「たまたま、ですよね?」と一成へ青い瞳を向けてくる。
そう、偶然だった。大江から電話が来なければ涼と一成は出会っていない。体調を崩した玲を、涼はまさに病院へ連れていく直前だったのだから。
それまで一成は涼の存在を知らなかった。あの大江でさえ把握していなかったのだ。
由良は煙草を咥えて、見下すようにこちらを眺めている。
「あーあ……可哀想に」
と、煙を吐き出してから告げる。
心の底から同情するような声だった。
「コイツらだけは会わせたくなかったよなァ、玲」
「アンタは知ってたのか?」
問いかける一成を、由良は煙草を吸い付けながら眺めた。おかしな沈黙が流れて、涼は何のことか分からなそうに小首を傾げる。
すると廊下の方から「涼」と声が届く。
涼は立ち上がり「何」と養母の元へ向かった。彼が居なくなると由良が口を開く。
「知ってたって、何を? お前は何を知っていて、何を知らないんだ。俺から見るとお前は何も知らないように見える」
あまりにも図星だった。ここに来てから理解したことも、理解できないでいること、全部を一成は把握していなかった。
何も知らない。
「お前が知りたいことは、玲の居場所だろ」
今一番知りたいことは、まさしく玲の行く先である。
由良は肘掛けに頬杖をついた。
「だがそれは俺も把握していない」
「……さっき、『どうせアイツには何もできない』と言ったよな」
「……」
由良は無表情で口を閉ざした。一成は煙草の箱を握り続けている。
「それはどういう意味だ?」
玲は姿を消してしまった。逃げるためなのか、目的があって姿を消したのか、皆目見当がつかない。
すると由良が、囁くような声を出す。
「何もできねぇと思ってたけど、もう何もしたくないのかもな」
由良はなぜか、一成を食い入るように見ている。
奇妙な眼差しだった。魂まで見つめてくるような強い視線に違和感を覚えると、突然、
「煙草。吸わねぇのか」
と問いかけてくる。
「煙草?」
「あぁ。喫煙者だろ?」
「いや、いい」
「なぜ」
「ガキがいるだろ」
廊下から涼が戻ってくる足音がした。由良がゆっくりと目を細める。まるで微笑んでいるみたいだ。
由良は濃い煙を吐いた。
一成だって無性に煙草を吸いたくて堪らない。しかしここには、玲の弟がいる。
弟が……、いるのだ。
「え、何ですか……」
再度現れた涼を二人とも無言で見遣るから涼はまた狼狽えた。
一成は煙草を由良に返す。一成はそれを手放し、由良は吸い続けることを選んだ。
不意に、過去の記憶が蘇った。
——『探してるの』
その女性の声は、一成の母のものだ。
まだ母が生きていた頃、彼女は呟いていた。
項垂れながら。悲しげに。見つからないことをどこかで確信しているように。
何を、と聞いても困ったように微笑むだけだった。
あの時項垂れていたのは……、手元を眺めていたからだった。
握りしめた携帯を。
……つい最近の声を思い出す。
古い記憶に重なって、頭の中で反響した。
——『お婆ちゃんの苗字です』
大江は不可解そうに記録を報告する。眉間に皺を寄せながら、訝しげに告げた。
——『大倉じゃないんですよ。確か……深山です』
どうしてその名を聞いたときに思い出せなかったのだろう。
瞼を閉じると、項垂れた母の幻影が浮かぶ。あの時彼女が握りしめていた古い携帯は母の遺品の一つとして一成が保管している。
一度だけ、中身を確認したことがあった。
《深山くん?》
《あなたはどこにいるの?》
その携帯の送信済みフォルダには母が『深山』に宛てたメールがあった。
携帯の持ち主は実は、一成の母ではない。だから印象に残っていたのだ。母の携帯でもないそれをどこで手にして、なぜ母は手放さずにいるのか。
持ち主は誰なのか。どこにいるのか。疑問に思ったけれど一成は聞けなかった。薄々勘付いていたからだ。
その携帯は、父が執着していた『運命』のオメガ女性のもの。
なぜか携帯だけが残されていて、本人の居場所は掴めなかった。
父の運命の番が持っていた携帯を捨てないでいるから、一成は当時、母がまだ父に執着しているのだと思っていた。
けれどそうではない。
母はその携帯を使って探していただけなのだ。
『深山くん』を探して、だが、見つけられなかった。
「涼、お前、昔の名前は」
一成は高校一年生になった涼へ問いかける。
「……名前?」
涼は眉の間に小さく皺を寄せた。凛々しくもあどけない表情に、一成は軽く微笑む。
「永井になる前の苗字だ」
「深山ですけど……」
一成は静かに息を吐いた。胸が焼け焦げそうなほど熱くなり、熱を逃すために息を吐く。
涼は動揺を見せた。しかし口に出してから、何か思い出したように深刻な顔をして黙り込む。
由良が笑いを堪えるみたいに目を細めた。
「お前幾つだ」
「じゅ、十六になります」
「なら大人だな」
「大人?」
涼は咄嗟には理解できなさそうに目を見開く。やがて、納得を度外視して「……まぁ別にいいですけど」と返した。
由良は腕時計を確認しながら言った。
「そろそろ本当のことを知るべきだろ。こんなことになっちまったんだから」
もうすぐ日付が変わる。
由良が目を伏せている。長いまつ毛がくっきりと際立った。極道にしては端正な顔つきをしている。
「にしても」
ふとまつ毛が上がって、三白眼が一成、そして涼に向けられた。
「お前ら、知り合いだったのか?」
片頬を歪めるようにして、笑っているのか蔑んでいるのか区別つかない表情を見せる。
由良は目尻に皺を寄せた。
「何つうことだよ。玲が会わせたのか?」
「え、違います」
涼は首を横に一度だけ振って、「たまたま、ですよね?」と一成へ青い瞳を向けてくる。
そう、偶然だった。大江から電話が来なければ涼と一成は出会っていない。体調を崩した玲を、涼はまさに病院へ連れていく直前だったのだから。
それまで一成は涼の存在を知らなかった。あの大江でさえ把握していなかったのだ。
由良は煙草を咥えて、見下すようにこちらを眺めている。
「あーあ……可哀想に」
と、煙を吐き出してから告げる。
心の底から同情するような声だった。
「コイツらだけは会わせたくなかったよなァ、玲」
「アンタは知ってたのか?」
問いかける一成を、由良は煙草を吸い付けながら眺めた。おかしな沈黙が流れて、涼は何のことか分からなそうに小首を傾げる。
すると廊下の方から「涼」と声が届く。
涼は立ち上がり「何」と養母の元へ向かった。彼が居なくなると由良が口を開く。
「知ってたって、何を? お前は何を知っていて、何を知らないんだ。俺から見るとお前は何も知らないように見える」
あまりにも図星だった。ここに来てから理解したことも、理解できないでいること、全部を一成は把握していなかった。
何も知らない。
「お前が知りたいことは、玲の居場所だろ」
今一番知りたいことは、まさしく玲の行く先である。
由良は肘掛けに頬杖をついた。
「だがそれは俺も把握していない」
「……さっき、『どうせアイツには何もできない』と言ったよな」
「……」
由良は無表情で口を閉ざした。一成は煙草の箱を握り続けている。
「それはどういう意味だ?」
玲は姿を消してしまった。逃げるためなのか、目的があって姿を消したのか、皆目見当がつかない。
すると由良が、囁くような声を出す。
「何もできねぇと思ってたけど、もう何もしたくないのかもな」
由良はなぜか、一成を食い入るように見ている。
奇妙な眼差しだった。魂まで見つめてくるような強い視線に違和感を覚えると、突然、
「煙草。吸わねぇのか」
と問いかけてくる。
「煙草?」
「あぁ。喫煙者だろ?」
「いや、いい」
「なぜ」
「ガキがいるだろ」
廊下から涼が戻ってくる足音がした。由良がゆっくりと目を細める。まるで微笑んでいるみたいだ。
由良は濃い煙を吐いた。
一成だって無性に煙草を吸いたくて堪らない。しかしここには、玲の弟がいる。
弟が……、いるのだ。
「え、何ですか……」
再度現れた涼を二人とも無言で見遣るから涼はまた狼狽えた。
一成は煙草を由良に返す。一成はそれを手放し、由良は吸い続けることを選んだ。
不意に、過去の記憶が蘇った。
——『探してるの』
その女性の声は、一成の母のものだ。
まだ母が生きていた頃、彼女は呟いていた。
項垂れながら。悲しげに。見つからないことをどこかで確信しているように。
何を、と聞いても困ったように微笑むだけだった。
あの時項垂れていたのは……、手元を眺めていたからだった。
握りしめた携帯を。
……つい最近の声を思い出す。
古い記憶に重なって、頭の中で反響した。
——『お婆ちゃんの苗字です』
大江は不可解そうに記録を報告する。眉間に皺を寄せながら、訝しげに告げた。
——『大倉じゃないんですよ。確か……深山です』
どうしてその名を聞いたときに思い出せなかったのだろう。
瞼を閉じると、項垂れた母の幻影が浮かぶ。あの時彼女が握りしめていた古い携帯は母の遺品の一つとして一成が保管している。
一度だけ、中身を確認したことがあった。
《深山くん?》
《あなたはどこにいるの?》
その携帯の送信済みフォルダには母が『深山』に宛てたメールがあった。
携帯の持ち主は実は、一成の母ではない。だから印象に残っていたのだ。母の携帯でもないそれをどこで手にして、なぜ母は手放さずにいるのか。
持ち主は誰なのか。どこにいるのか。疑問に思ったけれど一成は聞けなかった。薄々勘付いていたからだ。
その携帯は、父が執着していた『運命』のオメガ女性のもの。
なぜか携帯だけが残されていて、本人の居場所は掴めなかった。
父の運命の番が持っていた携帯を捨てないでいるから、一成は当時、母がまだ父に執着しているのだと思っていた。
けれどそうではない。
母はその携帯を使って探していただけなのだ。
『深山くん』を探して、だが、見つけられなかった。
「涼、お前、昔の名前は」
一成は高校一年生になった涼へ問いかける。
「……名前?」
涼は眉の間に小さく皺を寄せた。凛々しくもあどけない表情に、一成は軽く微笑む。
「永井になる前の苗字だ」
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