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第四章
43 やりやがったな
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【第四章】
それは夢すら見ない深い眠りだった。
目覚めてからも覚醒しきらない。一成はベッドから起き上がり、数十秒俯いていた。
元々寝起きは頭が回らない方だ。それにしたって、眠気が酷すぎる。
一成は自然と横たわった。それからまた瞼を閉じる。
数分後……無言で起き上がった。
既視感があったからだ。同じ行動を既に一度したはず。
「……十時?」
一成は枕元のデジタル時計に視線を遣り眉間の皺を深めた。
画面は十時を表示している。午前? 午後? 目を眇めると、数字の横に《PM》と浮き出ているのが見える。
午後十時……夜。
一成は啞然とした。
不意に思い出すのは、同じように横になった記憶だ。
確か数時間前にも一度目が覚めた。しかし異常な眠気に逆らえず、もう一度眠ってしまったのだ。
思い出しながらも、いつの午後十時なのか判断できずに困惑する。一成はベッドの下に落ちていた携帯を手に取った。
「一日中寝てたのか?」
信じられないことに一成が就寝してからほぼ一日が経過している。
途中で目が覚めていたにせよ、徹夜明け並みに眠っていたのだ。……なぜ? 疑念に侵されながらも立ち上がり、寝室を出た。
「玲?」
一成は呟く。
返事がない。
リビングに玲はいなかった。
時刻は午後十時だ。いつもなら必ずこの時間、玲はいる。
彼の部屋にも、洗面台や書斎、他の部屋のどこにも姿はなかった。
玲の部屋から一部荷物が消えている。
いつも履いているスニーカーも、なかった。
いない。
玲がいない。
『こんな夜中にどうしたんですか?』
「玲がいなくなった」
一瞬頭が真っ白になったが、一成はすぐに携帯を手に取り、以前交換した連絡先へ電話をかける。
電話口の向こうで、玲の弟の涼が不安そうに言った。
『いないって……どこかへ出掛けてるとかでもなく?』
「ああ、何か嫌な予感がする」
考えれば考えるほど妙だ。
一成は昨日の晩から今夜まで眠りを繰り返している。その間、玲は一成を起こさなかった。
つまり玲はとっくに部屋から消えていたのだ。
『何で……兄ちゃんのこと見ててって言ったじゃないですか!』
返す言葉もなかった。
しかし涼の警告を侮っていたわけではない。むしろ、これ以上玲が嵐海組と関わるのを警戒していた。それも玲の借金を無くしたい理由の一つである。
通話をスピーカーに変えて着信履歴を見返す。玲からは連絡はない。
一件だけ見知らぬ番号から着信が入っている。
思い出した。由良の金融債権事務所の番号だ。
『いつからいないんですか?』
一成は携帯を操作しながら会話を続けた。
「おそらく、昨夜か今朝」
『おそらくってどういうこと?』
「……お前のとこには行ってねぇんだよな」
『きてないですよ』
メッセージアプリを開くが音沙汰はない。一成は大江に《玲と連絡繋がるか?》とメッセージを打った。
『月城さん、今から会えますか?』
涼が不安に満ち満ちた声で言った。
『どういうことなのか詳しく教えてください』
「分かった」
もし玲が連絡を取るならまず弟だろう。
病院には祖母がいるが、夜中に過ごせる場所ではない。なぜ消えたのかは分からないが、どちらにせよ入院している祖母の元へは向かわないはず。
とにかく状況が不可解すぎる。直接涼と会って話した方がいい。
『俺の家の住所送りますんで』
「あぁ」
通話を切ってすぐに家を出た。
五十五階から地下へ向かうエレベーターが信じられないほど長く感じる。駐車場を駆け足で抜けて、車に乗り込む。
一体、何が起きている。
玲に電話をかけるがやはり繋がらない。大江からも《連絡取れないですね》と返事がきた。
一成の焦燥感を掻き立てるのは、つい先ほどまでのあの病的な睡魔だ。
なぜ一日も眠ってしまったのか。あの抗えないほどの眠気は何だったのか。
どうして、昨晩の、眠る前の記憶が思い出せないのか。
ヒートを終えた玲と食事をしたのは覚えている。だがその後のことが曖昧だ。思い出そうと思えば記憶を掬い上げられそうだけれど、思い起こすのにかなりの時間がかかる。
まるで強い睡眠薬を飲んだ後のような記憶障害である。
飲む……そうだ。
酒を飲んでから、倒れ込むようにベッドで眠っていた気がする。
……なぜ?
一成の背に汗が滲んだ。頭のてっぺんからつま先までカッと炎が貫いたように熱くなる。
思い出せ。あの時、自分が何を告げたのかを。
玲と話したこと。それは借金を一成が返済する旨。玲は驚いて、返す言葉に迷っていた。
あの時、他に妙なところがなかったか?
思い出せ。
あの夜、一成が話したこと……。
それは。
「……由良晃」
に一成が連絡したことだ。
——指定された住所は立派な一軒家だった。
その前に車が止まっている。黒塗りの高級車だ。車を背にして煙草を吸う高身長の男の姿が見えた。
時刻は午後十一時。この夜更けに佇む男の雰囲気は異様だった。
黒いシャツに黒いスラックスを履いていた。腰の位置が高く、上半身は筋肉質だ。初めて見るはずの男だが、一成はその正体になぜか直ぐ気付いた。
由良晃だ。
確信したのは、その匂いを感知したからだった。
一成は車を停車させ、その男の元へ向かった。煙草を吸う男は視線だけで一成を捉え続けている。近付いてくる一成に全く動揺していない。
年は三十代半ばだろうか。首元とシャツをたくし上げた腕から刺青が見えていた。咥え煙草をして、黒髪を片手でかき上げる。その手で煙草を摘むと、俯きがちに煙を吐いてからこちらに体を向けた。
アルファの匂いがする。以前、玲が着ていたシャツから香ったものと同じモノだ。
成熟して、草臥れたような男の匂い。
「如月一成」
煙を吐き終えた由良が言った。
その声は轟くように低い。
突如として現れた一成に、由良は全く動じていない。それどころか、揶揄うように奥二重の目を細めた。
「奇遇だな。こんなところで会うとは」
「……どうしてここに」
「たまたまだ」
「俺のことを知ってるのか」
「いや、つい最近知った。おかげさまで」
気怠い口調で告げて一成を眺めてくる。
彼は微かに唇に笑みを引いた。
「なるほどな」
アルファのオーラとはまた違う重い雰囲気を纏う男だった。
「玲の借金を返すとほざいたらしい、如月一成。月城先生ってのは、お前のことだったのか。……ふっ、ははは」
場所は高級住宅街の道路だった。街灯があるとは言え、ここは暗い。
由良は軽く俯き、なぜか乾いた笑い声を漏らした。高い鼻が影を作って、由良の顔半分が真っ暗になる。
由良は独り言みたいに唸る。
「玲、お前……」
その男は唇の端を上げていた。
「やりやがったな」
「——ど、どうして」
一成が由良の意味深な台詞を言及する前に、背後から若い声がした。
振り向くとスウェット姿でスニーカーを履いた涼が慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。
「どうして由良さんがここに?」
涼は心底驚いたように目を見開いていた。
一成もまた、涼を見て硬直する。
——そんな。
まさか。
「弟。俺のこと知ってんのか」
由良がゆらりと体を揺らした。煙草を地面に捨てて靴の先で踏み潰す。
一成はまだ固まっていた。
言葉が出てこない。
ここは夜の隅だった。辺りは暗い。由良が暗い声で囁いた。
「まぁ、知ってるよな。さすがに」
それから涼の元へ歩いていく。
「お前に玲の居場所を聞き出そうと思ってきたんだよ」
「由良さんも兄ちゃんを探してるんですか?」
「あぁ」
一成はその場から微動だに出来なかった。
涼を見つめたまま。
「まさか如月一成がここに来るとは思わなかったがな……玲はどこだ?」
「お、俺も分からないんです」
青年は由良の存在に驚きつつも必死に会話に応じている。
一成はその時になってようやく、
「おい」
と呟いた。
「涼、お前……」
涼に対してだ。
「な、何ですか」
由良の存在に気を取られていた涼が一成へ怪訝な目を向ける。
一成はその目を見つめたまま、次の言葉が出てこない。
由良が視線だけを一成に寄越した。一成と涼のやりとりを静かに眺めている。
涼が由良の視線に気付き、ハッとして言った。
「でも、あの、由良さんまで家に入れないです。ごめんなさい。お母さんたちに迷惑かけられないから」
「……」
由良は無言でまた髪をかきあげる。それから目元を歪めて、何とも形容し難い厳しい目つきで一成を見た。
するとその時、
「涼」
と女性の声が割り入ってくる。
玄関の方からやってきた女性に涼が勢いよく振り返る。その際に「お母さん」と声を漏らしていた。
女性のすぐ横には《永井》の表札がある。永井家の夫人である彼女は、仕方なさそうに眉を下げた。
「近所迷惑でしょう。お二人とも中に入れなさい」
「えっ、でも」
動揺する涼に対して、養母である永井夫人は静かな視線を一成、そして由良へ向けた。
由良と夫人の視線が交わる。夫人は一度ゆっくりと瞬きし、涼へ顔を戻した。
「いいから早く」
「いいの?」
「ええ。さっさと中に入りなさい」
なぜか永井夫人はあっさり了承し、すぐさま踵を返して歩き出した。
涼は戸惑いつつもその背を追う。二人は玄関扉へ続く数段の階段を上っていく。
「行くぞ」
由良は一成へ耳打ちするように囁いた。
一成はあまりの衝撃でその場から微動だにできない。その横を由良が通り過ぎていく。
一成はよろめくようにして、やっとのことで歩き出した。心臓が激しく音を立てている。既に永井夫人と涼は家の中に入って行った。開け放たれた玄関扉の前に由良が立っている。
「来いよ、如月一成」
由良は三白眼の視線で一成を眺め下ろしていた。
「こっちの方がよく見えるだろ」
……まさか。
そんなはずが。
一成は時間をかけて永井家の玄関へ踏み入れた。背後で扉が閉まる。広々とした玄関ホールだった。先に靴を脱いで廊下に上がった涼が、養母の去ったであろう部屋の方を眺めている。
「なんで、お母さん……」
「涼、それ、どういうことだよ」
玄関ホールはとても明るい。
だからその色がよく見えるのだ。
「え?」
涼は一成に顔を向けると首を傾げた。
一成は息を止めてから、吐くと同時に問いかけた。
「お前の瞳は、青色だったのか?」
「え……はい」
驚愕する一成に対し、涼はあっさりと認めた。
不思議そうな顔で続ける。
「そうです……何でそんなに驚いて……あ、そっか。前に会った時の俺、黒のカラコンしてましたもんね」
それは夢すら見ない深い眠りだった。
目覚めてからも覚醒しきらない。一成はベッドから起き上がり、数十秒俯いていた。
元々寝起きは頭が回らない方だ。それにしたって、眠気が酷すぎる。
一成は自然と横たわった。それからまた瞼を閉じる。
数分後……無言で起き上がった。
既視感があったからだ。同じ行動を既に一度したはず。
「……十時?」
一成は枕元のデジタル時計に視線を遣り眉間の皺を深めた。
画面は十時を表示している。午前? 午後? 目を眇めると、数字の横に《PM》と浮き出ているのが見える。
午後十時……夜。
一成は啞然とした。
不意に思い出すのは、同じように横になった記憶だ。
確か数時間前にも一度目が覚めた。しかし異常な眠気に逆らえず、もう一度眠ってしまったのだ。
思い出しながらも、いつの午後十時なのか判断できずに困惑する。一成はベッドの下に落ちていた携帯を手に取った。
「一日中寝てたのか?」
信じられないことに一成が就寝してからほぼ一日が経過している。
途中で目が覚めていたにせよ、徹夜明け並みに眠っていたのだ。……なぜ? 疑念に侵されながらも立ち上がり、寝室を出た。
「玲?」
一成は呟く。
返事がない。
リビングに玲はいなかった。
時刻は午後十時だ。いつもなら必ずこの時間、玲はいる。
彼の部屋にも、洗面台や書斎、他の部屋のどこにも姿はなかった。
玲の部屋から一部荷物が消えている。
いつも履いているスニーカーも、なかった。
いない。
玲がいない。
『こんな夜中にどうしたんですか?』
「玲がいなくなった」
一瞬頭が真っ白になったが、一成はすぐに携帯を手に取り、以前交換した連絡先へ電話をかける。
電話口の向こうで、玲の弟の涼が不安そうに言った。
『いないって……どこかへ出掛けてるとかでもなく?』
「ああ、何か嫌な予感がする」
考えれば考えるほど妙だ。
一成は昨日の晩から今夜まで眠りを繰り返している。その間、玲は一成を起こさなかった。
つまり玲はとっくに部屋から消えていたのだ。
『何で……兄ちゃんのこと見ててって言ったじゃないですか!』
返す言葉もなかった。
しかし涼の警告を侮っていたわけではない。むしろ、これ以上玲が嵐海組と関わるのを警戒していた。それも玲の借金を無くしたい理由の一つである。
通話をスピーカーに変えて着信履歴を見返す。玲からは連絡はない。
一件だけ見知らぬ番号から着信が入っている。
思い出した。由良の金融債権事務所の番号だ。
『いつからいないんですか?』
一成は携帯を操作しながら会話を続けた。
「おそらく、昨夜か今朝」
『おそらくってどういうこと?』
「……お前のとこには行ってねぇんだよな」
『きてないですよ』
メッセージアプリを開くが音沙汰はない。一成は大江に《玲と連絡繋がるか?》とメッセージを打った。
『月城さん、今から会えますか?』
涼が不安に満ち満ちた声で言った。
『どういうことなのか詳しく教えてください』
「分かった」
もし玲が連絡を取るならまず弟だろう。
病院には祖母がいるが、夜中に過ごせる場所ではない。なぜ消えたのかは分からないが、どちらにせよ入院している祖母の元へは向かわないはず。
とにかく状況が不可解すぎる。直接涼と会って話した方がいい。
『俺の家の住所送りますんで』
「あぁ」
通話を切ってすぐに家を出た。
五十五階から地下へ向かうエレベーターが信じられないほど長く感じる。駐車場を駆け足で抜けて、車に乗り込む。
一体、何が起きている。
玲に電話をかけるがやはり繋がらない。大江からも《連絡取れないですね》と返事がきた。
一成の焦燥感を掻き立てるのは、つい先ほどまでのあの病的な睡魔だ。
なぜ一日も眠ってしまったのか。あの抗えないほどの眠気は何だったのか。
どうして、昨晩の、眠る前の記憶が思い出せないのか。
ヒートを終えた玲と食事をしたのは覚えている。だがその後のことが曖昧だ。思い出そうと思えば記憶を掬い上げられそうだけれど、思い起こすのにかなりの時間がかかる。
まるで強い睡眠薬を飲んだ後のような記憶障害である。
飲む……そうだ。
酒を飲んでから、倒れ込むようにベッドで眠っていた気がする。
……なぜ?
一成の背に汗が滲んだ。頭のてっぺんからつま先までカッと炎が貫いたように熱くなる。
思い出せ。あの時、自分が何を告げたのかを。
玲と話したこと。それは借金を一成が返済する旨。玲は驚いて、返す言葉に迷っていた。
あの時、他に妙なところがなかったか?
思い出せ。
あの夜、一成が話したこと……。
それは。
「……由良晃」
に一成が連絡したことだ。
——指定された住所は立派な一軒家だった。
その前に車が止まっている。黒塗りの高級車だ。車を背にして煙草を吸う高身長の男の姿が見えた。
時刻は午後十一時。この夜更けに佇む男の雰囲気は異様だった。
黒いシャツに黒いスラックスを履いていた。腰の位置が高く、上半身は筋肉質だ。初めて見るはずの男だが、一成はその正体になぜか直ぐ気付いた。
由良晃だ。
確信したのは、その匂いを感知したからだった。
一成は車を停車させ、その男の元へ向かった。煙草を吸う男は視線だけで一成を捉え続けている。近付いてくる一成に全く動揺していない。
年は三十代半ばだろうか。首元とシャツをたくし上げた腕から刺青が見えていた。咥え煙草をして、黒髪を片手でかき上げる。その手で煙草を摘むと、俯きがちに煙を吐いてからこちらに体を向けた。
アルファの匂いがする。以前、玲が着ていたシャツから香ったものと同じモノだ。
成熟して、草臥れたような男の匂い。
「如月一成」
煙を吐き終えた由良が言った。
その声は轟くように低い。
突如として現れた一成に、由良は全く動じていない。それどころか、揶揄うように奥二重の目を細めた。
「奇遇だな。こんなところで会うとは」
「……どうしてここに」
「たまたまだ」
「俺のことを知ってるのか」
「いや、つい最近知った。おかげさまで」
気怠い口調で告げて一成を眺めてくる。
彼は微かに唇に笑みを引いた。
「なるほどな」
アルファのオーラとはまた違う重い雰囲気を纏う男だった。
「玲の借金を返すとほざいたらしい、如月一成。月城先生ってのは、お前のことだったのか。……ふっ、ははは」
場所は高級住宅街の道路だった。街灯があるとは言え、ここは暗い。
由良は軽く俯き、なぜか乾いた笑い声を漏らした。高い鼻が影を作って、由良の顔半分が真っ暗になる。
由良は独り言みたいに唸る。
「玲、お前……」
その男は唇の端を上げていた。
「やりやがったな」
「——ど、どうして」
一成が由良の意味深な台詞を言及する前に、背後から若い声がした。
振り向くとスウェット姿でスニーカーを履いた涼が慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。
「どうして由良さんがここに?」
涼は心底驚いたように目を見開いていた。
一成もまた、涼を見て硬直する。
——そんな。
まさか。
「弟。俺のこと知ってんのか」
由良がゆらりと体を揺らした。煙草を地面に捨てて靴の先で踏み潰す。
一成はまだ固まっていた。
言葉が出てこない。
ここは夜の隅だった。辺りは暗い。由良が暗い声で囁いた。
「まぁ、知ってるよな。さすがに」
それから涼の元へ歩いていく。
「お前に玲の居場所を聞き出そうと思ってきたんだよ」
「由良さんも兄ちゃんを探してるんですか?」
「あぁ」
一成はその場から微動だに出来なかった。
涼を見つめたまま。
「まさか如月一成がここに来るとは思わなかったがな……玲はどこだ?」
「お、俺も分からないんです」
青年は由良の存在に驚きつつも必死に会話に応じている。
一成はその時になってようやく、
「おい」
と呟いた。
「涼、お前……」
涼に対してだ。
「な、何ですか」
由良の存在に気を取られていた涼が一成へ怪訝な目を向ける。
一成はその目を見つめたまま、次の言葉が出てこない。
由良が視線だけを一成に寄越した。一成と涼のやりとりを静かに眺めている。
涼が由良の視線に気付き、ハッとして言った。
「でも、あの、由良さんまで家に入れないです。ごめんなさい。お母さんたちに迷惑かけられないから」
「……」
由良は無言でまた髪をかきあげる。それから目元を歪めて、何とも形容し難い厳しい目つきで一成を見た。
するとその時、
「涼」
と女性の声が割り入ってくる。
玄関の方からやってきた女性に涼が勢いよく振り返る。その際に「お母さん」と声を漏らしていた。
女性のすぐ横には《永井》の表札がある。永井家の夫人である彼女は、仕方なさそうに眉を下げた。
「近所迷惑でしょう。お二人とも中に入れなさい」
「えっ、でも」
動揺する涼に対して、養母である永井夫人は静かな視線を一成、そして由良へ向けた。
由良と夫人の視線が交わる。夫人は一度ゆっくりと瞬きし、涼へ顔を戻した。
「いいから早く」
「いいの?」
「ええ。さっさと中に入りなさい」
なぜか永井夫人はあっさり了承し、すぐさま踵を返して歩き出した。
涼は戸惑いつつもその背を追う。二人は玄関扉へ続く数段の階段を上っていく。
「行くぞ」
由良は一成へ耳打ちするように囁いた。
一成はあまりの衝撃でその場から微動だにできない。その横を由良が通り過ぎていく。
一成はよろめくようにして、やっとのことで歩き出した。心臓が激しく音を立てている。既に永井夫人と涼は家の中に入って行った。開け放たれた玄関扉の前に由良が立っている。
「来いよ、如月一成」
由良は三白眼の視線で一成を眺め下ろしていた。
「こっちの方がよく見えるだろ」
……まさか。
そんなはずが。
一成は時間をかけて永井家の玄関へ踏み入れた。背後で扉が閉まる。広々とした玄関ホールだった。先に靴を脱いで廊下に上がった涼が、養母の去ったであろう部屋の方を眺めている。
「なんで、お母さん……」
「涼、それ、どういうことだよ」
玄関ホールはとても明るい。
だからその色がよく見えるのだ。
「え?」
涼は一成に顔を向けると首を傾げた。
一成は息を止めてから、吐くと同時に問いかけた。
「お前の瞳は、青色だったのか?」
「え……はい」
驚愕する一成に対し、涼はあっさりと認めた。
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