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第二章

30 なるほど

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 玲は眉を下げて気弱な表情をする。それは安堵するような、けれどどこか悲しそうな、こちらの胸を締め付ける切なさの滲むものだった。
 嵐海組。この組織は関東で最も有名な組のうちの一つだ。玲も、極道モノの小説を書いている一成が嵐海組を知らないと本心で信じているわけではなさそうだった。
 その証拠に、玲は微かに微笑んで見せた。
 まるで子供の悪戯を許すような笑みだった。
 一成は思わず息を止める。
 弟へ向けるような笑顔とは違うがそれでも笑ってくれた。途端に思った。もっと見たい。
 もっと深く、見てみたい。どうしたらより笑顔を見せてくれるのか。柄にもなく心が焦って言葉が見つからなくなる。
 しかしそれも一瞬の光景で、玲の顔から表情は失せてしまう。
「ご迷惑はおかけしないように努めます」
 玲はその無表情に似合った淡々とした声で言った。
 一成は内心で息をついた。幻のように消えてしまった玲の、気弱な笑顔を心に閉じ込める。落胆を表には出さないよう努めて、「迷惑なんかどうでもいい」と雑に返す。
 それにしても疑問は残る。玲はボソボソと「借金のことは大丈夫なので」と言っているが、この男は受け取った五百万を返済よりも弟へ充てている。
 弟は今、金に困っていない。それなのになぜ金の大半を振り込んだのか。
 調べによると玲の借金の残額は一億だ。
 玲にとったら途方もない額のはず。
 玲は、一成が金額を把握していることを知らない。一成は抽象的に訊ねた。
「本当に大丈夫かよ。残りの借金を返す見通しは立ってんのか?」
「えっと……はい、大丈夫です」
「大丈夫大丈夫ってそればっかだなオイ」
「貸してくれている人は、返済を待ってくれるので」
 由良晃のことだ。まるで名前を言ってはいけないかのように名称を出さない。
「利子がつくだろ。悪徳金貸しは異常な金利で金を貸す」
「でも、大丈夫なんです」
 玲は声をはっきりと強めた。
「弟に振り込んだのは、お婆ちゃんに何かあった時のためなので」
 弟が玲から金を振り込まれたことを一成は知っている。ということを、玲も把握しているようだった。
「何かあってから金を借りてたら遅いでしょう。俺には金を保管できる場所がないので、代わりに弟へ預けただけです」
 釈然としないが理解はできる。
 返す言葉を迷っていると、玲が更に続けた。
「それに、一成さんのおかげで今後は借金もだいぶ楽になります」
「……ふぅん」
 玲が言った通り由良はなぜか利子をあまり高く設定していないようだった。とは言え、残りの一億は途方もない金額だ。
 一成が今度渡す額は二千五百万である。それらを一億の返済に使うとしても、まだ足りない。
 この契約が終わればまた、朝から晩までコツコツと働いて、地道に、長く、死ぬまで、やっていくのだろうか。
 その未来を想像するとなぜかこちらの心まで鬱々として、一成はため息を吐いた。
 とにかく今は。
「お前はもう寝ろ。何か食いたいもんあるか?」
「……特に、何も思い浮かびません」
「なら適当に頼んでおく」
 玲は小さく頷く。寝不足のせいで倒れたらしいが、彼はその直前まで由良晃と会っていた。
 由良と何が起きたのだろう。
 と、考えているうちに一成はふと呟いていた。
「由良って男はお前にとって何なんだ?」
「はい?」
 玲は首を傾げる。
 一成は繰り返した。
「由良晃とお前の関係は何なんだ?」
 玲は数秒押し黙った。
 やがて、ぼんやりとした口調で答える。
「お金を貸してくれている人です」
 端的な事実だった。そこに嘘はない。嘘はないが、その言葉には一成の知らない真実が確実に含まれている。
 玲はそれを教えてくれない。
 なぜ幼くして三億もの金を由良から借りたのか。
 そして二億をどうやって返したのか。
 玲が『母を探しています』と言った理由。弟すらも知らなかった借金と、なぜか返済に回さず弟の口座へ預けた四百万。
 不可解な点が多すぎる。
 しかし今の玲が真相を一成に教えることはない。
 一成は玲にとって、己を打ち明ける存在に値しないのだから。
「あの……一成さん」
 暗い顔で黙りこむ一成に不安を感じた玲が恐々と声をかけてくる。
 一成はハッと我に返った思いになり、「今日は」と言って立ち上がる。
 玲を見下ろして告げた。
「もういい。部屋に帰って寝ていろ」
「あの」
「夕飯が来たら呼びに行く」
 すると突然、玲がソファから崩れ落ちるようにして床に跪いた。
 一成の目の前に膝立ちした玲は、あろうことか下半身に手を伸ばしてくる。一成の太ももに両手を当てて、倒れたばかりの身にも関わらず、
「大丈夫です。仕事はします。あの、今日もできます」
 と言った。
 縋るように一成を見上げる。玲は必死に言う。
「口とか、できますから。これは体調とか関係ないし」
「……」
「だからできます」
 一成は奥歯を噛み締めた。
 不意に頭の中に大江の声が蘇る。それは魔法のように……呪いみたいに一成の脳に侵食してくる。
 ――『一成さん、玲ちゃんに優しくしないと』
 一ヶ月前に気を払いもしなかった言葉が今になって一成の心を圧する。優しさなど一ミリも与えずに玲を酷使して、威圧し、好き勝手していた結果がこれだ。
 ……なるほど。
 最悪な気分だな。
 一成は静かに告げた。
「寝ろっつったろ。今日はしない。つうか、暫くやんねぇから」
「えっ!? そ、そんな」
 玲は絶望的な表情を浮かべた。一成はまた一度強く奥歯を噛んで、ぐいっと玲の腕を引く。
「立て」
「うわっ」
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