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第一章

20 チューリップの写真

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 暫く皆で会話を楽しむ。先に女性が「じゃあ」と抜け、男性も自分の部屋に帰って行った。
 祖母も疲れてしまったようでベッドに横になる。そろそろ休ませるためにも帰るべきかと気遣う玲に、祖母は「世間は五月の連休でしょう? レイ君はどこか出かけたりしないの?」と問いかけてきた。
「うーん。予定はないけど、でも、最近は美味しいご飯食べられるから」
「あら、そうなの。少し痩せたように見えたから心配してたのに」
 驚いた。お婆ちゃんにまで気付かれていたのか。
 玲は「そんなことないよ」とかぶりを振る。実際、美味しいご飯を食べられるようになったのは事実だ。
 戻してしまうこともあるけど。
 祖母は「ならこれも食べなさい」と饅頭を取り出した。
「ありがとう」
 心配させないためにその場で袋を開ける。家に帰ったらポロネーゼを食べようと思っていたくらいなので食欲も湧いてきたと思ったが、口にすると中々進まない。
 玲は笑顔を浮かべて、無理やり完食した。祖母はにこにこと微笑んでおり、玲の様子に気付く気配はない。
 よかった。
「この季節だと、チューリップの花畑が綺麗なのよ」
「へぇ」
「レイ君のお母さんともよく遊びに行った花畑があるの」
 祖母は優しく目を細めた。随分と話し込んでしまったから眠くなってきたようで、口調も段々と緩やかになっていた。
 会話の終わり頃にこうして母のことを口にするのが祖母だった。だが語られる話は常に明るく、大切な思い出の欠片だ。
 優しい記憶に切なくもなるけれど、それは棘ではないから玲は傷付かない。
 そういえば、と十年以上前の記憶を思い起こす。
「お母さんの携帯の待ち受け画面もチューリップだった気がする」
 思い出して告げると、祖母はにっこりした。
 もう眠気が限界なのだろう。そのまま瞼を閉じて、夢うつつで呟く。
「よく写真を撮っていたわ。もう一度見てみたい……」
 それを最後に祖母は眠り始めた。玲は、まるで昨夜の自分みたいだと苦笑して、荷物を整理する。
 あらかた整えてから眠る祖母に「またね」と声をかける。
 返事はない。玲は息を吐き、病室を出た。
 帰りに受付へ向かってオメガ性用の薬を受け取る手続きをする。保険証と控除証があれば診察費も薬代も避妊薬もそれほど高額ではない。この証明書さえあれば、だ。
 ヒートは一成と出逢う直前に起きている。周期的にはあと、二ヶ月後。
 妊娠の兆しもない。行為の最中、一成はスキンを付けているので中に出されたことはないし、一成も生でするつもりはないように思える。
 一応中出しされた時のために緊急避妊薬も購入した。自分の分の診察を終えて、祖母の入院費を受付で手渡す。
 病院を出て次に向かうのは由良の金融事務所だ。医療費は払ったし、借金を返しに行かなければ。
 今手元にあるのは五十万ほどで、残りの四百万近くは病院へ来る途中に既に口座に振り込んでいる。借金返済に充てる額はひとまず五十万とした。
 由良との取引なので毎月の返済額の最低値は決まっていない。初めの数年で意欲的に返したおかげで、最近はだいぶ甘くなっていて、ペナルティもない。
 前回はたった五十万で電話がかかってきたのだから驚いた。そういえば近頃由良と会っていない。できれば今は会いたくないので、事務所に彼がいないと良いのだけど。
 考えながら事務所に着くと、今日はだいぶ出払っていて、受付の女性と以前に見かけた若い男しかいなかった。
「お前、この間のオメガじゃねぇか」
「……こんにちは」
 玲に気付いた男が目を見開く、年齢は玲と同じか、少し年上くらいだろうか。
 煙草を吸いながら近づいてきた男は、玲の肩を強引に組んでくる。
「金返しにきたんだろ? ほら、寄越せ」
「ちょっ……」
 受付の女性が「林さん」と声をかける。彼女は何年も前からよく見る女性だ。あまり喋ったことはないが、脅すように「こっちで受け取るわ。来い」と玲を引きずっていく男を咎めるように「ダメですよ」と言う。
 だが、林と呼ばれた男は彼女の制止を無視して煙草を灰皿に放り投げた。
「あ、あの」
「良いから来いよ」
 どうしよう。ひょろりとしているとは言え、玲の力じゃ抵抗できない。
 玲は咄嗟に女性へ振り返った。だが彼女も体格的に林を止められるわけがない。気付けば玲は部屋に担ぎ込まれている。
 逃げようとするも林が扉の前に立ち塞がってきた。
 一体この男は何をしているんだ。玲は信じられない思いで、「退いてください」と声を強める。
 その瞬間、男の拳が飛んできた。
「あ、ガ……ッ」
「何俺に命令してんだよ。金借り如きがよォ」
 鳩尾を殴られて玲はその場に倒れ込んだ。唾液が唇から飛び出る。激痛に悶絶していると、男が玲の腹を蹴り上げた。
「……グッ、う……!」
「返す金はこれか?」
 落ちた封筒を拾った男は中身を確認するとニンマリ唇を歪める。玲は衝撃のあまり声を失っていた。一体、何が起きているのか分からない。
 運びこまれた部屋は倉庫代わりになっていて、狭かった。逃げ場が一切ない。玲は啞然として林を見上げる。
 林は煙草に火をつけると、一服した。
「玲くんさ、由良さんに金借りてんだって?」
「……」
「イロだったんだろ? 捨てられて、借金することになったってわけか。なら俺が好き勝手しても良いよな」
 何を勘違いしているんだ……。
 愕然とするが恐怖で言葉が出てこない。男が完全に思い込んでいて、否定したところで無駄だ。
 逃げないと。林はベータ性のようだが、暴力に慣れすぎている。
 まさか自分が殴られるとは思わなかった。でも、そうだった。こうした頭のネジが外れている男がこの町に多い。玲は彼らがどのように暴力を振るうかをよく知っている。下手をしたら腕を折られるか火傷を負わされるか分かったもんじゃない。
 傷を負って、一成の傍で働けなくなったら……。
「オメガの穴、一回で良いから生で突っ込んでみたかったんだよな」
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