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第一章
8 魔王はもういない
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「大江、百万」
「はいはい」
たった二言だ。大江がどこからか金を持ってくる。
あっけなく現金を手渡されて、玲は内心で慄いた。
緊張した面持ちで鞄に現金を仕舞うと、大江がいくつか質問してくる。本当にいくつかで、名前と連絡先など項目は限られていた。
彼の車で家まで送られることになった。玄関を出てすぐ、大江がカードキーを手渡してくる。
「これ、部屋の鍵ね。エレベーターに翳すと勝手にここまで運ばれるから。ハウスキーパーさんがちょくちょく入ってくると思うけど鉢合わせることはないかな。玲ちゃんも掃除とかしてねだれば、報酬上乗せしてくれると思うよ」
玲はこくんと頷いてカードキーを預かる。行く先はここから一番近い最寄駅にした。
それにしても……と、手元のカードを見つめる。
なぜここまで不用心なのだろう。簡単に鍵を渡してしまうなんて。
疑問に思ったが、その答えは車に乗ってすぐ分かった。
「玲ちゃん、借金あるみたいだね。返済頑張って」
「えっ……」
大江はニコニコと笑みを浮かべながらエンジンをかける。
驚く玲に、容赦なく告げた。
「お祖母さんもよくなるといいね」
「……」
ああ。
知られているんだ。
一瞬席を外した大江は玲の個人情報を調べていたらしい。
玲は小さく唇を噛んだ。金髪の後頭部が見える。表情は見えない。頭の中で思い描くが、なぜか濁ってよく見えなかった。
……まぁ、いい。大した情報ではないから。
むしろ借金の履歴は一番初めに分かることだ。借金の理由に祖母の医療費もあるし、芋づる式に判明できたのだろう。
こんなに早く突き止められるとは思わなかったがいつか知られるだろうとは想定していたし、問題はない。
だけど少しだけ疑問に思う。借金があることは知っていてもどこから借りているのかまで把握しているのだろうか? 気になったが、問いかけはしなかった。
「……」
静かな車内で黙り込む玲はたった今し方までの一連を思い返す。
まさか……、三千万も報酬にするなんて思わなかった。
自分としても結果的にどうなるか分からず不安だったが、この展開ならむしろ有り難い限りだ。
運転は落ち着いていて車内は静寂していた。玲は窓の向こうで流れゆく景色を眺める。
あれだけ晴れていた空に重そうな雲が垂れ込んでいた。目を閉じると、まだ一成と出会う前に聞いた踏切の音が耳に蘇ってくる。
空間は静かなのに頭の中が煩い。
目を閉じる力をより強くしたとき、突然、
「玲ちゃん、お祖母さんのお見舞いはいいの?」
と大江に語りかけられた。
玲はフッと魔法から覚めたみたいに目を開く。バックミラー越しに、こちらを観察するような大江の視線が見えた。
玲はかすかに吐息を吐き、答える。
「……また明日向かいます」
「そっか。どうせなら送ってこうと思ったんだけど」
「あ、いえ、大丈夫です。今日はもう疲れてしまったので……」
「少し聞いてたけど昼夜問わず働いてるんだ?」
玲は派遣のバイトをしている。基本的には月毎に仕事も変わるので、仕事先までは簡単には分からないのだろう。
「はい、そうですね」
「なら三千万はでかいな」
「はい」
「一成さんの部屋も凄かったでしょ」
「びっくりしました。ご実家はあそこよりも立派なんですか?」
「うん、魔王の城」
大江はクックッと喉で笑った。一成と似ている笑い方だ。共に過ごす時間が長いと似通ってしまうのだろうか。
その城にいた一成も、他の魔族と似ているのだろうか。
玲はつぶやいた。
「でももう、そこに魔王はもういないんじゃないですか」
「え?」
大江は不思議そうにした。
玲はカードキーを握って小さく微笑む。
「一成さんはここにいるんですから」
「……言うねぇ」
大江は上機嫌に笑い声を上げた。玲はそれを聞きながら、また窓の外へ視線を遣る。
もう踏切の音は消えている。雲はさらに重たく色を変え、今にも雨が降り出しそうだった。
翌日、朝から大粒の雨が降っていた。
地面を叩きつける鋭い雨だ。朝はバケツをひっくり返したような土砂降りだったが、昼になって幾分か勢いを緩めるも、それでも雨脚は強い。
一成のマンションへ向かう前に、金融事務所に寄ることにした。昨日受け取った百万のうち幾らかを渡すためだ。
傘を差して歩きながら(この雨じゃ桜も散るだろうな)と考える。別にだからどうと言うこともない。花見なんかするような、生活でもないし。
「ヨォ、玲じゃねぇか」
古びたビルの二階を訪ねると、事務所に顔見知りの中年の男がいた。
取り立て屋の一人だ。他に事務員の女性と、見知らぬ若い男もいる。
「……こ、こんにちは」
「こんにちはじゃねェよ。少し顔見ねぇうちにまた変わってやがるな」
玲は小さく頷く。中年の男、山岡は近づいてきて、「返済だろ」と手を差し出してきた。
玲はのろのろと封筒を取り出した。奪うように受け取った山岡は、封筒の中身を確認すると、丸ごと事務員の女性に投げる。
「久しぶりだなァ、玲。まぁだオメガやってんのか」
「山岡さん、そいつオメガなんすか」
若い男が興味津々といった様子で山岡に話しかける。
最近事務所に入ったのだろう。恰幅の良い山岡にひょろりと背の高い新人の男。二人とも柄の悪い格好をしていて、いかにも今から債務者を殴ってでも金を毟り取るぞと言わんばかりだった。
「そうだぜ、面は良いだろ」
「美人っすね」
「オメガだからな」
「オメガかぁ。具合も良いんだろうな。どこの店すか? 俺通っちゃおっかな」
「はいはい」
たった二言だ。大江がどこからか金を持ってくる。
あっけなく現金を手渡されて、玲は内心で慄いた。
緊張した面持ちで鞄に現金を仕舞うと、大江がいくつか質問してくる。本当にいくつかで、名前と連絡先など項目は限られていた。
彼の車で家まで送られることになった。玄関を出てすぐ、大江がカードキーを手渡してくる。
「これ、部屋の鍵ね。エレベーターに翳すと勝手にここまで運ばれるから。ハウスキーパーさんがちょくちょく入ってくると思うけど鉢合わせることはないかな。玲ちゃんも掃除とかしてねだれば、報酬上乗せしてくれると思うよ」
玲はこくんと頷いてカードキーを預かる。行く先はここから一番近い最寄駅にした。
それにしても……と、手元のカードを見つめる。
なぜここまで不用心なのだろう。簡単に鍵を渡してしまうなんて。
疑問に思ったが、その答えは車に乗ってすぐ分かった。
「玲ちゃん、借金あるみたいだね。返済頑張って」
「えっ……」
大江はニコニコと笑みを浮かべながらエンジンをかける。
驚く玲に、容赦なく告げた。
「お祖母さんもよくなるといいね」
「……」
ああ。
知られているんだ。
一瞬席を外した大江は玲の個人情報を調べていたらしい。
玲は小さく唇を噛んだ。金髪の後頭部が見える。表情は見えない。頭の中で思い描くが、なぜか濁ってよく見えなかった。
……まぁ、いい。大した情報ではないから。
むしろ借金の履歴は一番初めに分かることだ。借金の理由に祖母の医療費もあるし、芋づる式に判明できたのだろう。
こんなに早く突き止められるとは思わなかったがいつか知られるだろうとは想定していたし、問題はない。
だけど少しだけ疑問に思う。借金があることは知っていてもどこから借りているのかまで把握しているのだろうか? 気になったが、問いかけはしなかった。
「……」
静かな車内で黙り込む玲はたった今し方までの一連を思い返す。
まさか……、三千万も報酬にするなんて思わなかった。
自分としても結果的にどうなるか分からず不安だったが、この展開ならむしろ有り難い限りだ。
運転は落ち着いていて車内は静寂していた。玲は窓の向こうで流れゆく景色を眺める。
あれだけ晴れていた空に重そうな雲が垂れ込んでいた。目を閉じると、まだ一成と出会う前に聞いた踏切の音が耳に蘇ってくる。
空間は静かなのに頭の中が煩い。
目を閉じる力をより強くしたとき、突然、
「玲ちゃん、お祖母さんのお見舞いはいいの?」
と大江に語りかけられた。
玲はフッと魔法から覚めたみたいに目を開く。バックミラー越しに、こちらを観察するような大江の視線が見えた。
玲はかすかに吐息を吐き、答える。
「……また明日向かいます」
「そっか。どうせなら送ってこうと思ったんだけど」
「あ、いえ、大丈夫です。今日はもう疲れてしまったので……」
「少し聞いてたけど昼夜問わず働いてるんだ?」
玲は派遣のバイトをしている。基本的には月毎に仕事も変わるので、仕事先までは簡単には分からないのだろう。
「はい、そうですね」
「なら三千万はでかいな」
「はい」
「一成さんの部屋も凄かったでしょ」
「びっくりしました。ご実家はあそこよりも立派なんですか?」
「うん、魔王の城」
大江はクックッと喉で笑った。一成と似ている笑い方だ。共に過ごす時間が長いと似通ってしまうのだろうか。
その城にいた一成も、他の魔族と似ているのだろうか。
玲はつぶやいた。
「でももう、そこに魔王はもういないんじゃないですか」
「え?」
大江は不思議そうにした。
玲はカードキーを握って小さく微笑む。
「一成さんはここにいるんですから」
「……言うねぇ」
大江は上機嫌に笑い声を上げた。玲はそれを聞きながら、また窓の外へ視線を遣る。
もう踏切の音は消えている。雲はさらに重たく色を変え、今にも雨が降り出しそうだった。
翌日、朝から大粒の雨が降っていた。
地面を叩きつける鋭い雨だ。朝はバケツをひっくり返したような土砂降りだったが、昼になって幾分か勢いを緩めるも、それでも雨脚は強い。
一成のマンションへ向かう前に、金融事務所に寄ることにした。昨日受け取った百万のうち幾らかを渡すためだ。
傘を差して歩きながら(この雨じゃ桜も散るだろうな)と考える。別にだからどうと言うこともない。花見なんかするような、生活でもないし。
「ヨォ、玲じゃねぇか」
古びたビルの二階を訪ねると、事務所に顔見知りの中年の男がいた。
取り立て屋の一人だ。他に事務員の女性と、見知らぬ若い男もいる。
「……こ、こんにちは」
「こんにちはじゃねェよ。少し顔見ねぇうちにまた変わってやがるな」
玲は小さく頷く。中年の男、山岡は近づいてきて、「返済だろ」と手を差し出してきた。
玲はのろのろと封筒を取り出した。奪うように受け取った山岡は、封筒の中身を確認すると、丸ごと事務員の女性に投げる。
「久しぶりだなァ、玲。まぁだオメガやってんのか」
「山岡さん、そいつオメガなんすか」
若い男が興味津々といった様子で山岡に話しかける。
最近事務所に入ったのだろう。恰幅の良い山岡にひょろりと背の高い新人の男。二人とも柄の悪い格好をしていて、いかにも今から債務者を殴ってでも金を毟り取るぞと言わんばかりだった。
「そうだぜ、面は良いだろ」
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