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第一章

5 魔王

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 抵抗したところで無駄のようだ。これ以上楯突くのは面倒に思えてくる。
「あの、他の業務って何ですか?」
 仕方なく問いかけると、一成はアッと思い出したように目を大きくする。
「そういや忘れてた」
「何……うわっ」
 一成は煙草を持つ手を後ろにやりながら、もう片方の手でシャツの襟元をグッと掴んでくる。
 うなじを覗いてくる一成に、玲は「何ですか」と小さく悲鳴をあげた。
 四月上旬はまだ肌寒い。パーカーで隠れていたチョーカーを見て、一成は片眉を上げた。
「噛まれてねぇみてぇだな」
「……番がいるかってことですか? いません……」
「恋人は?」
「いたらこんな悠長にしてませんよ」
「悠長の自覚はあんのか。お前童貞?」
「えっ」
 ギョッとするが一成は平然としていた。玲は仕方なく答える。
「童貞じゃないです」
「はぁーん。まぁ、顔はいいもんな」
「放してください」
「はいはい」
 一成はパッと手のひらを開いた。
 ようやっと解放されてすぐ距離を取る。車にしては広々としているが所詮は車内なのでそれほど離れられない。
 一成がキャップを被り直しながら言った。
「番がいないのは十分だな。必要条件ではねぇけど」
「そうですか」
「で、三千万だぜ。どうする」
「……」
 実際、この高報酬は玲にとって魅力的だった。
 いずれ一成にも知られるところになるかもしれないが、玲には借金がある。
 借金は毎月地道に返済を続けているがこのペースで返済完了する見込みはない。返済完了できない額になっているからだ。
 状況的に見て、これは願ってもみないことである。その仕事内容が何であれ、三千万もの報酬があるなら客観的に見てこれを断る理由なんか、ない。
「……ご自宅で話を聞きます」
 呟くと、一成はフッと鼻で笑った。
 玲は窓の外へ視線を遣る。途中で桜並木を通った。
 満開に咲く桜が、ぼやけて見える。
 玲は美しい光景を心の中に押し込めて目を閉じる。こっそりと、深い息を吐いた。























 車で運ばれた先は、見上げる首が痛くなるほどの高層マンションだった。
 運転手の増田に礼を告げた一成は玲に見向きもしないで歩き出す。
 五十五階まで繋ぐエレベーターは一つの部屋くらいに広かった。一体何十人の収容を想定しているのか、アホらしくなるほど。
 上昇する箱部屋の中で大江は言う。
「一成さんのご実家なんか、普通に城だからね」
「お城……」
「そうそう。魔王が住んでそうなとこ」
「……」
 このマンションの外観で既に肝を抜かれた思いだが、実家は桁違いらしい。ここ数年は滅多に帰らないとのこと。
「一成さんは基本ここで過ごしてるけど、他にもマンションがあってねー。そこに一成さんはボーイフレンドを連れ込みがちだね」
「そうなんですね」
「この半年くらいはボーイフレンドもいないみたい。忙しいからさ。一成さんが玲ちゃんくらいの歳の時は、そりゃもう男たちを侍らせて。完全に魔王だったな」
「へぇ」
 ボーイフレンドの発音がやたらと良いのが気になる。大江は「でも、歴代の中でも玲ちゃんが一番美人かな」と言った。
「玲ちゃんは何で彼女いねぇの? あれ、一成さんと同じくゲイ? オメガだし」
「分からないです。どちらでもないです」
「へぇ。あんま恋しない系の人かな」
 アルファ性やオメガ性には同性愛者が多いと言われている。なぜかは知らない。興味もない。
「一成さんは男オンリーだから」
「そうなんですね」
「この人が若い時は大変だったね。今も若いけど」
「一成さんってお幾つなんですか?」
「確か二十七」
 玲は七歳差だ。玲は「本当に若いじゃないですか」と驚いたようにリアクションを取ってみせる。
「いや、ま、そうなんだけど。全盛期は凄かったんすよ。今は落ち着いてる」
「そうなんですね」
「惚れると甘いよ、一成さんは。きしょいくらい」
「そうなんですね」
「なんか玲ちゃん返事コピペしてない?」
 ちょうどエレベーターが五十五階に辿り着く。エレベーターは二つあるが、フロアの半分が一成の部屋とのことで、出入り口は彼の部屋に直結していた。
 玲は何となく避難経路を確認しつつ、二人の後を追う。長い廊下の向こうで玄関に辿りつき、シューズルームで靴を履き替える。
 何から何まで広く、高級感あふれる空間だった。小説家に加えてタレントの仕事もあるようだが、それにしてもここまで稼げるものだろうか。
 『実家』が関係しているのだろう。
 月城一成はペンネームだ。玲はまだ、彼の本名を知らない。
 必要ならば向こうから教えてくれる。その時に彼の姓を聞いて、驚けばいい。
「お前の部屋はここ」
 と、終始無言だった一成が顎先で扉を示した。
 大江が一成の噂話をしている時もすぐ近くにいたのに一切の反応を見せなかった。その彼がいきなり話しかけてくるので玲はビクッとする。一成は眉根を寄せた。
「お前はビクビクしてんだよなずっと」
「そりゃそうですよ。玲ちゃんは一成さんの車に轢かれかけて、おまけに誘拐までされてんだから」
「大江、テメェ何こいつの肩もってんだよ」
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