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第一章

4 怒りの要因

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 一成が煙草を持った手を少しだけ揺らした。また深く吸って、唇の隙間から煙を逃す。
 玲は小さな声で呟いた。
「さっき、選択肢提示してませんでしたか?」
「なんだテメェ口答えばっかしやがって」
 一成が怒鳴るので玲は肩を揺らす。目をぎゅっと閉じて怯える玲らを、助手席の大江が横顔で眺めながら呆れたように言った。
「一成さん、最近極道モノばっか書いてるからってこれじゃ本当にヤクザですよ」
「黙れ」
「まぁこの人は元からこんなもんか。玲ちゃん、怯えてても美人だね」
 ヘラっと笑った大江だが、突然真顔になる。
 体ごとこちらに向けて、しょんぼり落ち込む玲を凝視してきた。
「ん? 君、本当に綺麗だな? 肌も白いし顔もちっちぇーし、その目の色何色? グレー? 茶色? へぇー、オメガって美人多いよな。サラサラの黒髪も丸っこい目も、一成さん好みだよね。その顔の小ささだとスタイルもいいんじゃね? ちょっと立ってみてよ」
 この車内でどうやって立てと言うのか。困惑する玲の一方、一成は舌打ちしながらまた一服した。
 まだ玲は何も了承していない。話は終わっていないというのに、一成はタブレットを弄り始めた。
 分かってはいたが自由な男だ。
 その一成が気にしているのは映画公開前に報道が入ることらしい。これだけ横暴で破茶滅茶な人が、報道の何を気にする必要があるのだろうか。
 玲は蚊の鳴くような声で呟いた。
「週刊誌なんかどうでもいいじゃないですか……」
 だが、そこには譲れないモノがあるようだ。
 一成は深く息を吸うと、その濃い煙を丸ごと玲へ吹きかけてくる。
「お前の頭には脳みそがこれぽっちしか詰まってないのか? 今回はオメガの男が運命の番のアルファの男をぶっ殺す話なんだ。公開前の報道でアルファの俺とオメガのアイツがイチャついてちゃ台無しだろうが。まだ他のアルファと撮られてんならいいけどな、あれを書いたのは俺なんだぞ」
「ケホッ、ケホッ」
「あーあーかわい子ちゃんが咳してる」
 大江は言いながら楽しげに笑った。一成は『これぽっち』と人差し指と親指で輪っかを作ってみせたが、小さすぎて円は潰れている。
 一成が懸念しているのは自分のことではなく、自分の作品に傷が付くことらしい。大江曰く、一成はその辺りに厳しいらしい。
「一成さんが最近一番キレたことは、新刊のレビュー欄に『泣きすぎて彼女に振られたので星1です』と星付けられたことだから。自分の作品と関係ないところで評価されることに特に厳しいんだ」
「……なるほど」
 大江は明後日を眺めながら続けた。
「配送が雑だったので星1、って奴にもブチ切れてたな」
「こっちは死ぬ気で書いてんだぞ。何で配送の坊主のせいで台無しにされんだよ」
 その話だけでも一成の性格が掴めてきた。納得できないことには容赦なく怒る。その怒りを紐解けば要因が見える。
 つまりこの提案が横暴であるのにも理由がある。
「……でも、どうして三千万もくれるんですか?」
「そりゃお前が俺の番として俺と暮らすからだろ」
「く、暮らす?」
「恋人なんだから当然」
 一瞬眩暈がした。高額の内訳には一言聞いただけでは分からない他の仕事もありそうだ。
 月五百万。自宅での仕事に、性的なものも含まれているのだろうか。
 身構える玲へ一成が低い声で告げた。
「冗談で言ってると思うか?」
 そう。
「俺はな、これでも腹立ってんだよ」
 理由があるのだ。
 一成はまた紫煙を燻らせると、煙草の先を灰皿に押し付けた。火が潰されて途絶える。執拗なまでに灰皿へ擦りつけて、一成は言った。
「増田さんがブレーキかけなきゃどうなってた?」
 一成の唇から漏れ出る煙はまるで、ドラゴンが怒りの炎を吐き出すみたいだった。
 鋭い視線が玲を見遣る。
「増田さんが人殺しになってただろうが」
 増田さん、は運転手の男だ。
 彼が「ぼ、坊ちゃん」と止めるように、けれどどこか感極まった声を出した。
 玲はぐっと拳を握りしめて俯く。道路に飛び出てきた男に増田も恐怖を感じたに違いない。
 申し訳ないことをした。身勝手だったと思う。
「すみませんでした……」
「いえいえ、ご無事で何よりでございます。私の方こそ申し訳ありません」
「そんな、俺の不注意です」
 一成がまた煙草に火をつける。チェーンスモーカーというより、苛立ちを抑えきれないみたいだった。
 彼らがどんな関係なのか具体的には知らないが、増田は『坊ちゃん』と呼んでいる。年齢的に増田の方が二回りほど上に見えた。付き合いが長いのだ。
「……あの、これどこに向かってるんですか」
 申し訳なさで俯いていた玲だが、ふと窓の外を見てハッとする。
 そうだった。自分はどこかに運ばれているのだ。
 一成は上を向いて煙を吐き出した後、答えた。
「俺の仕事場」
「お、降ります……ぐえっ」
 一成に背を向けるが、途端に首に腕を回される。
 頭の上に顎を乗せた一成は「降ろすわけねぇだろ」とだらしなく言った。
「離してくださいっ」
「ぐえってお前、色気ねぇ声だな」
「離してくださいーっ」
「逆にお前はどこ向かってたんだ」
「えっ……」
 思わず口を噤む。頭の中に浮かぶのは病院の一室だ。
 今日は、祖母が入院している病院へ向かうという予定になっている。
 だがそれを直ぐに言うのは流れ的におかしい。
「……答えなきゃダメですか?」
「お前行くとこあんだろ?」
「はい。用事があって……」
 迷ったが、情報を小出しすることにした。
 「病院に」と付け足すと一成は腕を解放する。
「へぇ、具合でも悪いのか?」
 彼はまじまじと顔を眺めてくる。
 玲は一成を見つめながら首を横に振った。
「いえ。知り合いがいるので」
「そうか。ひとまず他の業務の説明すっから俺の部屋に行くぞ」
「な、何で聞いたんですか」
 結局行くのは決まっているのか。
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