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第三章

17 白状

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 声だけで分かる。真紀人が心底落ち込んでいると。
 真紀人は芳川の若干の説明口調にも気付いていない。
「記憶がないことにすれば、嫌われてる身でももう一度仲良くなれると思ったんですもんね」
「……」
「だからってハウスキーパーにするとは。今まで使用人などいなかったじゃないですか。代表は家事お好きでしょう」
「……司が」
 独り言のように呟いた声。ボリュームが落ちても司の耳には聞こえてくる。
「俺がシチュー好きだって覚えてくれてた時、泣くかと思った」
 あの人の声を聴き取るためにこの耳があるくらい。
「ゼリー好きなの変わってなくて可愛かった。好物知ってんの客観的におかしいって後から気付いたけどさ」
「よくそんなんでバレませんね」
 芳川は平坦な口調で付け加えた。
「再会した際の、鶴居さんに『真紀人先輩』ではなく『水野さん』と呼ばれた時の絶望的な顔と言ったら、もうそれでバレてもおかしくないと思いましたよ」
「……司はわりと鈍感だから」
「そもそも代表、こっちがヒヤヒヤするほど動揺してましたし」
「だって本当に会えると思わなかった」
「代表が連れて来させたくせに。あなたは演技が下手すぎます」
「芳川さんがうますぎんだよ」
「一目惚れだとか言い出した時は頭がクラっとしました」
「……ずっと好きなんだ」
 息ができないほど胸が苦しい。それはトドメの一言みたいに、司の心を貫いた。
「高校んときもやばかった。そうだろ。あんなさ、猫とかうさぎに囲まれて。意味わかんねェほど可愛いじゃん」
 溢れる感情を整理できない。心だけでなく身体中に真紀人への想いが溢れている。
 司の指先はかすかに震えていた。なぜか涙が滲み出てくる。
「ずっと言いたかったから、思わず好きだって言ってた」
 ……可愛いのは、真紀人先輩の方だ。
「代表の大胆なところは美点とは思います」
「……はぁ」
「が、いい加減、この茶番を終わらせるべきです」
「司に今度こそ嫌われる……」
 真紀人はいっそ泣き出しそうな声を出した。芳川の声にも憐れむような気配が孕む。
「大丈夫ですって、なんとかなります」
「ならなかったらどうすんだ。無理だ。俺、泣き喚くぞ。いいのか」
「鶴居さんは、代表のご友人に暴言を吐かれても代表を嫌わなかった方ですよ」
「だからあんな奴ら友人じゃねぇって。ただのクソどもだ」
 声の色が突然変わる。低い声が怒気を纏った。
「司から話聞いてよりクソ度が増した。何をしたって奴らを問い詰めた時誤魔化してやがったけど、あいつら、司に『乞食』とまで言ってたらしい」
「ほぉ」
「はぁ……」
 真紀人は大きなため息をつき、その流れでボソボソ告げた。
「芳川さん。俺を殴ってくれねぇか」
「はい?」
「俺はまた死ぬ。そして記憶を取り戻した水野真紀人として生まれ変わる」
「水野さん、もうね。そんなややこしいことしてないで全てを白状なさい」
 芳川が軽く叱るように言う。
 真紀人は「白状……」と自信無さげな声で囁いた。
「そうだよな……言うべきだよな。でも司を騙してんだぜ。絶対嫌われる」
「どうなんでしょうね」
 芳川は再度「どうなんですかねぇ」と言って、歩き出した。
 足音が近づいてくる。司はハッと我に返って俯いていた顔を上げた。
 そう、いつも芳川は急なのだ。
 司の心など待ってはくれない。
 今も。
「どうですか鶴居さん、騙された気分は」
「……」
 扉が全開に開かれて、司は奥のデスクにいる真紀人と目が合った。
 目をまん丸に見開いた真紀人が「……へ?」と乾いた声で呟く。
 黙り込んで混乱する司と違って、真紀人は「え、は? あ?」と困惑した。
「つ、司?」
「……先輩」
 そう、急なのだ。
 だからもう覚悟を決めるしかない。
 司は一度唾を飲み込んでから、彼へ言った。
「記憶、無くしてなかったんですか」
「……あ、え、えと、司」
「無くなってなかったんだ……」
 改めて口にするとまた胸にブワッと感情が湧き起こる。
 そうか。
「よかった」
 感情は純度の高い喜びだ。
 司との記憶など無くなっていた方がいいのではとか、記憶が戻る前に離れようとか。
 夜も眠れぬほどたくさん考えていたけれどこの現実と向き合って自分の正直な心が分かった。
 ただ、嬉しくてたまらない。
 真紀人は司との思い出を忘れていなかった。あの日々はなかったことになんてなっていなかった。
 今ここにいる真紀人は、司を知る真紀人なのだ。
 それが叫び出したいほど嬉しい。
 芳川が腕時計を眺め下ろしながら言う。
「十一時の会議には間に合うようお願いします」
「ちょ、芳川さん」
 芳川は問答無用で部屋を出ていった。背後で扉が閉まる。
 真紀人はまだ困惑しているようで、司の方がよっぽど冷静に、真っ直ぐ真紀人を見つめている。
「先輩」
 司はデスクへ歩いた。少し手前で立ち止まり、真紀人へ語りかける。
「さっきの話は本当ですか」
「……どこから聞いてたんだ」
 真紀人は言いながら腰を上げた。
 司は呟いた。
「俺がカード使わないって……」
「全部じゃん」
「そうですよ」
 真紀人が目の前にやってくる。
 司は彼を見上げながら、泣き笑いみたいに微笑んだ。
「全部です」
 盗み聞きしている最中にうっかり涙が滲んだから司の瞳には煌めきが残っていて、真紀人からはそれが泣いているように見えたのかもしれない。
 真紀人が心苦しそうな顔をした。
「先輩、意味わかんないです。何なんですか」
「やっぱ怒ったよな……」
 司は目を細めた。
 真紀人の顔を見上げたまま、小首をかしげる。
「俺が怒ってるように見えますか?」
「……どうしよう。見えねぇ」
 司はにっこりと微笑みを深めた。
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