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第二章

15 もうやめよう

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 皆、垢抜けた雰囲気のお洒落な先輩たちだった。どうしてここへやって来たのだろう。司はすっかり混乱して硬直している。
 なんで真紀人の友人が?
 真紀人先輩……。
「ここで真紀人と会ってんの?」
「……」
「おい何か言えよ」
 真紀人先輩……。
 『鶴居司だろ』と冷たい声をよこした男の人は終始怒りの片鱗を滲ませている。
 司は目を合わせられなくて、つま先を見つめたまま、頷いた。
「……はい」
 遅れて小さく答える。
 真紀人以外の真紀人の世界の人と話したことなんかない。加えてこんな風に威圧的に迫られると、受け答えの仕方なんか一つも分からなかった。
「俺、お前のこと知ってるよ」
 もう一人の男の人は司を揶揄するような声を出した。
 いつも真紀人も司を揶揄うけどそれとは全く違う。彼は「貧乏君だろ」と嘲るように言った。
「学食にも来れないやつ。高入でさ、バイトしてんだって? お母さんもスーパーの店員さんなんだろ?」
 どうして知っているんだ。
 思わず目を見開いて顔を上げる。
 その黒髪の男はニヤニヤとほくそ笑んだ。
「真紀人が一緒にいるやつどういう子なのか気になって調べちゃった。弁当とかも余り物? 泣けるぅ」
「弁当って言うか何か黒いの食べてんじゃん」
 女子の先輩が蔑むような目で言った。司が握っている海苔巻きを眺め下ろしている。
「どうせまた真紀人にたかるつもりだったんでしょ」
「あ、そうそう。お前真紀人に色々奢らせてんだって? 放課後とか特にさ」
「何なのお前」
 一貫して苛立っている男の先輩は司の横をドンッと蹴り上げた。
「真紀人は貧乏のお前を面白がってるだけだからな。すぐ飽きっから。自分だけ特別とか思ってんなよ」
 司は息も止めていた。
 頭のてっぺんからつま先までブワっと熱くなる。顔の中心に熱が走り、鼻の奥が痛くなった。
 涙が溢れそうになって俯く。縮こまった司に、ニヤニヤと唇を歪めていた男が言う。
「そうそう。勘違いしないでね」
「……真紀人にたかってばっかで乞食じゃん」
 乞食。
 確かにそうだ。
 今日も真紀人を待っていた。真紀人は何のお菓子を持ってきてくれるだろうとか、呑気に、考えていた。
 いつも二人きりで、他の人に見られているとか思っていなかった。
 でも違う。
 見ている人がいた。
 司は周りに目を向けられなかった。
 周りの視線に気付けなかった。
 司は盲目だったのだ。
「寄生虫くん。見てて恥ずかしいよ」
 客観的な視点から見ると、司は真紀人にたかる愚かな存在でしかない。
 こうして面と向かって言われて初めて司は自分がどう見られているかに気付いた。
 司はもう恥ずかしくて堪らない。
「何座ってんだよ」
 怒っていた先輩が更に怒りをあらわにした。
 司はビクッと震える。思考が麻痺していて何も考えられず、言われるままに腰を上げた。
「さっさとどっか行け」
 その怒号で司は完全にパニックに陥る。
 司は『何か黒いの』を置き忘れたまま、階段を駆け降りた。
 ……正直、それからのことは記憶が曖昧だ。
 廊下へ降り立った時、背後から『何か黒いの』が落ちてきた。廊下に転がる海苔巻き。階段の上から「忘れてってんなよ。汚ねぇから」と声がした、ような気がした。
 司は海苔巻きを拾った。その時、とうとう涙が溢れた。
 恥ずかしかったからか、怖かったからか。理由は判別できない。とにかく入り乱れていて、感情が限界に達したのだ。
 すると階段の下から足音がした。
 司はその正体を確かめずに、すぐにその場を走り去った。
 ……あれが誰だったのかは分からない。
 けれどあんな西の外れの人気のない階段に訪れるのは限られている。
 真紀人だったのかもしれない。
 何にせよ、司はそれから真紀人と会うことは無くなった。
 司は数日、あの先輩たちが怖くて身を潜めるように教室でじっと昼休みを過ごした。それから暫くして西校舎の階段をこっそりと訪れてみたが、真紀人の姿は当然ない。
 真紀人からの連絡もなかった。
 真紀人がどう思っていたかは結局のところ分からない。
 ただ、彼が司と会いたいと思わなかったことだけは確かだ。
 そうしてあっという間に月日が経ち、真紀人は卒業した。
 卒業式に在校生として参加するのは二年生だけ。一年生の司は何も関わることがないままただ一日を過ごした。
 その日が過ぎてやってきたのは、正真正銘真紀人のいない毎日だった。
 あの先輩たちの一件から暫くして携帯が壊れた。新しい携帯に真紀人の写真を移さなかったのは、どうしても辛かったから。
 真紀人のいない毎日に慣れようと必死だったのだ。
 寄生虫になんてなりたくない。真紀人の厄介者になるなんて、最悪だから。
 そうして一人で過ごしていた。
 ――九年間もの間、真紀人を想いながら。
 やがて再会した真紀人は、司との思い出を全て忘れている。
 忘れた上で、司に『一目惚れした』と甘い視線を向けてきた。
「……そんな存在じゃないのにな」
 今の司は呟いた。
 パソコンを閉じる。抱えた膝に顔を埋めて、整理のつかないごちゃごちゃの感情に耐える。
 あろうことか今では、真紀人の部屋で一日の大半を過ごす関係になってしまった。
 頭の中にあの言葉が浮かぶ。『寄生虫』……。違う。これは立派な仕事だ。
 でも、ただの雇用主と被雇用種の関係ではなく、ここには膨大な感情がある。
 一目惚れをした真紀人よりも強く重い感情を司は抱いている。
 重くて重くて、抱える腕が限界だ。
 強くて濃くて、抱える心まで爛れていきそう。
 真紀人の記憶が蘇り、真紀人からの甘い視線が冷たく変化して……その視線に晒された自分はどうなってしまうのだろう。
 真紀人は司を好きではなくなる。むしろ嫌悪を抱くかもしれない。本当は好きでもなかった相手に、自分が恋心を示してしまったのだから。
 もし真紀人に拒否されたなら、もう司の心も体も耐えられない。
 記憶を思い出すのが怖い。
 怖くて仕方ないのだ。
「……こんなんじゃ、ダメだ」
 司は呟いた。
 ダメだ。このままでは。
 もう……。
「うん……」
 真紀人が記憶を取り戻す前に離れよう。
 司は首をもたげて、深く息を吸う。
 吐くと同時に携帯を手にした。
 連絡先は芳川だ。きちんと会って、事情を説明したい。
 自分が本当は真紀人を好きだったこと。感情を隠したまま仕事を続けることはできない。司の代わりなんか幾らでもいる。『ただの知り合いだった』と嘘をついたことも含めて誠心誠意謝れば、芳川も良からぬ感情を隠して真紀人の傍にいた司を許してくれるかもしれない。
 終わりにしよう。
 まだ『一目惚れ』をして日が浅い真紀人も、その感情をいずれ忘れるだろう。
 真紀人は、九年間想いを断ち切れなかった司とは違って、さっぱりした純粋な人だから。
 会うことがなくなればその恋も薄まるはず。
「うん」
 もうやめよう。
 司は芳川に《明日、少しだけお時間いただけますか。》という旨をメールする。
 画面を閉じて目を閉じる。
 ……でも司の恋は終われない。
 どうしても恋の失い方が分からないのだ。
 先輩、大好きです。
 だからもう、離れます。










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