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第二章

14 あの冬の日

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 声が少しだけ裏返る。司は「え、」と続けて、更に付け加えた。
「食べたって、お弁当をですか?」
『だってそこに司の作った弁当があるんだぜ』
 真紀人が言い訳じみた口調で言う。
 司は「それお昼ご飯ですよ」と当たり前のことを返した。
『だよな』
「夜に食べちゃダメです!」
『我慢できなくて』
「我慢って……!」
 司は一度唾を飲み込んだ。胸にぶわりと彼を愛おしむ感情が湧き起こり、言葉が出なくなる。
『やっぱダメだったか』
 真紀人が申し訳なさそうに呟くから、司はまた首を横へ振った。
「ダメではないですけど」
『どうしても我慢できなかったんだ』
「夕飯はどうしたんですか?」
『それを今食べてる』
 司は唇を噛みしめた。
 絞り出すように呟く。
「食いしん坊じゃないですか」
『俺だってびっくりしてんだよ』
「……」
『美味かった。ありがとう』
「……はい」
『弁当屋の店出す?』
「出しません」
 それから数分通話して、『また明日』「はい。おやすみなさい」と言い合って電話を切った。
 水を打ったように静まる室内で一人、真紀人との電話の余韻に浸る。
「喜んでくれた……」
 あんなに嬉しそうにして、電話までかけてくれるなんて。
 司の胸がときめきで満ちる。すぐに食べてしまったと言っていた。そんなに喜んでくれたのか。なんて可愛い人なのだろう。
 あんなに完璧な人がただの弁当で幼稚になることに感動し、胸がぎゅうっと締め付けられて堪らない。
「はぁー」
 胸の中に絶え間なく煌めく海が広がっているみたいだ。とにかく光が眩しくて呼吸もままならない。
 けれどじっと考え込んでいると次第にその海の光が失われていく。夜が訪れたみたいに。
 こちらからプライベートな電話をしてはならないと戒めていたのに、真紀人はその壁をあっさりと超えて電話をしてくれた。
 考えてみればバイト時代もお客様から電話が掛かってくることはあったのだ。業務連絡だけでなくお礼だったり、世間話もした。
 それなのに司は真紀人に連絡を取ってはならないと思い込んでいた。今なら分かる。
 勇気を出さないための言い訳だったと。
 だが真紀人は容易く壁を超えてくる。
 真紀人は……司に『一目惚れをした』と、真っ直ぐに自分の心を明かしてくれた。
 九年間もの長い時間、一人で悶々と一歩踏み出せずにいた司とは大違いだ。
 そんな真紀人が九年間司に会おうとしなかった。
 その時点で昔の真紀人の答えは明らかだ。
 もしも今の真紀人が高校時代の司を思い出したなら、今の恋愛感情だって魔法が解けたように消えるに決まっている。
 司はパソコンの画面に表示された高校生の真紀人を眺めた。
 マウスをクリックして次の写真へ移る。
 よく覚えている。
 カフェで撮った真紀人の横顔が映っている。
 少し眠そうに目を細めていた。
 ……これが携帯で撮った最後の真紀人の写真だ。








 ――その写真を撮った日の翌日、司は真紀人と昼休みを共にする階段へ向かっていた。
 まだ暖かいうちは屋外のうさぎ小屋近くで過ごしていたけれど、もう十二月の中頃で寒かったから、草木の葉が落ちる頃にはもう室内で過ごすようになっていたのだ。
 教室だけでなく校内全体が暖かいから人気のない階段でも充分だった。昼休みが始まってすぐ、西校舎の屋上へ繋がる四階の踊り場へ向かう。
 司の教室からは離れているけれど、真紀人に会えるのだから道中はちっとも遠いと感じない。屋上は閉鎖しているので人はやって来ない。いつも二人きりだ。
 けれど、その日は二人きりではなかった。
 先に到着して真紀人を待つ司のもとへやってきたのは、彼ではない。
「――ほら、やっぱいたじゃん」
 三人の男女がやってきたのだ。
 こちらの姿を確認した彼らは、驚いて固まる司を見つけると、躊躇いなく階段を上がってくる。
 司は声すら出なかった。彼らがたまたまやって来たのではなく司を認識しているのが分かったから。
 そして、男女たちの姿に見覚えがあったからでもあった。
(……真紀人先輩の友達だ)
 校舎で真紀人を見かけた時に、この人たちが近くにいた。
「お前、鶴居司だろ」
 二人の男のうち一人が司へ話しかけてくる。司は階段の隅に座っていて、男女たちは囲うように司を見下ろしていた。
 その声の鋭さに背筋にゾッと冷たい何かが駆け上る。司は恐る恐る、小さく頷いた。
「ほらやっぱそうじゃん」
「真紀人まだ来ないよね」
「こんなとこに居たのかよ」
 唯一の女性は焦燥感の滲む声で振り返り、司に話しかけてきた男の先輩は苛立ったような口調をして、もう一人の男は嘲るように笑った。
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