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第二章
10 恥ずかしかったから
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あの頃はただ真紀人と話すのが楽しくて、自分を俯瞰して見ることができなかった。
真紀人と共にいると目立つ。それを理解していたから真紀人も配慮して行動していたのに、子供だった十五歳の自分は、深く考えずに真紀人と過ごしていた。
真紀人が校内で有名な生徒だとは分かっていても、司はただ楽しくて、深く本当の意味で理解していなかったのだ。
きちんと弁えていれば周りの人たちから何を言われても、あんな風にストレートにショックを受けないで済んだのかもしれない。
いずれにしても過去の話だ。
すると、真紀人が静かに呟いた。
「気遣うっつうか、ただ、俺が構いたいから構ってたんだろ」
司は自然と下がっていた視線を真紀人へ向けた。
彼は悲しげな目をしていた。傷ついたように目を細めている。
司は胸に切ない痛みを感じた。昔からそうだったからだ。
高校にいた頃、同級生たちは『水野真紀人』を王子様だとか、クールと噂していた。
だが実のところ真紀人は共感力に優れた表情豊かな人間で、怒る時はムスッと唇を突き出すし、笑うときは声を上げる。
痛みを抱くときはこうして辛そうに眉を歪めていた。
司は困ったように微笑む。
「どうなんでしょう。だといいんですけれど」
「そうに決まってる」
真紀人は続けて何か言おうと口を開いたが、結局閉じた。
記憶がないのだ。確実な言葉を続けられなかったのだろう。
その気遣いにじんわりと優しさを感じながらも、何も言えない真紀人の代わりに司は「それで」と呟いた。
「水野さんが卒業してからは交流はなくなりました。それからは一度も会っていません」
別れのことは言わないでおいた。
嘘をついているわけではない。知らないのだったら、言わなくてもいい。
真紀人は言った。
「大学は別だったもんな」
「はい」
履歴書を見たのだろう。司が真紀人とは別の大学に通っていたことも把握しているらしい。
真紀人は「会いに来なかったのは」と言って、一度唇を閉じ、また言った。
「俺に会いに行かなかったのは、俺のことを嫌だったからだろ?」
「え、俺がですか?」
司は首を捻る。
真紀人は静かに「そう」と頷いた。
「さっきの話的に、俺のせいで嫌なことを誰かに言われたんだろ」
「あぁ。でも、俺はまき……水野さんのことを嫌っていたんじゃありません」
「そうなのか?」
真紀人は目を少しだけ見開いた。
その瞳に動揺が滲んでいる。司はその動揺を解きたくて声に力を強めた。
「俺が水野さんを嫌うはずないじゃないですか。水野さんはいつも、優しかったんですから」
真紀人は薄く唇を開き沈黙する。
彼からしたら初めて聞く話なので困惑するのも当然だ。真紀人といることで司は『乞食』と言われた。それから真紀人の卒業後、二人は九年間も会わなかった。
今の真紀人は他人の視点で過去を聞いている。
司が真紀人を苦手になったと解釈するのも無理はない。
けれど実際には、司が彼を嫌うことはない。
ずっと好きなままだ。
「俺は水野さんを嫌ったことなんか一度もありませんよ」
「……なら、どうして会いに来なかったんだ?」
司は数秒固まってから、小さく微笑んだ。
これを一番伝えたかったのはあの頃の真紀人だ。
もし真紀人に記憶に残っていたら……、そんなこと考えても仕方ない。
せめて今の真紀人に伝えよう。
「勇気が出なかったんです」
心のままに。
「いろんな理由で会いに行けなかったんです」
真紀人がじっと司を見つめてくれている。
その真摯な眼差しに、無性に泣きたい気持ちに襲われた。司は涙を堪えて泣き笑いみたいな顔をする。
「当時は……、恥ずかしかったからですね」
「恥ずかしい?」
真紀人が落ち着いた口調で聞き返す。
穏やかな口調につられて、司も「はい」と素直に頷く。
「俺みたいなのが真紀人先輩の近くにいたのが恥ずかしくなっちゃって」
「なんか、じゃないだろ……」
「ありがとうございます。なんでしょうね。まだ精神的にも幼かったから、他人に言われてすごく恥ずかしくなってしまって。それに、」
司は真紀人に恋をしていた。
でも真紀人はそうではない。
恋に浮かれて愚かにも盲目になっていたのだと自覚し、羞恥に襲われたのだ。
真紀人は司をただの後輩の一人にしか思っていないのに、自分だけ真紀人へ大きな感情を抱いている。他人に非難されたことで、冷や水をかけられて自分の愚かさに気付いたのだ。
「それに?」
真紀人が鸚鵡返しに訊ねる。
司は首を振って、「いえ」と呟き、言葉を連ねた。
「それからは、ただ時間が過ぎてしまったんです。会いに行く機会を逃して、気付けば生きる世界が違いすぎて」
「違くないだろ」
「だって先輩は社長さんでしょう。俺はしがない会社員だったし」
「……同じ日本人だ」
「確かに。同じ地球人でもあります」
「……」
「真紀人先輩は俺には手の届かない人になっていたから会いに行けませんでした。会いに行ったところで、忘れられてたかもしれないし」
言って、司はコップを手に取った。
水を飲もうとしたところで真紀人が言う。
「忘れないだろ」
司はコップに唇を寄せつつ、真紀人を見つめた。
真紀人は吐息混じりに告げる。
「高校時代、二人で遊んだりしたんだろ? なら忘れるわけない」
そう言う真紀人は全て忘れてしまっている。
そのせいか、彼の口ぶりもどことなく弱々しかった。
司は小さく笑う。
「どうなんでしょう。分かりません」
「……まぁ、そうだな」
「ねー。先輩も分からないですよね」
と言ったところで我にかえった。
やばい。完全に口調が昔に戻ってしまっている。
司は水を飲み下して、自分を正した。
「でも水野さんは俺に会いたくはなかったと思うので」
「はぁ?」
真紀人が眉根を顰めて大声を上げる。その声が存外大きかったので、司は思わず笑った。
「あはは」
「なんで笑うんだ」
「だって、『はぁ?』ってすごく驚くから」
「……あのな、俺はお前を好きなんだよ。一目惚れなんだ」
「うっ」
またしても奇襲を受けて胸がやられる。
真紀人と共にいると目立つ。それを理解していたから真紀人も配慮して行動していたのに、子供だった十五歳の自分は、深く考えずに真紀人と過ごしていた。
真紀人が校内で有名な生徒だとは分かっていても、司はただ楽しくて、深く本当の意味で理解していなかったのだ。
きちんと弁えていれば周りの人たちから何を言われても、あんな風にストレートにショックを受けないで済んだのかもしれない。
いずれにしても過去の話だ。
すると、真紀人が静かに呟いた。
「気遣うっつうか、ただ、俺が構いたいから構ってたんだろ」
司は自然と下がっていた視線を真紀人へ向けた。
彼は悲しげな目をしていた。傷ついたように目を細めている。
司は胸に切ない痛みを感じた。昔からそうだったからだ。
高校にいた頃、同級生たちは『水野真紀人』を王子様だとか、クールと噂していた。
だが実のところ真紀人は共感力に優れた表情豊かな人間で、怒る時はムスッと唇を突き出すし、笑うときは声を上げる。
痛みを抱くときはこうして辛そうに眉を歪めていた。
司は困ったように微笑む。
「どうなんでしょう。だといいんですけれど」
「そうに決まってる」
真紀人は続けて何か言おうと口を開いたが、結局閉じた。
記憶がないのだ。確実な言葉を続けられなかったのだろう。
その気遣いにじんわりと優しさを感じながらも、何も言えない真紀人の代わりに司は「それで」と呟いた。
「水野さんが卒業してからは交流はなくなりました。それからは一度も会っていません」
別れのことは言わないでおいた。
嘘をついているわけではない。知らないのだったら、言わなくてもいい。
真紀人は言った。
「大学は別だったもんな」
「はい」
履歴書を見たのだろう。司が真紀人とは別の大学に通っていたことも把握しているらしい。
真紀人は「会いに来なかったのは」と言って、一度唇を閉じ、また言った。
「俺に会いに行かなかったのは、俺のことを嫌だったからだろ?」
「え、俺がですか?」
司は首を捻る。
真紀人は静かに「そう」と頷いた。
「さっきの話的に、俺のせいで嫌なことを誰かに言われたんだろ」
「あぁ。でも、俺はまき……水野さんのことを嫌っていたんじゃありません」
「そうなのか?」
真紀人は目を少しだけ見開いた。
その瞳に動揺が滲んでいる。司はその動揺を解きたくて声に力を強めた。
「俺が水野さんを嫌うはずないじゃないですか。水野さんはいつも、優しかったんですから」
真紀人は薄く唇を開き沈黙する。
彼からしたら初めて聞く話なので困惑するのも当然だ。真紀人といることで司は『乞食』と言われた。それから真紀人の卒業後、二人は九年間も会わなかった。
今の真紀人は他人の視点で過去を聞いている。
司が真紀人を苦手になったと解釈するのも無理はない。
けれど実際には、司が彼を嫌うことはない。
ずっと好きなままだ。
「俺は水野さんを嫌ったことなんか一度もありませんよ」
「……なら、どうして会いに来なかったんだ?」
司は数秒固まってから、小さく微笑んだ。
これを一番伝えたかったのはあの頃の真紀人だ。
もし真紀人に記憶に残っていたら……、そんなこと考えても仕方ない。
せめて今の真紀人に伝えよう。
「勇気が出なかったんです」
心のままに。
「いろんな理由で会いに行けなかったんです」
真紀人がじっと司を見つめてくれている。
その真摯な眼差しに、無性に泣きたい気持ちに襲われた。司は涙を堪えて泣き笑いみたいな顔をする。
「当時は……、恥ずかしかったからですね」
「恥ずかしい?」
真紀人が落ち着いた口調で聞き返す。
穏やかな口調につられて、司も「はい」と素直に頷く。
「俺みたいなのが真紀人先輩の近くにいたのが恥ずかしくなっちゃって」
「なんか、じゃないだろ……」
「ありがとうございます。なんでしょうね。まだ精神的にも幼かったから、他人に言われてすごく恥ずかしくなってしまって。それに、」
司は真紀人に恋をしていた。
でも真紀人はそうではない。
恋に浮かれて愚かにも盲目になっていたのだと自覚し、羞恥に襲われたのだ。
真紀人は司をただの後輩の一人にしか思っていないのに、自分だけ真紀人へ大きな感情を抱いている。他人に非難されたことで、冷や水をかけられて自分の愚かさに気付いたのだ。
「それに?」
真紀人が鸚鵡返しに訊ねる。
司は首を振って、「いえ」と呟き、言葉を連ねた。
「それからは、ただ時間が過ぎてしまったんです。会いに行く機会を逃して、気付けば生きる世界が違いすぎて」
「違くないだろ」
「だって先輩は社長さんでしょう。俺はしがない会社員だったし」
「……同じ日本人だ」
「確かに。同じ地球人でもあります」
「……」
「真紀人先輩は俺には手の届かない人になっていたから会いに行けませんでした。会いに行ったところで、忘れられてたかもしれないし」
言って、司はコップを手に取った。
水を飲もうとしたところで真紀人が言う。
「忘れないだろ」
司はコップに唇を寄せつつ、真紀人を見つめた。
真紀人は吐息混じりに告げる。
「高校時代、二人で遊んだりしたんだろ? なら忘れるわけない」
そう言う真紀人は全て忘れてしまっている。
そのせいか、彼の口ぶりもどことなく弱々しかった。
司は小さく笑う。
「どうなんでしょう。分かりません」
「……まぁ、そうだな」
「ねー。先輩も分からないですよね」
と言ったところで我にかえった。
やばい。完全に口調が昔に戻ってしまっている。
司は水を飲み下して、自分を正した。
「でも水野さんは俺に会いたくはなかったと思うので」
「はぁ?」
真紀人が眉根を顰めて大声を上げる。その声が存外大きかったので、司は思わず笑った。
「あはは」
「なんで笑うんだ」
「だって、『はぁ?』ってすごく驚くから」
「……あのな、俺はお前を好きなんだよ。一目惚れなんだ」
「うっ」
またしても奇襲を受けて胸がやられる。
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