【完結】1億あげるから俺とキスして

SKYTRICK

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第二章

8 一目惚れ

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 本当はずっと緊張していたのだ。次に真紀人に会ったら、どんな顔をすればいいだろう。
 少なくとも今日は真紀人と顔を会わせることがないと思っていた。だがこうして突然機会が訪れるから、緊張して強張った心も、問答無用で解かれてしまう。
 真紀人が「どっちがいい? パスタと弁当。焼肉弁当」と聞いてくる。
 こちらの内心など露知らずな真紀人に、思わず笑みが溢れる。司は本当にどちらでもいいので無言で首を傾げる。
 真紀人は無邪気に笑った。
「なんつうか、猫みたいな笑い方するよな」
「え。そんな顔してますか?」
「してるしてる」
「知らなかった。あれ。猫みたいな笑い方ってなんですか?」
「後で動画撮ってやる」
「撮らないでください」
「選べないならどっちも食っていいよ」
「えっ! せん……水野さんのお昼が無くなるじゃないですか!」
 危なかった。思わず昔の呼称が口から出そうになる。
 真紀人は気にせず言う。
「だってお前が決めないから」
「先に水野さんが決めてください」
「やだよ。好きな人に選ばせたいだろ」
「うっ」
 やはり忘れてなかったか。
 一週間前の発言は幻聴ではなかったようだ。真紀人も考えを改めていなかった。
 言葉に詰まる司を見て、真紀人は面白そうに笑う。
 その笑顔にまた、高校時代を思い出す。すると司の心も砕けて昔に戻ったような言葉使いになる。
「何言ってるんですか」
「だよな」
「……焼肉にします」
「おう」
 雇用主に対して捻くれた口調をしたにも関わらず、真紀人は笑っているだけだった。
 ダイニングテーブルに移動し、二人で食事をとることになった。
 弁当は弁当でも、某高級焼肉店の焼肉弁当だ。あれ、これって五千円くらいしなかったっけ。
 内心、慄きつつも焼肉弁当はしっかりいただく。
「お肉が柔らかすぎます!」
「良かったな」
「なんでこんな柔らかい!?」
「そんな喜んでくれんなら店に行けば良かった。今度連れてってやろうか」
「えっ。怖いです」
「怖いって俺が?」
「水野さんも怖いけれどこのお店に行くのが怖いです。すごく高い焼肉屋で有名じゃないですか」
「そんな怯えるところじゃねぇけど」
「敷居が高いです」
「待てよ俺のことも怖いって言った?」
 おかしなことばかりだ。真紀人にとっては司は初めて出会う人物なのだからこうも簡単に打ち解けてはならない。
 だが幾つも『突然』の衝撃が続きすぎて司の頭はおかしくなっている。だから、本来ならばもう少し慎重にならなければいけないのに、高校時代みたいな会話をしてしまう。
 もっとおかしなことは、それを真紀人が許容していることだ。
 いくら司を……タイプだと言っても、なぜ笑っていられるのだろう。
「デザートにゼリー買ってきた。食べる?」
「ゼリー。俺ゼリー大好きです」
「よっしゃ」
 真紀人はすぐに立ち上がってキッチンへ向かってしまう。先ほど何やら冷蔵庫に閉まっていた物はゼリーだったらしい。
 司は甘い物だとゼリーが一番好きだ。高校時代は真紀人もよくゼリーやパフェを奢ってくれた。
 今の真紀人が買ってきてくれたのは偶々だろうけれど、それでも嬉しい。
 真紀人が「ほら」とフルーツゼリーを差し出してくれる。今更になって、雇用主を働かせていることに気付き焦るも、真紀人は構わず上機嫌だ。
「食え」
「はい。……美味しい」
「俺のも要る?」
「だから、水野さんのが無くなるでしょ」
「でも俺はお前が好きなわけだし」
「うぐっ」
 どう反応したらいいのか全く分からない。度々放り込まれる爆弾発言にまんまと思考停止させられる。
 本当なら、真紀人が高校時代の思い出を忘れてしまったことに落ち込むべきなのだろう。
 実際それを思うと悲しいし、心が重くなる。けれど悲しませる暇もないくらい今の真紀人が心を揺さぶってくるので、司はどのような心持ちで居ればいいのか全く分からない。
 司は意を決して、か細い声で訊ねた。
「……その好きって、いうの、何なんですか……」
「一目惚れ」
 真紀人はあっさりと答える。
 けれど視線が真剣だった。司は思わず唇を引き締める。
 彼は容赦なく続ける。
「俺だってこんなの、初めてなんだよ」
「……いや、ありえないですよ」
「ありえてるだろ」
「俺は一目惚れされるような外見してません」
「そうかな」
 真紀人は真っ直ぐ司を見つめたまま続けた。
「少し癖っ毛の黒髪とかもいいし、奥二重の目も綺麗だ」
「……綺麗って」
「俺たちは高校時代に出会ったんだろ。そん時だって俺が声かけてるはずだ」
「……」
 事実だった。
 ウサギ小屋の近くで座っていた司に声をかけてきたのは真紀人だ。
 でもあれは、一目惚れではなく、猫に囲まれている司が珍しかっただけ。
 司は視線を落とした。足元では猫のつるが丸まって眠っている。可愛らしい白猫の毛は真っ白で、汚れひとつない。
 ここは裏庭ではない。それなのにどうしてか、土の香りが蘇った。
 過去の残香を心に閉じ込めて、司は今の真紀人を見つめ返す。
「その反応からして、やっぱり俺だな」
「でも、俺が水野さんのタイプだとか、水野さんから聞いたことなんかないです」
「どうかな」
 真紀人は少し目を細めて皮肉っぽい笑みを浮かべる。その『どうかな』の言い方は、過去の真紀人そのものだった。
「俺がガキだったから言えなかっただけだ」
「……あの、どうして恥ずかしげもなく、好きとか言えるんですか」
「恥ずかしくはある」
「そうは見えませんよ」
「もう、必死になるしかないから」
 真紀人は呟いた。
 ふいに辛そうな気配が香った、ような気がした。それも一瞬で、また力強い眼差しが司を射抜く。
「俺は猛攻するしかない。じゃないと一生後悔する」
「……」
 司は彼から目を離せない。
 真紀人はとても綺麗で、真紀人が真顔になるといつも司は、見惚れるのだ。
 心をまた掴まれて息さえ忘れてしまう。呼吸を掴んで声を絞り出した。
「一生とか、大袈裟じゃないですか?」
「だってこんなの初めてだから」
「本当に初めてなんですか?」
「そう。初恋」
「……」
「何だその顔は」
 司はもう耐えきれなくなって、眉間に皺を寄せて目を瞑った。
 無理だ。今日の分の容量がいっぱいになった。真紀人の発言を受け入れる心の余裕はもうない。終わり。これ以上は、入らない。
 真紀人が「何なんだその顔は。どういう感情なんだ」と追及してくる。司は目を開き、それには答えずに言った。
「ゼリー美味しい」
「お前自由だな」
「いつもこんな、お洒落なご飯ばかり食べているんですか?」
「昼の話?」
「昼食でも夕食でも」
「正直、適当」
 急な話題転換にも真紀人は付き合ってくれる。
 彼は自分の分のゼリーを食べてから言った。
「昼はコンビニ飯か食わねぇことが多い。夜は会食だったり、酒のつまみに何か食う程度。朝は食わないな」
「なるほど」
 今までのハウスキーパーは料理を作っていなかったのだろうか。司は(料理はあまり必要ないのかな)と思いながらも質問を重ねた。
「なら今日の夕食はどうしますか? ご飯についても聞きたかったんです。メールでは、適宜と書いてあったので」
「余裕があるなら作ってほしい」
 だが、予想とは裏腹に真紀人は即答する。
 司が反応する前に付け足してきた。
「少なくとも夕飯は頼みたい」
「あ、はい……もちろんです」
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