【完結】愛する人にはいつだって捨てられる運命だから

SKYTRICK

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最終章

48 楽しかった

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 必要があれば呼ぶと皆に言いつけていたらしいので、この旅の間は基本的に二人でいる。すると部屋のベルが鳴った。
 ライハルトが腰を上げた。たまにこうして電話か手紙を受けることがある。旅行中ではあるが会社と連絡を取っているのだろう。
 ミカは紅茶を淹れた。レストランでお昼を食べたので腹は減っていないが、紅茶は美味しそうだ。
 先にライハルトのカップに注いでから、自分の分を用意する。ソファに腰掛けて待っていると、ライハルトが手紙を手にして帰ってきた。
 隣に座った彼は長い足を組みミカの肩に腕を回してくる。手紙は机の端に置いて、ミカの髪を弄り出した。
「ララブランに着いたら副社長にミカを紹介する」
「副社長さんですか?」
「ああ。ちょうど向こうにいるようだから」
「副社長さん……」
「ん?」
「緊張しますね」
「俺は社長だぞ」
 ライハルトは悪戯するみたいに首筋にキスをしてくる。擽ったくてミカは笑った。
「ライハルト様にも緊張した方がいいですか?」
「ミカには無理だろ。お前がビクビクしてたのは最初だけだ」
「そんなことないですよ」
 ライハルトはミカの頬にキスをして、頭にも唇を押し付けてくる。好き勝手されながらもミカはティーカップを手に取った。
「それ、熱くねぇの?」
「多分平気です」
「どうかな。ミカは猫だから猫舌だろ」
「今は人間ですし、大丈夫ですって!」
「昨日も同じこと言って舌を火傷してたよな」
「……」
「怪我すんなよ。俺は治してやれねぇんだから」
 ライハルトは目を細めて、唇を触ってくる。
 今ではもう『ツカイ』が他者の痛みを引き受けることについては理解している。だからあの時……ライハルトの手のひらの傷が消えたのは、つまり、そういうことだったのだ。
 ミカは一度両手に持ったカップを見下ろして、テーブルへ戻した。確かにまだ熱いかもしれない。ライハルトは満足げに笑う。
「俺がお前の痛みを代われたら幾らでも飲んでいいんだけど」
「……待ちます」
「昨日の火傷治ってんの? 口開けてみ」
「開けません。あっ、ライハルト様。言いたことがあります」
「何」
「俺が欠伸する時口に指突っ込んでくるのやめてください」
「突っ込んでねぇよ。入れてるだけ」
「一緒ですよ!」
 ライハルトが唇を触り続けてくるから、喋りにくい。
「いいだろ。減るもんじゃねぇし」
「うっかりライハルト様の指を噛んでしまうことも、もしかしたらあるんです!」
「噛めばいい。ほら。ちっちゃなお口開けてみろ」
 意地でも開けない。唇を引き締めると、ライハルトはケラケラ笑った。
 さっきからずっと笑っている。こんなに沢山笑う人なのに、ライハルトは無愛想な人間だと思われている。確かにミカも初めは怖い印象を抱いたけれど、今は違う。
「噛まれないよう気をつけるよ。俺が怪我したらお前が苦しむからな」
 ライハルトはソファの背に肘をついて体をこちらに向け、ミカを見つめている。
 出会った頃の彼の態度とは全く違う、優しい目をしていた。
「……そうですよ。気をつけてください」
「怪我しないように気をつけねぇと。けどな、何度も言うけど、たとえ俺が怪我しても代わろうと思うなよ」
 痛みを代わるには意思が必要だ。それをライハルトも知っている。
 ライハルトは変わらず優しい目つきをしているけれど、口調には力がこもっていた。
「自分で治癒するから放っておけ」
「……」
「分かったな」
「ライハルト様が怪我をしなければ済む話です」
「おい」
「だって咄嗟に代わろうって思っちゃうんですもん!」
「お前は反抗ばっかだな」
「反抗したらダメですか」
「いや、好きだけど」
 不意打ちで直球を投げてくるのでミカはビクッとした。ライハルトは澄ました顔をしている。
 これにはまだ慣れない。
「そ、そうですか」
「文句言ってくんのもいいんだよなー」
「……」
 ライハルトの愛情表現は豊かだ。こうして言葉でも伝えてくるし、隙あらばミカに触れてくる。
 金の使い方だってそうだ。祝日を作って、列車を繋げて、ミカのために図書室や噴水だって作ってしまうのだ。
 ミカもミカで大して止めないからライハルトも好き勝手している。ミカはライハルトの行動を制限したくはない。自由奔放で何をするか分からない彼が好きなのだ。
「お前は?」
 と、いきなりライハルトがミカの頬をいじりながら聞いてきた。
「え?」
「お前、俺のどこが好きなの」
「……綺麗なところ?」
 ちょうど考えていたところだったので狼狽えた。『何をするか分からないところ』と答えるのもどうかと思って、無難ではあるが本心を呟いてみる。
「へぇー」
 何を言われてもライハルトは嬉しそうにする。
 別にこうして聞かれるのははじめてではない。特に酔っている時は何度も聞かれる。それよりも「好き」と言われる回数の方が多いけれど……。
 ライハルトは何も言わずにミカを見ている。見ているだけ。その雰囲気で、(もっと言われたいんだな)と察し、「あとは」と付け足した。
「優しいところ」
「そうか?」
「はい。優しいです」
 ライハルトはフッと自嘲的に吐息した。
 右頬を歪ませるようにして笑って、
「お前に嫌なこと言ったのにか?」
「嫌なこと?」
「……あの時のお前に、猫になれだとか。信じらんねぇくらい酷いことを沢山」
 それを言われたのはミカの方なのに、ライハルトは傷付いた顔をする。
 確かに出会ったばかりのライハルトはミカへ暴言を吐いていた……気がする。何を言われたかは正直、あまり覚えていない。
 けれど、傷付いたことは覚えている。
「俺が覚えてないことで、お前を苦しめた言葉もあるんだろ」
「どうでしょうか。俺も覚えていません」
「んなわけあるかよ」
「でも」
 ライハルトが哀しげな顔をするから慰めたいのもある。
 ただそれ以上に、単純に思うのだ。
「それは、ライハルト様の個性ですから」
「個性?」
「はい」
 悪質寄りではあるけれど。
 屋敷の皆も『旦那様は人間嫌いですから』と言っていた。エルマーさえも、ライハルトは人間よりも犬猫の方が好きな男だと説明していた。
 ライハルトはそういう人なのだ。
 だから面白い。
 だから……今のライハルトが見せてくれる表情が愛おしい。
 ミカは思わず微笑んだ。
「ライハルト様は優しいですよ」
 ミカは棚の上に置かれた箱へ目を向けた。
 ライハルトもミカの視線を追って『ソレ』を捉える。
 ミカはフッと目を細めてみせた。
「そうでしょう。これで優しくなかったら何なんですか」
 あの箱は、この旅の一日目にライハルトがプレゼントとして『返して』くれたものだ。
 箱の中にはゾフィお婆ちゃんの遺品が入っている。かつて使っていた手帳や、櫛。ミカのためにお婆ちゃんが作ってくれた服までも。
 フォルカーは、ゾフィお婆ちゃんが残したものを捨てていなかったのだ。
 手鏡をローレンツに壊されてから、ライハルトは再度フォルカーの元へ向かった。結局手鏡は元に戻らなかったので、まだ他に何か残っていないか確かめに行ったのだ。
 フォルカーとライハルトがどういった会話をしたのかは分からない。
 ただ、彼は金を要求することもなく、静かにお婆ちゃんの遺品を渡してくれたらしい。
 ライハルト曰く、ミカへの伝言は一言だけだった。
 ——『俺も昔は楽しかったぜ』
 長い間心はすれ違ってしまって、もう未来が交わることもない。
 それでも思い起こす記憶は同じだった。
 子供の頃に遊んだ思い出は風化も変質もしていない。二人で過ごした幼い記憶は『楽しかった』で変わらない。
 それを聞けただけでも良かった。
「ライハルト様、ありがとう」
「……ああ」
 ライハルトは安心したように頬を緩める。
 これで終わりかと思ったのにライハルトがまた黙ってしまった。続きを望んでいるのだ。ミカはどうしようか迷って、仕方なく、一番はじめに考えたことを口にした。
「あとは、変なところ」
「は?」
 ライハルトは首を傾げた。
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