【完結】愛する人にはいつだって捨てられる運命だから

SKYTRICK

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第四章

43 ガイスラー公爵家

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 公爵邸の執事長と名乗った妙齢の男は如才ない微笑みを浮かべてライハルトたちを歓迎した。
「ご当主様がお待ちです」
 そこは宮殿と大差ない豪勢な邸宅だった。
 ライハルトは彼に導かれるまま、屋敷内を進んでいく。
 昨夜に送った手紙は無事に届いていたようで、その夜のうちに《歓迎いたします》と返事が届いた。ライハルトは先に送った手紙で既に黒猫のツカイについて言及している。それが彼女の気を引いたのだろう。
 おかげでこうしてお目にかかることができた。
「初めまして、ライハルトさん。お会いできて光栄だわ」
「こちらこそ。お時間を割いてくださりありがとうございます」
 豪勢な部屋の奥にはバルバラが待っていた。椅子から腰を上げた彼女は音もなくこちらに歩いてくる。
 バイオレットのドレスが似合う女性だった。腰ほどまでの滑らかな黒い髪に、細い体躯。バルバラの容姿は若い見目をしていた。
 しかし彼女は百五十歳だと聞く。
 ガイスラー公爵家の当主となる魔女達やツカイらは老いないと言われている。噂通りだった。覚悟はしていたが目の前にするとやはり奇妙な感覚に襲われる。
「私に聞きたいことがあるとのことでしたけれど」
 バルバラはにっこりと微笑んだ。
 外見だけならライハルトとそう変わらない。だがその微笑み方や口調に異様なまでに老成した優雅さが宿っているから錯覚してしまう。
 まるで彼女の周りだけ時間の流れが違っているようだ。ライハルトは軽く視線を伏せてから、バルバラを見つめた。
「単刀直入に失礼いたします。公爵家に伝わる黒猫のツカイについて伺いたく馳せ参じました」
 バルバラはうっすらと微笑んだ。
 続いて腕をわずかに上げて、「どうぞこちらへおかけになって」とライハルトをソファへ促す。
 バルバラが腰を下ろしたのを見届けてからライハルトも腰掛ける。部屋には扉の近くにメイドが五人いるだけだ。
 カラスの使いである長男も、次期当主が内定しているアンネマリーの姿もない。公爵邸が広いせいなのか、そもそも二人とも不在にしているかは不明だ。
 またここにはミカもいない。
 ミカとエルマーは馬車に残してきた。
「……公爵様、私は」
 ライハルトはまず、バルバラと話がしたかったのだ。
「数ヶ月前に黒猫の獣人と出会いました。年は二十歳ほど。彼は己が獣人であることを隠して暮らしていました。両親はおらず、兄は生き別れとなり今は会っていないと申しております」
 ミカについての話をした時の、彼女の反応が知りたいのだ。
 もしもミカにとってガイスラー公爵家が有害ならば彼女に会わせるわけにはいかない。ミカは自分が獣人であることを隠していた。それは公爵家に見つからないようにしていたからとも言える。
「私は彼が公爵家のツカイと繋がりがあるのではと考えております」
 しかし一方でライハルトは、ミカが自分の正体を隠していたのは別の理由があったからではないかと考えている。
 何故ならガイスラー公爵家の巷での噂と内情は相違がある。
 ガイスラーは、畏敬を受けるに値するかもしれないが恐怖を向ける家ではない。残酷な魔女の貴族などでは決してないのだ。
 バルバラは膝に両手を重ねて、身動き一つせずライハルトを見つめている。
 柔い微笑みを浮かべているが、緊張感の重さは尋常ではなかった。真っ直ぐにライハルトを見据える青い瞳は……ライハルトの瞳も青色ではあるが、バルバラの青は一言では言い難い独特な色合いである。
 深い青に見えるのに、白いカップを口元に近づけるだけでカップに反射した光で煌めき、透き通る青に変わる。研磨された宝石のようだ。バルバラの瞳の動きを追っているだけで精神を使う。間違いなく、ライハルトが今までに出会ったことのない人間だった。
 気を抜くと言葉が続かなくなるような圧がある。実際にはバルバラは何もしていない。ライハルトに威圧をかける言葉もないし、微笑みは変わらずそこにあるだけ。
 だが、向き合っているだけなのに生気が漏れ出ていく感覚をくらうのだ。同じ空間にいるだけで、体力を使うような。
 あぁ……、彼女は『時間』なのだ。
 ライハルトは今、膨大な時間を前にしている。
 不思議な心地だった。これが長寿の魔法使いの気配なのだろう。
 それでもライハルトは彼女と対峙しなければならない。
 たとえこの身が奇妙な時間に呑まれて迷子になったとしても、ミカを戻す方法だけは知りたかった。
「私の黒猫について知るために、バルバラ様からお話を伺いたいのです」
「そう……黒猫の……」
 「獣人が、あなたの傍にいるのね」バルバラが笑みを深める。瞳の青が濃紺に染まる。
 ライハルトは首肯し、語り続けた。
「失礼ながらガイスラー公爵家について少し調べさせていただきました。亡くなったテオバルト氏には二人のご子息がいたとのこと。そのご子息が、ミカ……私の猫の年齢とほぼ一致しております」
 バルバラの長いまつ毛が彼女の目元に影を落としている。影は微動だにしない。その向こうに潜む青い目も静かだ。
 ライハルトは、彼女の視線に臆することなく告げた。
「ミカについて何かご存知ではありませんか」
 ライハルトが唇を閉ざすと沈黙が二人の間に流れた。
 その静寂を破ったのは、バルバラの、
「ミカ……」
 と呟いた声だった。
 目元に落ちた影が揺らぐ。バルバラが瞼を閉じたのだ。
 それからゆっくりと目を開けると、彼女は囁いた。
「そう。ミカがあなたの傍にいるのね」
 視線を伏せていたバルバラがこちらを見遣る。
 ライハルトは思わず目を瞠った。
「連れてきてちょうだい」
 バルバラが今にも泣き出しそうに顔を歪めていたからだ。
「その子を……ミカを、ここへ」
 瞳の青に光が満ち満ちている。彼女は目に涙を溜めていた。
 予想だにしなかった反応にライハルトは息を呑んだ。少し遅れたが、「ご存じなのですね」と返す。
 バルバラは言った。
「私の家族よ」
 その瞬間、ライハルトの頭に駆け巡るのは家系図だ。亡くなったテオバルトと二人の息子……。
 やはりミカは、テオバルトの子供だった。
 バルバラの孫であり、公爵家の血筋を引く者だったのだ。
「ミカ。生きていたのね」
 つまりミカは魔女のツカイである。
 公爵家に存在していない黒猫のツカイは、ミカだった。
「ミカのことを知っていたのですか?」
「……ええ」
 バルバラはふぅ、と薄い唇から息を吐く。鼻の頭がほんのりと赤らんでいる。涙を必死に堪えていたのが見て取れた。
「愚かな息子に攫われたのがエルとミカよ。私たちは彼らを何年も探し続けたのに一向に見つからなかった」
 バルバラは震える声を絞り出した。
「可哀想でならなかったわ。ミカは……、生きているのね」
「はい」
「そう……」
 バルバラは噛み締めるように繰り返す。
「生きているのね」
 ——やがて、バルバラは静かに語り出した。
 事が起きたのは二十五年前だったと。
 バルバラの数多い子供の中でも、テオバルトは卑屈で凶暴な男だった。
 公爵家の金を私利私欲のために使い、毎晩のように酒に溺れる。家に黙って女や奴隷を買い、暴力を振るう男であった。
 それを知った長男は激怒し、テオバルトを家から追い出した。
 しかし彼はあろうことか『ツカイ』を連れ出して家を出たのだ。
「エミーリアは黒猫のツカイだったの」
 エミーリアは次期当主であり長女であるアンネマリーの娘だ。
 アンネマリーは魔女。そしてエミーリアは黒猫の獣人であり魔女のツカイだった。テオバルトとエミーリアは叔父と姪の関係にあたるが、年は程近かったのだと言う。
 テオバルトは公爵家を追放された際にエミーリアを連れ去った。だが二人が恋愛関係にあったとは誰の目から見ても言い難く、エミーリア自身も昔からテオバルトの視線を恐れていた。
 則ちテオバルトは一方的にエミーリアに懸想して、彼女を攫ったのだ。
「では、ミカの母親は……」
「エミーリアよ」
 バルバラは悲痛そうに顔を歪めた。
「テオバルトは魔法使いでもツカイでもなかった。ミカが黒猫であるのは、エミーリアの血が混じっているからなの」
 ガイスラー公爵家は攫われたエミーリアを捜し求めた。テオバルトに悟られないよう捜索は秘密裏に行われた。
 大規模な捜索であったにも関わらず、バルバラ達はエミーリアを見つけることができなかった。
 それもそのはずで、テオバルトは三人を監禁していたのだ。
 そうして月日は無情にも過ぎていく。どれだけ探しても手がかりを掴めない。この時点で公爵家は知らなかったのだ。
「エミーリアは二人の子供を産んでから、テオバルトの元を子供達を連れて逃げ出していたの」
 エミーリアとミカ、そして兄のエルがテオバルトから逃れたのはミカが歩けるようになってからだった。
 テオバルトの隙を突いて三人は遠く遠くへ逃げ出した。彼らはガイスラー公爵家を頼らなかった。頼ることができなかったのだ。
 三人が脱出したと知ったテオバルトが真っ先に向かったのはガイスラー公爵家周辺で、エミーリアたちが帰ってくるのを待った。
 そうしてエミーリアは三人で生き延びることを選ぶ。恐怖に支配されたエミーリアは子供達を遠くへ逃すことしか考えられなかったのだ。
 とにかくテオバルトから逃げる。三人はその後も隠れ続けた。
 なぜならエミーリアは知らなかった。
 自分たちが監禁から脱出した直後、テオバルトが死んでいたことを。
 逃げた母子を追うためにテオバルトは公爵家の範囲が及ぶ場所に姿を現していたのだ。それがあだとなり、テオバルトは捕捉された。
 その後公爵家に連れ戻されたテオバルトから、エミーリアとの間に子供が二人いる事実を聞き出した。子供達の兄弟は黒猫の獣人……つまり魔女のツカイであることも。
 更なる情報をテオバルトから聞き出さなければならない。しかし彼は、監視の目を掻い潜り脱出しようとして窓から転落死してしまった。
 彼が死んだとてエミーリアの居場所は分からない。公爵家はテオバルトの死を公表した。死因は書き換えたが肝心なのはテオバルトの死亡をエミーリアに伝えることだ。
 もう恐れるものは何もない。エミーリアに数々の暴行を加えたテオバルトはいない。
 しかしエミーリアは帰ってこなかった。
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